第51話 結婚と犯罪人の処刑

 イライザの元へ帰ったマリサとデイヴィスは、それから毎日、一緒に畑仕事をしたり教会へ行って祈りを捧げたりした。まるで本当の家族であるように食卓をかこみ、海での体験談を話した。マリサが二人と一緒にこんなにゆったりと過ごしたのは初めてだった。船乗りであるデイヴィスはたまにしか帰らなかったし、オルソンの屋敷にいたころはオルソンから息子たちと一緒に教育を受ける傍らで、忙しいときは使用人たちの仕事を手伝っていた。幼いときは笑顔があふれたマリサも次第に表情が消え、常に周りと距離を置くようになった。それはイライザとデイヴィスは自分の本当の親ではないこと、自分が本当は誰なのかわからないことの不安があったことが原因だった。


(あたしには家族がいない。あたしは一人なんだ。ここのあたしはあたしじゃない……)


 やがて娘として成長したマリサはデイヴィスとイライザに海賊になると言い切る。当然のことながらデイヴィスとイライザは猛反発をし、何度も説得をしたがマリサの決意は変わらなかった。誰しもわざわざ女の子を海賊として船に乗せるなんて考えもしない。慰み者にされるのが常だ。だから条件として『マリサの掟』がつくられた。そんなマリサのためにオルソンやギルバートが銃撃やサーベルの剣技を教え込んだ。マリサが船に乗り続けるには掟を守る必要があり、それには身を守るために誰よりも強くならなくてはならなかったからだった。



 1月も終わるある日、迎えの馬車が家にやってくる。マリサの結婚のためにイライザも一緒に馬車に乗り込み、グリンクロス島で仕立て直したドレスなど荷物を積んで家を出る。

「イライザ母さん、悲しいの」

 マリサはイライザが涙ぐんでいるのをみて不思議に思った。

「いえ、そうじゃないのよ。いろいろと思い出してね……大丈夫だから心配しないで」

 そう言うイライザの隣でじっと黙り込んでいるデイヴィス。何かを思いつめた感じだ。だが、デイヴィスのこの表情はこれまでにも何回もあったので、マリサはそれも老化だと思っている。

「今までイライザ母さんとデイヴィスに心配かけた分、幸せになるよ。約束する。だからそんな顔をしないで」

 マリサの言葉に慌てて涙を拭くイライザ。



 馬車はロンドンまでの長い道のりを時間をかけて走っていく。この馬車も海軍司令部から回されたものであり、御者は変装した海兵隊員だった。ただ、それに気づいているのはデイヴィスだけだった。



 3人は途中、宿に宿泊し、翌日に備える。それもグリーン副長が段取りをしていたことだが、すべて回った歯車によって動いていることだ。ここにも海兵隊員が潜んでいる。

 


 マリサは翌日の結婚式を控え、少し興奮気味だった。イライザ達と過ごすのこれが最後だと思うと、何か話さなくてはという気にかられるのだが思うように言葉にならない。自分が求めていたものはこれではなかったのか。それなのになぜか葛藤があった。イライザもデイヴィスも悲しい目をしていたが、それはまた温かな眼差しでもあった。


 翌日、宿を出ると、式を挙げるためにロンドン市郊外の田舎の教会へ向かった。そこを選んだのは海賊の結婚という珍しさからコーヒーハウスの噂のネタにされるのをデイヴィスが嫌がったからだ。

 結婚式にはスチーブンソン夫人の他、海賊の連中、フレッドやグリーン副長の知り合いの海軍の有志、オルソンやその息子たち、グリンクロス島からは総督の代わりにシャーロットと護衛としてアーサーが参加することになっている。


 午前11時。馬車は教会に到着する。古く質素な教会であったが、そんなことは問題でない。どう見ても庶民(海賊)から貴族から海軍から実に多様な顔触れは教会の周りの住人に興味を持たせた。


 宿からドレスに着替えたマリサ。そのドレスはグリンクロス島で仕立て直したものの1つだ。このドレスも体の傷跡が見えないように胸元や袖口にレースをあしらっている。イライザとデイヴィスも可能な限りのおめかしをしていた。


「マリサ、この日が来たことを嬉しく思うわ。約束通り、あなたのためにレースを編んだわよ」

 教会の扉の前でハリエットが待ち構えており、マリサの頭にレースで編んだものをかける。

「タティングレースですね。間に合わせてくださってありがとうございます」

 マリサはそれがあのタティングレースだとすぐにわかった。ジャクソン船長が処刑され、ショックでふさぎ込んでいたときにそばで夫人が編んでいたものだ。

「さあ、みんな待っているわよ。マリサ、本当におめでとう」

 ハリエットが扉を開ける。中は昼間とあって、薄暗い教会でも窓から差し込む光で明るい。そして今までかかわった人々が参列をしている。


 デイヴィスはマリサの手を取ると牧師の前で待つフレッドのもとへゆっくりと歩く。もうこれが最後だと自分に言い聞かせて……


(ロバート、これでいいのだな。お前も祝ってやってくれよ)


 連中はまた酒が飲めると上機嫌だ。中には感極まって涙ぐむ者もいる。

「あのマリサが結婚だってよう……俺はフレッドが哀れでならねえ」

「まあ間違ってもフレッドは浮気ができねえよな。何せマリサは剣や銃の扱いは慣れてるし、あの毒……」

「馬鹿!こんな場所で何を言ってんだ。ふさわしくない話はするな」

「で、禁酒は続くのか?」

 と好き勝手に言っているがこれも嬉しいからだ。



 フレッドはマリサの手をデイヴィスから受け取ると、壇上にマリサを迎えた。

 イライザのもとでデイヴィスとゆっくりと過ごしたマリサは穏やかな顔をしている。それはもう海賊という欠片も感じさせないものだった。


「フレデリック・ルイス・スチーブンソン、あなたはマリサを富めるときも 貧しきときも 健やかなときも やめるときも 生涯妻として愛し、慈しむことを誓いますか」

 牧師がフレッドに尋ねる。この牧師は教会の牧師が所用で不在となるために急遽グリーン副長が連れてきた従軍牧師だ。従軍牧師は海軍の船に乗って乗員の信仰を守るのが仕事だ。

「はい、誓います」

 フレッドの誓いを経て次にマリサの番だ。

「マリサ・エリザベス・ウオルター、あなたはフレデリックを富めるときも 貧しきときも 健やかなときも やめるときも 生涯夫として愛し、慈しむことを誓いますか」

「はい、誓います」

 いつものマリサなら『望むところだ』と言いそうなのだが、そこは事前にイライザから誓いの仕方を聞いていたので問題はなかった。実はマリサは自分に洗礼名があるのを知らなかった。グリンクロス島へ立ち寄ったときに教えてもらったのだ。そしてそのエリザベスと言う洗礼名はイライザともつながっている。イライザと言う名前はエリザベスの短縮形の名前だからだ。


「あの……牧師がせっかくいらっしゃるので、ここで私もちゃんと誓いを立てたいことがありますがかまいませんか」

 マリサが唐突に言うので牧師は驚いたようだった。


 マリサは胸元からある書面を出すと、牧師を前にして参列者に聞こえる声で読み上げる。


「わたくし、マリサは父であるウオルター総督との約束通り、戦争終結前に海賊”青ザメ”の頭目を捨て、今ここに市民として結婚をすることを誓いました。これにより”青ザメ”は無くなり、船の乗員全ての者は商船の乗員としてまっとうな生き方をし、わたくしもそれにならうことをここに誓います」


「それは結婚式の場で言うことか」

 フレッドが驚いている。

「証人は多ければ多いほどいいだろ?せっかくだから署名もしておく」

 マリサは書面にサインと日付を書き、証人としてフレッドと牧師もサインと日付を書いた。

「こんな結婚式は初めてだよ。ではこの書面を私がもっていればよいのかな」

 牧師は書面を受け取ると服にしまい込む。


「マリサ、まだか。俺たちは次を待っているぞ」

「そうそう、次がないと終わらねえ。早く酒を飲ませてくれ」


 連中が次々にはやし立てる。


 マリサがいつもの『うるせえ!』と言いそうになるのをフレッドが止めるとそのままキスをした。


「うおーっ!おめでとう!」

 連中のはやし立てる声と参列者の歓声が教会内に響く。田舎の小さな教会の周りは何事かと思った村人が取り囲んでいた。



 式を終えたマリサ達は港へ移動して停泊しているデイヴィージョーンズ号に桟橋から落ちないように注意を払いながらのりこむ。そこでは酒や料理が振舞われた。グリンフィルズやイライザ、スチーブンソン夫人が手分けして料理を作ったのだ。そこにはスチーブンソン夫人が前日から仕込んでいたホットパイやフィッシャーマンズパイ、スコーンもあった。

 酒を酌み交わし、オルソンのバイオリンで踊る者、歌う者。とても賑やかだ。



 そこでもデイヴィスは静かに酒を飲んでいた。隣ではグリーン副長がマリサ達を見つめている。

「これでいいのか、デイヴィス船長。我々はあくまでもあなたの良心を信じているのだが」

「俺のわがままを聞いてくれて感謝している。マリサのあの顔を見たら何もいらねえよ。もう十分だ。おかげでいい時間を過ごせた。こんなに落ち着いて充実した時間は今までなかった。だから本当にありがとう。思い残すことはない」

 そう言って酒を飲み干すと、イライザの元へ行き、抱きしめた。

「お前を幸せにできなかった俺を許してくれ。マリサを頼むよ……じゃ、これからもいい女であり続けろよ」

 デイヴィスはイライザの肩を軽くたたくと賑やかな船を静かに下りていく。残されたイライザは泣き崩れるが、賑やかさに紛れてマリサ達は気づかない。

「イライザ、辛いだろうがここは見送ってやってくれ。当分この町はネタであふれるだろう。よかったらしばらく屋敷にこないか。使用人が病気で人手不足なのだよ」

 デイヴィスの事情を知っているも一人の人物、オルソンがイライザに寄り添う。もともとイライザはオルソンの屋敷で働いていた。そのときにマリサはオルソンから教育を受けていたのだ。

「はい、領主様……ぜひそうさせてください。私一人では耐えられない悲しみです」

 イライザは涙をぬぐうとデイヴィスが視界から見えなくなるまで目で後を追い、祈った。



「マリサ、私はデイヴィス船長と飲んでくるよ。君はもう海賊ではない。スチーブンソン君の妻だ。今日は早く帰って二人の時間を過ごしたまえ。スチーブンソン夫人には一足先に帰ってもらっている」

 グリーン副長が連中にもまれているマリサとフレッドに帰宅を促す。あたりはもう日が落ちて暗くなりつつある。二人は顔を見合わせると連中と参列者にお礼を言って船を降りていく。そのあとにグリーン副長が続き、マリサとフレッドが家の方向へ消えたのを見ると、市民に紛れていた海兵隊員に目配せをした。彼らはデイヴィスから離れて後をつける。


(デイヴィス船長、あなたの良心に任せてはいるが、これは万が一の『保険』だ。だからこのまま海軍本部へ行ってくれ。何も問題を起こすな)



 そして夜。

 港から遠くない街中にスチーブンソン家はあった。窓から港が見える部屋はもともとフレッドが使っていたのだが、今日からはマリサも一緒だ。夫人によって丁寧に掃除されており、水仙の花が生けられている。

「まさかあの場であんな誓いをするとは思わなかったよ」

 フレッドはマリサを抱きながら今日のおかしな誓いを思い出す。

「そうか?あたしはいい場だとおもったけどな。もうあたしは海賊じゃない……『掟』も今日で終わりだ。でも……」

「でも?」

「身を守ることは続けるかもしれないが……」

「……かまわないが、できるならそんなことがないように祈るよ」

「さあな、世の中何が起きるかわからないからな。……フレッド、愛している」

「僕もだ。何回言っても言い足りないくらい君を愛している」


 二人の濃厚な夜は幸せに満ちていた。



 翌日、フレッドはグリーン副長に呼ばれて本部に行くこととなった。戦争は終わりつつあるのになぜか緊急事であるとのことだった。

 マリサはフレッドを見送るとハリエットとともに家事をする。イライザから家事を教えこまれ、オルソンの屋敷でも使用人の手伝いをしていたマリサには家事は全く苦にならなかった。

 そうして窓を開けて掃除をしていたときに何やら声が聞こえた。


「犯罪人が自首したぞ。提督の片足を奪った奴だ」

「マーティンが捕まった。これはもう提督の執念だ」


(マーティン?ニコラスが最期に言っていたマーティンのことか……?)


 胸騒ぎが起きたマリサは家を飛び出すとデイヴィージョーンズ号に向かう。古参の連中なら何か知ってるかもしれない。


 町はそのマーティンのことで噂が飛び交っている。

 

 船ではハーヴェーがすでに甲板でマリサを待ち構えていた。

「来ると思っていたよ……。マーティンのことだな」

「ハーヴェーは何か知っているのか……”青ザメ”に関係があるのか。あの海戦でニコラスが死ぬ前にその名前を口にしていたんだ」

 マリサは気持ちが焦る。

「マーティンのことは我々古参の機密事項だった。……デイヴィス船長の本当の名前はマーティン・ハウアド。マーティンは昔、海軍の船に乗っていた。やがて艦長の船員の扱いを巡って反乱がおき、士官だったウオーリアスは重傷を負った。反乱を企てた者は処刑されたが、マーティンは逃亡することができ、そこを前頭目のロバートがかくまった。以来名前を変えて”青ザメ”で働いたんだ。マーティンはその過去の罪を償うために海軍本部へ自首したということだ」

「デイヴィスがマーティン?……自首?……じゃあ処刑されるのか」

「……海軍の犯罪人は海賊と同じ縛り首だ……間違いなく」


 マリサはもう何が何かわからない。デイヴィスの過去なんて全く知らなかった。そして『自首』という言葉があることを思い出させる。


「総督からもらった恩赦状には条件として犯罪人が自首することが書いてあった。このせいでデイヴィスは自首することになったんだ……」


 確かにこの恩赦状は連中を処刑から救った。しかしデイヴィスは犯罪人マーティン・ハウアドとして処刑される身となった。


「自分を責めるな。マリサのおかげで俺たちは恩赦をいただき、海賊デイヴィス船長としての罪も許された。彼が処刑されるのは過去の反乱罪によるものだ。デイヴィス船長はいつかこの日が来ることを知っていたんだよ。だから自分で幕引きを図ったのだ」

 ハーヴェーはマリサを落ち着かせようとするが、マリサの心が荒れて止めることが難しい。

「あたしはそんな欠片かけらを知ることもなく、知ろうとすることもなく……。ハーヴェー、デイヴィスに会うことは可能なのか」

「わからない。自首するということは罪を認めているということだから早々に処刑は執行されるだろう。行くなら俺も行くよ。後の連中は飲んだくれてまだ宿にいるだろうからな」

 ハーヴェーがこうして言ってくれなかったら恐らくマリサは暴走していただろう。悲しいのかなんだか自分でもわからず、気持ちの整理がつかない。そうしてマリサとハーヴェーは海軍本部へ向かう。本当のことを知りたかった。



 本部ではマーティンの罪状について本人が全面的に罪を認めていることから審理はすでに終わっており、あとは処刑を待つのみとなっていることがマリサ達に伝えられる。そうなると面会を断られる理由はないのですんなりと受け入れられた。


 犯罪人マーティン・ハウアドことデイヴィスは牢に入れられ、静かに物思いにふけっているようだった。

「なんだなんだ……静かに幕引きをしようとしているのに邪魔をするのか。マリサ、ここはお前が来るところじゃない。今すぐに帰ってフレッドのためにうまい料理でも作ってやるべきじゃねえのか……。全く、ハーヴェーもいいおせっかいをしてくれたな……」

 デイヴィスはフフッと笑う。

「デイヴィスこそなんだよ。デイヴィスの過去なんてあたしは知らなかった……犯罪人として自首させたのはあたしだ……ごめん……」

 言葉にならないマリサ。目には涙があふれている。

「お前はいつからそんな泣き虫になったんだ?そんな顔は似合わねえよ。俺は罪を償うために処刑されるんだ。俺が納得していることだからこのまま見送ってくれねえか。ハーヴェー、マリサのことを頼んだぞ。暴走させるな」

「あいよ、よくわかってるよ船長。俺もじきにそっちへ行くから席を空けておいてくれよ」

 笑っているように見えるハーヴェーの目にも涙が流れている。

 マリサは牢越しにデイヴィスの手を握る。

「今までほんとうにありがとう……ありがとう……父さん」

 マリサはそう言うのがやっとだった。

「お前が俺のことをそう呼んだのは久しぶりだな。船に乗る前の話だったからな。願わくば、処刑を見に来るな。お前の前ではかっこいい俺でいたいんだ。……幸せになれよ、マリサ」

 デイヴィスは看守を呼ぶ。そしてマリサ達は面会を終え、黙りこくったままその場を後にした。



 マーティン・ハウアドの処刑はその日のうちに行われることとなり、マリサが以前ジャクソン船長の処刑を見たときと同じ状況となる。海軍で起きる反乱罪は重罪であり死刑だ。そしてフレッドが急遽呼ばれた理由はそこにあった。フレッドは人質として、或いは監視人としてデイヴィージョーンズ号に乗っていたことから、フレッドにも証言を求められたからだ。しかしマーティンのことはフレッドも全く知らなかったことであり、後は海軍士官としてグリーン副長とともに処刑に立ち会った。マリサのことを考えるとフレッドは気が気でならない。



 デイヴィスは落ち着いた気持ちで絞首台に臨む。それは何かをやり切ったという思いと、これで体が軽くなるという思いだった。


(ロバート、ニコラス、待ってろ。俺も行く)


「さあ、やっとくれ。これで提督も気持ちが晴れるだろうよ」


 デイヴィスがそう言うとすぐに刑が執行される。同じ絞首刑であっても海賊でなく犯罪人として……


 この日、ジョン・デイヴィスことマーティン・ハウアドはその波乱の人生を終えたのだった。

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