管狐 くだきつね 第一章
管狐とは、日本の伝承上における憑き物の一種である。竹筒に入ってしまう程の大きさから、管狐という名前が付いたと言われているが、必ずしもその姿は狐に似た物ではないらしい。長野県をはじめとする中部地方に伝わっており、東海地方、関東地方南部、東北地方などの一部にも伝承がある。関東では千葉県や神奈川県を除いて管狐の伝承は無いが、これは関東がオサキの勢力圏だからといわれる。
狐憑きの一種として語られることもあり、地方によって管狐を有するとされる家は「くだもち」「くだしょう」「クダ屋」「クダ使い」と呼ばれて忌み嫌われた。管狐は個人ではなく家に憑くものとの伝承が多いが、オサキなどは家の主人が意図しなくても勝手に行動するのに対し、管狐の場合は主人の「使う」という意図のもとに管狐が行動することが特徴と考えられている。管狐は主人の意思に応じて他家から品物を調達するため、管狐を飼う家は裕福になるといわれるが、初めのうちは家が裕福になるものの、管狐は子沢山のため(七十五匹にも増えると言われる)、やがては食いつぶされて家が衰えるともいわれている。
別名、飯綱(いづな)、飯縄権現とも言い、新潟、中部地方、東北地方の霊能者や信州の飯綱使い(いづなつかい)などがこれを使役すると言われる。飯綱使いは、飯綱を使って、予言など善なる宗教活動を行うのと同時に、依頼者が望めば、憎むべき人間に飯綱を飛ばして、病気にさせるなどの悪なる活動をすると信じられている。
「管狐」『ウィキペディア日本語版』,(2021年6月29日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%A1%E7%8B%90&oldid=82214300).
・・・・・・
縁側で本を読んでいた晴助は、ふと視線を感じた。顔を上げてみると、丁度正面の古い井戸の上に狛犬が座っているのが見えた。あの夜以来の不意の再会である。
「すいません、驚かしちゃいましたか?晴助さん。」
「……いや、ただ次からはちゃんと玄関から来て欲しいんだが……」
「その後如何ですか?」
狛犬はお構いなしに自分の言いたい事を続ける。
「……お陰様で、本を読むのもこのとおり。」
そう言って、晴助は両手を上げて見せる。
「足を使わないで済むから、助かるよ。」
「通常使用には問題無し、と。」
通常使用という言葉に少し面食らう晴助。
「黒手になった時はどうです?」
「……?」
反応が無い晴助を見て今度は狛犬が少し戸惑う。
「ああ、まだ黒手になった事がないと?」
「黒手になるって……?」
「そうですか。まあ、そういう事もあり得ますねぇ。」
狛犬はそう言っているが、あまり納得はしていない様子だった。
「じゃあ、ちょっと黒手になってみて下さいよ。」
「……どうやって?」
「……あれ、出来ないの?」
狛犬は何か考えている。
「えーと……そうだ、
「?」
「鉄製の六角形の棒をどこかで見ませんでしたか?」
「あー、見た、見た。先代の黒手の人の持ち物だって聞いたけど……」
晴助は立ち上がり、六角棒を探しに奥に引っ込む。やがて、叫び声が聞こえ、晴助が鉄の棒を持って走ってきた。
「おい!俺の腕が!」
見ると晴助の両腕が炭の様に真っ黒になっている。
「落ち着いてください、晴助さん。」
狛犬は少し安心した様子だった。
「それが、黒手の本来の姿です。」
そう言われて晴助は自分の腕をしげしげと眺めた。
「黒手はその力を発揮する時、黒く鈍く光る、と昔から言われています。ちなみにその六角棒の重さは90キロぐらいあります。」
「え?これそんなに重いの?」
片手で軽々と扱えるこの鉄の棒の重量を聞いて、改めて驚く晴助だった。
「その六角棒も、あなたの腕と同じく神から授けられた物ですから、大切にして下さいね。……ところで晴助さん、ちょっと肩を見せて下さいよ。」
晴助は言われたとおり袖をまくった。そこには金色に鈍く光るマークのような物が浮き出ていた。
「
「神紋?」
「家紋みたいな物と思って下さい。」
晴助は落ち着くために腰を下ろした。
「……色々思い知らされたよ。」
「なに、選択は間違ってないと思いますよ。あとは慣れの問題です。」
狛犬はしたり顔でそう言った。
「いや、別に後悔してる訳じゃないんだけど……それであんたが来たのはアフターサービスみたいな物かい?」
「そうです、そうです。晴助さんの初仕事まで面倒見ますよ。」
「あの化け物を祓うってのが仕事だろ?」
「はい。」
「で?具体的にどうやるの?」
「もちろんご説明しますよ。ただ、今はまだ日も高いので。深夜に境内でやりましょう。」
「……深夜に境内で?」
「境内は良いですよぉ、落ち着きますし。」
狛犬はそう言ってにやっとした様に見えた。
・・・・・・
その日の深夜。晴助は人気の無い境内に行ってみると、もう狛犬は待っていて、晴助が来るのを認めると尻尾を横にゆっくり振った。
「晴助さん、ようこそお越しくださいました。」
「……なんだか、嬉しそうだな。」
「ええ、ええ。新たな黒手を迎える事が出来て我々大変喜んでおります。」
晴助はそんなに歓迎されているとは思わなかったので意外に感じた。
「そうなのか?」
「勿論ですよ。これから同じ眷族となる訳ですから、晴助さん、何卒末長く宜しくお願いします。」
狛犬はそう言って、頭を垂れた。
「いや、こ、こちらこそ宜しく。」
晴助は思っても見なかった狛犬の態度に少しどぎまぎして、返答も覚束ない有り様だった。
「さて、それでは黒手の役割について簡単にご説明しましょう。」
「まず、神社にはさまざな人が立ち寄り、手を合わせて神に祈願します。神はその祈願の内容を良く吟味し、また聞き届ける祈願を取捨します。そして選ばれた祈願を叶えるのが、黒手、つまり晴助さんの仕事となります。また、その祈願の内容は様々ですが、穢れを祓う必要がある事が多々あるため、黒手には神の力の一端が授けられています。」
「……参拝客の願い事を叶えるって事?」
「その通りです。」
「……そんな事出来るの?俺が?」
「大丈夫ですよ。あなたに出来る内容を神がお選びになるんですから。」
「……そうか。しかし、思ったより複雑で面倒そうな仕事だなぁ。……例えば、大金持ちにしてくれ、みたいな願いはどうやって叶えるんだい?」
「……晴助さん、意外とそういう祈願は少ないものなのですよ。」
狛犬はちらっと軽蔑の目で晴助を見て言った。
「それに自己の利益に関する祈願は、殆ど神は聞き入れられません。」
「へー、そうなんだ。」
「まあ、やってくうちに色々分かってくると思いますよ。あと、前にも言いましたが、黒衆が街中で好き勝手に目に付いたあやかしを祓う、といった事は禁止されています。あくまで神の命に従っていただく事が原則です。」
「それは聞いたけど、でも、なんで?だって祓うという事は良い事なんだろ?」
「昔から八百万の神と申しますが、当然黒衆も結構な数がいます。あなたが町中で目に付いた穢れを片っ端から祓えば、それはすなわち他の黒衆の仕事を台無しにし、神の秩序を乱す可能性があるんですよ。それにあなたに授けられた神の力は、強大な力を発揮します。もしあなたがこの力を自分の好きな様に使えば……」
「……使えば?」
「あなたはやがてただのあやかしと成り果て、他の黒衆に祓われる事になるでしょう。」
「……え?」
「ただし、突発的、或いは人命に関わる事案に関してはこの限りではありません。」
確かに狛犬の言う通り、こういう力は人を変えるに十分過ぎるだろう事は想像出来た。
「それでは、もうちょっと実際的な説明に移りましょう。ところで、晴助さん。黒手になる際には、やはり型があった方がよろしいかと思うのですが。」
「……型?」
「というのも、晴助さんも慣れてくれば、ほとんど意識せずに黒手になる事が出来る様になるはずです。」
「はぁ。」
「ただ、それだと色々不都合が起きる事が予想される訳です。日常生活で重い物を担ぐ時、ふと気付くと黒手になっていた、なんて事になるとまずいでしょ?」
「言われてみると、そうかもな。」
「そこで、型を作る訳です。これは逆に言えば型無しでは黒手になれないと、自分の体に覚えさせるための物でもあります。多くの黒衆の方々は型を持っていますよ。」
「……はあ、なるほど、ワンクッション置く訳ね……型って、変身ポーズみたいなもの?」
「……えーと、まあ、そう言った物であるのは確かですがね。黒手に伝わる型がありますので、それをお教えします。」
「手をこう組んで……それでお互いの手を握って、力を入れます。」
「こう?」
「そうです。最初は黒手になった時の事を思い出しながら……」
晴助は両手を組んで、力を込めて自分で自分の手を握るのだが、何も起こらない。狛犬は心配顔でそれを見つめる。晴助は手を組み直したり、深呼吸をしたり、色々やってみる。と、そのうち手のひらから肩まで一陣の風が吹く様な感覚を感じ、見ると両の腕が見事な真っ黒になっていた。
「やあ、お見事。」
「おお!」
案外うまくいった事に、晴助は思わず歓声を上げた。
「晴助さん、元に戻る時は、腕の力を抜いて、全身の力も抜いて。」
言われた通りにやってみると、腕がみるみるもとの肌の色になっていく。晴助は徐々に黒手になった実感が湧いてくるのを感じた。
「なるほど。おもしろいものだ。」
狛犬は立ち上がり、その場でぐるっと一回りして言った。
「さて、では次に……」
そう言うと、狛犬は頬を一杯に膨らまして大きく息を吐いた。すると、大きな青白い炎がぽっかりと浮かんでいた。
「これは私が作ったあやかしに似せた物です。これを今から晴助さんに祓ってもらいます。」
「おお、すげぇ!」
その炎を見て、晴助は思わず感嘆の声を上げた。
「この炎には熱はありません。晴助さん、手で触れてみてください。」
晴助はおずおずと手を近づけてみた。
「なるほど。熱くないし、手で触れる事も出来ない、こうして見ると幻のようだ。」
晴助は何度も手を左右に振ってみるが、その手はむなしく炎を突き抜けるだけで、まるで感触がない。
「それでは、晴助さん、今度は黒手でその炎に触れてみてください。」
晴助は言われたとおり、黒手でその炎に触れてみる。と、今度は触れた途端に、その炎はさーっと、砂の様に崩れて消えてしまった。
「それが黒手の力です。これぐらいのあやかしならば触れるだけで祓う事が出来ます。」
狛犬はまた頬を膨らまし、新しい炎を作る。
「それでは、今度は六角棒で触れてみてください。」
これは予想どおり黒手で触れた時と同じく、崩れて消えた。
「なるほど。これが祓うという事か。」
狛犬は今度は、先程の炎の倍の大きさの炎を出してみせた。
「今度は後ろに下がってください。」
晴助は二、三歩後ずさりする。が、狛犬はもっと下がれと目でうながす。狛犬のうながすまま後退しつづけ、やがて炎から十メーターくらいの距離に達したところで、やっと狛犬は納得したようにうなずいた。
「晴助さん、六角棒を構えて”縛(ばく)”と念じてください。」
「……バク?」
「縛る、の縛(ばく)ですよ。さあ、念じてみてください。」
晴助は何をやらされているのか皆目見当が付かないながらも、狛犬の言うとおりにしてみた。すると、突然六角棒の先端に付いている輪っかから六角形の鎖が飛び出し、炎を縛りあげた。
「これは……」
「これが六角棒の力、”縛(ばく)”です。」
晴助が鎖に縛られた炎をぼーっと見ていると、見かねた狛犬が口を出す。
「晴助さん、まだ終わっていませんよ。さあ、六角棒を思い切り引いてください。」
そうか、まだ炎が消えていないという事は祓えていないという訳か。晴助は言われたとおり、思い切り六角棒を引く。すると鎖が炎を締め上げ、やがて炎は崩れて消えた。
「縛を使うと大抵のあやかしを祓う事が出来ます。」
晴助は鎖が出た輪っかの部分をしげしげと見ている。
「なあ、これ輪っかが三つあるよな?」
「そうです。縛は三本出す事が出来ます。」
狛犬は良く気付いたな、という顔付きでそう言った。
「大抵の、という事はこの縛でも祓いきれない化け物がいるって訳か?」
「はい。長く生きたあやかし等は祓うのに中々骨が折れます。ですが、黒手、六角棒、縛、この三つをうまく使えば祓えないあやかしはまず居ないでしょう。ただし、縛はあやかしにしか使えませんよ。」
狛犬は大きなあくびを一つした。
「さて、ではそろそろ帰って休みましょう。」
「え?終わり?」
「以上、大体の説明は終わりです。あ、何か質問はありますか?」
「その初仕事って何時やるかもう決まってるの?」
「いえ、決まってません。仕事がいつになるのか、これはつまり参拝客の祈願次第なんですよ。」
「ああ、そうか。それに見合った祈願の内容じゃないと俺のとこに仕事は来ない訳か。」
「そういう事です。なに、またちょくちょく様子を見に来ますから。」
狛犬は気楽に言うが、晴助はやはり少し緊張を覚えた。
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