第4話(1/3) - 白い部屋、小さな部屋、静かな部屋


 お菓子の国のヨーグルトが溢れている。言葉にするなら怪奇現象なのだが、なにかのアトラクションだと思えば、光は文句のつけようがない美しさを持っていた。

 これは、獣を殺したあとの光。黒くはない。ホワイトオパールの赤と青の煌めく空間。少なくとも私は、それ以外でこの現象を説明することができないだろう。


 木材の弾ける音と共に勢いよく部屋のドアが開けられた。ヤマトが飛び込んできた。蹴り開けたのだろう。


「ジュリー! 何が起こった」


 白い光はドア、それがあった場所までも覆い尽くした。部屋の壁も、今まで寝ていたベッドも、すべてが白の煌めきで染められる。今や部屋の中で侵されていないものはふたりの人間と一匹の猫だけであった。


「分かりません、外で獣が殺されたのでしょうか」

「獣の光はすべて黒色だった」


「エリー先生は……?」

「俺はリビングで寝ていたからな、声は聴こえたと思うが」


 ソファで寝たのでは疲れも取れないだろう。お布団を干したのはそれほど前ではないのだからベッドが埃っぽくなっているわけでもないし。それならば私が先生と寝ればよかったかもしれない。

 そうしたら、これに先生も巻き込まれていたか。良かったのか、悪かったのかも分からない。

 彼が来てくれたのは嬉しかった。


「何も起こらないな。いや、あれだ、あそこがおかしい」


 寝間着の彼が指し示した方を見る。そこだけ、宝石の粒のような光が歪みはじめている。

 結界だ。昼間ヤマトがそう呼んだものだ。あのときは樹木の結界だったが、同じようなものに見える。


 結界は渦のように歪んでゆく。その中心から、指が。手が、ずりずりと這い出てくる。やがて、白い腕。この空間くらい白い。

 獣か、獣に関係する何かが出てくることは明白だ。もし獣なら、この小さな部屋で戦えるのだろうか。

 ヤマトを見ると、手に青い玉を持ってひずみを凝視している。そうだ、何か身を守るものを見つけなければ。目についた椅子を動かそうと背もたれをつかむが微動だにしない。まさか、この白いものに覆われたものは動かせなくなってしまうのか。


 歪みから人間の顔が出てきた。白い。すべてが白い。髪も白ければ瞳までも白い。白い人間だ。獣か。

 結界から出ようとうごめく人間のようなものは、口を開いた。その口の中も白い。


「やぁ」


 第一声は、短いあいさつだった。


「何だ、お前は」

「ああ、何だとはひどいな。もっと、そう、言うことがあるだろう? 違うかい?」


 男性か女性かも判別できない。


「あの、私はジュリーと申します。あなたのお名前は?」

「……ナギサ」


 その人はこちらも向かずに応える。ナギサ。この辺りでは聞き馴染みのない名前だ。ヤマトと同じような。


「何だよ、なんでキミがここにいるんだ? この子だけで良かったのに。いずれ会えるとは思ってたさ、だけど今じゃないだろう」

「お前は、獣か」


「獣だって! ……まぁ、結構時間が経ったしね。ボクのことを忘れていても仕方ないか、あんなにも詩的で素敵で運命的で奇跡的な出会いだったのになぁ」


「お兄様、この人はお知り合いなのですか」

「お兄様ぁ!? 笑っちゃうね」


 ナギサの胴体が結界を抜けた。まだ埋まっていた右腕と右足をからからと笑いながら引き抜く。

 オールバックの白い髪。躰に吸い付くようにのっぺりとした服は首から下、手から足まですべてを覆っている。


「確かにキミは少しね、少ぉしイレギュラーな存在だけど、ボクたちを、キミたちが、お兄様だって? ちょっと図々しいんじゃないかなぁ」

「意味が、分かりません」


 ナギサはこちらに興味を失くしたようにヤマトの方を向く。


「あっそれでさ、解析したいんだ。フィールド抜けてトーテム浴びたやつなんて初めてだよ。その、キミの、妹?」


 妹だってぇ、とナギサは嘲笑わらう。


「俺の知り合い、前の世界での知り合いか」

「知り合いだなんて心外だなぁ……アダムとイヴなんだぜ?」


 ナギサはヤマトにすっと手を延ばす。ヤマトは青い玉をナギサに向けた。


「近寄るな」

「あぁぁ、どこでそんなの拾ったんだい? ボクには関係ないからいいけどさぁ、そういうのキミ嫌いだったろう?」


 ナギサは大げさに両腕を上に挙げて後ずさった。


「ジュリーを連れて行ってどうするって?」

「だから解析だよ、この子の親もういなくなったろ? 連れてっても影響小さいし、ちょうどいいよね。あぁうーん、分解しないとだから返せないな、お気に入りなの?」


 解析、分解? 何を。私を?


「これが何か知っているんだな。ジュリーを連れ去るなら、今ここでこいつを起爆させる」

「ええぇぇ、そんなに気に入ってるの? 困ったなぁ。記憶の問題? あとどこが欠けてるんだろう……」


 この白い人は私が目的で来たのか。私が叫ばなければヤマトはここにいなかったのだから、当然か。


「じゃあ今回はいいよ、その子後で貸してね、あっ、ちょうだいね」

「お前は獣じゃないんだな?」


「ボクにそれを訊いちゃうのかい? いいけど……獣はあと三体いるから、どこだっけ? 細かい場所は覚えてないけど、あと東北に二体とオホーツク海に一体だっけ。西の方は終わったよね。全部ちゃんと倒したら記憶戻るんじゃない?」


「もう時間だしボクは帰るよ。それ飽きたらまた借りにくるからさ、またね。今度は忘れないでね」


 ナギサがそう言うと、部屋を包んでいた光がナギサに集まり、元のジュリーの部屋が徐々に現れていく。


「待て!」


 ヤマトが叫ぶ。光は、さよならと振られた白い手を包み込み小さく圧縮され、やがて消えた。


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