11


乙女の扉を開くとカウンターにレイの姿が見えた。

バケットハットは相変わらずで、頬杖をついている。

脱帽をしているところを見たことがない。と言っても、夜の数時間の間だけだが。

前に一度被る理由を聞いたが、人と目を合わせたり目を見られたりが苦手らしい。帽子を被ると幾分か遮られるそうだ。

奥のBOX席には3人の女性が肩を寄せ合って座っていた。


「いっらっしゃい。久しぶりね。」


マサミさんもレイも驚いた顔をしている。最後にここに来てから二ヶ月が経とうとしていた。


「おー。来るなら連絡しろよー。何してたんだよー。」


「何もしてないよ。ああ、ジム行くようになった。」


「ジム?スー動けたのね。学生時代運動部だった?」


「はい、弓道部でした。」


「文化部じゃん。」


「弓道部だって運動してるしっ。文化部ってバカにしてくるやつ絶対いるんですよねー。走るし腕ムキムキだったから!そういうレイは何部なの。」


「叩くなって。…卓球部。」


「陰キャの集」


「それ以上言うな!言ったらラケットで殴るぞ!」


小競り合いをする私達にマサミさんがまぁまぁと宥めに入る。

馴染みの顔に安心している自分がいた。心が解けていく。

二ヶ月もお店に行かなかったのは陽さんの家に入り浸っていたからだ。陽さんの旦那さんは大体金曜か土曜に飲みに出かけるのでそれを良い事に家にお邪魔していた。今日は飲みに行かないという事だったので、久し振りに乙女に行こうと思い立った。

会いたかったなとか飲みに行けばいいのになんて、そんなことを思ってしまう。陽さんや陽さんの家庭の為には旦那さんが家にいて、飲み代を浮かせて旅行代の充てにでもなるのが良いのだろうけど。頭では分かっていても心は裏腹に正反対のことを願ってしまう。


「そういえば、スー何だか健康的になったんじゃない?」


「太ったってことっすかー?」


「レイ、私はそんなこと言ってないわよ?」


「あー、でも確かに前は青白くて吸血鬼みたいだったもんなー?学校の3番目のトイレから出てこられたのかと…」


「ほんと、とことん言うわよね。何か恨みでもあるの?」


「私の事が好きで好きで堪らないんですよ。」


「あぁ、そっちかぁ…」


「勝手なこと言うなよ!」


「そっちが先に言い出したんでしょ!」


「心做しか活気が出てきて元気そうよね。なんか楽しそう。良いことでもあった?」


「たしかに。テンション高いな。女でもできたん?」


レイが鼻で笑いながらグラスを呷る。女か…。陽さんと付き合ったらどうだったんだろう…。毎日きっとくだらない冗談を言って笑い合ってただろうな。

休日のショッピングはあっち行ったりこっち行ったりで振り回されて疲れて、でも嬉しそうな顔みたらどうでも良くなったりして、帰ったらご飯一緒に作って料理中にちょっかい出して怒られたり…。いいなそんな世界線。

幸せで暖かな日常。ふと、煌めく左手の薬指が脳裏を過ぎる。

最後は結婚したい、子どもが欲しいって振られるのかな。

子ども達を愛しそうに見つめる陽さんの横顔を思い出す。

そうだよな。子ども3人もいるんだし。子どもがいない人生なんてあの人は選ばないだろうな。

私じゃ結婚も子どももできない。普通の家庭や普通の幸せというものを築いてやれない。


「私じゃだめだ…。」


「へ?何が?」


「いや、今日ミコは?」


「イベントから来るんじゃないか?」


「付き合ってた人とはどうなった?」


「いつの人ー?もうころころ変わり過ぎてて追いきれん。」


「たしかに…。何やかんやモテるもんね…。」


「ミコ見てるとモテたところであんま意味ないのかなって思うわ。辛い時目を逸らさずにそばに居てくれて、一緒に傷つきながらでも、引っ張り上げる覚悟があるやつが必要な気がするよ。たった1人だけでいいから。」


「たった1人ね…。」


「うん、1人でいい。数をこなしても傷を増やすだけだと思うわ。ま、ウチらがどう思ってても結局ミコがどうするかなんだけどなぁ。」


「たしかに…。」


女の子って難しい。


忠告は聞かないし、どんなに諭しても結局は反対された人の元へ何も持たずに飛び込んで行ってしまう。逆境がより反骨精神を煽るのか自ら危ない橋を渡っていく。だから言ったじゃないと言われては、泣いたり喚いたりを繰り返す。

そうして傷を抱えては彼女たちはまた歩みを進める。立ち止まることは無い。

心変わりは一瞬だ。次会った時にはケロッとした顔でもう忘れたなんて言いのけてしまう。怒りと罵声の長電話も大号泣のカラオケも付き添った意味があったのだろうかと疑う程に、彼女たちはあっさりとまた次の一歩を踏み出す。

本当は1人で泣く夜もあるのだろうけど、弱さは見せず静かに強くなっていく。


「マサミさん、お会計お願いします。」


「は?もう行くの?」


「うん、終電なくなる。」


「はぁ!?」


「あら、イベント行かないの?」


「えぇ、今日は帰ろうと思います。」


「おいおいおい!」


「ミコによろしく言っといて。」


「おい!」


マサミさんとレイ、ついでにレイの大声に驚いた女性たちに微笑んで乙女を出た。

今、声が聞きたい。アルコールでふわふわと脳みそや足が浮かぶ。今陽さんの声が聞きたい。

時刻は23時。きっと電話には出ない。もう寝てて起こしてしまうかもしれない。寝室でスマホが鳴って旦那さんが出たらどうしよう。セックスしてたらどうしよう。もう立ち直れないかも。光太も陽菜も光彩も2人がセックスして陽さんから出てきたんだよな。陽さんの中気持ちいいんだろうな。3人もいるわけだし。

時々男性器が欲しくなる。好きな人の中に入れて尚且つ気持ち良いなんて何て幸せなことなんだろうと思う。でもいつもは要らない。する時だけ欲しい。

かけるだけかけてみようか。間違えたとか言ってメッセージを送ろう。そうしよう。

3回鳴ったら止めよう。


「どうしたの?」


コールは早くも1回半で途切れた。スマホの向こうから聞きたかった声が私の名前を呼ぶ。想像していなかった展開に口をパクパクさせてしまう。


「一輝ー?」


「あ、や、あの、えっと旦那さんは?」


「んー?今お風呂。何かあった?」


「そっか、あ、あの何も無いんだけど…」


口ごもる私に陽さんのふふっという笑い声が重なる。声聞きたくて電話したってバレたかな。何でも見透かされてそうで恥ずかしくなる。

でも、幸せだ。

お酒で体も思考も緩んでるし好きな人の声が聞けたし、すごく今気持ちがいい。


「私も今一輝のこと考えてたよー。今日は麻婆豆腐だったんだー。一輝に食べさせたらまた店出せ、店出せって言うのかなーって。一輝は何してたの?今外?」


「あ、うん、今外歩いてる。」


「何だー?不良娘め。早く家帰んなさいっ。」


「やだよー。お酒飲んだ。」


「なにっ?酔っ払ってるの!?酔っ払い嫌い!電話切るよ!」


「え、無理辛いしんどい泣きそう。」


「えー!?なになに!!何かあった!?」


「陽さんにいじめられた。」


「いじめてないし!もう!早く帰っておいで!」


「帰っても陽さんいないじゃん。麻婆豆腐もないし。」


「なぁにー?一輝は酔うと甘えんぼさんになるの?おっぱい出ないよー。」


「え?ガチ?飲めたりするの?」


「だから出ないって!もう!光佑帰ってくるから切るよー。」


「そっか…。」


「そんな声出さないの!切りずらい!一輝切って!」


「んー、無理。陽さん切って。」


「アタシ見送る方が好きなの!置いていくのはできない!」


「えー、そんなん私だって。」


「ね?良い子だからね。電話嬉しかったよ。ほんとにちょうど今考えてたの。一輝のこと。声聞けて良かった。帰ったらLINEしてね!」


結局私が押し切られる形で電話を切った。この人にはきっといつまでも敵わない。

眠かったのか少し間延びした声が今もまだ頭の中に響いている。

電話してたのバレて何か言われたりしてませんように。そっと祈りを捧げた。

街はまだ賑わいがあり、スーツを着た者や酔っ払った者が行き交っている。終電に急ぐ人これから夜を楽しむ人、様々だろう。今ならこの人混みも愛せそうだ。今日はこの気分のまま眠りにつきたい。

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終わりにしよう。 @ikanogeso

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