第42話 貴族のたしなみ

 ホットパイは最後にマリサと総督の分が焼き上がり、二人はテーブルに向かい合っていただく。マリサはそれまでの仏頂面が嘘のように消えており終始穏やかな表情で総督と向かい合っていた。

「わがままを聞いてくださってありがとうございます。総督閣下の大切な使用人をお貸しいただけたことも感謝します。捕虜たちもきっと喜んでいます。郷土の料理をいただいたことで総督閣下からの配慮と温情に感激することでしょう」

「それは良かった。お前にあの収容所を見せた甲斐があったというものだ。ホットパイもなかなか美味だよ。サウラによればお前は良い生徒らしい。態度もよく、教えたことはすぐに覚えるので教えがいがあるそうだぞ。ところでなぜ急に心が変わったのだ、収容所でみたことはそれほどまでにショックだったのか」

 ガルシア総督の言葉の裏にはマリサを信用しきっていない部分があった。心変わりほど信用ならないものはないからである。

「総督閣下、確かにあの収容所で見たことは気が狂いそうになるくらい私の心に重くのしかかりました。ただそれだけではなく私は自分の身を第一に考えたからです。”青ザメ”はこのままでは戦争終結後に真っ先に縛り首になる可能性があります。女である私は公序良俗の観点から火あぶりの刑が待っているでしょう。海軍に協力したために私たちの手の内は知られ、逃げることもできません。そんな私を総督閣下は助けようとしてくださっている……本当にありがたいことです。命が助かるのならそれにすがるのは当然だと思います」

「そうか、そういった事情があるのか。それなら安心しなさい、私が擁護することでお前は処刑されることはない。なぜなら私はお前を買ったのだ。お前は私のものだから他人が傷つけることは許されないからな」


 ここでもガルシア総督はマリサを所有物のように言っている。マリサが一番しゃくに障る言葉だ。しかしマリサは言葉を荒げることなく終始柔らかな表情で応える。

「蛇がいましたが私はここのマングローブの林が気に入りました。太陽の光もイギリスの比ではありません。海賊をやっていてじっくりとそこの土地を知ることはやっていませんでした。だから時間があるときはマングローブの林を散歩したいと思います。ところで総督閣下、ここでリンゴとサトウキビは手に入りますか」

 唐突な質問に総督は驚く。

「お前はリンゴは南国に自生はしないのを知らなかったのかな。まあ手に入らないわけではない。少し時間はかかるがね。それらを使って何か料理をするのか」

「いえ、リンゴとサトウキビは殿方の媚薬です。数多あまたの寄港先で女たちを喜ばせている海賊たちはそれらが媚薬となることを心得ています。私は”青ザメ”の連中がそれのお世話になっていたのをよく知っています」

 そう言ってマリサは総督を見つめた。総督の心を捉えて離さないマリサの瞳はまっすぐ総督を見ている。

「わかったよ、リンゴを入手しよう。お前がその覚悟を決めたのなら私もそれぐらいのことはやることにしよう。さあ、もういい加減にその使用人の服から貴人の服に着替えなさい。明日からお前は使用人ではなく私の大切な貴人だ」

「そうですね、総督閣下のためにふさわしい身なりをしなければなりませんね」

 こうしてマリサの演技は次の段階へ入っていく。



 翌朝マリサは数人の使用人に囲まれ、天蓋てんがいで覆われた浴槽に湯を張ってもらうと久しぶりの湯あみをした。潮風に当たり続けていた長い髪の毛も洗い、あわせて身体全体を洗った。その際に改めて自分の身体をみる。あちこちにある白兵戦で受けた傷の跡。ナッソーではビッグ・サムとやりあったときに図らずもその姿をフレッドに見られてしまった。連中はともかくフレッドだけには見られたくなかったこの傷跡だが、その傷跡さえも彼は受け入れてくれた。そのフレッドは拷問によってひどい傷を負っている。心配でならないが、今は自分ができることをすべきだろう。


 湯あみをしたのは貴人としてふるまうならばそこからやらねば「らしくない」と思ったからである。そして下着であり夜着でもあるシフトドレスやペチコートも新しいものを用意してもらった。

 総督が用意したドレスは緋色のドレスに小花の刺繍と白いレースを使ったものだった。総督の服の趣味はマリサの好みではなかったが、そのドレスは譲歩できた。使用人たちが着替えを手伝おうとしたが、マリサはイライザに自分のことは自分でやるように躾けられているので気持ちだけ受け取り、自分で着た。そして髪に念入りに櫛を入れていると一人の使用人が声をかける。

「お嬢様、髪を留めるピンはこちらにもありますのでお使いになりませんか」

 使用人の一人がマリサに何本かの小さな真珠が付いたピンを勧める。

「とてもかわいらしいピンだと思うけど私の髪は腰まであるからまとめるにはこれがいい」

 そう言ってマリサは髪を編むとくるくると頭上にまとめ上げ、持っていた長い自分のピンで留める。確かに小さなピンでは髪を固定できないだろう。


(ごめんな、これは大切なあたしのピンだ)


 そうして着替えとまとめ髪が終わると使用人に化粧を頼んだ。マリサは日常から化粧をすることはなかったからである。日焼けした肌にうすく化粧がなされ、これでどこから見てもマリサはどこぞのご令嬢であった。


 貴人としてのマリサが出来上がると総督の待つ居室へ急ぐ。連中を救えるかどうかは自分の演技にかかっている。武器も味方もいない今、残されたものは『貴族のたしなみ』だけであった。イライザがオルソンの屋敷で働いていたとき、その間マリサはオルソンに読み書きや貴族のたしなみを教えてもらっていた。なぜオルソンはそんなものを自分に教えたのかはわからない。しかしオルソンの息子もオルソンの妻も物覚えが良いマリサに対して悪く言うことはなかった。いよいよその『貴族のたしなみ』を発揮する時がくるのだ。絶対にやり通さなければ連中の命も自分の命も無くなるだろう。失敗は許されなかった。


(イライザ母さん、デイヴィス……連中を助けることで万が一掟を破ることになったら遠慮なくデイヴィスの刃にかかるから。あたしは覚悟を決めたよ。あとはアレを手に入れなきゃ……)

 まだ実際に使ったことはないたしなみの物を準備する必要がある。


「おはようございます総督閣下、着替えに時間がかかりましたがいかがでしょうか」

 マリサはテラスから外を見ていた総督に礼をする。


「やあ、おはよう私の小鳥。とてもお似合いだよ。まさに花だね、女は飾ってこそ花。どうか私のそばで咲き誇っておくれ」

 ガルシア総督はマリサの手を取るとテラスから港を見せた。


 この植民地の港へは提督の艦隊とやりあった船やデイヴィージョーンズ号を拿捕した海賊船が今も出入りしている。恐らくいまだに海賊行為をしているのだろう。本拠地であるここの要塞を叩かないと”光の船”は活動をし続ける。しかしそれはマリサが一人でできるものではない。実行にはやはりイギリス海軍の力が必要だ。だが提督の艦隊はやってくるのか……海軍の人間であるフレッドとグリーン副長を助けに来るだろうか。それ以上に私掠船や海賊(pirate)の連中もいる。彼らは救ってはもらえないのか。


(まずは連中を脱出させることが先決だ。そいて武器のありかと船だ……)


 ふと港を凝視するとそこにデイヴィージョーンズ号が停泊していた。拿捕して自分たちが乗るようにしていたのではないか。

「デイヴィージョーンズ号が気になるかね。そうだね……お前の船は海賊船として長らく使われていたそうだが残念ながら古くて話にならん。海賊なら拿捕した船に乗り換えていくと思ったがお前たちはずっとあの船で海賊行為をしていたのだね。拿捕した船も国へ差し出してあまり分のいい取引でなかっただろう。その挙句が処刑だとしたら哀れを通り越して『愚か者』としか言いようがない。……賢くあるべきだよ、海賊であってもな」

 総督はそういって笑う。マリサはこの嘲笑に腹が立ったがそこは女優の笑みでやりすごす。

「総督閣下、古くても私たちにはそれが思い出です。どうかそのままにしてくださいな。収容所の連中も何か支えがないと生ける屍ですから」

「わかったよ、どのみちあの船を壊すにしても人手とお金がかかる。そんなことにお金を使うのは得策ではない。朽ちるまで港へ停泊させておくよ」

「閣下のご配慮、感謝いたします。朝食が済んだらまた外を案内してください。でも蛇が怖いので護衛もお願いします」

 マリサはそう言ってガルシア総督の腕にしがみつく。まったくもって自分でもほめたくなるくらいの演技が続く。

「そうかそうか……そんなことはたやすいことだ。心配するな、小鳥を守ることはである私の義務だからな」


(こいつ、本気でぶっ殺してやる!)

 マリサはあふれる殺意を抑えることに必死だった。



 朝食後、マリサはガルシア総督と護衛の者たちを引き連れて要塞の石垣を降りていった。その際、マリサは身の上話をしながらこっそりと要塞にある大砲の規格や数を調べていた。そして近くから火薬のにおいがしたことから火薬庫の建物に見当をつける。大砲は要塞のいたるところにあったが人員があまり見られないのはこれが国が認めていない非正規の集団であるという所以ゆえんか。


(寄せ集めの集団ほどもろいものはないんだぜ、『海岸の兄弟の誓い』で結ばれているなら別だけどな)


 そう思いつつドレスの裾を気にしながらわざと階段をゆっくり降りる。総督の護衛達はみな男ばかりだったのでマリサがドレスに不慣れでゆっくりと降りているのだろうと思っていた。

 総督は買いたいものがあると言ってそのまま町中へ誘った。マリサにとっても町は本当に久しぶりだ。ただ、町の人々から見ればマリサは私怨の対象である。総督と並んで歩くイギリスの女を好意的に迎える人々ではない。これが一人で歩いているとしたら石だの汚物だのが飛んでくるだろう。そんな敵意をもった住民の視線を浴びながらも港へ通じる道や通路を確認していた。



 総督が案内したのは一件のごく普通の露店だった。


「おはよう、ご主人。例の物は手に入ったかね」

 総督が声をかけると痩せた老人が慌てて走り寄ってくる。

「おはようございます、総督閣下。ご希望の物はあちこちの船に手配をし急遽取り寄せました。その分、単価は跳ね上がりますがよろしいでしょうか」

「お金のことは問題ではない。私は一日でも早く手に入れたかったのだよ。取り寄せた分、全部買い取ろう」

 総督が言うと店の主人は気をよくして木箱を重そうに下げて持ってくる。それはリンゴだった。時間はかかると言っていたが、総督のもっている人脈なのだろう。

「港に入った船を相手に商売しているからね、たまたまリンゴを積んでいたらしい。時間をかけて目的地へ運んでもいくらかは腐ってしまう。その分高くここで買ってもらった方が荷主も助かるからね、まあちょっと手伝ったわけだ」

 木箱からつややかな赤いリンゴを手に取ると総督はマリサに見せる。

「総督閣下の機動力と人脈に敬服いたします。私の予想ではひと月はかかると思っていました」

 さすがにこの早さにはマリサも驚いていた。

「Money will do anything. (金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる)お前の国の言葉はこうかな?」

 総督はこれからのマリサとの展開に期待をしているのかとても機嫌がいい。

「そんなところですね……ではサトウキビも買っておいてください。それなら安く手に入るでしょうから」

「サトウキビが媚薬ならここの男たちはそればかり食べるだろう、確かに男たちは元気がいいよ」

 その言葉にマリサも護衛達も笑った。総督は追加でサトウキビを買うと護衛に持たせる。



 マリサが監視人とともに先に露店を出ると店の男が総督に話しかける。

「総督閣下、本当にリンゴが媚薬になるんですか。あれはただの食い物ですぜ。あれが媚薬になるなら私はそれで儲けさせてもらいますがねえ……」

 男は半信半疑である。その様子にガルシア総督が相槌を打ちながら答える。

「確かに私もリンゴが媚薬だなんで初耳だよ。まあ、世間も男も知らないあの娘の言うことだから信じてやってもいいと思うのだよ。実はね、あの娘は我らの宿敵である”青ザメ”の頭目だった。しかし仲間が拷問で傷ついているのを見てあっさり私の手に堕ちたよ。その結果がリンゴで私に身をゆだねるときた。あまりにもものを知らなさ過ぎて可哀そうでならん。だからあの娘の言うように付き合ってやっているのだよ。せいぜい私のもとで可愛がってやるつもりだ。この手でイギリスを敵としない海賊の権威を落とすのがたまらなく愉快だよ」

「それはどうも……お疲れ様でございますな」

 苦笑する男を後にするとガルシア総督はマリサ達の後を追った。

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