第9話 回る回る世界


正一が怪人症候群にかかってから、いつのまにか数週間が経っていた。

世界は大きな変化はなく、ぐるぐると回っている。

当たり前のように様子を見に来るし、電話もしてくる。


ただ、部屋に長居せず、夕食を食べることもない。

仁美を確実に避けているのが分かる。


そのような状態になっても施設に行くつもりはないみたいだし、改善されることはなさそうだ。


「この前、駆除業者の黒猫と会った」


「本当に? すごいね」


「どうも腕に覚えがあるというより、実際に腕を使った仕事をしているみたいだ。そうでもなきゃ、あんなふうには立ち回れないもんな」


「……駆除業者なんてしてる暇あるの?」


「さあな。たまに見かけるくらいだから、そこは何とも言えない」


ランサーズをはじめとした駆除業者はめざましい活躍を見せている。

真理の会と馴染めなかった者で構成されており、人数は徐々に増えている。


怪人駆除業者と名乗ってはいるが、実際にやることは警察が来るまでの時間稼ぎだ。

周囲にいる人たちへの避難誘導が主な仕事で、暴れている人を相手にすることは滅多にない。


「正一もやるの、パルクール」


「馬鹿を言うな、あんなことできるか。

何年まともに体を動かしていないと思ってる」


剣道から離れて数年は経っている。

芸術の道に進むと決め、竹刀を絵筆に持ち替えた。

体育の授業以外で体を動かすこともなくなってしまった。


「筆より重い物も持てないんじゃない?」


「水が入ったバケツくらいは持てるよ。

怪人が暴れていても、相手にしようとか思わないですぐに警察に通報しろよ。

あの人たちはプロなんだ。専門家に任せておけば、問題ないんだから」


彼らの鮮やかなパフォーマンスにより、パルクールに火がついた。

各メディアでもその流れに便乗し、その名前をよく聞くようになった。

パフォーマーへの取材や近くにある教室などが紹介されている。


「黒猫の人からカッコつけないほうがいいって言われたんだって?」


「何でそんなこと知ってるの?」


向かいの喫茶店から始終見ていた。

すべて知っているとはいえ、あの騒ぎのことは仁美に話していない。

ランサーズが来るのを知っていたから。とは言えなかった。


「自分で言ってただろ、カッコつけないほうがいいって言われたって」


「忘れてよ、そんな話」


「あれは暴れてる人に向かって言ったつもりだったんだと。

自分の欲のために暴れる奴のほうがよほどカッコ悪いとのことだ」


聞いた話をそのまま伝える。

誤解されたままでいるよりはいいだろう。


「もしかして、わざわざ聞いてくれたの?」


「真理の会の会員でもない限り、駆除業者と話すことなんてないだろうしな。

代わりに聞いてみた」


怪人症候群になった人でもいない限り、関わることはできない。

ヒーローに話しかける度胸は仁美にはない。


「ずいぶん前の話なのにありがとね」


「本当に気をつけろよ。

どこにいるか分からないんだから」


念を押して帰って行った。

近況報告ばかりの短い雑談が増えた。

いつになったら、以前のように食事をしながら会話ができるのだろうか。


***


ランサーズはボランティアみたいなものだ。

見返りは求めず、自ら活動に参加する。

活動そのものに意義がある。


不平不満を言う会員が集まるのは確かだが、実際に行動する者は半分程度しかいない。活躍の場がない目立ちたがり屋や怪人と対峙する勇気のない小心者ばかりが文句を言う。この状況について、業者に問い合わせてみた。


「だから、言ったでしょ。アタシたちは当たり前のことをしているだけ。

それすらできない連中の言ってることなんて聞いても無駄だよ」


桃園恵はどこまでも冷静に、平等に答えてくれた。

黒猫の人気は急上昇しているが、浮かれる様子はまったく見せない。


いつも己の正義に対して忠実に行動している。

絶対にぶれない信念を持っている人でも、怪人症候群になってしまう。

どこがボーダーラインなのだろうか。本当によく分からない病気だ。


「本当に謎ですよねー。

発症者が見つかってから数十年近く経ってるのに、ワクチンも完成されないとか。

何なんでしょうね、これだから政府は信用できないんですよー」


その場にいた秋羽場もうなずいた。

怪人症候群は突然現れた病気だ。


数人が幻覚症状を訴えたのがはじまりだった。

彼らを中心に研究を進め、正義感が原因であることが判明した。

専用の隔離施設を作り、治療を進める。


それ以上のことは何も分からない。

正義の定義は個人によって変わるからか、ワクチンの開発は進んでいない。

そもそも、感染源すら特定されていない。


何も対策が打てていないまま、真理の会が発足されてしまった。

幻覚症状を抱えた人々が集まり、宗教団体が発足した。


家族を失った被害者も多く、解決もできていない。


正一は怪人が近くに現れた時だけ向かうようにしている。

現地でする避難誘導も言われたことをこなすだけだ。


怪人がこちらに来ることを気にしなければ、本当に楽な役割だ。

真理の会の会員に気づかれないように、マスクも新しく買い直した。

これで誰かに知られることもないだろう。

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