愛すること、穢すこと

酸味



 最初は単なる嫌がらせ、むしろ他愛もない悪戯だった。あるいは、戯れと言った方がしっくりくるかもしれない。

 この話の発端となったその人への悪戯には悪意はなかった。

 その人――茜という名の女子は、間違いなく私の親友で小学校以来の幼馴染だ。これまで関わってきた十年間のうちに何度も喧嘩をしたことはあるけれど、少なくとも肯定的な関係性だということに違いはない。

 悪戯。

 健全なかかわりあいの中で、ふとして生まれた悪辣な本能的な遊び。

 それはひどく些細なもので高校生になり少し天狗になっていた茜を注意するために始めた……のだと思う、盗撮まがいの行為だった。正直なところ、この行為を始めたのは突発的な考えによる部分が多いので目的も理由も動機も存在していない。

 けれど、確かに私がその行為を始めた頃、茜は確実に調子に乗っていた。

 殊に、モデルとして雑誌に乗り始めた頃から傍若無人ぶりが顕著に表れた。


「あ、ごっめーん。気付かなかった」

 モデルになるということ、それは当然茜という女子高生の持つ容姿が他者よりも秀でていることを証明している。例えば、顔立ちや佇まいに見える西洋人的な要素。

 あまり覚えていないが、いつだかに彼女は自信気にロシアだか、ウクライナだか、ノルウェーだとかの血を引いていると喋っていた。その頃はソレのどこに自慢する要素があるのかと思っていたが、しかし成長した茜を見ると西洋系の趣というのは、なるほど日本人から見ると酷く魅了的であるのは違いない。

「影が薄すぎてさぁ、そんなとこに突っ立ってたらわかんないじゃん」

 まさに今、茜の傍若無人と収まることを知らない傲慢に巻き込まれている憐れな女子とはまるで異なって豊満な肉体からあふれ出る妖艶な香りというのは、同性である私ですらおかしな感情を抱いてしまいそうになる。

「ねぇ、もうちょっと頭使ってくれないかな」

 囃し立てる茜の友人たち。見るに堪えないと視線を外すクラスメイト達。茜を眺める私。怯えて泣き出しそうなとある女子。

 まるで世界は茜の為にある。そんな風に思ってしまうほど彼女は相当理不尽なことを言っていて、けれど誰も彼女を問い質そうとするつもりはない。

「なに、その眼? なんか文句あんの」

 メガネ、三つ編みが似合いそうな根暗な女子。それに対して茜は悪辣で下卑た台詞を宣っている。酷く攻撃的で、人の悪意を煮込んだかのような表情をしている。

 その癖ソレが私にはどうにも魅力的に見える。倒錯的で退廃的で、男や女などを超えて、歪曲した想いを抱いたとしても何ら不思議には思わない。魔性の女、傾国の美女。彼女はそういう類の人間だった。

「ほら、文句があるんだったら、言ってくれないと分からないんだよね」

 憐れな女子生徒。顔は目に見えて青褪めていて、肩は分かりやすく震えている。

 しかし彼女には幸いなことに、この教室には善良なる隣人たちも存在している。


「あーかーね。そんな子に絡んでないで、早くこっち来なよ」

 先程から茜の友人である私に力強い視線を向けてくるクラスメイト達。まさに愛すべき倫理的な隣人たち、と一般に賞賛すべき彼らの目線が背中に集まっている。『なぜおまえはなにもしていない人間が良い目られているのを黙認しているのか』そう言わんばかりの視線が。

「親友たる私を置いて、他人に挨拶するとか許せないんですけど?」

「嫉妬すんなって」

 私が頬を膨らませると茜は私の頬を指で押す。飛び出る滑稽な音と茜の悪戯な顔。

 高校生になってから何度も繰り返された酷い茶番。

 この戯れを別に私は不快だとは思わない。それに、無垢で純粋で道義的な彼らはこのイベントを繰り返し続ければ続けるほど、私のことを善良な人間だと認知する。茜はストレスを発散し、私は評価を上げ、三つ編みメガネちゃんは救済され、隣人たちは虐めという胸糞悪い光景を朝っぱらから見なくて済む。

 面倒ではあったけれど、このイベントは誰もが利益も享受できた。

「今度奢るからさぁ」

 ただ、だからと言って不満がなかったわけでは無い。

 私にだって、幾ら腹黒い考えをしていたとしても乙女心と言うものがある。嫉妬心というものがある。あるいは面倒を嫌う怠惰な堕落した精神がある。

 面倒ごとを引っ張って来る茜に辟易していたのは事実だし、彼女の美貌に私が年を重ねるうちに嫉妬を抱きはじめたのも事実だった。


 だからちょっとだけ虐めてやろうと思った。

 それが、私の悪戯の根本的なきっかけだった。



 ■



 この情報化社会において、このスマホが満ち溢れた現代において、写真と言うものは酷く身近なものになったに違いない。なにせわざわざデジカメや、ガチのカメラを持ってこなくても割合鮮明な写真を撮ることが出来るのだから。

 もちろん、デジタルの写真であるがゆえに加工できてしまうから写真と言うものは絶対的な証拠でなくなってしまったのかもしれない。今や、顔や声を技術を用いれば容易く入れ替えられてしまうのだから、当然だとは思う。

 しかし、単に弱みを握るだけなら写真をとれば十分。

 それに、幾ら写真が信憑性に欠けても証言にはいまだ信憑性は存在している。

 なんなら、音声でさえ茜の弱みを握るには十分すぎた。だって、茜は常日頃から所かまわず誰かしらに突っ掛かっている。というか、これで弱みを握られていないのがいまだに不可思議に思える。あんな魅力的な女子を脅さないとか、わが校の男子生徒諸君はあまりに善良過ぎる人間が集ったのか、あるいは枯れているのかもしれない。

「ねぇ、アンタら暇でしょ。ちょっと購買で飲み物買ってきて」

 とはいえ、茜のそばでそういった写真を撮ることは危なすぎる。だからこそ、私が直接茜と話していない時を狙ってクラスメイト達の影から彼女のパシリを激写する。

 モデルをやっているのに、哀れなくらいにリスクマネジメントという概念を知らないらしい茜の、そういう場面の写真や動画を撮ることは十点の小テストで満点を取ることよりも簡単だった。本当に、呆れるくらいだった。

 一カ月近くで、たまった写真、動画は早くも百件近くになりそうだった。

 けれど、これほどまでに写真を撮られていることを気付かれないとは思わなかった。何かしら、途中で反応をしてくれると思っていた。だからこそ、一カ月を過ぎるころにはこの悪戯に飽き始めていた。

 だって、彼女が気付かなければ彼女を正すという名目上の目的や、嫉妬心からの悪戯という本質的な目的の達成はまるで見込めない。それどころか、この勢いのままだと私が大学生になっても茜は私の盗撮に気付かないかもしれない。

 私は非常に遣る瀬無かった。

 一か月前のわくわくは今や完全に消失し、手元にあるのはこの胸に虚無を生産する彼女の写真や動画データの数々。

 彼女の凛々しく攻撃的な表情、生意気な言葉。社会をなめ腐った振る舞い。

 そういう趣味の人達に売れば高値で買い取ってもらえそうだと、ため息は漏れる。

 つまらない。つまらないなぁ。

 だから私は禁忌を冒してしまったのだろう。

 特定されるわけもない。そもそも誰も見ないだろう。

 つまらなさから、私は彼女の写真をSNSにほんの少しずつ上げ始めた。


 その日から、僅かな大義名分を持った悪戯は、大義も名分も持たなくなった、私の為の愉悦の道具として生まれ変わった。

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