第54話 マリサの誓約書と嘆願

 ロンドンのウエストミンスター宮殿における庶民院。貴族院よりも力を持つとされる庶民院はときに国民感情を受け取ることもある。そこにグリーン副長ことテイラー子爵がいた。


「皆さんに聞いていただきたいのは、海賊(buccaneer)であり、しかもこの度の戦争においては女王陛下の海軍に協力をし、身を挺して”光の船”という無法な集団を壊滅に導いた”青ザメ”の頭目マリサのことです。マリサは海軍の士官と副長を含めた多くの捕虜を救い出し、要塞の爆破にもかかわっています。”光の船”はスペイン政府非公認の無法な海賊集団でした。今、マリサには総督殺害の嫌疑がかかっています。そして懐妊しており、監獄からは出たものの、外交如何では出産後に処刑される可能性があります。今ここでスペイン政府の言うがままになってマリサを処刑すれば国民感情は悪化する一途でしょう。どうか議会で議論していただき、母と未来の子を救うために外交を動かしていただけないでしょうか」

 グリーン副長はマリサの海戦での活躍も含めて庶民院の議員に何度も力強く話しかけた。

「1つ聞くが、マリサに殺害嫌疑とはどうなのだ。殺したのか。」

 もの珍しさからそう尋ねる者もいる。

「スペイン政府がそう言っているだけです。そもそも政府非公認でありながら総督殺害の嫌疑を持ってくるとは公認しているようなものです。」

 グリーン副長がそいうと一人の老いた議員がこう切り出す。

「そうであるなら我々はスペイン政府に対し、”光の船”のよる損害損失の賠償金を求めることになる。貿易の損害、港など施設への損害、船や人員の損害……すぐに算出して突き付ければよい。捕虜とされた国民を救い、”光の船”壊滅へ導いたレディーの行動を、講和の流れを無視して略奪行為をしていた彼らの要求にすり替えることはできん。こうなると外交を動かすべきだろうな」

 議員たちは納得して頷いており、グリーン副長は手ごたえを感じた。



 そして宮殿ではオルソンが正装をし、アン女王の前に進み出ていた。田舎の領主でしかないオルソンは滅多にこうした場に来ることはない。海賊を擁護していたこともあり、遠慮をしていたこともあるが、今はそうも言ってられなかった。


 アン女王はふっくらとした女性で、ブランデーが好きな女王だった。カンバーランド公と結婚して17回妊娠するも、流産や死産、早世などで次々に子どもは亡くなっている。スチュアート王朝が途絶える危機にあり、国民の関心事でもあった。そのため1701年には王位継承法が議会で制定されている。

 

「陛下、ご存じの通り我々はアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破って以降、海を制し、貿易によって利益を上げています。そして多くの私掠船や海賊(buccaneer)たちの働きもイギリスの利益に貢献しています。”光の船”はイギリスに人的物的に損害を与え、講和の流れに背いた行動をしてきました。マリサはそれを壊滅に導いたのです。ガルシア総督が絡んでいたとなると彼らの違法な海賊行為はスペイン政府の意向とみなしてよいでしょう。陛下、なにとぞマリサを救う一手をお考え下さい。このままではマリサは出産後に処刑される運命です。どうか母と子を守るために陛下の御心をいただけないでしょうか」


 肥満の為、歩行がままならないアン女王は移動に車いすを使っていた。オルソンの言葉をじっと聞いていたアン女王は側近の大臣と小声で話をしてからオルソンに尋ねる。

「オルソン伯爵、グリンクロス島のウオルター総督が"青ザメ”に対して恩赦を出しているのなら”光の船”に対する行動も恩赦の対象とみてよいでしょう。何より、壊滅させたのはイギリス海軍ではないと私は聞いています……なんでも新手の海賊が船団を組んで”光の船”を次々に壊滅させたそうではないですか。マリサは海賊として行動をしたのなら、ウオルター総督の恩赦は有効であるはず。海軍の協力として行動したのならまた別ですがね。オルソン伯爵、確認ですが最後に来た船団は海軍旗を揚げていましたか?」

「いえ、立派に海賊旗を揚げていました」

 オルソンの言葉に微笑むアン女王。

「海賊であるなら政府の意思ではありません。よって、マリサは恩赦によって罪を許され、出産後も命の保証がなされるものとみなします。オルソン伯爵、母となるマリサを守りなさい。私の国民を失ってはなりません」

「寛大な御心に感謝いたします」

 深々と頭を下げるオルソン。アン女王自身も我が子が次々を早世する中でその痛みを知っていたのだった。



 従軍牧師の居所は幸いなことに見つかり、しかも停戦に向かっているため出帆することなく港に停泊している戦列艦レッドブレスト号にいることが分かった。これがまだ講和前ならどこかの海へ航海をし、見つけることは困難だっただろう。

 急遽呼ばれた従軍牧師は迎えに来たフレッドとグリーン副長とともに本部へ向かう。

「あなたがいらして本当に助かった!マリサから預かった書面を本部に見せてください。彼女を救う一手になります」

 フレッドに言われ、ポケットから一枚の書面を差し出す従軍牧師。書面はずっとポケットに入っていたのか紙が傷んでいた。

「マリサのことは私もうわさで聞いて心配をしていた。これが役に立つのならぜひ使ってくれ」

 従軍牧師もその書面を預かりながら自分が持っていてよいものか考えあぐねていたのである。


 マリサが結婚のときに書いた書面は海軍本部、そして庶民院へと回され、証拠として読み上げられた。


「話をまとめるとマリサは”青ザメ”としてスペイン政府非公認の海賊”光の船”に捕らわれ、海賊として仲間を救い出した。マリサが相手にしたのは海賊であってスペイン政府ではない。仲間を救うために殺したとすればそれは総督ではなく海賊のトップということだ。ウオルター総督の恩赦状にあるように海賊”青ザメ”の罪は許され、そして誓約書によってマリサは公の場で誓いを立てているならこれ以上の証拠はない。マリサは自由だ」

 議長はそう言ってまとめると他の議員に呼びかけた。

「さあ、スペイン政府が”光の船”を認めるならば我々はイギリスが被った巨額の損失を請求しようではないか」

 次々に賛同する議員たち。


 

 この決定はその日のうちにニュースとして駆け巡り、再びコーヒーハウスのネタになり、スチーブンソン家の玄関周りはまた野次馬でごった返した。そしてフレッドとグリーン副長、オルソンが人込みをかけ分けてやってくる。前回は海軍の副長の訪問に驚いた野次馬も今回の貴族の訪問の事実にさらに驚く。


 

 3人は困惑しているイライザとハリエットに国の決定を伝える。

「神様……感謝します……私のマリサを守っていただいてありがとうございます……」

 その場で泣き崩れるイライザ。

 ハリエットはフレッドをだきしめる。

「……よくやったわ、よくやったわ……みなさん、本当にありがとう。マリサのために本当にありがとう」

 ハリエットは涙が止まらない。


 そのまま3人はマリサの様子を見に部屋へ急ぐ。

 

 マリサは部屋の片隅で椅子にもたれていた。容貌の変わりようにオルソンは驚きを隠せない。

「マリサ、船が無くなり連中のことを心配しているだろうが、連中には私が仕事を与えてある計画を進めている。それはきっとお前も喜ぶ計画だ。元気になったらそれをみてくれよ。お前はもう自由だ。完全完璧に自由だ」

 オルソンが語り掛けるもマリサは黙ったままで表情を変えないでいる。

 そしてグリーン副長。

「あのとき君を撃ったのは君に『撃たせない』ためだった。君が海軍に歯向かったほうが悪い結果になるのは見えていた。こうして傷を負わせてしまったのは申し訳ない。許してくれ」

 あのときマリサが受けた傷は処置を拒み続けたため治癒に時間がかかり大きく傷跡を残している。

「マリサ、君の自由のために多くの人が行動をした。結婚式のときに君が書いた誓約書が決め手になったよ。もう心配すること、おびえることもない…………」

 フレッドの言葉にも応じないマリサ。無表情でじっと座ったままだ。


 3人はマリサのその様子に後ろ髪を引かれる思いで後にする。


「お母さん、イライザさん、後のことをよろしくお願いします」

 フレッドの言葉に何度も頷くハリエット。マリサが助かったことについて言葉にならないほど嬉しいのだ。

「イライザ、お前は育ての親とはいえマリサにとって母親だ。こうしてここには二人の母親がいる。我々にはできないことがあなた達にはできるのだ。よろしく頼むよ。これは半減したらしいフレッドの給料の補充のつもりだ」

 そう言って銀貨が入った小袋をハリエットに渡す。

「オ、オルソン伯爵、抜け駆けするな!」

でも隠し金はあるんだよ」

 抗議するグリーン副長を前にオルソンはニヤリとする。

「まさか、あの言葉を聞いていたのか」

「私の耳は地獄耳だよ。あなたが私のことをそのようにマリサに吹聴しているのを知らないと思っているのか。フフッ」

「……申し訳ない……」

 オルソンの言葉に顔を赤らめるグリーン副長。爵位と言えばオルソンの方が上だが船では自分の方が高位にあるため、普段でも身分の差を忘れた物言いをしてしまう。オルソンはあえてそれを大事おおごとにしない。大人の付き合い方だ。



「スチーブンソンさん、私とスチーブンソン君は明日この港を出帆します。残念ながらカリブ海周辺が騒がしくなっているようで、討伐に向かいます」

「ええグリーンさん、マリサのことは引き受けました。イライザさんと世話をしますから安心して任務にお就きくださいね」

 笑顔のハリエットを残し、出帆準備のためグリーン副長とフレッド、そして野次馬をかき分けながらオルソンが出ていく。野次馬たちは次々と質問をしてくるが相手にすることはなかった。


 翌日、スパロウ号は艦隊を組み、海賊討伐のためカリブ海を目指す。マリサのことを心配をしていても今すべきことをやるだけである。二人とも心配は二人の母に預けて任務に打ち込むこととした。



 そして9月。任務を終えスパロウ号が帰還する。艦長の配慮によりいち早く帰宅したフレッドはマリサの様子を確かめに急ぐ。


 信じていたものが失われたマリサは生きるための糸が見えないでいる。表情だけではなく、ほとんど動くことがない体中から生気が失われ、土気色した肌と生気のない瞳は焦点が合ってないように宙を見ていた。それはそこにマリサがいることさえ感じられないほどだった。


「マリサはあれ以来何も言葉を話さないの。食べ物も口にするのは少しだけなので強引に食べさせているのよ。一日中じっとしてただ、宙を見つめているだけなの。今ではこのように体を起こすこともままならない状態で、横たわったままで過ごしているのよ」


 海賊討伐の任務から帰還したフレッドはマリサを抱き起して一口二口とスプーンで食べ物を運ぶが、母親のいうとおりマリサは少し口にすると以降は固く口を閉ざし、食べようとしなかった。

 無表情であり自分で動くことはあまりない。立ち上がりをさせようとすると体がふらつくほどだ。ジャクソン船長が処刑されたときもマリサはわが身のように思い、脱力してフレッドの家に運び込まれた。あのときはフレッドの母親と数日過ごしていく中で落ち着きを取り戻すことができた。

 だが、今は違う。今までマリサを支えていたものが全て失われて何も信じられない状態で、マリサは自分で自分を責めているのだ。そして必死にもがいている。

 

 戦争が終わり、海軍の乗員のほとんどは待機となり、給与は半減されている。私掠船の乗員たちはもっと困難だ。以前からグリーン副長が言っていた通り、戦争が終われば仕事もなくなり、どうにかして自分たちで稼ぐためにその多くが海賊(pirate)化していった。

 もしもマリサが機転を利かせてガルシア総督を殺さなかったら”光の船”壊滅は難しかっただろう。


 マリサの懐妊が発覚して恩赦状や誓約書が見つかったこともあり、自由の身となったのだが、今でもコーヒーハウスのネタにされている。海軍が暇になると庶民の関心は噂話にいくのだろう。

 今までマリサは”青ザメ”の頭目として仲間を守るために身を挺して戦ってきた。マリサの身体の傷跡はその賜物だ。しかし今はマリサの心が傷ついている。

「君はいつも『あたしはあたしだ』と言っていた。そう、いままではそれで良かった。”青ザメ”の荒くれ者を統率するマリサでもあった。だが今はそれだけではなく僕の妻だ……スチーブンソン家のマリサだ……」

 そう言ってマリサの身体を抱きしめる。やせ細り、異様に腹部だけが膨らんでいる。マリサのお中の子どもは確実に成長していた。そしてフレッドがマリサの腹部に手をやったとき、手の平にお腹の子どもの動きが伝わった。

「自分を責めるな。そしてもう一度信じてくれ。『悲しんでいる人々は幸いである。彼らは慰められるであろう。(マタイによる福音書5節1節 )』君には僕がいる。それだけじゃなく君には守るべきものがいるんだよ。君と僕とで精いっぱい守っていきたいものがいるんだよ。ここに……」

 そう言ってフレッドはマリサの手を取ると時おり動きを見せるマリサのお腹に手をやる。その動きは痩せて小枝のようなマリサの指や手のひらに伝わっていく。このとき、マリサに忘れられた感情がこみあげた。



「何も信じられなくなってもこのことは真実だ。僕たちの子どもは僕たちを信じて生まれようとしている。そしてそれは君がどんなに強い海賊であっても得られなかったものであり、一番望んでいたものだ。そう、僕たちは家族になった。君がようやく手にすることができた家族だ。だからもう一度信じてくれ……」

 フレッドはマリサを抱きしめると懇願するかのように声を振り絞って呼びかけた。何度も何度も……


 しばらくしてフレッドは熱いものが自分の腕や胸に流れているのを感じた。そして抱きしめているマリサの身体が小刻みに震えていることに気付く。

 マリサは泣いていた。むせび泣きから始まり、やがてフレッドの胸の中で激しく泣きじゃくる。これほどまでにマリサが泣くのは初めてだ。


「……フレッド……あたしはあたしだ……だから生きたい、生き延びたい……もう一度みんなを信じていいのか……」


「もちろんだ……『なにがあってもあたしを信じて』と海戦の前に君は言った。君が信じるものを僕と母もグリンクロス島のみんなも……そして”青ザメ”のみんなも信じている。今はまず自分を大切にしてほしい。……君はもうひとりじゃない。もう一人の命を預かる身だ」


 フレッドの言葉に小さく頷くマリサ。そばで見守っていたハリエットも涙ながらにマリサを抱きしめる。

「何も心配することは無いわ……。また一緒に掃除や洗濯をし、パイを作りましょう……そうそう、赤ちゃんの産着を作らなきゃね……」


 マリサの顔に赤みが増す。凍り付いたかのように無表情だった顔は穏やかな顔つきに変わっていった。

 ハリエットはハンカチを手にしマリサの涙を拭きとった。


 部屋にはスペインの画家でありながら海軍にいたカルロスが描いた『聖母子像』の絵がある。マリサがモデルになっており、外部に出せば騒動のもとになるかもしれないと、マリサが部屋にかけたものだ。カルロスはこの未来を想像したのかどうかはわからないが、この家の住人には気にいられていた。



 マリサの変化はグリーン副長やオルソンにも伝えられ、喜んだ二人が元気づけにやってくる。


「ともかく体力をつけるのが先だわね。今はその事だけを考えて」

 イライザとハリエットも互いに協力をしてマリサの世話をしている。オルソンからマリサが出産するまで屋敷を留守にしても良いといわれたため、オルソンが借り上げた近くの下宿から通っていた。

 

「まずは食べなきゃね。いきなりたくさんは無理だろうけど、少しずつ食べる量を増やしましょうね」

 ハリエットとイライザが競うように食事を作り、マリサに食べさせる。体力をつけなければ出産も難しい。


「もう一人の家族に会えることが楽しみで仕方がない。できるなら今すぐにでも会いたい」

 フレッドがそういうのも無理はない。というのは帰還したものの、海賊討伐のため再び任務に就くことが決まっているからだ。カリブ海は海賊共和国ナッソーを拠点地して不穏な動きがでている。だからこそ”青ザメ”とともにいたフレッドとグリーン副長が乗員として向かうことになった。

 それは今まで海賊船にいたため、海軍としての研鑽が少なかったことの艦長の計らいだった。マリサを捕らえ、船を沈めたのは間違いなく彼の命令だったが、それも本部の意向であり、艦長の感情による意向ではない。

「あなたの昇進を誰もが望んでいるわ。ちゃんと養いなさいね」

 フレッドは母親の言葉に苦笑いするしかなかった。

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