第3話(3/3)


「どうするって、獣を探しにいく。言っておくが、獣は結界に包まれて大人しくしているだけで、人を見るやいなや襲いかかってくるからな。聖職者のお前らが止めても、俺は自分の記憶のためにあいつらを殺さないといけない」


 私も先生も、聖職者というわけではない。


「私も訊いていいでしょうか、私のパパとママを殺した獣。獣って動物のようなものだと思っていたのだけれど、お昼見た獣も大きい人みたいだったし、きっと私が見たのも獣だと思います。背がすごく高くて、手と足があって、そう、人の骨みたいなの、人の骨ってみたことないけれど。お兄様はそんな獣を知ってるかしら」


「いや、聞いたこともないな。俺が把握してる残りの獣は、ウソリの山と、北の果ての山にいるという話だけだ」

「獣は山にいるのですか?」


「そんなことはない。二体目は海にいた」

「海、って見たことがないわ。カスミ湖より広くて大きいのですよね」


「海の端まで行くと化け物がいて、さらに進むと世界の果てに落ちるのよ」

「その化け物が獣だった」


 私と先生は話の続きを待ったが、ヤマトはそこで黙ってしまった。

 世界の果てだなんて神秘的だ。この大地は平面で、四体の象がそれを支えており、その象は大地より巨大な亀の甲羅の上にいる、と学校で教えられた。世界に果てがあるのならば、海の水はそこから落ちていくから、どこから海は補充されるのだろう。それとも堤防のようなものがあって、海の水を支えているのだろうか。いつかその堤防から大地の底を覗いて巨大な亀にあいさつしてみたいな、と思ったことがある。


「まあ、なんだ。大地の果てに行くという船に便乗したんだ」


 ヤマトは再び話し始めた。


大蛇ヨルムンガルド観光ツアーは海沿いの街ならそこそこの数が出ていたが、それとは違っていた。あれで本当に大蛇を見たやつなんていないしな。もっと少人数の、研究者が漁師に依頼してテスト的に行ってみよう、てクレイジーなやつだった。なんやかんやあって大地の果て、海の果てに到達した」


 なんやかんやって面白い言葉だ。今度使ってみよう。


「海の果てでは、崖から海が崩れるように落ちていた……この大地は平面だ」


 私と先生は顔を見合わす。彼がとても深刻は表情で、教科書にも載っているような当たり前のことを言ったからだ。




 お話は一旦お開きとすることになった。

 全員とても疲れていたし、お茶もなくなっていて、ヤマトもずっとうつむいたままになってしまったからだ。

 ヤマトと先生は父と母の寝室で寝てもらうことになった。ヤマトは断固拒否の姿勢だったが仕方がない。この家にベッドは三つしかないのだ。お客様をソファで寝かせるわけにはいかない。


 寝る支度をして自分の部屋への階段を上がろうとすると、エリー先生が部屋に入るところだった。


「エリー先生、あの、明日なんですけれど、やっぱり私」

「駄目です」


 間髪入れず先生の不承認が飛んでくる。先ほど先生に、ヤマトの旅についていくから学校を長期間休むにはどうしたらいいか、と訊いたからだろう。


「何度も言いますけれど貴女はまだ十一歳。成人どころか、義務教育だって終わってません」

「でもお兄様についていかなかったら、お兄様が私のパパとママを、その、こういうのを仇っていうんでしょうか、あの獣を殺してしまいます。そうしたら私の記憶は戻らないままだわ」


「まだ……戻っていない記憶があるの? いえ、そうだとしてもいけません」

「私は、パパとママが死んだその瞬間を覚えていません。お昼に思い出したのは、あの日にパパとママといっしょにいた時、骨の獣が現れたことだけです。お兄様が言ったとおり獣が記憶を食べるなら、骨の獣を殺せば私の記憶が戻るわ。今行かなければ永遠に思い出せなくなってしまうかもしれないのです」


「……駄目です。死ににいくようなものです。あいつのことだって私はこのまま行かせたくないくらい」


 暗がりで先生の顔がよく見えない。


「パパとママが死んで、私はずっとひとりです。ひとりなのに、パパとママのことで思い出せない記憶があるなんて、この先ずっとつらいままだわ。そんなの私は嫌なのです。大丈夫です、ジュリーのごはんが心配だけれど、賢い子ですし、私がもし死んだとしても誰にも迷惑はかからないわ」


「ひとりなわけ、迷惑がかからないわけ、ないでしょう!」

 先生は静かに、しかし怒鳴った。


「貴女の世界では、貴女はたくさんの人に関わっています。たくさんの人が貴女に関わっているのです。貴女は毎日どれだけの人にあいさつをしていますか? マルコにマルタ。グスタフ。毎朝祭壇で世間話をしているのはビビですね。ポールはよく貴女のことを見つめています。私だって……ジュリー、貴女がいなくなったら、貴女が関わりを持つ人、貴女が少なからず影響を与えている人が、みんな貴女を失ってしまうのです」


 先生は泣いているようだった。顔は見えないが、声が震えている。


「関わりを持つとはそういうことなのです。みんな、貴女のことが好きなのです。貴女といることで、みんな何かを得ている。私だって、貴女とのお茶がとても楽しみなのよ。貴女がいなくなったら……死んでしまったら。私は貴女とお茶をしていた時間、同じ時間だけきっと泣くことになるわ。そうね、ある意味ではとても迷惑です」


「……わかりました、先生」


 これ以上の説得は不可能だと感じた。先生におやすみなさいをして、大人しく階段を登ることにした。

 階段の途中にリビングを見下ろすと、暗がりにじっとしているヤマトを見つけた。先生と私の話しているところに出てこれなかったのだな、と思った。




 ベッドに横になった。いつもどおりの柔らかさだ。考えないといけないことは山程ある。まず、明日の朝どうやって先生に知られずヤマトに付いていこう。こうなるなら最初、家に帰って寝る、と言った先生を引き止めなければよかったか。動きやすい服装で行かなければならない。体操服を着ていくわけにもいかないだろう。お金は少し余裕があるし、学校の授業は私がいちばん進んでいるくらいだから、しばらくお休みしても置いていかれないはず。


 窓がキィ、と音を立てて開いた。黒猫が入ってくる。


「おかえりなさい、ジュリー」


 猫のジュリーは慣れた動きでベッドに潜り込んでくる。ジュリーが腕の中にいるとなぜだか安心する。


「ごめんなさいジュリー、私は明日からヤマト様とお出かけしないといけないから、ごはんはひとりで食べてね。そうだ、玄関には鍵をかけておくけれど、窓は開けておくわ。この部屋にごはんの袋を開けておいておくから、そうしたら私がいなくても食べれるよね」


 ジュリーはもぞもぞとするだけで返事はない。

 準備は明日するとして、今日はもう寝てしまおうか、と思った。眼を瞑ったらすぐに寝れてしまいそうだ。


 窓の外で何かが動いた。

 白いものが窓の外にある。窓から、部屋に入ってくる。おかしい、白いそれは、ガラスを通過してきている。

 例えるなら水のような。黒い紙に白いインクをこぼしたように、それは部屋全体を侵食していく。明るい。直に部屋全体が、この白いなにかに覆われるだろう。


 ジュリーは思い切り息を吸い込んだ。そして、力いっぱいの悲鳴を上げた。


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