第7話(2/3)


「おに……? ジュリー?」

「はい! ジュリーです、お兄様」

 掠れるような声に返事をする。


 彼は一つずつ確かめるように、指を、手を、足先を動かしはじめた。首がもぞもぞと動いてこそばゆい。

 上半身を起こそうとしているようだ。


「あっ、すみません、待ってらしてね」


 首を左手で支えながら、右手で彼の左手を掴んだ。そのままゆっくり引き上げる。上体が起きた。

 彼が咳き込む。もう長らくしゃべっていなかったのだ。

 背中を撫ぜてやると落ち着いたようだ。


「ジュリー、ジュリーか」

「はい……お兄様」


「ああ、回復してきた。そうか……白いのと自爆してやったんだ。逃げられたんだな、ジュリー」

「はい、お陰様です。大変だったんですから」


 彼は目を閉じて大きく呼吸を始めた。肺に動かし方のレッスンをしているようで可笑しい。

 十数秒眺めていると、彼がこちらを見上げた。


「……えっ誰、ジュリー? いや、ジュリー?」

「ふふ、ジュリーです、お兄様。獣を殺すまで、五年も掛かってしまいました。もうお兄様と同い年だわ……」


 開いた口が塞がらない、という顔をまさに体現しているような彼を、思わず抱きしめてしまった。




 バイクのタイヤが小石を弾く音が聞こえてきた。

 先生がバイクから降りてこちらに駆けてくる。


「ヤマト、起きたのね……良かったわ」

 先生がヘルメットを外しながら言う。


「エル、お前まで来たのか」

「お前まで? までって何よ。折角来てやったってのに。ああ、あんた、うわ! 全裸じゃない。なんで裸でジュリーに抱きついてるの」


「は? ……誤解だ! 抱きついてるの俺じゃないだろどう見ても!」

 彼はようやく自分が服を着ていないのに気づいたようだ。


「あらお兄様、大きな声も出るようになったのね」

 安心して腕に力が入る。


「離れろ! くっそ、力も強くなりやがって」


「ほら、立てるようになったのなら体洗いにいきましょう」

 エリー先生がバイクから大きい外套を持ってきて、彼の頭に被せながら言った。




 恐山の温泉にゆっくり浸かり、ハチノヘの街に一旦戻ることにした。

 先生のバイクにはサイドカーが新しく取り付けられていたので、三人でもどうにか乗ることができた。ハチノヘで取っておいた宿に荷物を置き、そこでおすすめされた食事処に向かう。


「煙草ある?」

 座って開口一番彼はそう言うと、先生にメニューで頭を叩かれた。


「あんた未成年なんだから我慢しなさい」

「未成年って、未成年じゃないだろ、エル。お前のこーんな小さい頃から知ってるんだぜ。ライターより小さかったんだ」


「周りの人から見たら未成年でしょう、駄目」

 私は、先生が彼をあしらっているのを見ながら、適当に注文をした。


「ハチノヘは漁業が盛んなのですって。お魚っていうとカスミの湖魚とか川魚だったから、海のお魚はとっても楽しみ」

「ジュリーお前、でかくなったなぁ……」

 彼はしかめっ面でこっちを見て、当たり前のことを言う。


「ああ、そうこの子ったら、こんな綺麗になったってのにね。ずうっとお兄様がお兄様がって言って銃撃ったり運動ばっかり。背が大きくなるにつれて動き回るようになって。大人しい子だったのに……見てられなかったわ」

「やだ、恥ずかしいです、先生」


 給仕が食事の乗ったお皿を運んできた。少し会話が止まる。

 おすすめのお刺身の盛り合わせ。鮭、しめ鯖、ハマチにイカ、しっぽつきの甘エビ。白いのはなんだろう?

 別のお皿で、黒曜石のようなお刺身も来た。クジラだろう。お味噌汁とお漬物、ごはんも。


「ああもう、あんたのせいですからね、ヤマト。そうあなたヤマト? 本当はナギサって言うんでしたっけ」

「苗字が渚。名前が大和だ。だから渚も大和も俺の名前だけど、ヤマトでいいよ、面倒くさいし」

 ヤマトが先生に答える。


「その、お名前なんですけれど、あの白い人はナギサっていう名前じゃなかったんですね。あの日初めてあの人が来たとき、私の質問は無視して、お兄様の名前を呼んでいたのに気づきませんでした」

「そうだ、あいつはどうなった」


「分かりません……首だけになって何処かに行きました。お兄様、あの人は誰か思い出せました?」

「苗字は大和で名前は渚だ。そう、俺と逆だが、同じなんだ。そこまでは思い出した。ああ、何もわかってないのと同じだ。エル、酒頼めよ」

 ヤマトが言った。先生は無言だ。


「恐山の獣の光で戻った記憶が判然としていない。その分が戻れば、何かわかると思うんだが」

「あんな状態だったんですから、無理もありません。お兄様が助かっただけでも本当によかった」


「ああ……助かったよ、ありがとう。ジュリー、エル」


 びっくりして、お醤油と取ろうとしていた手を思わず引っ込めてしまった。

 彼の口からあまりに素直な言葉が出たからだ。私は頑張ってよかったのだなと、そう思った


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