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気付けば炎上していた。
もちろん、私でなく茜が。
ちゃんとモザイクとかもかけたつもりだったけれど、何故か特定されていた。殆どアカウントの設定すらしていない捨てアカだったのに、奇跡的なのか、意図していたのかクラスメイトの人間が私の茜の写真投稿アカを発見していた。もちろん、学校でそのアカウントを利用することも、私が口走るようなヘマをしたわけでもない。
それでも気付けばクラスメイト達に知られていた。それから間もなく、炎上した。
炎上の根本原因は酷く簡単なもので、クラスメイト達も私と同じように茜の写真を張り始めたこと。それによって徐々に規模が拡大し、誰かしらが特定してしまったことで爆発的に拡散してしまったこと。
考えてみなくても、炎上した理由はとても分かりやすい。唯一分からないのが、どうして名前も場所もなんなら言葉さえなく、写真のみだったアカウントがクラスメイト、あるいは茜を知っている人物にバレてしまったのか、ということ。
もちろん、私なりに考えた。このクラスや、この高校に犯人がいるのだから。
これは私の悪戯であり、善人の皮を被っていたらしい悪辣な隣人共を便乗させるのは非常に不快だった。ほとんど茜の醜く調子に乗った部分しか見ておらず、あろうことか匿名の場では茜の人生を壊そうと躍起になる、そんな人間の介入が酷く醜く、茜との関係性を穢されるようで憤慨した。このまま介入されてしまえば友人同士の甘噛みから、憎悪怨嗟の情報戦争にすり替わってしまう、と恐怖した。
そもそも、私は炎上させるところまでするつもりはなかった。
だから私は、ひそかに第一発見者を特定しようと捜索を開始した。
そんな時だった。
「炎上させてくれやがった犯人を捜すのに協力してくれる仲間だ」
突如として茜が、見覚えのない男子を連れてきた。炎上し始めてから茜への態度が急激に悪化した隣人たちや、彼女から距離をとり始めた取り巻きたちでない誰かを、まるで心から信用しきった風な顔をして。
「ボク、
「……
長い前髪で見えない顔。ぼさぼさで整っていない少し不潔な髪の毛。その癖飛び出てきたのは中性的で透明感のある綺麗な声。良く分からない、というのが彼への第一印象。加えるのならば、かなり根暗そうで茜と交友があるようには思えなかった。
明らかに怪しい人間だった。炎上してすぐ、多くの人間が茜から離れてゆく中で、突如として茜に接近した人間、それが沖渚という男。どうして、その男を不審に思わず済むのだろう。
こんなやつを連れてくるなんて、茜は狂ってしまったのか。私は茜を哀れんだ。
「磯藤さん、ね」
彼がどこを見ているのかは分からなかった。
しかしながら、その含みを持たせたような台詞がどうしようもなく私の疑念を煽り立てた。名前も今日初めて知った、はじめて姿を見た男が茜を陥れようとしているとは思えない。けれど、なぜ今の茜に近付いたのかもわからなかった。
「よろしくね、磯藤さん」
此方へと沖が手を伸ばそうとしたその時、ふわりと沖の前髪が浮かんだ。
その時見えた沖のこの世ならざる中性の美貌に、恐ろしさを覚えた。
■
いじめ、というのは決して絶対的な構造ではない。たしかに加害者と被害者の関係性を覆すことは非常に難しいかもしれないが、決してそれは不可能ではない。
例えば、もし虐めする側がカースト首位の人間だったとして、その人間が何かしらの問題を起こしてカーストを転がり落ちてしまった場合、容易く被害者と加害者は入れ替わるのだと思う。
「ほら、あいつが……」
「なんで学校いんだよ……」
「面の皮熱すぎ…………」
廊下を歩くたびに茜に送られる不躾な目線。今までとは違う、明らかな蔑む言葉。
公然に悪として認識されると人はこうも180度掌を返すのかと、なんだか得な事を知ったような気分になりながら私は静かに茜の隣を歩いていた。
「アイツら、わたしが炎上したからって手のひら返しやがって」
呪詛を吐く彼女の顔には、必死に隠そうとしている悲しさがほんの少し浮かんでいて心苦しくなってしまう。それまで私を評価していた隣人たちを、悪しき隣人と呼んでも構わないと思った。それと同時に、悲しさが垣間見える彼女の表情は酷く珍しくて、それが今までとは違う儚げな表情で、少しだけ興奮した。
「ほら、茜さん。そんなこと聞かれたらまたなんか言われちゃうよ?」
ここ数日、私以上に茜に積極的に絡んでいた沖という人間についての印象はあまり変わらなかった。長く伸びた前髪と、私よりもほんの少し背が高いだけの沖。けれどその隠れた美貌と相まって、いよいよ性別が分からなかった。これでもし、ズボンを穿いていなければ、軽々と沖の性別を女だと断定できたのだが。
そんな彼(性別不明)は近頃分かりやすく茜のそばに居るようになった。それももはや引っ付いていると言っても過言でないほどに。
それがいつの間にか茜の隅を奪われたようで、沖に不快感を抱いてしまった。
「まあ、そのうち冷めるんじゃない」
私の言葉は、心の底からのものだった。付き合いが長い分、茜が調子に乗っているだけで地の人間性が終わっているわけでないことを知っていた。モデルをすることに心からはしゃいでいた茜の姿を知っていた。
だから私は、この時はまだ本当に多大なる罪悪感を覚えていた。
■
「おい、おまえだろこの写真上げたの」
沖という人間は確かにかなりの洞察力を持っていた。SNS上にアップロードされた茜の写真の中から、誰がそれを撮影したのかという見当をつけており、事実それはかなりの確率で当たっていた。
それがどうにも、根本原因が私にあるとバレてしまうのか恐ろしく思える。
「……だから何だよ、お前みたいなクズにはちょうどいいだろ」
「今更、手のひら返していい子ぶってんの? ダサ過ぎでしょ」
「落ち着きなって茜さん。こんな奴に手なんて出す必要もないでしょ」
怒髪天の茜、開き直って軽蔑の目を向ける取り巻きだった一人の男子。その二人を小柄な体で諫めようとする沖。それから遠くでただ眺めるだけの私、男子と茜に軽蔑している隣人たち。あまり賢くない茜にはたとへ犯人が分かってもこうやって、感情的に問い詰める事しか出来ない。
「お前誰だよ、こんなクズ庇ってんじゃねえよ」
「今更無関係面すればやったことが帳消しされるとでも」
酷い茶番を見ている気分。鼻で笑ってしまう様な、ため息を吐いてしまう様な、それでいてほんの少し面白いと思ってしまう様なそんな気分。本当に微妙な心持ち。
どちらかと言えば退屈の方が多いくらい。
「ただあなたがスマホの中身を見せてくれればいいんです。まぁ、よほど馬鹿じゃない限りは写真なんて消してると思いますけど」
「おい!」
小さいからか、器用に男子のスマートフォンを掠め取った沖は素早く写真を探し始める。叫びながらスマホを奪還しようとする男子の姿に思わず失望のため息が出る。
あまりにもつまらない顛末になりそうで、退屈に思えた。
「こんなことをして、だから炎上するんだ」
「今更なに言ってんの」
攻め手を失い、それどころか弱点さえも明け渡した男。
「磯藤さんがかわいそうだ。お前みたいなやつに付きまとわれて」
しかしその言葉に、想像される茜の次の行動に、思わず笑みが零れ落ちた。
「お前!」
教室に響き渡る、乾いた音。
誰の会話も途絶え、沈黙で満ちた教室。
頬を叩かれ茫然とする男子と、顔を赤くして肩を震わせる茜。
醜い表情。何時しか消えてしまった彼女の傍若無人な振る舞い。そうして入れ替わりそこにあるのは焦燥に塗れた酷い顔と僅かに救済を求める振る舞い。以前の茜には見つけることの出来なかった儚さというのがそこにあった。
この苦しみから逃れたいと足掻く彼女の姿が、私の良く分からない何かに触れた。
私は思わず教室から離れる。被っていなければいけない皮が無理やりはがされるような感覚に陥って、抱いたこともない想いを恐れて、人には見られてはいけないように思われて。私は人のいないトイレへと飛び込んだ。
心を落ち着かせ、誰にも心の底を除かれない様に一息ついた後、私は来た道を戻ろうとした。長い時間いても不審がられるだけだったから、足早に帰ろうと思った。
その時、鏡に写った私の顔は朱が差していた。
目は酷く、酩酊した人のように蕩けていた。
それだけじゃない。私は確かに、笑っていたのだ。
あぁ、そうだったのか。
何かがカチリと嵌ったような感覚がした。ゾクリと何かが私の肩を震わせた。
罪悪感はなくなっていた。そんなことに今更気付いた。
私自身が茜の苦しむ姿を望んでいた。人の苦しむ姿を心から愉しんでいていた。茜の落ちぶれていく姿に、確かに心は躍っていた。私は茜が嘆くことを望んでいた。
退廃的で破滅的な愉悦を抱いていた。
なんて、なんて表情をしてしまっているのだろう。
赤く染まった頬と、意地悪く口角は上がった悪辣なにやけ顔。鏡を見ているくせに瞳はどこか潤んでいて、イカれているとしか思えない。
鏡に写った私。無意識での表情。
自覚したというのに、私は未だこの情動を制御しきれていなかった。
だからそんな私に茜から家に呼ばれた時、喜びでどうにかなりそうな気分だった。
理由などは全く分からない。
けれど私はそのことを待ち望む興奮から、甘い吐息を人知れず吐いていたのです。
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