第3話(1/3) - 消える髭と記憶と水と夜


 オレンジピールでデコレートされたかぼちゃのパウンドケーキのような夕空。ところどころ焦げているのがそれらしい。

 街に戻ってきた頃、ちょうど日が落ちた。


「困りました」


 ジュリーがひとり言のように言う。隣を歩く髭のない男が返事をしてくれなかったので、本当にひとり言になってしまった。


「帰ったら晩ご飯の支度をしないといけないのに、食材が足りないかも。もう市場のお店は閉まっているでしょうし買いにもいけません。いいえ、夜は間に合っても、朝の分がきっとなくなるわ、二人分だもの」

「一人暮らしじゃなかったのか、兄弟……いや、いないんだったか」


「家にはジュリーがいるけど、そのジュリーは猫だからいいの。お兄様は今朝この街にいらしたの?」

「ああ、今朝だな」


「この街には宿はないわ」


 ヤマトは急に立ち止まって神妙な顔でこちらを見た。


「お兄様の荷物もほとんど吹き飛んじゃったし、お洋服もぼろぼろです。市場も朝まで開かないから食べるものだってないわ。私はもうおなかぺこぺこ。お昼にサンドイッチを食べたきりだし、運動もたくさんしたものね。大丈夫です、パパのお洋服を貸してあげられるしお布団を出せばベッドでも寝られるわ」

「駄目だろ、アウトだアウト」


「ほら、お家にももう着きます。あ……エリー先生?」


 家のドアの前に先生が立っていた。片足で激しく地面を叩いているのは、怒っている証拠だ。


「ジュリー……? 貴女、どこにいってたの!」


 鬼面相だ。これが鬼か。


「先生、ごめんなさい、その、話すと長くなって」

「いいから! 昨日までけろっとしてた貴女が突然休むなんて絶対におかしいと思って訪ねてみたら留守だし、何か悪いことでもあったのかと考えていたのよ……無事で良かった、こんな汚れて……」


 もう一度ごめんなさい、と謝ると先生に抱きしめられた。


「エリー先生、苦しいです」


「エリー……エル?」


 先生は私から少し離れて顔を上げた。呼吸が出来るようになった。今日の中で一番命の危険を感じた瞬間だったように思う。


「ヤマト? まさか」


 ヤマトはエルと数秒見つめ合ったあと、下に眼を逸らした。先生も黙ってしまって何も言わない。知り合いだったのだろうか。エリー先生とヤマトがお友達だったなんてとても素敵なことだ。


「とにかく、話を聞かせて頂戴。ジュリー、お邪魔しますよ」


 想像にふける頭を起こしてジュリーは急いでバッグから鍵を取り出した。




「ヤマト、のはずがないわね、息子さん?」

「そうです」


 ヤマトは間髪入れずに嘘を吐いている。


「先生、この方はご自分でヤマト様とおっしゃったので、名字じゃないのなら、ヤマト様だと思います」


 お茶を淹れながら補足する。彼の舌打ちが聞こえた。


「ヤマト、本人のはずないじゃない。あいつがいなくなったのは私が十二の時。ヤマトは二十も離れていたわ。それがもう二十年も前だから、あ、わかった、孫ね? おじいちゃんと同じ名前をつけたってことか」

「実は、そうなんです」


 嘘だ。


「先生、急いでシャワーを浴びてくるから、火を見ていてもらえないかしら……? 体中砂だらけでこのままじゃとてもお夕飯にできないです」

「ああ、ああ、さっさと行っておいで。今日は聞きたいことが山よりあるからね、それにこの男より貴女から聞いたほうが早そうだ」


 着替えを部屋に取りに行く途中、俺帰ってもいいかな、という言葉が聞こえた。先生に阻止されたようだけれど。

 お夕飯を三人前出したら、本当に明日の朝に食べるものがないな、と思った。


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