第47話 内通者と謝罪

 提督の艦隊によって、崖から飛び込んだところを助けられたマリサ達はデイヴィージョーンズ号に送り届けられ、ようやく緊張がとけていった。船の中でもお互いの無事を喜んだり共に生き延びて脱出した私掠や海賊(pirate)たちの歓迎をしたりして、どの連中も表情がよかった。

 ただ一人を除いて……


「オルソン、あんたはあたしを殺す気か!あたしが泳げないのを知っていてなんてことをしてくれたんだ!」

 マリサは突然オルソンに崖から突き落とされ、恐怖を味わったのだ。その怒りは和やかに航海をしている連中には面白おかしく見えた。いつもは仏頂面のマリサが顔を真っ赤にしてオルソンに猛抗議している。相手がオルソンだから抗議で済んでいるが、これが連中だったら小刀の1つでも飛んできただろう。

「だからちゃんとフレッドには頼んでおいたんだよ。マリサをうけとめてほしいってね。ほら、お前も一杯どうだ。海軍様からラム酒をいただいたよ」

 オルソンはマリサの抗議をものともせず、冷えた体をラム酒で温めている。

「うるせえ!あたしは禁酒中だ!」

 マリサは怒りが収まらず、そのまま船室にこもった。どのみち着替えをしなければずぶ濡れだからである。

 このマリサとオルソンのやり取りを見て連中も大笑いだ。

「あのマリサが泳げないって俺たちは知らなかったぜ」

 私掠船出身のリトル・ジョンと同じ部屋に捕らわれていたジョナサン、スミスも意外だという顔をしている。

「そりゃそうだよ。マリサが泳げないってのは”青ザメ”の公然の秘密事項だからな」

 乗り込み組の一人、ギルバートが笑って答えた。



 オルソンは同じようにずぶ濡れになったグリーン副長とフレッドに声をかける。あることが気になっていたからである。そして夜半、8点鍾に甲板で会うことを約束した。



 腹立たしい気持ちのまま、船室へ戻ったマリサ。デイヴィージョーンズ号は拿捕された後、”光の船”によって荒らされ、武器と食料を奪われていた。デイヴィスがいた船長室も、船長としての『品格』を保っていた調度品や酒などすべて奪われてがらんとしていた。その様子にデイヴィスは

「物を奪われただけで騒ぐな。また手に入れたらいい」

 と連中に言い聞かせていた。またこの船に戻ってくることができただけでも有難いからである。


 狭いマリサの船室では、当然のことながら町娘の衣服が無くなっていた。船を降りて人と会うときは船員の姿でなく町娘の姿をしていたのだが、”光の船”の男たちはマリサが身に着けていたと知り、真っ先に奪ったのだ。しかしマリサの心配は別なところにある。

 真っ先に天井の隙間奥に隠したものを探す。


「あった!」

 マリサはそれを取り出すと大きくため息をついた。布にくるまれた12インチほどの板状の物を確認するために包みをとる。

(さすがにこれを奴らに盗られるのは嫌だ。まだお金を盗られた方がましだ)


 包みを広げると一枚の絵画が現れる。以前、マリサとエトナ号の乗員が捕虜になったとき、脱出の際にカルロスという軍人からもらったものだ。カルロスは本業の画家では食べていけないので軍人として奉職していた。この絵はカルロスが監視がてらマリサをモデルにして描いたものだ。描かれた題材は『聖母子像』。キリストと聖母マリアを描いたものである。もしこれが”光の船”に見つかっていたならカルロスの立場も危うくなっていただろう。

 そういえば嘆きの収容所でも総督の屋敷でもカルロスの姿はなかった。いや、いなくて良かった。もしあの場にカルロスがいたらその手で彼を殺していたのかもしれなかったからである。

 

 あのときはそこまでこの絵に思い入れはなかったが、今は何かしらあふれてくるものがある。


(国へ帰ったらこの絵は船から降ろそう。とりあえず騒動のもとになるものはここにはおかない方が無難だ)

 マリサはそう言いながら着替えを済ませ、デイヴィスの元へ行く。



「デイヴィス、お互いに部屋が片付いて良かったな。物がなくなりすぎてこの船は売り物かと思ったぜ」

 マリサがそういうのも無理はない。出帆したものの、武器はおろか食料もないとなると国へ帰るどころか飢え死にか海賊にやられるかだ。おまけに”光の船”との海戦で”青ザメ”も多数の死者が出たとはいえ、新たに迎えた私掠船や海賊(pirate)の連中が加わっており、飢え死にさせるわけにはいかなかった。

 しかも3か月もの間、ほったらかしにされた船の船底には貝やら海藻やら付着しており、航海のいい妨げになっている。

「さすがにこの状態じゃ売れねえよ。買い手も逃げるわな。とりあえず一番間近な島で水と食料を調達しなければならねえ。ただ、問題はお金だ」

 デイヴィスが一笑する。笑うしかないほど深刻な問題だ。

「デイヴィス、あたしたちの仕事はなんだ?」

 考え込んでいるデイヴィスの顔を覗き込むマリサ。そういって胸元から小さな包みを出す。それは総督の屋敷の宝物部屋から異国の刀とともに奪ったいくつかの宝飾品だ。崖から飛び込んだ際に海へ消えたかと思われたがしっかりと残されていた。

「お前はぎりぎりまで海賊行為をしていたのか」

「海上で盗るなら海賊行為だが、陸でやったらただの盗賊だ。あたしの自尊心はおかげで傷ついたよ。でもこれで食料は買えるだろう。そして次に……あの……グリンクロス島へ寄ってほしい。ウオルター総督に報告をしたいことがある」

 マリサがいつもの仏頂面になる。

「ああ、それはかまわねえよ。ちゃんとフレッドのことも話すんだぞ。後悔しないなら俺は止めねえよ」

「後悔はしないよ、デイヴィス。この任務が終わったらあたしは海賊をやめてフレッドのもとへ行く。少なくとも戦争が終わるまでに海賊をやめると言う期限にはまにあうだろう。そして”青ザメ”の連中も助かると信じたい。ウオルター総督に何とかそのことも話しておく。それだけじゃない……」


 マリサがそう言うと船長室のドアの外からグリンフィルズが話しかけてきた。

「マリサ、しなびたジャガイモが少し残ってる。まあ食えなくはない。それよりもネズミが目について困る。三毛猫も調達してくれ」

 グリンフィルズがいうとおり、主がいなかった船にはネズミが横行していた。

「そんなもんは主計長のモーガンに頼んでおけ!もったいないっていつも言うぐらいだから何とかするだろう」

 マリサはそう返事をすると話の続きを一言。

「これはちょっと総督には頼みにくいが……食料と最小限の武器をいただければと思っている。艤装していても火薬、砲弾がないままじゃ国へ帰るまでに海賊様にやられるのがおちだ。」


 あのウオルター総督に今更どの顔でものを頼んだらよいだろうか。まして食料や武器火薬だなんて言えた義理じゃない。だが今の自分には連中を国へ送り届ける責任がある。


「お前がよくよく考えてのことならそれでいいじゃねえか。ただ、今回も俺は船でお前の帰りを待っておくよ。てっきりどこかの船を海賊らしく襲撃すると思っていたが、少しは大人になったか」

 そう言うデイヴィスの顔には陰りがみえる。今までにも何回か見せた陰りだがマリサはそれを老化だと思っていた。

「デイヴィスからみたらあたしはいつまでも子どもだろう?ウオルター総督からみても同じことだ。じゃ、あたしはギャレー(厨房)を手伝ってくる。しなびたジャガイモの皮むきはめんどうだからな」

 マリサはそう言って船長室を後にする。本当はもっと別のことを真っ先にデイヴィスに聞きたいと思っていた。あのグリーン副長の正体である。脱出の際に銃口を自分に突きつけた男。正体は自分の生みの母親であるマーガレットの兄であるテイラー子爵だった。だがデイヴィスの陰りをみて聞くのはためらわれたのである。


 そのデイヴィスも収容所でのグリーン副長と収容所の人間とのやり取りを耳にし、この作戦の不条理な原因は彼にあることを知ったのだ。彼は何か隠していると確信しているが、自分の立場を考えるとあえて問わない方がよい思っている。


 船長室では残されたデイヴィスの呟きだけが微かに聞こえた。


(ロバートよ、マリサもとうとう俺の手から離れちまう。寂しいのはお前だけじゃないぜ)


 

 デイヴィージョーンズ号はその後、簡素な茹でジャガイモの緊急的な食事を経て一番間近なイギリス植民地へ立ち寄る。とにかく食べ物が先決だった。マリサが奪っていた例の宝飾品を一度換金し、そのお金で買えるだけの食料と航海に必要な物資、そして水を積み込んだ。救いは脱出の際に持っていた武器をそのまま持っていたことだ。それでも砲弾や火薬はまったく無い。これだけは特別艤装許可証をだした事情を知っているウオルター総督本人でなければ調達は難しいだろう。



 そして夜。8点鐘の鐘が鳴らされる。甲板ではオルソンの呼びかけに応じたフレッドとグリーン副長が集まった。船の灯火でほんのり明るく、  船長を外してこんな場で密かに話し合いをしたら反乱の話し合いと思われてしまうだろう。


「私たちはこれからも国へ帰るまで当面同じ船に乗る乗員だ。だからどうしてもはっきりとしておきたいことがある」

 話し合いを呼び掛けたオルソンは再び厳しい表情だ。そしてそれはグリーン副長に向けられている。

「グリーン副長……この場ではグリーン副長で通させてもらうが、あなたは私たちに謝らねばならないことがあるだろう?」

 オルソンの言葉にフレッドが驚いた眼差しでグリーン副長を見つめる。珍しくうつむいて黙り込んでいるグリーン副長。


 そこへ昇降口から甲板へ上がってきた者がいた。久しぶりにゆっくりと話がしたいと思ってフレッドを探していたマリサである。



「……何やってんだ?こんな時間に。反乱を起こすような顔ぶれじゃないと思うが」

 マリサもそれが危うい話し合いではないと気付いて冗談交じりに言う。

「マリサにも聞いてもらいたい話だよ」

 そう言ってグリーン副長はようやく顔をあげた。そしてため息を1つすると話し出す。


「オルソンの言う通り、私は君たち”青ザメ”に謝らねばならないことがある。まず、ガルシア総督にマリサが総督の娘であることを教えたのは私だ。エトナ号が拿捕されて我々が捕虜になったとき、マリサが再び世の中に出ることがないようにガルシア総督に情報を流したのだ。すると彼はすぐに興味を持った。実際にマリサに会って我々が脱出した以降もマリサを探し続けていた」

「あたしのことをガルシア総督にばらしたのはグリーン副長、あんただったのか。おかげであたしは長い間フレッドを疑っていたんだぞ。フレッドの方こそいい迷惑だ。そうだろ?」

 マリサに言われたものの、当のフレッドは返す言葉がない。グリーン副長は上官である。マリサ達ならともかく自分はグリーン副長と同じ海軍の人間だ。その様子にマリサはイライラする。

「……ここは海軍の船じゃない、海賊船だ。船上では民主的にものを考えるものだ。だからはっきりと言うべきことは言った方が良いと思うよ」

 オルソンがフレッドに目配せをする。

 フレッドは少し戸惑いを見せたが、オルソンに促された形でようやく答えた。

「マリサの言う通り、疑いをもたれて戸惑っていました」


 それを受けてマリサがグリーン副長に尋ねる。

「この作戦は仕掛けられたものじゃないのか。わざと”青ザメ”が壊滅されるように仕向けたものとあたしは見ているが、そもそもそれは提督の作戦だったのか」

 それはオルソンも気になっていた。収容所でのグリーン副長と奴らのやりとりのことだ。



 ――あなたが我々を利用したのではなく、我々があなたを利用させてもらったんだよ――


 それだけじゃなく、グリーン副長は『遊び』の対象にはならなかった。


「提督の作戦に手を加えたのだ。提督の作戦ではデイヴィージョーンズ号は囮というだけで途中から艦隊の援護を受けて艦隊に戻る作戦だった。船を一隻狙いで艦隊と離れたまま拿捕するように仕向けたのは私だ。すべてはマリサを殺したいという思いからだった。本当にすまないことをした。許されるものではないが……許してほしい」

 グリーン副長の身体が小刻みに震えている。やっとの思いで言っているのだろう。


 マリサの脳裏に亡くなっていった多くの仲間の姿が蘇る。それはオルソンとフレッドも同じだった。


 バッチ-ン!


 マリサはおもむろにグリーン副長の頬をひっぱたく。

「……亡くなった連中の分と『遊び』で傷ついた連中の分だ。本当なら頭目としてあんたをこの場で殺すところだが、あんたも脱出の際にあたしを殺さなかった。だからこれでもうお相子だ」

 そしてグリーン副長の手を握る。

「でも、あたしは嬉しいんだよ。自分の身内がここにいることが何よりも嬉しい。……だからこれからもあたしを見守ってくれないか」

「……もちろんだ。君のような優秀な船員が血筋から出たことを誇りに思うよ。男だったら海軍に引き抜くところだ」

 グリーン副長の眼差しからあの鋭い視線が消えている。



 そしてマリサは彼らの前に立ち、まっすぐにフレッドを見つめた。

「ここに証人が二人もいるから話しておくよ。……フレッド、今が『そのとき』だ」

 それを受けてフレッドがマリサに歩み寄る。

「そこから先は僕に言わせてくれ。マリサ、僕と結婚してほしい」

「望むところだ。あたしは海賊をやめるんだから、あんたは昇進を目指さないと暮らしていけないぞ」

「それは努力する」

 そう言ってマリサを抱きしめ、何度もキスをする。

 二人の様子にオルソンとグリーン副長も微笑みがあふれる。


 

「道のりが長かった分、幸せになれよ。マリサ、貴族社会については私とグリーン……テイラー子爵に任せなさい。婚外子で生まれたお前を今後も私たちは守っていくよ。まずはウオルター総督に報告だ。そして国へ帰ったらスチーブンソン夫人とイライザにも報告だな」

 オルソンの笑みはデイヴィスとともに育てたもう一人の父親としての笑みだった。

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