第50話 回りだした歯車
1712年12月。一路、帰国を目指すデイヴィージョーンズ号。順調な航海であったが、日々、気温が下がっていき、
今日も空は鉛色で、ピューピューと強風が吹き荒れる。ハーヴェーの指示により、帆の一部を縮帆させて強風を流しながら転覆を防いでいる。普通に見てもこの強烈な風により船が傾いていた。
大方の連中が縮帆を手伝っているが、それでも腹が減る。だが、こんな日に火を使う料理を作るのは困難だ。船が傾いたときに危険を伴うからである。それは料理だけでなく、帆桁にもたれるようにして縮帆作業をしている連中もそうだ。上の帆ほど風の影響を受け、波が荒い日は振り落とされないように余計、気を張らねばならない。連中は声を掛け合って互いに転落を防ぎながら慎重に縮帆をしている。
「ハミルトン、寒いのと空腹と我慢するならどっちだ?」
船医でありながら海賊として”青ザメ”にいるハミルトン船医は、連中が元気だと仕事はない。まして海戦をやっているわけではないのでほぼほぼ自分の仕事はなく、マリサやグリンフィルズとともギャレー(厨房)を手伝うようになった。
「寒いのはなんとか着こむことで我慢しても空腹は代用できないからな。空腹は連中にトラブルを引き起こすものだ。空腹の我慢は反乱を引き起こしかねない」
ハミルトンはそう言って2匹の三毛猫をなでる。この猫は船内にはびこったネズミ対策としてモーガンがグリンクロス島の住人からもらい受けたものだ。猫は日々、ネズミ捕りに励み、少しずつネズミの数は減っている。
マリサはハミルトンの言葉に頷いた。
「じゃあ、やはり空腹を満たすのが先決だな。気持ちとしては温かいものを食べさせてやりたいが、これだけ
そう言ってため息をつく。天候の不順で満足に火を使うことができず、食事内容が限られている。
「マリサは国へ帰ったらそのままイライザの元へ帰るのか。それともすぐにフレッドと結婚する段取りなのか」
グリンフィルズは倉庫からビスケットを運び、虫がいないか点検している。彼はマリサなら厨房も家庭の台所も任せられると思っていた。
「さあな……国へ帰ったらデイヴィスはまっすぐイライザ母さんの所へ行くだろうし。そうなれば帰ったとしても一日かなあ。育ての親とはいえ、結婚しているわけではないから長居を遠慮をするようにしているんだ。船の留守番をするとか何とか言って今までもそう言って早々に家を出ていたよ。だから今回もそうなると思う」
マリサはジャムの残り具合を見ながら思案していた。
「……あたしには実の親はもういない。小さいころから総督の娘としてずっと暮らしているシャーロットとは立場が違う。例えば転んで泣いたときに胸に飛び込んでいける親はいないんだ。いつも一歩下がって相手を見ている。それはデイヴィスやイライザ母さんに対しても同じだ。だから正直、家族と言うものがわからない」
そう言って宙を見つめ、表情が消えた。マリサの仏頂面は連中には慣れたものだが、その奥で何を思っているのかわかりづらいところがある。
グリーン副長がマリサの
総督からもらった恩赦は”青ザメ”に紛れている犯罪人の自首が前提だ。だからあえて犯人捜しはしない。マリサはその人の良心に任せることとしている。
マリサ達はビスケットとジャムの簡単な食事をし、
同じころ、船長室では珍しい顔ぶれが酒をまじえて話をしている。デイヴィスとオルソン、そしてグリーン副長だ。
「承知した……。デイヴィス船長の意思をしかと受け取った。それについてはできる限りの協力をさせてもらうよ。今まであなたと私はかみ合うものがなかったが、ようやくかみ合うことができた。オルソンも証人としてこのことは覚えておいてくれ」
グリーン副長は優しい顔つきでありながら目は厳しさを放っている。そばで聞いているオルソンもいつになく気難しい顔をしていた。
甲板では雪がちらついている。風は少しずつ弱まっているが、それでも寒い。空は鉛色であり、太陽の光が遠くなった。海の様子を見るためにマリサが甲板にあがっているとグリーン副長が声をかけてきた。
「今日は何の日か知っているか。それともあまり日にちは気にしてないのか」
「毎日似たような景色ばかりで気にすることもなくなったよ。今日は誰かの誕生日なのか」
誕生日だとしてもそんなお祝いなんてしたこともない。それを祝ってくれなんて言うような子供ではなく、連中はそこそこの中年のおじさんばかりだ。
「誰もが知っている
グリーン副長が驚いた顔をしている。
「誰かの誕生日だなんて興味ない。そもそもあたしは自分の誕生日も知らなかったぐらいだし。シャーロットから誕生日を聞いたが別になにも変わらなかった」
マリサがデイヴィスによってさらわれたのは1歳をとうに過ぎたときだったために、誰も誕生日を知らなかった。オルソンの屋敷にいたときに息子たちや奥様の誕生日の為に料理をつくる手伝いをしたり、飾り付けをしたりしたことはあるが、自分には関係ないものだと言い聞かせていた。
「そうだったのか。まあそれはいいとして、今日はクリスマスだよ。イエスキリストがお生まれになった日だ。マリサ、クリスマスおめでとう」
いつしかそんなに月日が流れていたのかとマリサに笑みがこぼれる。
「なるほどね。ではクリスマスおめでとう、
「国へ帰ったら、元気な様子を育ての親に見てもらうんだぞ。そして嬉しい報告もしてくるがいい。心配するな、デイヴィス船長と帰ることができるように馬車を調達しておく」
「馬車!借りても御者付きでもかなりの金額だぞ。あたしはそんな余裕がない」
本当に馬車を借りると高くつく。特に今の自分たちは”光の船”にすべて奪われて商船としての給金のみだ。
グリーン副長はまわりを確認すると小声でマリサにささやく。
「私を誰だと思っているのだ?どこぞの落ちぶれ伯爵様とは違う。今でもそこそこの貴族様だよ。君はこのすてきな伯父に甘えるべきだと思うのだよ」
それが誰と比較していってるのかすぐに分かったマリサは快く馬車を借りることにした。もちろんオルソン家の財政が緊迫したのは理由があってのことだが、詳細をマリサは知らないままだった。
1713年1月。船は途中で寄港して新鮮な食料を調達したり商船としての仕事を請けたりして順調に航海をし、無事にイギリスのロンドン港へ帰港した。デイヴィージョーンズ号が海賊船でありながらこうして帰港するのは、私掠船時代からの名残であり商船として航海をしているからこそのものだった。
「デイヴィス、いつもはデイヴィスたちを気遣って一緒に過ごすことを遠慮していたけど、今回はイライザ母さんと3人でしばらく過ごそう。結婚したらあたしはスチーブンソン家で暮らすことになると思う。海軍に協力する任務は終わったことだし、荷下ろしが終わったら一緒に帰ろう。馬車代はグリーン副長が出してくれるそうだ」
甲板上では商船として運んだ荷物が運び出され、桟橋から幾人もの使役が荷下ろしをしている。
「それもそうだな。たまには一緒に過ごすのも悪くないな」
デイヴィスは白髪が多くなった。不自由な片腕はもう治らない。
やがて荷下ろしが終わり、マリサは連中を甲板に集め、給金を支払った。
「商船としての役目も終わり、ひとまず航海はここまでだ。ウオルター総督からの恩赦状にあった通り、犯罪人が自主すればこれまでの海賊行為を不問とされ、あたしたちは無罪となる。それは”青ザメ”だけでなく、一緒にあの収容所から脱出した私掠船や海賊(pirate)達も同じだ。御覧の通り戦争は和平交渉が進んでいる。だから改めてみんなに問う。ここで商船として仕事を続ける者はこの船に残れ。私掠や或いは海賊として生きていく者は船を降りて他をあたってくれ。どちらを選ぶかは自由だ。……できればあんたたちを敵に回したくはないが、あんたたちの選択の自由を奪う権利はあたしにはない」
マリサの問いかけの後、しばらくの沈黙が続く。商船として働くならもう処刑されるという心配はないが、海賊や私掠船に比べれば稼ぎは少ない。ただ、戦争が終われば私掠船の役目もなくなることはこれまでの戦争でわかっていることだ。
「俺は”青ザメ”に残るぜ。海賊稼業も悪くないが、吊られる(処刑)ことに怯えるのはもうごめんだ」
古参であるハーヴェーの声に賛同するのは大方の”青ザメ”の連中だ。そしてそれに加わっているのが私掠だったリトル・ジョンやスミスたちだった。
「せっかく助かった命だが、俺たちはやはりもっと稼ぎたい。これからの時代は海賊(buccaneer)ではなく海賊(pirate)だよ。時代の波に乗ってもっと稼ぐぜ。海賊共和国ナッソーには仲間として迎えてくれる知り合いもいるからな。できるならマリサにも来てほしいがそれは無理だな」
国籍関係なく襲撃していた海賊(pirate)たちにはやはり多くの稼ぎが魅力だったようだ。
「誘い掛けは嬉しいが、それは無理だ。あんたたちの言う通り、これからは海賊(pirate)の時代だろう。”青ザメ”のような海賊(buccaneer)は時代遅れだ。時代遅れは時代遅れなりにやっていくよ。何せ、”青ザメ”の連中はおじさんばかりだ。今更7つの海を駆け巡って冒険しろといっても体が動かないだろうぜ」
マリサがすまして言うとその場の連中が大笑いだ。
「じゃあな、俺たちはこのままバリーの店へ行って海賊のお
海賊(pirate)たちは次々に船を降りていく。バリーの店と言えばあの”黒ひげ”のティーチ船長の『女』が切り盛りしている店だ。かつてマリサもそこで裏切者を始末したことがある。
「ああ、元気でやっとくれ。ただし、あたしたちを襲ったら真っ先にあたしが向かうからな」
「おっと、それはごめん被る。間違って襲わないようにわかるように船首に立ってくれよ」
「あたしは人形じゃない。あたしはあたしだ。心配しなくてもそのうち女の海賊がでてくるだろうよ。あたしと同じような海賊かどうかはわからないが、それも
マリサの言葉に気をよくした海賊(pirate)たちは船を降りていく。そして残った連中は彼らを温かな目で見送った。
そしてグリーン副長が船の留守番をすることになり、マリサは初めてゆっくりとイライザとデイヴィスとの3人の時間を楽しむことになった。今回は今までのように海賊のお宝の土産はない。”光の船”から生還した事実。それが唯一の土産だ。
グリーン副長が手配した馬車は長い時間をかけてイライザの住む村へ到着する。今まではポーツマスにいったん船を寄せてからの馬車という道のりだったのだが、今回はロンドン港から直接の道のりだ。高額な馬車の代金をなぜ出してくれたのかマリサは不思議でならなかったが、その意図の真意を知る由もない。
「ジョン!……ああ……マリサも……。神様、感謝いたします」
二人を見るなり泣き崩れるイライザ。”青ザメ”が”光の船”に捕らわれたというニュースはイライザの元にも伝わり、時間を見つけては神に祈りを捧げるようにしていた。
「イライザ母さん、あたしは海軍士官のフレッドを結婚することにした。だから今回は母さんとゆっくり過ごすよ」
マリサの言葉に涙が止まらない。
「こんな嬉しいことはないわ……。さあ、二人ともまた私を泣かせて頂戴。どんなことがあったのか話がたくさんあるでしょう?」
イライザは二人を家へ招き入れると話に聞き入っていた。
マリサ達が乗った馬車は実は海軍司令部が手配し、御者も海兵隊の一人だった。しかも家の周りには村人に見つからないように幾人かの海兵隊員が見張っている。大きな波がマリサ達をのみこもうとしていることに気付いていない。
同じころ、グリーン副長とフレッドは海軍本部へ出向き、今回の作戦の一連の報告をしていた。そしてロンドン港へはマリサ達よりも一足早く提督の艦隊が帰っていた。作戦の成功と部下の無事を提督は何よりも喜んでいる。
「こうしてまた君たちに会えて嬉しく思うよ。グリーン副長、以前にも言ったが君はスチーブンソン君を直属の部下とし、しっかりと鍛え上げてくれ。海軍の任務で海賊船に乗り込むこととなり、試験を受ける機会もなく昇進が遅れたのは私の責任でもある。報告ではスチーブンソン君はあのマリサと結婚することになったそうじゃないか。マリサがまっとうな人間となれば昇進の邪魔になるものはない。お祝いぐらいは言わせてもらってもいいかな、スチーブンソン君」
提督はいつになく笑顔だ。それは大きな任務を終えたことの達成感からだけでなく、ある男への執念がようやく実ることになるからだった。
しかしそのことをフレッドは知ることがない。
「お気持ちを有難くいただきます」
いつもは緊張のあまり汗をかくフレッドも今回はゆとりがある。長い間だったが、”青ザメ”の監視として、あるいは人質としてデイヴィージョーンズ号に乗り込み、女王陛下の海賊として行動を共にしてきた。最初はどのように接したらいいかわからなかったマリサ。敵意をむき出しにされて母の助けを借りたこともある。そのマリサとようやくわかりあえることができた。
「結婚するにもまずは制服を新調しなければならないな。話を聞けば”光の船”の海賊に船を荒らされてなにもかも盗られたらしいからな。まあ、その仕立て代は私がだそう。せめてもの贈り物だ」
提督の言う通り、二人は制服ではなく船員服である。貴族のグリーン副長ならまだしもフレッドは一般の市民である。給料だって高いとは言えない。
「もったいないことです。ありがとうございます」
フレッドは思い出したかのように汗があふれた。
「ところで……グリーン副長、私は正直、君とマリサが共に要塞破壊の場にいたことを非常に驚いているよ。君は確かマリサを……」
「提督閣下、それはもう済んだ話と言うことにしてくださいませんか。共闘することで分かり合えたのです。今の私はマリサに対して危ない感情はもっておりません」
もともと私怨でマリサを殺すために”青ザメ”に加わっていたグリーン副長も汗があふれている。それを見て提督も特に苦言を呈することはなかった。
本部を後にした二人はしばらくの当直としてグリーン副長が船に残るほかは、泊まるあてのない連中が船に残った。フレッドはそのまま家へ帰る。制服を新調しなければ今後の勤務にもかかわるからだ。しかしそのことよりもいち早く母親に報告をしたかった。
「まあ、お帰りなさい。痩せたわね……今回のことは本当に心配したのよ……」
迎えたフレッドの母、ハリエットは珍しく涙目だ。それだけ”光の船”の捕虜になったことは母親に大きな心配をさせた。フレッドの服の隙間から見え隠れする傷跡。嘆きの収容所でいたぶられた傷は跡を残している。
「心配をかけてごめん……。無事に帰ってこれたのはマリサの機転があってのことなんだ。それだけでなく、マリサはようやく僕と結婚することを受けてくれた。僕はマリサと結婚するよ……総督との約束通り戦争が終わる前に」
「よかった、よかったわね。マリサがここへくるのね。おめでとう、ほんとうにおめでとう」
ハリエットはフレッドを抱きしめると喜びを嚙み締める。
いままで動きを止めていた歯車が回りだす。しかしそれは決して滑らかな動きではなかった。
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