第3話(2/3)
今日の朝、今日のお昼。私は今晩も、同じバゲットを食べている。
ヤマトをお風呂に放り込んでいる間、煮込みがたりなさそうなシチューを見ながら、エリー先生が玉ねぎと卵で付け合せのサラダを作ってくれた。
とても静かな食卓だった。先生とヤマトがいるだけで私は嬉しかったが、今日あったことの説明をするならシチューが冷めてしまいそうだし、お行儀も悪い。ズル休みした手前学校のことも話題にしづらい。何よりこの失敗した焼き魚より重い空気が世間話をする勇気を押し留めていた。
それでも一応口に出してみる。
「お魚って焦がすととてもいたたまれない気持ちになりますよね」
失敗だ。言わなければよかった。
先生がちらっとこちらを見ただけで、空気はもう鍋に焦げ付いたシチューだ。食器の音だけが部屋に響いている。
ごちそうさまをして、洗い物を終わらすまで、ジュリーはひたすら明日の朝ごはんのことを考えていた。
「さて、そろそろ聞かせてもらいますよ」
「はい、先生」
何から話せばいいだろうか。頭を整理しないと。
「悪い、この家灰皿あるかな」
「お兄様、きっとお煙草がないわ、バッグに入ってらしたのでしょう」
買ってくる、と席を立ったヤマトをエリー先生が睨みつける。
先生が鬼にならないうちにとにかく終わらせてしまおう、と話し始めることにした。
私が説明しているあいだ、先生はたまに質問を交えつつ、静かに聞いていた。
「わかった。いえ、まだわからないことはたくさんあるけれど。こいつはヤマトで、貴女はズル休みで、ああ、皆勤だったのにね。おとぎ話の獣を殺して? ヤマトが若返ったって? それにジュリー、貴女の親のこと」
先生が頭に手を当てながら要約する。
「次はあなたよ、ヤマト。説明しなさい」
「何をだよ」
全部よ、と先生は押し殺したようにいう。
「お兄様、きっと、なんでエリー先生と離れることになったのかを先生は聞きたいのです」
「それも、それもある。ああそうだわジュリー、貴女のように具体的に聞くことにしましょう。まずあなたは私と初めて会った頃から記憶喪失だったの? 獣を殺すと記憶が戻るってどういうこと? ジュリーの記憶はあなたに関係があるの? それと、六十近いおじいちゃんにお兄様とはならないわよね、あなたは二回、若返ったってことね」
そんな一気に言うなよ、と彼は舌打ちする。癖にならなければいいけど。
「そうだよ、俺は死ぬと若返るんだ。違うか、ギリギリ死んではないし。別段体の治りが早いってわけでもない」
「でもお兄様、あんなひどいことになっても、すぐ治ったわ」
「獣を殺してあの光を浴びると回復が早くなるんだ。それと一緒に記憶が戻る。ジュリー、お前もあの森を駆けてきて、枝葉で傷のひとつも出来なかったか?」
あのときは必死で考えもしなかったが、かなり無理に森を抜けたはずだ。シャワーを浴びて体を洗っているとき、かなり汚れてはいたものの、切り傷が痛むなんてことは確かになかった。
「エル、お前と同じスクールにいたころ、俺はすでに記憶喪失だった。最初の記憶は名前だけだ。お前と会う前にも何度か死んでいる」
「スクール? 同じ学校だったのですか?」
「学校じゃなくて、スポーツのスクールよ。趣味みたいなもの。私は親に射撃をやらされていたの、この人は講師」
「あの後色々あって、獣を二度殺した。それで一度死んだ。今回で三体目だ」
「記憶が戻ったってことね?」
ああ、と彼は先生に頷く。
「だが完全に戻っているわけじゃない。断片でしかない。俺が元々暮らしていた街、親の顔、クラスメイトの顔。好きだったゲームとか、アニメとか。何故こんな体になってしまったのかなんてひとつもわかりゃあしない」
「その、お兄様の故郷はどこなのでしょう」
「ないよ。もうとてつもない月日が経っていそうだ。知り合いも全部死んでるだろ、あるいは、この世界ごと知らない場所に入れ替わってる」
自分が生きている場所が、全部自分の知らない場所、人になってしまったら、世界が変わってしまうということだろうか。
それは、とてもさみしいことだ。
「あと、なんだった?」
「ジュリーと獣とあなたの関係」
「わからん。ジュリーとは今朝会ったばかりで本当に何も知らない……何もしてないからな? 勝手に付いてきたんだ。獣とこの子の記憶はこの子が言ったとおりで俺には何の関係もない」
「もうひとつ聞かせて。あなたはこれからどうするの?」
それは私もずっと気になっていたことだった。
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