第5話(1/3) - ぐちゃぐちゃな世界、ぐちゃぐちゃな思考
「銃、は知ってるよな、ジュリー」
隣を歩く男はそう言って、私の手には少し大きめの銃を差し出した。
風が吹いている。
気づかないだけで、風はいつも吹いている。今日珍しくその存在に気づけたのは、昨夜降っていた雨でそれが湿り気を帯びていたからだ。湿度が高めといっても、肌にまとわりつくようなほどではない。むしろ心地良いくらい。
私とヤマトはバイクで北に向かっている。今朝早くに街を出てきたのだ。
街を出る前日、エリー先生がバイクに乗って私の家に来た。
「ヤマト、あなたこれ乗れるよね」
「ああ、多分。サイドカーはないのか」
ないわよ、と先生は応えた。
「チクゼンを出たときにはバイク乗ってたでしょう、あれどうしたの。第一ここまでどうやって来たのよ」
「いやいやいや、何十年前だよ、とっくに壊れたろ、多分」
「多分? エンジンは?」
「ああ、いいだろ、もう、失くしたんだよ」
「失くすようなものじゃないでしょ」
ヤマトは黙ってポケットから煙草の箱を取り出して、火を点けた。吸い終わるまで何も話さないつもりだ。
「後部シート取り付けたのだけど、ジュリー、貴女乗ってみてもらえる?」
「先生、すごい、こんな大きなバイク持っていたのですね」
真っ黒なボディは、近づくと自分の顔が映るほどぴかぴかだ。後輪とサイズが違う小さめの前輪からは、シルバーのサスペンションが二本伸びていて、巨大なヘッドライトを挟んでハンドルに繋がっている。クルーザーというのだろうか。
座席の後ろにもうひとつ、追加で座席が取り付けられていた。ステップを踏んで座席に這い登る。私ひとりの体重くらいではほとんど揺れない。小さい背もたれがついていて、先生がそれの高さを調整してくれた。
「こっちの街に来るときに実家から持ってきたの。知り合いが似たようなのに乗っていてね、私も好きだったのよ」
「でも、こういう乗り物って、かなり高級品って聞きます。いいのですか?」
「あんまりこの街から出ることもありませんからね。全部終わったら返してくれればいいわよ」
私が座席から降りると、先生はバイクの側面のバッグから取り出したテントの包みを、座席の後ろに
「先生、ごめんなさい、こんなお手間を掛けてしまって」
「そうね、今まで受け持った生徒できっと一番手間が掛かっていますね。休学手続きの書類は書けましたか」
「はい、持ってきますか?」
「後でいいわ、何かあったら連絡しなさいね」
先生は二日で十二回この台詞を言った。
「お手紙を書きます、先生。一日二通くらい」
「楽しみにしてるわ、でも、二日に一枚でいい」
今朝出発するそのときまでに先生が連絡をしなさい、と言った回数は十八回になった。
バイクは心地良い振動で走り続けて、今はお昼のお弁当を食べている。今日中にイワキという街への到着を目標にしている。今は道中の海岸沿いだった。
ヤマトの差し出した銃を受け取る。
「これって、射撃の道具ですよね、知っています。そのスポーツを見たことはないけれど、エリー先生もお兄様も、その選手なのでしたよね」
「そう、スポーツ、スポーツだよな。弓は知っているか?」
ユミ、人の名前だろうかと思ったので、そう言う。
「銃も弓も、元は武器だ」
「ブキ、ブキって、なんですか?」
「……だよなぁ」
「武器ってのは、生き物を殺す兵器だ。兵器も、ないよな。そう、道具だ、生き物を殺す道具」
「このピストルやユミが、獣を殺すのにも使える、ということでしょうか」
それでいいや、と彼は言う。
「しばらく休憩のときにそれの使い方を教える。銃があれば、お前でも獣を牽制できる可能性がある。まぁ……俺が獣を殺すまで結界の外に待機するってことにしたし獣に会うことはないと思うが、一応だ」
ヤマトから銃の使い方、姿勢、力の込め方などを教えてもらう。講師をしていたと言っていたから、エリ―先生にもこんなふうに教えたんだろうか。
構える、安全装置を外す、何もない海に向かって、引鉄を引いて撃つ。
三発撃った。反動がすごくて、三度とも尻もちをついてしまった。
「おいおい、運動は得意じゃなかったのか」
「運動は得意です。お勉強の方が得意だけれど、学校では運動の成績はすごくいいの。体操はちょっと苦手かも。でも走るのは得意だわ。球技とかは、ボールが言うことを聞いてくれないことが多くてとても難しいけれど、拾いにいくのは自信があります。道具があればプールの授業でもたくさん泳げるのよ」
「そうか……走るのが得意なんだな、ジュリー」
彼はそう言って煙草を口に運び、雲がひとつ増えそうなほどの煙を吐き出した。
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