10
「いつきちゃん!こっち!!」
ポニーテールの少女に手を引かれる。色素の薄い髪は躰が跳ねる度に宙で舞い踊る。デニムのショートパンツから伸びる脚は細く白い。無駄な肉が一切なく、活き活きとしたバネが伸び縮みしているのがよく分かった。
ビビットカラーのピンクのシューズが昼下がりのスーパーマーケットを駆け回る。
「ひなぁ!あんまりはしゃがないでよ!」
背後から陽さんのいつもより太い声が飛んでくるが、彼女の耳には入っていないようだった。
三宅家の長女である陽菜とは今日会ったばかりだが、彼女は人懐こく早速振り回されている。
夕飯を手包餃子にするべく、子ども達を連れて近所のスーパーに来ていた。
光太はゆるゆるとカートを押して歩き、光彩はまだ私を警戒しているのか陽さんの後ろをくっついて歩いていた。
「いつきちゃん!これ知ってる?ウチこれ好きなんだ!」
陽菜が指し示したお菓子の箱には、赤や青の髪色の少女のイラストがプリントされていた。アニメキャラクターだろうか。私が陽菜くらいの歳の時に流行っていた絵柄とはだいぶ異なり、全体的にこれでもかというほど煌びやかに彩られていた。
陽菜は私の手を痛いくらいに引っ張りながら好きな物を次々と紹介した。
チョコやラムネ、スナック菓子など、あまり食べ過ぎるとママに怒られること、パパは何でも買ってくれることなど陽菜はよく喋った。
「ウチ、これが欲しいの!カッコイイでしょ!?」
陽菜から玩具の箱を受け取る。アニメキャラクターが使っていると思われるピンクのピストルが握られていた。
私は少女戦士よりも仮面ライダー派だったので、その良さが全く分からなかった。
値段は700円強とこのスーパーの玩具コーナーでは1番高価な物かもしれない。が、今では気に留めるような値段ではない。子どもの頃はとても高く思えたが随分と大人になったようだ。
駄菓子で豪遊しても痛くもないだろうな。あの頃は10円のガムでさえ惜しかったのに。
いつも夕飯ごちそうになってるし、子どもの遊び道具くらいプレゼントするか。
「買わないからね?」
後ろを振り向くと仁王立ちしてこちらを見下ろす陽さんと目が合った。
私は静かに玩具箱を元に戻した。
「ママ!あれ欲しい!」
「サンタさんにでも頼んだらー?一輝!甘やかさないでよね!」
低く囁かれておしりを抓られる。
「いっつ!!買うとは言ってないっす…。」
「もう一押しって顔してたけど?喧嘩になってどうせ壊すんだから手作り玩具で十分です。」
「え、あのヤクルトの空き容器にビーズ入れて、マラカス~♪みたいなやつ?」
「それはさすがにない!赤たんじゃないんだから!」
「ははおや、お菓子買っていい?」
「一人一つねー。」
光太がカートから離れお菓子コーナーに入っていく。光彩と目が合うと母親から離れ、私から逃げるように兄の背にくっついた。未知への不安はお菓子に敗れたらしい。
「アタシ牛乳見てくるから子ども達よろしくー。」
子ども達に遅れをとらないように慌てて小さな背中を追いかけた。
子ども達は量をとるか質をとるかで悩んだ。一人一つという制約の中でも、どうにか自分の欲求を満たそうと懸命に考えた。真っ直ぐな瞳がそのまま命の輝きを示しているように煌めいていた。
好きな物何でも買ってやるのにと思ったが、おしりの痛みを思い出して考えを改めた。
多分この悩んだ時間が明日を作るんだ。きっとそう。
「ねぇ。アイス食べたくない?」
私の突然の一言に子どもたちは色めき立つ。これは私が食べたくて勝手に買うものなので監査は逃れられるはず。
果物の形の容器に入ったアイスが好きだった。
姉の塾の送り迎えで忙しい母親に変わって、たまに母親の妹が構いに来てくれた。その時に二人の秘密だよと買ってもらったアイスの味が、あの頃の私と同じ歳の子どもらを見ていたら蘇ったのだ。
特別な時間を共有できることが嬉しくて、ちびちび食べては最後の方は溶かしてしまったっけ。
今思い返せば、あの人が初恋の人と言われればそうだったのかもしれない。いつも余裕のある笑みを浮かべる口元が好きだった。
お菓子が入ったカゴを持ってアイスコーナーに移動した。
「ママとパパとおばあちゃんの分も選んでね。」
「ウチ、ママの選ぶ!」
「ひかりもママのが良かった!」
「じゃあ、ボク、ばぁばの選ぼっ。」
「ばぁばのも選びたい!」
「ひかりはわがまま過ぎるんだよ!甘えすぎ!」
「甘えてない!」
「すぐ涙目になる!泣けばいいと思ってんだ!」
誰が何を言ったのか追い切れない勢いで子ども達が言い合いを始める。姉と喧嘩などしたことなかったので、容赦ない言葉の羅列に面食らってしまう。
まとめ役がいないとこんなことになるのか。大変だ。これがバレたらおしりの肉がなくなるかもしれないので慌てて仲裁に入る。
「はい。じゃあまず、ママの選びたい人手を挙げてくださーい。その人たちでじゃんけんをして買った人が選びます。」
何とか私の意見が通り、子ども達は一斉に紅葉のような手のひらを天に掲げた。
じゃんけんの末、光彩が陽さんの分を選ぶことになった。精一杯背伸びをして冷凍庫を覗き込む。
「抱っこしようか?」
「いい。」
「じゃあ、ウチがしてもらおー!」
「ひかりがしてもらうの!」
光彩が私の足に抱きつく。よく分からないが抱っこをすることを許されたらしい。
小さな体は思っていたよりも軽く、簡単に抱き抱えることが出来た。体温が高く汗で産毛がきらきらと輝く。陽だまりの匂いが香った。
「もっと右。」
「あ、了解っす。」
光彩は自分の分はみかん味のシャーベットで陽さんにはクッキーとクリームのアイスクリームを選んだ。
それぞれが食べたいアイスをカゴに放り込んでいく。陽さんに見つかってとやかく言われる前に会計を済ませてしまおうとレジに向かうも、その願いは叶わないことがすぐに分かった。
カートを押す陽さんの後ろ姿を見つけて光彩が耳元でママと叫ぶ。
「あら、一輝と仲良くなったの?」
「なってないよ!捕まった!下ろして!」
「頼むから人を犯罪者みたいに言わないでおくれ…周りの目が怖いよ…。」
「ママ!いつきちゃんにアイス買ってもらった!」
「はぁ?」
「いや!これは私が食べたいので!ね!陽さんの分もあるから!」
「ママ顔こわーい」
「そんなことないでしょ!ママかわいいよね!!ささ、アイスが溶けるから早く帰ろー。」
慌てて陽菜の口を抑えてレジに並ぶ。
陽さんの顔を恐る恐る見ると、仕方ないなと言うように呆れて笑っていた。
買い物を済ませて家に帰ると早速夕飯の準備に取り掛かった。皆で餃子のタネと皮を囲んでひたすら包んでいく。
「いつきちゃん、家で作ったことある?」
中々包めない私に光太が鋭い質問を投げかける。私はさっきからタネを多く取りすぎて皮が破れたり、ヒダが均一にならなくて不格好になったりを繰り返していた。当たり前に食べていたものが、作るとなるとこんなにも難しいものだったとは。しかも皮はまだ何枚もあってこれ全部を包むなんて…。気が遠くなるような作業だ。
「いいんだよ、光太くん。上手に作れなくても。私はね、美味しい餃子屋さんを知っているから。」
「「「ママのが美味しいよ!!」」」
「はい…すいません…。」
子ども達から総攻撃を受ける私を陽さんが楽しそうに笑う。
幸せとはこういう瞬間を言うのかもしれない。みんなが笑い合って笑い声が絶えなくて、暖かい空気が流れている。それはフライパンを熱したものだけではないはずで、胸の当たりにじんわりと温かいものが広がるのを感じた。
手間暇をかけて作った餃子は一瞬でなくなった。最後の方は子ども達と喧嘩をしながら食べた。手料理を熱いうちに皆で食べるというのは絵に描いた様な家族団欒で、こんなに賑やかな食卓は今まで囲んだことはないけれどそれも悪くないと思えた。
「いつきちゃん、今日泊まらないの?」
風呂から上がった陽菜が問いかけてくる。いちご柄の白い生地に襟や袖にはピンクのフリルがついたパジャマを着ていた。
「もう遅いから泊まっていけばいいのに!ねえ?ママ!」
どこで覚えたのか大人のような言葉遣いで陽さんにねだる。
光佑さんは今日も飲みと聞いていたので、それは叶わないことだろう。
陽さんが少し寂しそうに目配せをしてくる。
「一輝は明日も仕事。あんまり困らせること言わないよ。髪乾かしてきな。」
「もうそんな時間かぁ。そろそろ帰ろかね。」
「なんか今日はあんまり話せなかったね。」
「寂しい?」
「ちょっとね。」
「また来るよ。変わった人間がいると子ども達も落ち着かなさそうだし。」
「そうね…。今日はありがとう。なんか家族みたいで楽しかった。」
「こちらこそ。今日もご飯美味しかった。まじ店出して欲しい。」
なにそれ、と言いながら陽さんが笑う。陽だまりのような空気が広がる。この家の太陽のような人だ。この人が笑えば子ども達も笑うし、この人が泣くようなことがあれば、子ども達もきっと泣くのだろう。皆、陽さんから光を受けて成長しているんだ。それは私にも言えることで、この人といる時は顔の筋肉が緩み、凝り固まったものが解けていく。
たくさん笑ってお腹いっぱいになって体の隅々まで充足感に包まれた。
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