天手力男命 あめのたぢからおのみこと 第二章
ビールを飲みながら、夜道をぶらぶらと歩いていると、ふと晴助は気付いた。街路灯が一つしか点いてない、というよりその一つを残して、他が全部消えていて、しかも改めて周りを見ると漆黒の闇で目を凝らしても建物さえ見えなかった。意外と酔っていたのか、と晴助は思ったが、そのたった一つの街路灯が舞台のスポットライトの様に見えた。酔いか或いは夢うつつか判然としないまま、しかし何故か興味を引かれた晴助は、それに向かってどんどん歩いていった。突然、そのスポットライトに何かが現れた。晴助は驚いて思わず立ち止まる。それは犬の脚、前脚に見えた。と思う間に全身が現れる。犬のようだが、犬じゃない、これは狛犬だ。晴助は流石に、これは夢なのか?と自問しながら、狛犬が悠然と舞台に上がるのを眺めていた。狛犬はスポットライトの中央に腰を下ろしこちらを見てこう言った。
「
街でばったり会った昔の同級生の様な口調だった。
「……え?」
突然自分の名前を呼ばれた晴助は、掠れた声でそう答えるのが精一杯だった。
「加貫晴助さんでしょ?あの、夢の事は検討してもらましたか?」
晴助はただぽかーんと狛犬を見ていた。あまりの驚きにただそうするしかなかった。
「あー、すいませんねぇ。突然の事でびっくりされたでしょう。ええ、ええ、そうでしょう。いきなり私みたいな見てくれの者が、あなたの見た夢についてこんな不躾な質問をしてくるなんてねぇ。」
「晴助さん、あなたが、そのー、色々疑問に思うのは当然だと思うんですよ。だから、どうですか?これからのあなたと私の会話は夢の続きと思ってもらえませんか?」
そういって、狛犬は晴助の返事を待つように、少し首を傾げる。晴助にはこの狛犬がやり手のセールスマンに見えてきた。
「……夢?」
「いやー、話が分かる方で本当に良かった。」
狛犬は晴助の言葉には構いもせず、べらべらしゃべり続ける。
「夢の中ですから、狛犬とあなたが街でばったり出くわして、黒手の話で盛り上がる、と、そんな筋書きも充分にあり得る訳ですよ。ねぇ?」
「……黒手?」
そう言えば夢の中で聞いた言葉だ、と晴助は思い出した。
「黒手は我が神、天手力男命がその昔から人に授け、これをもって人々の世の安寧を守る助けにされた物です。」
晴助はまたもぽかーんとした顔で狛犬を見ている。
「晴助さん、さっきも言ったでしょ、これは夢なんですから……」
狛犬はそう言って、晴助の返事を待っている。どうやら狛犬が考えている筋書きと少し違ったらしい。
「……えーと、まず……お前は一体、何?」
「あー、これは、自己紹介がまだでしたね。私は
「磐飛神社?」
「ここからすぐ近くにある神社ですよ。」
確かにこの近くに神社があるにはあるが、しかし、晴助はまだこの状況を飲み込めないでいた。
「いいですか、昔から夢で神様のお告げなんかを見たりする時は、大体神様の使者が現れるものでしょう?」
「……うん。」
「私は、つまりそれですよ。簡単に言うと神様の使い走りなんです。」
狛犬は、もうこの話題はこれで終わりという様に、前脚を左右に振って見せた。
「それより、本題は黒手の事です。晴助さん、最近夢の中で黒手という単語を聞いたでしょう?」
「……確かに、聞いた憶えはある。」
「先ほども申し上げましたが、黒手は我が神、天手力男命がその昔から人に授け、これをもって人々の世の安寧を守る助けにされた物です。黒手とは……はっきり言えば神の力が封じられた腕になります。」
「腕?それは……つまり、人の腕?」
「はい。もちろん左右一揃いで用意された物です。」
「我が神、天手力男命は怪力で聞こえたお方でしてね。いわゆる岩戸隠れの際には、その怪力でもって岩戸の扉を放り投げたという話が伝わっているほどです。」
「その話が本当かどうかは私は知りませんがね。ま、とにかくその黒手を授けられた者は驚くほどの怪力を発揮するようになる、という事です。」
「晴助さん、あなたは、そのー、最近不幸な事故により、片腕の半分を無くしましたね。黒手になれば、新しい腕が授けられますよ。」
「……新しい腕?」
「ええ、そうです。元の腕と同じ物とはいかないですけど。まあ、使い勝手は良くなると思いますよ。」
「……つまり、無くした腕の代わりに新しい腕が貰えるって?」
「まあ、大体のところはそういう理解でよろしいかと。」
「えーと、つまりこの腕を挿げ替えるって事?」
「まあ、そういう事になりますねぇ。」
「はあ?どうやって?人の腕の話だよ?」
晴助にはそんな馬鹿げた話、とても信じられなかった。
「ええ、ええ、信じがたい話だという事は私も重々承知しております。ただねぇ、その辺りの詳しい話は出来ない事になってるんですよ。申し訳ないです。」
そう言われても、当然晴助は納得出来ず疑いの目で狛犬を見つめる。しかし狛犬は意に介さず、話を続けた。
「私だって、ご説明したいんですがねぇ。色々決まり事が多くて参りますよ。」
「しかし、神様は腕が無い者にそうやって腕を配って歩いてるのか?そんなバカな話、ありゃしないだろ。」
「ええ、そうですね。ただ話をする前に……晴助さん、あなた少し障りがありますねぇ。」
狛犬は晴助の右手のぐるぐる巻かれた包帯をじっと見て、そう言った。
「……障り?」
「よござんすか?あんまり驚かないでくださいよ。」
狛犬はそう言うと、立ち上がり、肩をやや下げ、顔は見上げる様にやや上方を向き、口を大きく開けて吠える真似をした。それを神妙に見守っていた晴助だが、ふと視線の端に何か動く物を見つけた。見ると、右手の患部に大量の髪の毛らしきものがからまりついて、しかもその毛はおのれの意思があるようにうねうねと動いていた。晴助は叫び声を上げると共にその髪を振りほどこうと右手を大きく振ったが、その髪はしっかり晴助の右手にしがみついたままだった。そこで、今度は左手で引きはがそうと手を伸ばして掴もうとするが、晴助の左手に触れる物は自分の右手だけであった。
「おい!これは何だ!」
「所謂あやかしです。ムシの一種でしょうな。」
「なんとかしてくれ!」
狛犬はばっとその髪に飛びかかり、食らいついて晴助の右手から引きはがした。狛犬はその髪をそのままずるずると飲み込んだ。晴助はぼう然と自分の右手を見つめている。
「晴助さん、あなた最近荒れた生活をしていたようですねぇ。まあ、その右手の事を考えれば理解はできます。あやかしはそういう人の悩み、苦しみにつけ込み、人を操ろうと目論見ます。そういうあやかしを強制的に祓うのが黒手の仕事です。」
そう言うと狛犬は口の周りをぺろぺろ舐めた。
「……つまり俺に腕をやるから今の化け物みたいなのを祓えと?」
晴助が話しの大筋が理解出来たとみると、狛犬は少し意地の悪い顔で頷いた。
「とは言っても、基本的にはあくまで神の命に従っていただきます。あなたが目に付いたあやかしを片っ端から祓っていく、という事は許されていません。」
「……しかし何故俺の所に来た?俺が右手を失ったからか?」
「あなたが右手を失ったのはあくまで偶然です。あなたは
「未黒?」
「ええ、つまり神があらかじめ産まれてくる子供の中から将来の
「黒衆?」
「あー、これは、どうも先程から説明が後先になってしまいまして、申し訳ありません。えーと、私が今お話ししているのは黒手についてですが、似たような役割の人たちは他にも居ます。それぞれ神の力を封じられた体の部位を授けられた人たちです。それらの人たちを総称して黒衆と呼びます。黒衆たちも基本は人ですから、当然寿命があります。黒衆が亡くなると、未黒の中から次の黒衆が一人選ばれて、その力と役割が引き継がれていく訳です。」
「なるほど、腕を授けられた者は黒手と呼ばれる訳か……しかし、えーと、俺もその未黒って奴なの?ほんとに?」
「未黒と言っても、ほとんど本人に自覚は無いらしいです。自分が未黒だと知らずにその人生を終える方が殆どですからねぇ。」
「産まれた時から決まってたの?俺が?」
「黒手になると決まってた訳じゃないですよ。あくまで候補の一人だという事です。」
「ふーん、……ん?じゃあ、先代の黒手が最近亡くなったって事?」
「ええ、そうなんです。三ヶ月ほど前の事です。」
「やっぱり、その……化け物に?」
「いえいえ、癌ですよ。」
答えを聞いて、晴助は少し拍子抜けした。
「少し意外に思われたかもしれませんが、黒衆の死因としては普通です。あくまで神の命に従っていれば、そんなに危険な仕事では無いですよ、安心してください。」
そこまで言うと、狛犬はすくっと立ち上がった。
「さて、大体の説明は終わりましたので、私はそろそろお暇します。よく考えてみてくださいね。あと何か疑問が有りましたら、神社にお出でください。またお会い出来るといいですね。それでは。」
晴助が引き止める間も無く、狛犬はゆうゆうとスポットライトを後にし、光の外に出た体の部分からまるで煙のように消えていってしまう。狛犬が行ってしまうと、消えていた街灯が一斉に点いた。その瞬間恐れを感じた晴助は家に向かって走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます