第48話 恩赦

 マリサ達は”光の船”にとらわれている間、外の世界の情勢を知ることができなかった。拿捕されてから脱出までの報告を提督にしたグリーン副長の話では、提督の艦隊は講和に向けて各国で話し合いがなされている中で海軍として”光の船”の本拠地を襲撃をすることができず、偽りではあるが海賊に扮して襲撃したとのことだった。

 その間1712年11月7日にはユトレヒトにおいてフランスとポルトガルとの間に停戦条約が締結されている。まさに日一日と講和に向けて国々が動いていた。このまま”青ザメ”が海賊行為を続けていたら、イギリスを相手にしない海賊であっても討伐の対象になるのは目に見えていた。そのことに気づくことなく食料調達のために船を襲撃する選択をしなかったマリサだったが、連中はそれでも良しとしている。捕虜として十分に痛みを味わい、しばらくは平穏に国へ帰りたいという気持ちがあったからである。


 ほどなくしてデイヴィージョーンズ号はグリンクロス島へ寄港する。グリンクロス島は”光の船”の本拠地であったスペイン植民地よりは温度も湿度も低いが、それでもサトウキビや綿花の栽培には適しており、島の大半を緑豊かな畑や樹木で占めていた。グリンクロス(緑布)と言われる所以である。


 ここへ来るのはマリサがまだフレッドを疑っていたとき以来だ。貴族様のジェーンに振り回され、海賊たちが総督の屋敷を襲ったときは使用人として立ち振る舞いながらも撃退をした。あのときはまだ自分にも余裕がなく、海軍に協力をすることになったものの、今度は自分たちが処刑の可能性があることを常に気にしていた日々だった。

 だがそれももう終わる。戦争が終わるまでにマリサが海賊をやめることで頭目を失う”青ザメ”はなくなるのである。そして総督が恩赦をだせば”青ザメ”が全員許されるという事だ。


 そんな事情もあり、マリサの気持ちは以前ここへ来たときよりも落ち着いていた。


「しまった!」


 島の港が見えるようになってからマリサはあることに気づいた。

「デイヴィス、困ったことになった。あたしは船を降りられない。こんな格好じゃ屋敷へ行けるわけない」

 マリサはデイヴィスに自分の姿を指さす。

「”光の船”の奴らはあたしのスカート(町娘の服)を奪っていったんだ。いくらなんでもこんな姿じゃ周りの人々は変に思うだろう?」

「マリサらしい困り事だな。気にしないで堂々と行ってこい。何もやましいことをしていないのだからな」

 デイヴィスはそう言ってマリサの肩をたたき、

「今回の訪問は今までと違って大きな意味がある訪問だろう?まあ、たまには総督に満足してもらえるようにすることだ。船の心配はするな。船はここで補修をするつもりだ。船底の海藻や貝をとっておかないいけない。猫を借りてネズミを駆逐しないといけねえしな」

「わかった。総督とのことはいつかは向き合わなきゃならないと思っていた。じゃあ行ってくるね。それから当面の仕事をもらってくるよ。なんたってあたしたちは無一文だからな。何とかしなければ連中は海賊行為をするだろう。今の状態でそれは命取りだからな」

 マリサは私掠や海賊(pirate)たちの連中のことも考えていた。脱出はできたものの無一文であり、そのまま船から降りたら何をするかわからないからだ。丁度国へ帰る便であり、荷物を積んで商船として航海すればその分のお金を得ることができる。

 

 フフッと笑うデイヴィスを残してマリサは船を降り、フレッドとともに歩いて屋敷へ向かった。そしてその後ろからグリーン副長とオルソンが追いかけるように向かう。

「グリーン副長、あなたまでなぜ後を追うのだ?」

「そういうオルソンこそなぜ後を追う?」

「私はマリサの後見人だよ。今日はちゃんと自分の身分を正しく明かして総督に後見人として挨拶をするつもりだ」

「ではオルソン伯爵殿、私もちゃんと自分の身分を正しく明かして総督にマリサの伯父として挨拶をするつもりだ」

 お互いに争うかのように速足で歩いている。そしていつしかマリサ達を追い越していたのだが気付かないままだ。


(なにやってんだ?あの二人)


 おかしげな動きをしている二人の後姿を見てマリサは吹き出す。

「君も変わったな。前は仏頂面ばかりだったのに表情がいいよ」

 そう言うフレッドも収容所で受けた傷が癒えてきている。しかし多くの傷跡は残った。誰よりも『遊び』の相手となる回数が多かったために治りきることができなかったのだ。それでも生きて帰ることができただけでも良かった。

「うるせえな。あたしは人形じゃない。あたしはあたしだ」

 マリサは気恥ずかしさもあり、再び仏頂面になる。

 

 屋敷までの道のりを歩いていく二人。以前は馬で駆け上がったが、今はゆっくりとその時間を二人で過ごしていたい。

 そこを町の人々が驚いたようにじろじろと見ている。


「お、おい。あれはシャーロットお嬢さんじゃないぞ」

「マリサだ。あの”青ザメ”のマリサだ。でも……雰囲気が違う」

「何がおきたんだ」


 と口々に言っている。マリサは彼らの言葉が耳に入り、振り向くと満面の笑みで応じる。

「島の皆さん、ごきげんよう」

 以前のマリサなら『うるせえ』で済ませたはずである。これはマリサに心の余裕ができたものだとフレッドは感じた。



 速足で屋敷に到着したオルソンとグリーン副長。出迎えたウオルター総督はそこにグリーン副長がいたことに驚きを隠せなかった。

「グリーン副長、マリサは……」

 顔面蒼白で立ち尽くす総督に説明をしようとした直後にマリサ達が到着する。

「総督閣下、こういう結果ですよ」

 グリーン副長もオルソンも問題ない、といった顔をしている。ウオルターはマリサの顔を見て涙が止まらず、言葉も出ない。グリーン副長のやいばにかかることなく、無事に目の前にいるマリサを抱きしめて感謝するばかりだった。


「……いつも心配かけて申し訳ない……。なんとか生きて帰ることができたよ。海軍様との任務も終わったことだし、約束通りあたしはフレッドと結婚するよ」

 マリサの言葉に頷くばかりのウオルター。そればかりか乳母のランドー婆やもその場で泣き崩れている。以前のグリンクロス島での滞在で屋敷の使用人たちと仲良くなっていたせいか、使用人たちもマリサの無事に涙ぐんでいる。



「どうやら詳しく話を聞いた方がよさそうだ。さあ、客人と私のもう一人の娘を歓迎しようじゃないか」

 ウオルター総督の呼びかけに応じて使用人たちが一斉に動き始める。

 マリサはシャーロットをみつけると

「頼みがある。あたしは船が拿捕されて女物の服を奪われた。ちょっと貸してくれ」

 と、小声で言う。

「あなたの頼みを断る理由なんて無いわよ。服を貸してあげるから今日は朝まで語り明かしましょう。たくさんお話したいことがあるのよ」

 シャーロットは喜んでマリサを案内し、使用人たちと着替えの服選びに入った。



 総督の執務室ではオルソンとグリーン副長、フレッドがいる。

「まずは正しく自分の身分を申し上げましょうか。総督閣下、私はマリサの後見人を務めるオルソン伯爵といいます。前回は海賊の一員として貴族の真似事の設定でこの屋敷に参っておりました。本国では田舎の領地を治めております。デイヴィス船長があなたのもとから幼少のマリサを連れさらったのを憂い、あなたのもとに返すことを何度も進言しましたが、ロバートとマーガレットの子どもを育てたいというデイヴィス船長の意思が変わらなかったために、その責任からマリサが社会の中で生きていけるように教育と躾とたしなみを教えてきました。私掠船時代から”青ザメ”を擁護し続けております」


 オルソンの言葉に改めて彼の役割を知ったフレッドとグリーン副長。

「では、私も改めて自分の身分を申し上げましょう。すでに総督閣下は私の素性をご存じですが、私はハリー・ジェイコブ・テイラー子爵。マリサとシャーロットの母親であるマーガレットの兄にあたります。海軍においては身分を伏せてグリーン姓を名乗っております。今までマリサに対する私の私怨で総督閣下にご心配をおかけしたことをお詫びいたします。御覧の通り、マリサは無事であります。私たちが無事に”光の船”の収容所から生還できたのもマリサの機転と演技があってのことです」


 それに続いてフレッドも思いを話す。

「総督閣下、あのとき僕はシャーロットと婚約の取り決めをするためにこの島を訪れていました。僕は父を亡くしており、昇進の後ろ盾になるものが必要だったからです。しかしあのときマリサに偶然会って大きく道は変わってしまった。シャーロットとは生き方も性格も全く異なるマリサでしたが、彼女の統率力と機敏さは海軍士官の僕としても目を見張るものがあり、特に仲間を何があっても守ろうとする精神力ははかりしれないものがありました。そんなマリサに対して妻として迎えたいと思っていても、それでいいのかと常に僕の心に迷いがありました。しかしマリサはこの任務終了後に『そのとき』が来たことを教えてくれました。そして僕の方からも改めてマリサに結婚したいと申し出たところ、快く引き受けてくれたことをここに報告いたします」

 長い捕虜生活で痩せたフレッドだったが、以前会ったときよりもたくましく思えるのは多くの死線を乗り越えたからだろうか。


「私の方もなんとかしてマリサだけでも助けたいと思って勝手に君にマリサのことを託そうと決めてしまった。無事にここへ連れてきてくれてありがとう。”光の船”に捕らわれたと知ったときは気が狂いそうになるくらい私もシャーロットも使用人たちも嘆き悲しんだ。だからこそ君たちの無事が本当に嬉しいのだよ」

 そしてウオルターはオルソンに目を向ける。

「オルソン伯爵、私はもうデイヴィス船長を責めることはしないと伝えてくれたまえ。マリサがこうしてここへきていることが全ての結果だ」

 そう言って穏やかに笑みを浮かべた。

「承知しました。確かに伝えますよ。デイヴィス船長はこれで一つ良心をとがめるものが無くなるでしょう」

 

 お互いに事情と報告をしあい、庶民には(もちろん海賊もそうだが)手の届かない紅茶をいただく。フレッドも初めての紅茶だったが、全身にその香りとうま味が巡る気がした。



 そこへシャーロットともにマリサが現れる。

「おい、このドレスは少し大きくないか。胸元なんかスカスカだ。色や柄は譲歩しても大きさはどうもならないぞ」

「マリサが痩せてるからよ。もっと食べたらドレスにあった体になるわ。せいぜいこちらでたくさん食べることね」

 小声で言い合っているそばで、マリサの生還を聞きつけたアーサーもやってくる。

「マリサ!無事に生還おめでとう。”青ザメ”には私の仲間だった”赤毛”の連中もいるからな。無事が嬉しいよ」

 使用人たちからマリサのことを聞いたのだろう。

「アーサー、あの海戦ではあたしたちは多くの犠牲を払った。”青ザメ”だけでなく”赤毛”の連中で命を落とした者がいる。それだけ厳しい戦いだったんだ。詳しいことは船にデイヴィスがいるから聞いてくれ」

「そうか……あとで船に行って確かめるよ。でも誰であってもこうして生きて帰ることができるのは有難いからな」

 

 仕掛けられた作戦であったことは今更誰に言うことでもない。オルソンとマリサ、フレッドの3人が納得していればいいとマリサは考えていた。彼が本当はテイラー子爵であることはウオルター総督も知っていることである。ただ、それは航海には必要ないことだ。国へ帰ればデイヴィージョーンズ号を降り、グリーン副長としてフレッドとともにどこかの艦に乗務することになるだろう。


「おお、マリサ。お世辞にも似合うとは言えない着こなしだが、お前にとってはかなりの譲歩だな」

 オルソンはマリサのドレス姿に笑いをこらえられないようだ。

「女物の服が奴らに奪われて仕方がなかったんだ。シャーロットからの借りものだよ。以前は使用人の姿で使用人としてここで働いたが、今回はちゃんとウオルター総督の娘のマリサでいるつもりだからな」

 マリサはオルソンに笑われたことに気を悪くしたが、すぐに考え直してウオルター総督の前に進み出る。


「こうしてここへ参ったのは他にも理由があります。総督閣下には”青ザメ”に対して特別艤装許可証をだしていただき、以来、私たちは女王陛下の海軍に協力をしながら海賊行為をし、国へ納めるべきものは納めてきました。この度の作戦において私たちは船を奪われ、捕虜となっていたのは周知のとおりです。船を奪い返したものの、航海に必要な食料や物資が全くありません。特に船を守るべき弾薬や砲弾は皆無です。おこがましいお願いとは存じますが、どうか総督閣下からご配慮をいただけないでしょうか」

 丁寧にカーツィ礼をし深く頭を下げる。それは娘からの頼みごとではなく、頭目マリサとしての懇願だった。

「頭をあげなさい。私にそのような他人行儀は無用だ。船の食料や物資、弾薬などできる限りのことはしよう。”光の船”を壊滅させた”青ザメ”にそれをしない考えはない。そして……これは私からお前に贈り物だ」

 ウオルターはそう言ってマリサにある書面を見せる。



――戦争が終わるまでに犯罪者が自首して刑に服するのなら、その他の”青ザメ”の乗員の海賊行為の罪を許し不問とする。――



「残念ながら”青ザメ”には犯罪者が紛れている。提督がその男を探し続けてそのことをつかんでおり、圧力がかかっているのだ。だから恩赦をだそうにも出せなかった。今、私ができる恩赦の形はこれしかない」


 マリサが連中を処刑から助けるために悩んでいたのだが、この恩赦の書面があれば連中を助けることができる。犯罪者が誰なのかわからないが、古参の連中ならその男が誰か知っているだろう。

「ありがとう……。一番欲しかった贈り物だよ」

 マリサはウオルターと抱擁をする。

「スチーブンソン君と幸せになってくれ。私からは以上だ」

 マリサの頬を確かめるかのように何度も手をやる。

 痩せたマリサの身体と大きめのドレスの隙間から見え隠れする体の傷跡。きっと自分には想像できないくらいの死線を乗り越えてきたのだろう。お嬢様として皆に愛され、何不自由なく暮らすシャーロットとは全く違う育ちをしたのだが、今こうして娘として自分のもとへ返ってきてくれた。それが何よりも嬉しい。


「明日の夜は舞踏会を開催しよう。そしてお前を紹介させてくれ。私はたまらなく嬉しいのだよ」


 総督の言葉を笑顔で受け入れるマリサがそこにいた。

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