第53話 失望と収監 そして
グリンクロス島を発ち、いよいよ本来の目的を果たすためにデイヴィージョーンズ号は外海へ出る。”光の船”との闘いで”青ザメ”の仲間として乗船していた”赤毛”は多くの犠牲を払った。そして私掠の連中は嘆きの収容所(Campamento de lamentación)の精神的肉体的な拷問で命を落とした者が何人もいた。
「海賊も私掠、あたしたちも同じ人間であることに変わりはない。国や人種、宗教が違っていても同じ船に乗る以上目的は同じだ。あたしたちは共に愛国心を持ち、それを海賊・私掠行為で形に表してきた。その犠牲により亡くなっていった仲間をいまここに海へ返すことにする」
マリサが最後の頭目としての役割を果たすべく言葉を言った。連中は酒を手に右舷へ並んでいる。ある者は海に流すべく遺品を手にしている。
「主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ。彼らが安らかに憩わんことを。アーメン」
死者への祈りをマリサが捧げ、連中も続く。
「アーメン」
船から遺品や酒が流される。亡くなった連中の遺品は波間に見え隠れしながらやがて沈んでいった。
「さあ、みんなしけた顔しないで楽しくやろうぜ」
最後の頭目の仕事を果たしたマリサが掛け声をかけると連中は笑顔で酒を酌み交わした。定期便ではなかったため、帰り荷は少ない。そのこともあってか連中は気が楽なようだ。こういう場なら飲んでもいいだろうとマリサが酒を手にしようとすると、先ほどまで遠く距離を置いていたスパロウ号が追い上げてきているのが見えた。
(何かあったの?)
スパロウ号はデイヴィージョーンズ号よりも大きな五等フリゲート艦だ。海軍の船となれば乗員も半端ないほど多い。白兵戦で挑む海賊船と違い、乗員もきびきび動き、帆の展帆縮帆もはやい。戦闘ともなれば多くの乗員の力でその力を発揮する。
連中は飲めや歌えや楽しくやっている。弔いだから楽しくやろうということを実践しているのだ。スパロウ号が間近に迫っているのも不思議に思っていない。
やがてスパロウ号はデイヴィージョーンズ号と並走する形をとる。このころには連中も何事かと気づき、右舷からスパロウ号を見つめる。見下ろすかのように海軍の士官や乗員たちはマリサ達を注視している。そしてその中にフレッドをグリーン副長がいた。彼らはまるで敵か犯罪人を見るような目つきだ。ただ、フレッドとグリーン副長はとても悲しそうな顔をしていたのがマリサにはわかった。
その異様な雰囲気にマリサは飲み込まれ、血の気が引く思いをする。それをみてかエヴァンズ艦長はマリサを正視すると、はっきりと周りの誰もがわかるように告げた。
「マリサ、君にはガルシア総督を殺した疑いがあり、捕らえられることになった。スペイン政府から要請がきている」
マリサは突然のことで何をどういったらいいかわからない。真実を話しても話さなくても同じ結末だ。とっさにフレッドを見る。フレッドも青い顔をしてマリサを見ている。彼は何か思っても言えない立場だろう。そのことをマリサはよくわかっていることだ。
連中もどうしたらいいかわからないでおろおろしている。
「デイヴィージョーンズ号の乗員たちも歯向かえば同罪だ。手を出すな」
冷たくグリーン副長の声がする。
(な、なんで……うそつき……)
マリサは考えがまとまらず涙が止まらない。そして無意識に右手は銃を持つ。それを察したグリーン副長。
バーン!
銃音が響き、右腕から血しぶきをあげて倒れるマリサ。
船は接舷され、海兵隊員が乗り込んでマリサの身柄を確保する。そして連中も積み荷とともにスパロウ号へ移るように命じられる。
無人となったことを確認するとスパロウ号はデイヴィージョーンズ号から離れていった。
「マリサ!マリサ!」
叫びながらフレッドはマリサの元へ行こうとするが周りの乗員たちに制止される。
「落ち着け!スチーブンソン君。今君が下手なことをしたら君も反乱とみなされるぞ。私がマリサを撃ったのは『撃たせない』ためだ。もしマリサが撃っていたら海軍への犯罪で処刑は免れない」
グリーン副長の一言でフレッドは泣き崩れる。
捕らわれ、スパロウ号に移されたマリサ。フレッドが近づこうとするが敵意をむき出して言い放つ。
「これ以上あたしにかまうな!ほっといてくれ……もうたくさんだ!」
銃による傷の応急手当も拒否し、それきり何も言わない。
「砲門を開け!デイヴィージョーンズ号を破壊し、沈めよ」
エヴァンズ艦長の声が響く。砲門が開き、無人となったデイヴィージョンズ号に向けて一斉放射される。
ドドーン、ドドーン
マリサと連中の目の前でデイヴィージョーンズ号が破壊されていく。メーソンと見張りをした鐘楼も風に吹き飛ばされないように縮帆を行ったヤードも、デイヴィスの思い出が残る船長室、何かあれば通ったギャレー(厨房)も次々に砲撃により破壊される。そしてついに船体に大きな穴が開けられ、デイヴィージョーンズ号は波しぶきをあげて沈んでいった。
あたりは静寂と波間に浮かぶデイヴィージョーンズ号の残骸だけである。
捕らえられたマリサは重大な犯罪を犯したものとみなされ、船首に近い牢へ入れられる。不思議なことに気持ちは落ち着いていた。
(結局はこうなる運命だったんだ……。それなのにあたしは高望みをしすぎた。デイヴィス……イライザ母さん……あたしはもう何も望まない。失うものは命だけだ……もうあたしは抗うことに疲れた……)
マリサは目を閉じると静かに横たわった。体を動かすこともしたくなかった。
「マリサ、大丈夫か……傷をみせてくれ」
その声はハミルトン船医だ。デイヴィージョーンズ号の乗員は帰港まで監視付きでひとところに集められているが、傷の手当てを拒むマリサのために彼が呼ばれたのだ。ハミルトンは二匹の三毛猫を連れて牢に入ってくる。
「もういいよ、ハミルトン。あたしはもう生きようとは思わない」
二匹の三毛猫はマリサの身体に乗りかかったり耳元でニャーニャーと鳴き声をあげたりしている。
「お前らしくないぞ……デイヴィス船長がいたらきっとそう言うだろう」
そう言ってマリサの傷を確かめようとするとマリサの手がそれを拒んだ。
「傷の手当なんかどうでもいい……それよりバケツを持ってきて……また船酔いだ……全くこんなに大きな船なのによく揺れるなんて最悪の船だ」
マリサが青い顔をしていたのでハミルトンは監視の海兵隊員をよび、バケツを持ってこさせる。
マリサは2,3回ほど嘔吐し、再びそのまま横たわった。
「……ハミルトン、フレッドとグリーン副長があたしのことをどう思っているかわからないが、あたしは会いたくない。もう何も信じられないんだ……」
「ああ……それはそうだろうな。伝えておくよ」
マリサの憔悴しきった様子にハミルトンはそっとしておこうと牢からでた。ハミルトン自身も海軍のこの行動の意味が分からず、信用ができないと思っている。それは他の連中も同じだった。
一人になった牢からマリサのすすり泣く声が聞こえる。
(デイヴィス、あたしもこれからそこへ行くよ。待っていて……)
フレッドやグリーン副長の思いはマリサには届かない。
スパロウ号は失望と失意のマリサを乗せ、講和の話し合いが進む国を目指し航海を続けたのだった。
5月も終わろうとする頃、マリサ達を乗せたスパロウ号はロンドン港へ入る。デイヴィージョーンズ号の乗員はそこで降ろされ、晴れて自由の身となったが、マリサは捕らえられたまま監獄へ送られる。すっかりやつれ、それでなくても痩せ体質のマリサはさらに痩せていた。出される食事を食べても吐いてしまい、食事量が減っていたからである。マリサにとって食事はどうでもいいことだった。今は早くデイヴィスの元へ行きたい、ただそれだけが望みだった。
マリサのことはフレッドからハリエット、グリーン副長からオルソンのもとに連絡が入る。そしてマリサのことを知っている市民が家へ押しかけたりコーヒーハウスのネタにしたりしていた。
夫人は窓という窓を閉め、カーテンをするとフレッドに詰め寄る。
「いったい何があったの。なぜマリサが捕らわれるの。もう”青ザメ”は解団したんでしょう?」
「僕だって気が気でないんだ!マリサが今後どうなるかは外交
フレッドもマリサを思うあまり食事がのどを通らなくなり、痩せていた。頬がこけ、落ち着きがなくなっている。
そこへ玄関先に群がっている人々を押しのけて訪ねて来る者がいた。グリーン副長である。人々は高位の海軍の人間が来たことに驚き、距離を置いた。
グリーン副長は家の中へ通されると挨拶もそこそこに、フレッドに重要な話があると言って座らせ、夫人には下がってもらった。
「マリサは全くと言っていいほどあのことに対して何も語らない。いや、語れないんだ。我々を救うためだとはいえ、国の代表である総督を殺したとなれば処刑は免れない。外交の大問題だ。そして”青ザメ”が海軍に協力していたとなれば講和への動きがある中で戦いを挑んだイギリス海軍の立場、しいては国の立場が危うくなる。マリサは沈黙をすることで自分一人、罪を負うつもりだ。スチーブンソン君、君はマリサの夫であり、私はマリサの伯父だ。ここでマリサを死なせるわけにはいかない……マリサを助けよう、何としても助けよう」
グリーン副長の目は真っ赤だ。今まで我慢していた思いが溢れている。
「……副長、この問題の争点は何ですか……解決の道はあるのでしょうか」
ようやく落ち着きを取り戻したフレッド。
「”光の船”は政府非公認の海賊だった。だからそれを主導していた総督の死をスペイン政府が認めているとなると政府非公認ではなく公認していたということだ。そしてマリサは海賊として総督を殺したのか、やむなく海軍の作戦の中で殺したのか、そのことも問われるだろう」
グリーン副長の言葉にフレッドは考え込む。
「海賊としての罪はウオルター総督の恩赦で許されているはずです。ただ……その恩赦状はそれまでの”青ザメ”の海賊行為に対してのものであり、しかも犯罪人が自首するという前提なので、いつから罪が許されるのか日付は書かれていません。恐らくウオルター総督もそれで良しと考えていたと思います」
「もっとはっきりとしたものがあれば……」
グリーン副長は悔しそうに宙を見つめる。そしてフレッドはあることを思い出す。
「そういえば結婚の誓いのときにマリサが従軍牧師の前で誓いを立てています……海賊をやめまっとうな道を歩むと……そう、あのとき僕と牧師、マリサも書面に署名した!書面にははっきりと日付もある!書面は牧師が預かっています」
「それだ!」
フレッドとグリーン副長も声を合わせて叫ぶ。従軍牧師の前でマリサが誓いを立てたあの書面は証人としてフレッドと牧師の署名もある。
「スチーブンソン君、急いであの牧師を探そう。マリサを助けよう……ここでマリサを助けなければ私たちは一生後悔をするぞ!」
グリーン副長とフレッドは家を飛び出し、従軍牧師の居所をつかむために海軍本部へ向かう。
監獄に入ったマリサは壁にもたれてじっと宙を見つめている。長かった髪の毛は櫛もとおっておらず、もつれるようにぼさぼさである。船の牢にいる頃からほとんど言葉を発することなく、身動きしないことが多かった。たまりかねたハミルトン船医が食べさせようとするが、固く口を閉ざして食べようとせず、無理矢理一口二口流し込む感じだった。
マリサの罪について審理中のため、面会は許されない。それはフレッドとグリーン副長も同じだった。許されない以前にマリサが拒否していた。
マリサが収監されて二日もたてば、噂はコーヒーハウスを通じて広まり市内の人々の知ることになった。スチーブンソン家の玄関先にも野次馬がうろうろしている。マリサを信じているハリエットは人に会っても毅然とした態度で臨み、やましいことは何もないと言い切る。それは息子を守るためでもあり、マリサを守るためでもあった。
このコーヒーハウスで広まった噂は下町のバリイの店を切り盛りするイヴの耳にも入る。イヴはマリサが海賊稼業から足をあらわせたアダムの姉である。以前、マリサは”青ザメ”を裏切ったコゼッティを殺すためにこの店へきている。
(こんなことでネタにされるんじゃないよ、マリサ……)
イヴも気が気でなかった。
一方、グリーン副長からマリサのことを聞いたオルソンは、船が破壊されて無職になった連中を集めるとある仕事に就かせる。それはもともと計画されていたものだが、人手も多くいるので丁度よかったのである。そしてマリサのことが心配でたまらないイライザを連れてスチーブンソン家に向かう。
(マリサ、このことは貴族のたしなみを教えた私の責任でもある。ここでお前を助けられなかったら私は貴族として失格だ。だからもう少し時間をくれ……)
馬車は夜通しで駆けていく。マリサの問題はもはや海軍や海賊レベルの話ではないと思ったからだった。
今日もマリサは宙を見つめていた。目が覚めてそこに自分がいることが悲しくてたまらない。
(なんでまた目が覚めたんだ……。このまま目覚めなければよかったのに……)
目が覚めたことでどれだけ神を呪っただろう。
そこへ監獄の入口の方から騒ぎ立てる声がした。
「だから面会はできない言ってるだろう!家族でもできないんだ」
監獄の管理人かどうかわからないが何かに抗議している。
「うるさいね。あんたはあたしに意見することができる立場か?そんなに言うんなら店の飲み代全部払いな!どれだけ未払いの飲み代がたまっていると思ってんだい!」
その声がイヴの声だと分かったマリサは声のする方を向いた。
やがて看守とともにイヴがマリサの目の前に現れる。
「マリサ、あんたこんなところにいるような人間じゃないだろうが」
そしてイヴは後を追ってきた看守を見ると怒鳴りつけた。
「何やってんだい!ほら、さっさと鍵を開けな!マリサをだせないんならあたしが中に入って話をするからあんたはそこで待ってな!」
そう言って強引に牢の扉を開けさせると中へ入ってきた。
「イヴ、バカにしに来たのか……それならいくらでも聞いてやるよ……」
「ああ、何回でもバカにしてやるよ……。なんだよ、あんたのこの姿は。まるで死人じゃないか……」
イヴはマリサを抱きしめるとマリサの腕や頬を撫でる。あの元気に海賊たちに向かっていったマリサの姿はどこにもない。
「いいんだ……これは人を信じたことの罰だ……あたしの望みはデイヴィスのところへ行く。それだけだ」
そんなマリサが痛々しく感じられ、イヴはやせ細った体を撫でる。そしてあることに気付く。
「マリサ、ちょっと聞いていいか……」
小声でマリサにあることを聞く。そのことに首を振って答えるマリサ。
「あたしはもともと月経が不順だった……気にしてないよ……」
「なんてこった!……”青ザメ”のハミルトンはヤブ医者なのか。待ってな、あんたをこの牢から必ず出してやるからな!」
イブは牢から出ると大急ぎで看守にあることを伝え、医者が呼ばれた。
マリサは医師によって診察を受けるが看守や役人はマリサを見ることは許されなかった。それはもっともな理由があったためである。その代わりイヴが診察に立ち会う。
「先生、あたしの見立ては間違っているか」
「間違っていません。……彼女は懐妊しています。すぐに牢からだし、健康的な生活を送らせるべきです」
医師の言葉にイヴは泣きながら喜んだ。
「マリサ、アダムを助けてくれた借りは返したよ。もうあんたは怯えなくてもいいんだ」
イヴがこう言ってマリサを元気づけようとしたが、マリサは無反応だった。これまでのことがマリサに生きる力を失わせていたのだ。
マリサの懐妊はすぐに海軍本部にも知らされた。懐妊しているとなるとお腹の子どもは罪を問われなくなるため、刑の執行は当面免れる。医師が見立てたこともあり、即日マリサは牢から出され、家へ帰された。歩く力と立ち上がる力がろくにないマリサは、フレッドに抱きかかえられベッドへ横たわるのがやっとだった。フレッドの顔を見て表情を変えず、ずっと宙を見つめているだけだった。
オルソンに連れられてきていたイライザもマリサの変わりように言葉を失う。
「かわいそうに……かわいそうに……ああ、マリサ……もう心配することはないのよ……私とスチーブンソン夫人もそばにいるわ……もう何も心配をすることはないのよ……」
イライザはデイヴィスを失った悲しみから癒えていたが、それ以上にマリサの変わりようは衝撃を与えた。
本当ならマリサの懐妊を喜びたいフレッドもどうにかしてマリサを救いたいと思っており、素直に喜べないでいる。今は牢から出されてはいるが、スペイン側が処刑を望むなら出産後に刑を執行されることが懸念されるからだ。
(何としてもマリサを助けなければ……)
その思いがマリサに届くことを願いながら。
オルソンは急遽グリーン副長に会い、マリサを救うための行動についてあることを話し合う。
「これは貴族として挑むのだ。グリーン……いやテイラー子爵、あなたも協力してもらえないか」
「もちろんだ……貴族の私たちができること。それをやらなければ私たちは後々まで言われるぞ」
そして最後の歯車が回りだす。
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