第52話 マリサへの嫌疑と監視

 マリサもハーヴェーも他の古参の連中も処刑を見ることをしなかった。デイヴィスの過去を知らない連中は興味だけで処刑を見に行き、顔を見て驚き、悲しんだ。

 そしてフレッドも提督やグリーン副長からその詳細を聞いたのだが、それもすんなり頭に入らないぐらい葛藤があった。自分の立場とマリサの立場。それはずっと変わらなかったことであり、わかりきったことだったはずだが……


 わだかまりを残したまま勤務を終えると速足で家に急ぐ。


 家ではハリエットが心配して出迎える。

「まさかこんな事態になるとはね。マリサは今のところ落ち着いているようだわ。だいぶん気を張っているみたいだから気を付けて」

「僕もデイヴィス船長の過去を知らなかった。マリサも知らされてなかったらしい。だから余計に衝撃を受けただろう」

 フレッドはそのままマリサがいる台所へ行く。


 そこには作りかけのスコーンを前に手を止めてじっと考え込んでいるマリサがいた。

「慰めはいらないよ、フレッド。あたしは大丈夫だから。今ここであたしが暴れたら元も子もないからな」

「……マーティン・ハウアドのことは僕も知らなかった。提督の艦隊に加えられたのはマーティンが”青ザメ”に紛れ込んでいるということからだったらしい。君のせいでも何でもないよ。だから僕たちにできることはデイヴィス船長として弔う事だ。本来なら処刑された遺体はそのまま人目と風雨にさらされるが、”青ザメ”が提督の作戦成功を導いたことから、遺体は遺族に返されることとなった。そのことはオルソンにも話してある。彼も”青ザメ”を私掠船時代から擁護して事情を知っていたからだ」

「そうか……それならお別れができるな」

「他の連中も声をかけておこうか」

「いや……デイヴィージョーンズ号は明日商船として荷を積み、出帆することになっている。これはビジネスだからデイヴィスのことを理由に取りやめるわけにはいかないんだ。ひとまず埋葬にはあたしが立ち会う。今はイライザ母さんのそばにいたい」

 そう言ってマリサはスコーンの生地を再びこねだす。


 マリサの言う通りデイヴィージョーンズ号は商船として使われることになっており、そのため砲手長のオルソンは自分の領地の仕事に専念するようにしていた。マリサ自身も今しばらくはフレッドの妻として役割を果たそうと今回の航海には加わらないことにしていた。

 

 フレッドはマリサの様子を見てしばらく一人にした方がいいと考え、その場を離れる。

 フレッド自身も複雑な思いを持っていた。いくらマリサが海賊をやめたといっても結局は海軍と相反するものではないか。討伐される側と討伐する側の葛藤は其処彼処でくすぶっている。



 5日後、マリサは馬車で迎えに来たオルソンとイライザとともにデイヴィスの遺体を引き取りに行く。オルソンの屋敷で悲しい夜を過ごしたイライザは憔悴しきった感じでやつれている。やがてフレッドが他の海軍や海兵隊員とともに到着し、遺体の引き取りに立ち会う。


 絞首台から降ろされたデイヴィスの遺体は硬直し、腐敗しかけていた。吊るされた者をみたのはこれが初めてではないマリサだったが、デイヴィスの変わりように胸の張り裂ける思いがしていた。

 何事かと周りを囲む人々。オルソンはフレッドの力を借りて遺体を棺に入れ、馬車に乗せる。そしてそのあとにマリサとイライザが乗り込む。

「フレッド、君は海軍士官として働かなくてはだめだ。ここから先は君の管轄外だからそのまま本部に帰った方がいい。グリーン副長もそう思っているはずだ」

 オルソンは手綱を取ると馬車に乗りかけたフレッドに忠告する。ここでもしフレッドが同乗したら人々はあらぬことを考えるだろう。オルソンはそれを心配していた。


「フレッド、あたしは大丈夫だから心配するな。あんたは海軍としてやるべきことがあるだろう」

 マリサはフレッドにそう言い残すとイライザのそばに座った。


 一路、オルソンの領地へ向かう馬車。複雑な気持ちで見送るフレッド。


 犯罪人の埋葬を受け入れるところは難しい。あえてオルソンは自分が治めている領地の墓地へ埋葬することにした。


 イライザはデイヴィスの棺をじっと見つめている。

「なぜジョンは私と結婚しなかったのか、これでわかったでしょう。ジョンは自分が犯罪人であることを私にあかしたうえで、こうなる運命だから結婚することによって私に誹謗中傷がくるのを恐れていたのよ……ばかなジョン……私はそんなことを気にしないのに」

 再び涙ぐむイライザ。

「そこがデイヴィスの優しさだよね。でもそんなデイヴィスがあたしは好きだった。デイヴィスが父さんで良かったと思っている」

 マリサはイライザに寄り添う。美しいイライザは白髪が目立つようになった。それだけ年月が経ち、たくさんの心配をしたのだ。


 一日かけて馬車はオルソンの領地内の墓地に到着する。そこは海を臨む高台の一角にあった。マリサも幼少時代、オルソンに連れられてきたことがあるが、よもやこの墓地に再び来るとは思ってもみなかった。

 墓地にはすでに埋葬のための穴が掘られており、オルソンの求めに応じて領地内の牧師が呼ばれる。棺は水仙やツバキなど手に入る花々と一緒に埋められ、牧師が聖書を読み上げた。犯罪人としての最期であったが、こうしてマリサ達に見送られたことは救いだっただろう。


 鉛色の空と泣くように吹きすさぶ風。しかしそれももうすぐ終わる。木の芽のふくらみは春の訪れを告げていた。


 イライザはオルソンの屋敷に再び雇われることとなり、それまで住んでいた小さな家を出た。思い出が詰まった畑に近い小さな家。しかしこれからは屋敷に住み込んでまた思い出を作ることになる。


 3月14日にはフランスとサヴォイアが停戦し、イギリス・フランス・スペイン・オーストリアがカタルーニャから撤退、イタリアにおける停戦にも合意がなされ、講和に向けて進んでいく。



 4月。木々は艶やかな若葉を広げ、野には釣鐘のようなブルーベルがあちこちでかわいい花を咲かせていた。町の喧噪の中でマリサは春の訪れを感じながら静かに過ごしている。デイヴィスを失った悲しみも少しずつ癒えたマリサは、スチーブンソン家でハリエットとともに家事をしたり、編み物をしたりして不自由することなく暮らしている。それでも心のどこかにデイヴィスがちらついており、彼の変わり果てた姿を思い出さない日はなかった。海賊としてのマリサは仏頂面でもちゃんと感情を表し、きびきび動いていた。しかし今のマリサは日々同じことを繰り返すだけである。


(デイヴィス、あたしはこれでいいのか)


 平穏な毎日。それはぜいたくな望みであり、その生活を手に入れているが、マリサにはそれを物足りなく思っている。

 世の中は講和ムードだ。ヨーロッパ諸国がスペインの継承をめぐって争った戦争も終結のために話し合いがもたれている。”光の船”のような政府非公認の海賊はともかく、公には争うことはないだろう。フレッドやグリーン副長も船に乗るものの、ずっと”港”勤務だ。海戦があってこその給料なので今の状態では給料半減である。そのためフレッドは日夜、昇進のために猛勉強をしていた。



 そんなある日、部屋の窓から懐かしい船影を見かける。商船として航海をしていた船が戻ってきたのだ。マリサは掃除をさっさと済ませるとそのまま港へ急いだ。


「無事に帰港お疲れ様だね。この船はまだ大丈夫だったのか」

 マリサの声に連中も笑顔である。

「ああ、なんとか海賊に遭遇することなく無事に商売をしたよ。ところでマリサ、やらなきゃいけないことがあるぞ」

 そう言ったのは掌帆長のハーヴェーだ。

「わかってる。『海岸の兄弟の誓い』の最終だな」

 海賊間の掟とされる『海岸の兄弟の誓い』は海賊によって少しずつアレンジされており、”青ザメ”も例外なく他の海賊にはないものがあった。


 海岸の兄弟の誓い

 10 仲間が亡くなったときは水葬とし、皆で楽しくおくること



 海戦で亡くなった仲間やデイヴィスの水葬は叶わなかったが、遺品だけでも水葬しようというものである。


「お義母さんもその目的なら反対はしないだろう。じゃ、二日後に出帆しよう。ただし、商船として働かなくては給金をだせない。グリンクロス島ならこの船のことは十分承知されてるから島への積み荷を積んでいこう」

 マリサに残された頭目としての仕事だ。



 家ではマリサが船に乗ることについてハリエットは反対をしなかった。デイヴィスを失ったことの痛みを知っていたからである。そして帰宅したフレッドも二人にこう告げる。


「新たな任務が決まったので家を空けることになる。命令の内容は明らかにされてないが、乗船する船はスパロウ号に決まった。その船にいた副長がほかの船の艦長になったのでグリーン副長がそのまま副長を務め、僕も部下として働く。今、航海の準備中だ」

 制服姿のフレッドも久しぶりの仕事で嬉しそうで、凛々しく見える。

「じゃあ、この家にはしばらくお義母さんひとりになるけどいいのか」

 自分も航海をする予定であることを話したうえで申し訳なさそうにマリサが言う。

「心配しなくていいわよ。だって今までずっとそうだったのだからね」

 ハリエットは少し寂しそうだったが笑って答えた。



 乗船の日、もう使う日はないと思われたサーベルと銃、船員服(マリサにとってはシフトドレスを上半身で切ったものとシャツ、ベスト、ズボン、サッシュなどである)など荷物を持つと船へ乗り込んだ。やはり人目があるので船員服への着替えは船室内で行う。


 ただ、マリサは気づいていない。デイヴィスの死後も時おり海兵隊員がマリサの行動を逐一見ており、海軍上層部に報告されていた。そのことはフレッドとグリーン副長にも知らされていなかった。


 デイヴィージョーンズ号は"光の船"の海賊によって荒らされ、金目のものは全て奪われた。そのため遺品さえない連中のためには酒を流すことになった。

 


 同じころ、グリーン副長直属の部下としてスパロウ号に乗船したフレッドは、艦長室に呼ばれ、エヴァンズ艦長から任務にかかわるある嫌疑を聞く。

「グリーン副長、スチーブンソン君、よく聞いてくれ。今、世界は講和に向けて動いているが、そこに引っかかっているのが”光の船”だ。イギリス船を中心に海賊行為を行い、拿捕したり略奪をしたり、はては君たちも知っているように違法な捕虜の扱いをしていたあの”光の船”だが、その裏に一部のスペイン海軍とガルシア総督がかかわっていたのを覚えているな」

「はい、艦長。はっきりと覚えていますが、なぜ講和に向けた動きに引っかかっているのですか」

 グリーン副長はその”光の船”と内通していたが、それはマリサやフレッド、オルソンの3人で済んだ話となっている。そのことなのかとグリーン副長は動揺する。


「君たちが知っている”青ザメ”の頭目マリサに総督の死について嫌疑がかかっているのだ。総督はその国を代表者としてその土地を任されている立場だ。ガルシア総督は君たちが脱出した後、裸で亡くなっているのが発見された。自然死なのか病死なのかはわからないが、マリサは総督と夜を過ごしていたことからマリサに嫌疑がかかっている」


 フレッドもグリーン副長に衝撃が走る。事実を話せばさらに事は悪化するだろう。

「デイヴィージョーンズ号は出帆の動きを見せている。商船としての航海もあるようだから、表向きは彼らの護衛だ」

「艦長、彼らの一番の目的は『海岸の兄弟の誓い』を守るためです。僕はマリサからそのことを聞いています。そして”青ザメ”はウオルター総督から恩赦をもらい、解団されています」

 フレッドは気が気でならない。それはグリーン副長も同じだ。

「ともかく我々の任務は”青ザメ”を監視することだ。それだけではない。マリサを捕えなければならない。審理によっては処刑となるだろう。提督の海戦の立役者だと我々はちゃんと理解しているものの議会の連中とスペイン側の連中はそんなことを理解しない。我々は任務を遂行するだけだ。君にとっては辛いことだが、この船に乗った以上、それに従ってもらうまでだ」

「……ア……アイアイサー……」

 マリサが処刑されるかもしれないと聞き、フレッドとグリーン副長も衝撃を受ける。”青ザメ”が助かる道を模索し、常に仲間のことを守ろうとしていたマリサ。そのマリサを捕えなければならないとは……。

 うなだれるフレッドを連れて艦長室から出るグリーン副長。


「スチーブンソン君、解決のために何か手があるはずだ。今は黙って命令に従うべきだ」

「グリーン副長、事実を話しても話さなくても悪い方向にいってしまう……こんな選択は辛すぎます。まして捕えて処刑……」

 フレッドは言葉に詰まり目頭が熱くなる。

「その思いは君だけではない。私も同じだということを忘れないでくれ」

 グリーン副長はそう言ってフレッドの肩をたたく。



 まさかこのような動きがあろうとはマリサは思っていない。航海の準備を経て、静かに出帆するデイヴィージョーンズ号。”青ザメ”だけでなく、新たに仲間となっている私掠船の連中も一緒だ。

「やはりマリサはその姿の方がみていてしっくりするぜ」

 おなじみの船員服姿のマリサを見て連中が口々に言う。

「それは誉め言葉なのか、それとも馬鹿にしてるのか」

 マリサは仏頂面で甲板に立ち、遠く陸地を見つめている。と、そこへ一隻のフリゲート艦が追従しているのを確認する。

「あのフリゲート艦は我々の護衛だそうですよ。海賊にやられないようにってことですが」

 ハーヴェーが帆の展帆の指示を連中に出しながら、不思議そうに見ているマリサに答えた。

「……確かあの船はフレッドとグリーン副長が乗っているスパロウ号だ。海軍に護衛をしてもらうなんてあたしたちも落ちぶれたもんだな」

 マリサがそういうのも無理はない。海賊だったときの”青ザメ”は自分たちで船を守り、戦ってきた。しかし今は商船の立場だ。それでも船が違っていてもそこにフレッドがいることに安心感があった。



 出帆して間もなく公海へでるが、外海に来ると風と波が荒くなってきた。しばらく陸で暮らしていたマリサは、上下あるいは左右にローリングする船に立ちながらも気分が悪くなっていた。

「まいったな。こんな情けない話はないぞ」

 そうつぶやくとギャレー(厨房)へかけこむ。

「マリサ、さっそく手伝ってくれるのか。有難い」

 グリンフィルズはマリサが手伝いに来たものだと思い込んでいる。

「悪いがそうじゃない……さ、酒を一杯もらいにきた……」

 そう言ってマリサはゴブレットにビールを入れ一気に飲み干す。

「おいおい、禁酒じゃないのか?フレッドに言いつけるぞ」

 グリンフィルズは慌てている。ビールを飲み干したマリサはそれで船酔いがましになると考えたが、それは間違いだった。全く船酔いは治まらない。

「船酔いの前に酒に酔ってやる……」

 マリサはラム酒を体に流し込む。しかし……

(もう……だめ……)

 そのまま甲板に上がると右舷後方にかけこむなり嘔吐する。しばらくそのまま動くことができず欄干にもたれかかったままだった。


 この様子に連中はまた何か荒れる前兆かもと思い、マリサと距離を置くことにする。マリサが荒れたら暴れるか物が飛んでくるかだ。


 陸の生活に甘えていたせいか、船酔いはその後も日に何度か見られ、酒も効果がないと分かったマリサはとにかく休むことにし、ハンモックに揺られていた。

(はは……デイヴィス、笑ってくれ……海賊やってたら船からおろされるかもな)

 デイヴィスの死から時間がたっているのにまだどこかで影を追っている自分がいる。



 船はマリサがときどき船酔いをするようになったことを除けば順調に航海を続けた。連中の話では海賊(pirate)が以前より多くなったらしいが、デイヴィージョーンズ号のことは広く海賊たちに知られており、遭遇しても一戦交えることはしなかった。それはマリサが海賊共和国ナッソーでやらかした数々のことが原因だった。剣と銃の扱いに慣れているだけでなく、「酒乱のマリサ」と「○○切りのマリサ」(※○○はR15 コードで禁句)2つの不名誉な通り名をもち、後者は男たちを恐怖に陥れるものだ。マリサにかかわるなというのが彼らの見方だったからである。



 4月11日 フランスはイギリス、オランダと個別貿易・航海条約を結ぶ。


 グリンクロス島で荷を下ろしたものの、帰り荷は前回来たばかりとあって多くはなかった。本来の定期便ではないからそれは仕方ないだろう。本当の目的は『海岸の兄弟の誓い』を実行することである。


 マリサは結婚の報告をするも早速総督から物言いがつき、気分を害してしまう。

「お前はのではないのか」

 久しぶりに会ったウオルター総督はマリサが結婚してもう船に乗ることはないと思っていたのだ。

「海賊をやめることと今回の航海は別物だ。海軍に怯えることもないし何も問題はないだろう?」

 仏頂面と言うよりふてくされた顔つきのマリサを前に総督はそれ以上何も言わなかった。マリサの性格から何を言ってもきかないのを知っていたからである。



 スパロウ号は同じ日にグリンクロス島の港へ入港したが、グリーン副長とフレッドも総督に挨拶をすることはない。スパロウ号に乗船していることを知らせてないうえに、マリサの監視という任務に就いていることから動きが取れなかった。

 

 マリサに対する嫌疑は事実を言っても言わなくてもマリサに不利な状況だ。監視だけでなく、スペインはそれ以上のことを言ってくる可能性があった。それが『外交』だからだ。

 マリサはそんな海軍の任務を知らずにずっと護衛できていると思っていたので、デイヴィージョーンズ号に二人が来ないのを単に遠慮していると思って気にもしなかった。



 そしてついにカードは切られる。

 

 

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