第5話(3/3)
ぐちゃぐちゃ、とはどういうことだろうか。
「ジュリー、自分の名前に違和感を感じたことはないか? 名字はなんだったっけ。住んでた街の名前は?」
「名字はタイラーです。いえ……違和感なんて、なにも。街の名前はそう、エンバンクメントシティです」
「なんでエンバンクメント……バンク、堤防か? 意味わかんねえ。筑波だろ。なんで筑波だけ英語でシティなんてついてるんだよ。俺がいたチクゼンって、筑前だよな。福岡じゃないか。ジュリー、お前の名前だって、ジュリーだ。ジュリー=タイラー? 名前と苗字は一致してるのかな、わからないが、なんで日本語通じるんだよ。ジュリーだってタイラーだって、日本の名前じゃない」
「ニホンってなんですか?」
俺のいた世界だよ、とヤマトは言う。
「第一、世界の果てって一体なんだ。どっかの宗教じゃないか。獣だってどう見ても妖怪だろう、何がヨルムンガルドだよ。西の果てが滝になってたんだから、東の果てだって滝だろうな……アメリカはどこに行った? いや、日本だけを地球からくり抜いて、どこかに来ちまってるのなら……おかしい、違う。本当にこの大地が丸いなら、中国とか、韓国だって一部はあるはずだ。だけど、なかった」
ヤマトはまるでひとり言のように話し続ける。段々と声が小さくなる。ヨウカイ、アメリカ、チキュウ、知らない単語ばかりだ。
「そして、戦いがない。犯罪という概念がない。武器とか、盗むとかいう言葉すらない。家畜を殺すためだけに、殺すという言葉がある。銃は、クレー射撃と的当てのためだけにある。何かを殺すためじゃない」
彼は一瞬黙ってこちらを見て、済まない、というと煙草の箱に手を伸ばした。だが、中身を取り出すのを
「ちょっと混乱している。黒い獣を殺して、まだ記憶の整理がついていない。とにかく、俺の世界はこの大地の百倍は広くて、色々なものがあった。誰かがその世界から好きなように要素を
「その、私も、その要素のうちなのでしょうか。お兄様の世界では違和感のあるような……」
「いや……いや、済まない、否定出来ない」
「否定の必要はありません、謝らないでください。その誰かが、この大地、引いては私や先生、街の人、みんなを作った、ということでしょうか」
「俺の感覚だけの話だ。なにも確証なんてない」
「その誰かとは……ナギサ様なのでしょうか」
わからない、と彼は小さく応えた。
筑波を出て一週間が経ち、オーマに到着した。ハチノヘの街からこちら、道という道は名ばかりで、流木、倒木、瓦礫などの障害物を迂回、時には排除しながら進まなければならず、かなり時間がかかってしまった。
本当は獣がいるというウソリの山を目指していたのだが、ヤマトが確認をしたいことがある、というので先にオーマに寄ることにしたのだ。
オーマには街跡があった。以前住んでいた人たちがいたのだろう。石畳は月日が経って剥がれかかっているものも多いが、それでも山道に比べたらよほど歩きやすい。街自体が傾斜している場所にあるせいか小さな階段があちこちに見られる。
ヤマトはバイクを押して歩いていたが、途中で諦めたようで小さな荷物だけを持って道に停めてきた。
潮風が強い。
歩きやすいとはいえ、階段を何度も登り降りすると汗をかく。湿度も高い。肌着が躰に張り付いているし、手も顔もべたべただ。今日はシャワーを浴びれるだろうか。
やがて岬が見えてきた。ここが、大地の最北端だ。岬は広場になっていて階段で海辺に降りられるようだ。
ヤマトは早足で岬に向かう。彼の大きな二歩が私の四歩だ。
階段から降りず、彼は海を眺めていた。真南の太陽が海辺に反射している。高い建物はなく、遮るものがない日の光が上からも下からも降り注いでいて、このままローストチキンになってしまいそうだ。
「ちょっとここで待ってろ」
彼はそう言うと今来た道を走って戻りだした。やっと追いついたと思ったのに。仕方ないので階段に腰掛けて彼を待つ。
彼は広場を出て、近くの小道を登り、屋根がほとんど崩れている建物の上に登ろうとしている。何をしているのだろう。
その一番高いところで北の海を見渡すと、また降りてきた。
私も海を見る。さざなみに光が反射している。この波に小さく輝く光の一つ一つが、太陽の光を案内して私の肌を焼いているのだと思うと少し憎たらしい。
だけど、綺麗だ。東北の海岸はずっとでこぼこしていた。右を見ても、左を見てもここには海しかない。一面のコバルトブルー。一定のリズムで弾ける波の音を聞いていると、潮風だって気持ちよく感じられてくる。
こうやって見たことのないものを見て、私は大人に近づけただろうか。
「ジュリー、ちょっとこっちに来い」
「はい」
「おんぶするから」
「ええっ、嫌です」
だって汗臭い。なぜいきなり彼はそんなことを言うのか。確かに彼からみたらとても私は子どもで、子ども扱いされる道理はあるのだけれど。高いところから景色を見渡せるならそれは魅力的だが、リスクが大きすぎる。
「ええと、高いところからあっちを見てほしいんだが」
「肩に足を乗せていいですか」
彼は私に背を向けて体勢を低くした。靴を脱いで右足を肩に乗せると、彼の右手が私の足首を掴む。今は五歳くらいしか変わらないのに、大きい手だ。人の上に足を乗せるなんて、とんでもなく失礼なことではないかと思ったけれど、相手も失礼な提案をしてるのだからおあいこだろう。そのまま左足も乗せると、彼は立ち上がった。
高い。より風を強く感じる。
海はどこまでも見渡せそうだ。遠く水平線が湾曲している。
「ジュリー、北に海以外に何かあるか?」
彼が大声で言う。
「いえ、何も……」
「そうか、降ろすぞ」
短期間のアトラクションだった。
どういうつもりだったのだろうかと彼を見上げると、思ったより深刻な表情をしている。
「北海道がない」
彼はそう言った。
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