第49話 子守歌
総督の提案に基づき、使用人たちは翌日の舞踏会の準備に取り掛かる。オルソンたちも相変わらず汚れたままの服であり、それについても総督は配慮を申し出た。貴人らしく品格に見合った服を用意してくれるということだ。そしてマリサもぶかぶかのドレスでは笑いものなので、使用人たちとともに明日着る予定のドレスを仕立て直すことにした。
「あなたは何でもできるのね。針なんて私は持ったこともないわ」
マリサのそばでシャーロットが珍しそうにみている。
「船で服が破れたら自分で直さなければならないだろう。帆だってそうだ。掃除や料理・洗濯はみんなイライザ母さんに教えてもらった。自分のことは自分でやるもんだからな。で……」
器用に針を持ち、使用人たちと協力して縫い直しているマリサは使用人たちからある噂を聞いていた。
「港に”光の船”の海賊たちがやってきたとき、島民とともに撃退したっていつのは本当か」
「ええ、本当よ。マリサみたいにドラマチックではなかったけどね。魚を加工したジュースを差し上げて、とどめにニワトリやら卵やら魚の腐ったものやらお見舞いしたわ。港のみんなの力があってこそのことよ」
当のシャーロットはすまし顔だ。
「恐れを知らぬとはこのことだな。あの”黒ひげ”のエドワード・ティーチ船長を手玉に取った事件以上だ」
武器もろくに使えない島民とシャーロットが海賊相手に戦うなんてマリサには思いつきもしなかったが、それでもシャーロットの武勇伝は面白く、その詳細をその後も聞きながら針仕事を続けた。
デイヴィージョーンズ号ではさっそく総督から食料や水が手配され、航海に必要な物資や万が一に備えての武器や火薬も積まれた。連中は食べ物に喜び、英気を養うことができた。そして総出で船底にびっしりとこびりついた貝や海藻を取り払う作業にとりかかる。他にも帆の繕いやヤードの修復など細かな修復をこの際におこなっていった。そして商船としての仕事ももらい、砂糖や綿、醸造酒など島の特産物が積みこまれることになった。
船長室では、いったん船に戻ったオルソンから総督はマリサをさらったことを
(ロバートよ、お前は満足したか……。俺はまだ寂しい、寂しくてたまらねえんだ。幕引きを自分でやらなければならないってことをわかっているんだがな……)
一人でいると胸が締め付けられる気がして、デイヴィスはリトル・ジョンと航海の打ち合わせをすべく甲板へ上がった。
その夜、マリサは約束通りシャーロットとともに夜を過ごしていた。自分がさらわれることがなかったら、一緒に姉妹が恋話をしながら夜を過ごすのは当たり前だっただろう。シャーロットのベッドに二人が横たわり、おしゃべりが続く。大概はシャーロットの話であったが、マリサには縁がなかった話題ばかりで黙って聞き役に回っている。それはシャーロットがずっと自分を待ってくれていたのだと思えてならなかったからだ。
「じゃあ、こんどはマリサのお話を聞かせて」
「うん……そうだな……」
はたとマリサは困ってしまう。シャーロットにあうような話題があるだろうか。血なまぐさい戦いの話など話せるものではない。
「夜の海は本当に真っ暗なんだ。月明かりや船の灯火がなければ誤って海へ落ちてしまうことさえある。飲んだくれの連中が落ちやしないかとひやひやするぜ。そして真っ暗な海の波間から何やら呼ぶ声がするんだ。だけど決して見てはいけないし、声に応じてもいけない。なぜなら……」
そう言ってシャーロットの方を見るといつしか寝息を立てて眠っている。
(赤ちゃんだったときはこうして二人並んで眠っていたんだろうな。本当に久しぶりだ。おやすみ、シャーロット)
マリサはシャーロットの手を握ると静かに目を閉じた。
翌日は気温もあがり少々汗ばむ日となった。マリサは湯あみをして体や髪の毛を洗い、夜に備える。ドレスの仕立て直しも何とか昨日の間に済ませ、間に合わせることができた。
使用人たちの助けをほとんど借りることなく自分で着替えをして髪を結う。何でも自分でやってしまうことは使用人たちは慣れていた。以前のマリサの滞在でわかっていたことだからだ。ただ、化粧だけは全く分からないのでそこは使用人の手を借りることになる。
鏡の前には仏頂面の頭目マリサではなく、貴人として立ち振る舞うマリサがいる。ドレスの胸元や袖口には大きめのレースをあしらい、傷跡が見えないようにしていた。船上では全く気にしないものであったが、ここは自分の評価が総督にも結婚相手のフレッドにもつながるからだ。
のんびりと日中を過ごし、舞踏会を迎える。オルソンたちも別人かと思うくらいのご立派な服装をし(マリサは海軍以外の正装をするフレッドを初めてみた)現れる。客人たちも大勢招かれており、裏方の使用人たちは戦場のような忙しさだ。
「私の招待に快く応じていただき、ありがとう。今日はもう一人の娘を皆さんに紹介します。マリサです」
ウオルターはマリサを広間にいる客人たちに紹介をする。
特にマリサは何も話すことはなく、穏やかに微笑んで礼をした。
一瞬その場が静かになり、張り詰めた空気が漂う。それはマリサが海賊の頭目であることを知っている者が多いからだ。興味津々に、あるいは恐れをもった視線がマリサに集中する。彼女はどのように立ち振る舞うのか、どこからか武器をだして襲撃するのではないか……。
それを感じ取ったフレッドはマリサに歩み寄ると手を取って客人たちに話しかける。
「マリサはどのような困難でも向かっていく素晴らしい女性です。ただ、残念なことにも皆さんの期待と想像に反して泳ぐことはできません……」
とたんに広間中に笑いが起き、張り詰めた空気が消えていく。
「それは余分だぞ……あたしの秘密をこんなところでばらすな」
慌てて小声でフレッドに抗議する。
「いや、このほうがいいよ。あのままじゃ君は見世物扱いだったからな」
二人のやり取りをウオルターも笑って聞いている。
「さあ、楽師の皆さん、音楽を奏でてくれ。客人たちはどうか楽しく踊ってください。そして料理を召し上がってください」
総督の掛け声に楽師たちが音楽を奏でる。それに合わせて人々が踊る。
以前は使用人として庭でフレッドと踊ったマリサも今日は貴人として相手をする。そしてシャーロットは『護衛でも何でもできる男』とマリサに言われ、総督に雇われたアーサーを相手に踊っている。満足そうに見ているウオルター総督とオルソン、そしてグリーン副長ことテイラー子爵。
舞踏会の曲は緩急の曲が交互になされ、いくつかの曲が演奏されたのち、楽師以外の者が音楽を奏でる演出がなされた。貴族として音楽はたしなみでもあり、オルソンも得意のバイオリンでアマーティやマジーニの作品を披露した。オルソンのように楽師が乗員として船に乗ることは多い。退屈な航海で乗員の気分をよくするには酒か音楽だったからだ。もっとも、オルソンは楽師と言うより趣味の大砲うちが大きな理由で船に乗っていたが、それは表向きで、実際は領地の財政が緊迫したために稼ぎに出ていたのである。
オルソンのバイオリン演奏が終わった。次は自分の番だとばかりに進み出たグリーン副長は楽師の中の女性歌手に声をかけ、チェンバロで静かに曲を奏でる。それを聞きながら歌手はしっとりと歌い始めた。その曲は最近人気が出ていたヘンデルの「リナルド」というオペラの有名な『私を泣かせてください』というアリアだった。それは愛する人との貞節を守るために過酷な運命に涙を流すというものだった。マリサもガルシア総督に捕らわれながらも掟は守った。その一途な思いをグリーン副長は察したのだろう。
そしてシャーロットもチェンバロを奏でる。お嬢様として十分に教養を磨いたのだろう。スカルラッティのソナタを何曲か奏でた。その指のなめらかな動きにマリサは感服する。
演奏が終わり客人たちは拍手大喝采だ。シャーロットはマリサをチェンバロの椅子に座らせるとニコリとした。事情がわからない彼女はマリサも当たり前に音楽の素養があると思い込んでいたのである。
驚いたマリサはオルソンに助けを求める。
「あたしはどうしたらいいんだ……こんなところで総督やフレッドに恥をかかせられない」
オルソンはマリサのことをよくわかっていたのでこう提案する。
「心配ない。なんでもいいから自分の指で思うように弾いてみなさい。それを受けて私が曲の形に展開するとしよう」
言われるままにマリサはチェンバロに向き合うと指一本で音をだす。その音は次の音を導き、そしてまた次の音へ……。オルソンはそれらを耳にすると曲の一節をつくりだし、バイオリンで曲の続きを展開していった。
マリサとシャーロットにある記憶が蘇る。そばでグリーン副長とウオルター総督が目を見開き、体を震わせている。
「これは……子守歌。マーガレットが歌っていた子守歌だ……」
ウオルター総督は涙ぐむ。マーガレットは子どもが生まれる前からよくその子守歌を口ずさんでおり、亡くなってからはウオルターが時おり口ずさんでいたのだ。
「まさしく、その子守歌は私の領地で歌い継がれているものです。ここでそれを聞くとは……」
グリーン副長も驚きである。
ひとしきり演奏が終わると二人に向けて拍手が起きた。
「ありがとう、オルソン。こればかりはあたしは習得できなかったからな」
「素晴らしい演奏でした。こんな一面もあるのですね」
フレッドは意外なマリサの面を見て笑顔だ。
「本当に不思議なことだが、あれだけ何でもできるはずのマリサだったが音楽だけは何度教えても身につかなかったのだ。最後にはさじを投げた格好で……」
とオルソンが言ったところで
「それは言わなくていい!あたしは神様じゃない。できないこともあるんだ」
マリサはおかんむりである。
「泳げないし音楽の素養もない。それがマリサの新たな魅力だと思います」
フレッドは努めてマリサの評価を持ち上げようとしている。
「それ以上言うとぶっ殺すぞ!」
マリサは余計に気に障った感じでつい仏頂面になった。
そのマリサに総督があることを告げる。
「実は総督としての任期が5年延ばされたのだ。私以上にシャーロットの人気が高いのも住民に支持されているとの評価だ。だからまたここに来たときは立ち寄ってくれ」
そう言う総督は嬉しそうだ。マリサとなかなか分かり合えなかったが、いまこうしていられることがたまらなく嬉しかった。
一週間ほどゆっくりと滞在したマリサは、船の補修や船底の掃除が済み、航海の準備が整ったことで総督やシャーロットに別れを告げ、船に乗り込んだ。もうドレス姿ではなく船員の服装だ。マリサの体形に合わせて縫い直したドレスを他にも数点積み込んだ。マリサはいらないと言ったのだが、仕立て直したドレスはシャーロットには合わない。まあ、これもシャーロットの作戦でもあったのだが。
長い髪を編むと後ろへ流す。ここから先は戦争に加担することも海賊行為をすることもなく、商船として順調な航海を目指すのだ。
「帆を張れ!錨をあげろ!国へ帰るぞ」
グリーン副長の声が響く。任務が終わった今、この船はデイヴィスが船長として久しぶりに高位に立つことになった。グリーンが副長としてこの船に乗るのもこれで最後だ。そしてそれはフレッドも同じことだ。国へ帰ったらすぐにマリサと結婚することになるだろう。
マリサは出帆する船の甲板から港を見つめる。そこにはシャーロットや、アーサー、ウオルター総督たちが別れを惜しむかのように見送りにきていた。
(航海の準備に配慮してくれて本当にありがとう。連中を助かる道を示してくれたことが嬉しいよ)
マリサは総督たちが見えなくなるまで何度も手をふりながら感謝の気持ちをあらわした。
外海へ出るとあの恩赦状をまだデイヴィスに見せていないことに気付き、船長室に急ぐ。
「デイヴィス、ウオルター総督はこの書面をあたしにくれた。あたしが最も欲しかったものだ」
そう言って書面を開いて見せる。デイヴィスは完璧に文字を読み書きできるわけではないので、マリサが読み上げる。
――戦争が終わるまでに犯罪者が自首して刑に服するのなら、その他の”青ザメ”の乗員の海賊行為の罪を許し不問とする。――
「これであたしたちは罪に問われなくなる。長い間だったけど、海軍に協力をしたために手の内を知られ、討伐されるという不安を抱かなくて済むんだ」
「……そうか……なるほどな。これは朗報だからみんなに教えてやれ。この船に乗っている以上、私掠船や海賊(pirate)の奴らも同じことだろう」
そう言ってデイヴィスは目を閉じる。何か思いつめた感じだ。だが、マリサはデイヴィスの表情を老化に基づくものだと思っている。
「ところでデイヴィス、この船に犯罪者がいるのか。あたしはそんな話を聞いたことがない。そしてマーティンって誰なんだ?ニコラスが亡くなる直前にその名前を口にしていたけど、あたしはその名前に聞き覚えがない」
マリサの脳裏にいつも引っかかっている事柄である。
デイヴィスは大きく息をすると目をつむったままゆっくりと答える。
「……そんな名前の男はこの船に乗ったことはないよ。恐らく私掠船時代に乗っていた男だろう。……犯罪者についても俺は知らねえ。だが、この恩赦状を読んでその男に良心があるのなら、きっと自首するだろうよ」
マリサはデイヴィスの言葉に何度も頷くと、連中に恩赦状の周知をするために甲板へ上がっていった。
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