第2話(3/3)


 いつの間にか座り込んでいた。

 獣の両腕がヤマトを捕えるのを眺めていた。

 

 ぴくりとも動かない彼を、緩慢な動きで獣が口元に運ぶ。食べようとでもいうのか。

 森に動物はいなかった。獣は、きっと何も食べなくても生きていけるのだ。食べる必要なんてない。

 獣は人間に危害を加えないと思っていた。温厚で大人しい生物だと。ヤマトが襲いかかったからか? だから怒って返り討ちにしようとしている。でも、目の前の光景はとてもそのようなものに見えない。あまりに圧倒的だ。

 だから帰れと言われたのだ。

 獣がこのようなモノだと知っていたのだ。

 

 獣の指にボロ布のようにぶら下がったヤマトを獣は山椒魚のような舌で絡め取った。

 彼の躰が口の中に入った。


 そのときだった。彼から光が溢れたのだ。

 衝撃。光は獣ごと辺り一面を包み込んだ。耳をつんざく轟音。

 ほとんど数秒のことだった。


 土埃が収まって最初に見えたのは倒れてもなお大岩より大きい獣。頭が吹き飛んでいる。

 彼は、ヤマトはどうなった。


「お兄様……ヤマト様!」


 力の限り叫んで周辺を探した。

 あのとき、獣の顔が向いていた方に、彼の一部が見つかった。ぐにゃぐにゃの左腕。


 同じ方向にヤマトも飛ばされたかもしれない。今泣き出したら、もう歩けない。泡立て器でかき回されたくらい壊滅的な心に蓋をして彼を探す。


 自分よりも小さい上半身が見つかった。

 

 彼の横にへたり込む。無意識につないだ両手は祈りの姿勢になっていたが、もう何も考えることはできなかった。


 森は静寂に包まれている。

 さわさわと揺れる樹々の音だけが耳に入ってくる。自分の息遣いだけが聞こえて、ああ、私だけが生きているのだな、と思った。


 違う。

 他に生き物の音が聞こえる。

 一定のリズムで隙間風のような音。呼吸音? 誰の。

 

 恐る恐るヤマトの口元に手のひらを持っていった。弱々しい風が手に当たる。信じられない。

 生きている!


 遮断されていた涙が溢れ出た。嗚咽。

 何かを喋ろうとしているような音が。

 耳を近づけるとどうにか聞き取れた。


「あし……もって……つけて」

「足、足ですか? 足をつける……つければいいのですか!?」


 彼の潰れてない左目がこちらを見る。


 見渡すと下半身はすぐ近くにあった。引きずらないといけないほど重い。とにかく指示通り、彼の元の位置に寄せて付けた。

 そうだ、左腕もあったはず。急いで戻る。


 獣の死体の近くに左腕が見つかった。回収しようと近づいたとき、獣の死体から黒い光の粒が出ているのに気がついた。それどころではない。彼のもとに戻らないと。


 回収した左腕も彼の左肩に継いだ。一応全部の部品が揃ったことになる。

 ヤマトはまぶたを閉じてゆっくり呼吸している。人間はこんな状態で生きていられるのか。でも、生きている。葉っぱから雨露を集めて何度か口に運んだ。


 獣の光の粒がこちらに向かっているのに気がついた。


「お兄様、黒い光がこちらに来ています、どうしたら……」


 ヤマトは両目を少し開けて、すぐ閉じた。まずいことがあれば何かを言おうとするだろう、きっと大丈夫なのだ。

 黒い光はあの獣から出てきたとは思えないほど煌めいている。ブラックオパールの夜空が辺りを覆っていく。やがて、綺羅びやかな世界に自分とヤマトだけになった。

 無限の広さをもつ夜空に明滅する青と赤の小さな光。ショコラケーキに散りばめられたベリーのような豪華さに思わず見惚れてしまう。


(私は、この景色を前にもみたことがある。いつだっただろう?)


 それは、父と母がまだ生きていたとき。この夜空の下で父と母は死んだのだ。違う。そんなわけはない。記憶が撹拌される。父と母が死んだのは。そうだ、父と母が死んでしまったとき。

 

 ヤマトが上半身を起こした。驚いてそちらを見る。

 下半身がつながっている。左腕は、右腕と一緒に髪を整えようとしている。


「お兄様……よかった」

「ああ……ジュリー、何を見た」


 そうか、彼はこの景色を見るために、獣を。


「私の両親は獣に殺されました。ここの獣じゃない、もっと違う獣です。私はそれを見ていたはずなのに、今まで忘れていました。お兄様も記憶を失っていたのですか?」


「獣は記憶を持っているんだ。俺は気がついたら何も覚えていなかった。案外、あいつらに記憶を食われたかな。これで三体獣を殺したよ」


 私の記憶もこの獣に食べられていたのか。


「では、私たち以外のかたの記憶も食べられていたのでしょうか」

「さぁな、だが恐らく、あの光を見なければ記憶は戻らない」


 そういうと彼はおもむろに立ち上がった。ふらついているのを急いで支える。


「知らないほうがよかった、なんてことあるのでしょうか。私は、知れてよかったと思います」


 ヤマトは何も言わない。

 

 また困った顔をさせてしまっているだろうかと思い、彼の顔を覗き込んだ。


「お兄様、お髭が綺麗になってます。あ、あれ?」


 彼は明らかにずっと若返っていた。


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