第41話 女優マリサとホットパイ

 ガルシア総督は日々、サウラからマリサの学習の様子を聞いていた。監視はいるものの、自分がいない間に何かをやらかすのではとの不安があったからである。

「総督閣下、彼女はいたってまじめに学んでいます。特にスペインの文化には興味を示して質問してくるほどです。ただ、政治の話は全く興味を示さず、こう言ってはなんですが居眠りをされることもあります」

 サウラはありのままを話す。あれほど気の強いマリサが居眠りをするとはガルシア総督の知ることではなかった。それだけここになじんできたということか。

「なるほど、居眠りをすることがあるのか。まあ、政治の話など女は知らなくてよい。政治に口をだすような女は私の好みではない。女性は飾ってこそ花だよ。マリサも教養を深めて心身ともに望むべき女になっていくことだろう。楽しみだ」

「恐れながら総督閣下、彼女の幽閉も二か月になりますが、教養を深めるのであるなら、たまには外の世界を見せてもよいかと思われますが、いかがでしょうか」

 サウラはマリサに言葉を教えながらもその状況に心を痛めていた。一人の人間をまるで動物のように扱っていることに疑問を持っていたのだが、なかなか進言できないでいたのだ。


「そうだな……お前の言う通りだ。見分けんぶんを深めるためにも少しは外へ連れ出さねばならないな」

 ガルシア総督はこの機会にマリサを試すことにした。


 翌朝、ガルシア総督は朝食をマリサとともにしながら話しかける。

「マリサよ、サウラの指導によって随分と言葉が増え、会話に違和感がないほどになったのが理解できる。とても良いことだ。お前を買って以来ずっと籠の中の小鳥状態で窮屈な思いをさせているが、私自身はお前に手をだすことはしていない。なぜなら私はお前が私に手を差し出すのを待っているのだよ。さて、まじめにスペイン語を学んでいるご褒美に外へ連れ出してやろう。護衛や見張りはもちろんいるが、たまには日の光を浴びるのも悪くなかろう。そして仲間の様子を知りたがっているだろうから収容所を見せてやろう」


  今まで幽閉に身にあって身の周りの情報がほとんど入ってこなかったので、突然の総督の言葉に心が動く。


「格別なお計らい、感謝します」

 マリサはそう言うといつもの仏頂面で言葉を返した。総督とどのように駆け引きをするか日々考えていたのだが向こうから突破口が開けられたことをありがたく思った。



 朝食後、ガルシア総督はマリサの足枷を外すかわりに監視と護衛の者を増やし、屋敷の外に連れ出した。その様子は収容所の高い小窓からも見えた。

「……あれはマリサだ……マリサは無事だぞ。監視下におかれているようだが、元気そうだ」

 オオヤマの声にフレッドが身体を動かせようとする。

「まてまて、いま身体を起こしてやる。ラビット、フレッドの身体を起こすのを手伝ってくれ」

 ラビットは急いでオオヤマを手伝い、フレッドの身体をゆっくりと起こした。そして2人でフレッドを小窓まで連れて行く。

 2人に起こされたフレッドは壁にもたれるように立つと小窓から外をみる。


 そこには総督や多くの護衛に囲まれたマリサの姿があった。あの海戦以来、様子がわからなかった最も今会いたい人物だ。

(マリサ……無事だったか……よかった、丁重ていちょうに扱われているのだな……)

 フレッドもオオヤマもラビットもまずはマリサの無事に安堵する。それは偶然同じように小窓から外を見ていた他の牢の連中も同じだった。オルソンもマリサの無事を確認し、デイヴィスに小声で報告した。お互いに後見人として、育ての親としてマリサの成長にかかわってきたので無事の確認は何よりも嬉しかった。



 ガルシア総督はマリサを連れると護衛とともに収容所を通り過ぎ、崖を降りる。港から離れたところに白い砂浜があり、近くにはマングローブの林があった。マリサが天を仰ぐといつも窓越しにみていた空よりもはるかに高く、そして青い空があった。あたりに漂う潮の香りが何よりもなつかしく、マリサの肌をくすぐる。グリンクロス島よりも気温も湿度も高く、着ている衣服には汗がにじんできたが、足枷が外されたことでそれだけでも気持ちは軽い。

 マリサは靴を脱ぐとスカートの裾を少しもちあげ、裸足でマングローブの波打ち際を歩く。


(……フレッド、何があってもあたしを信じて……)

 

 マングローブの太く長い根が海中に林のように伸び、小魚が群れをなして泳いでいる。そこに差し込む太陽の光は波間に反射をし、木々の葉を照らしていた。

 そしてマリサは吹っ切れたかのように深呼吸をする。


(みんな、あたしは今から女優をやるよ。見ていて……絶対にあんたたちを助けるからな)


 そう思って足もとをみると一匹の蛇が泳いできた。

「きゃあっ!」

 驚いてバシャバシャと音を立てて走ると一目散に総督のもとに駆け寄り、腕にしがみついた。

「ごめんなさい……蛇がでたのでつい……」

 そう言って総督の胸に顔をうずめると総督は穏やかな顔でマリサを受け入れる。

「ほほう……さしもの海賊も蛇は苦手なのか……おかに上がれば普通の女ということだな」

「蛇もクラーケン(海にいる伝説の怪物)も怖いものは怖い。おぞましいから早く帰りましょう」

 マリサは靴を履くとそのまま総督の腕を離さずにいた。


 収容所までの帰り道のマングローブの一角で、マリサは緑がかった小さな実をつけた広葉樹を見つける。



(あれは確か……)



 その植物が行動のきっかけになるかもしれないと確信し、それが自生していることを神に感謝をした。



「では、お前に私の自慢の『嘆きの収容所』を見せてやろう。久しぶりに仲間に会うのだからよく見ておきなさい」

 総督が入口まで来ると奥から細面の男がジャラジャラと鍵音をたてて現れた。

「エスタバン、捕虜の管理ご苦労である。奴らの大元であるマリサを連れてきたぞ。そうだ、ついでに『遊び』も見せるつもりだからあの男と先に遊んでおいてくれ」

「承知しました、総督閣下」

 エスタバンと呼ばれた男は鍵を手に小走りに奥へ進んでいった。


 収容所からはかび臭いにおいが漂ってくる。マリサは一刻も早く連中に会いたい気持ちを抑えて総督と少しづつ部屋を見て回る。


(こんなところに連中がいるのか……)


 そこは捕虜施設とは名ばかりの石造りの牢獄だった。暗く小さな部屋に6人から8人詰めこまれている。一人のスペースはベッドほどで共有スペースは限られており、そんなところに連中は二か月以上も詰めこまれているのだ。そしてそこには私掠や海賊のほか”青ザメ”の連中が収容されている。”青ザメ”の連中はマリサを見かけても特に表情を変えることなく黙ったままだった。それはお互いに下手な行動を起こさない方がいいと思ったからである。マリサも声を出しそうになりながらも気持ちを抑え、仏頂面で回っていく。施設の中で日に一度だけ粗末な食事が与えられるだけの連中や私掠・海賊たちはみんな痩せていた。そして衣服はボロボロになり、黒っぽい染みがある。みんな顔や体に傷がある者ばかりだった。


(この施設で一体何が起きているんだ……あたしが拘束されている間に何があったんだ……)


 マリサは胸が張り裂けそうになりながらも声を上げずに無表情で総督たちの一行と回っていく。


(デイヴィス!なんでデイヴィスまで……)


 そこには傷だらけで壁にもたれかかっているデイヴィスがいた。そしてそのそばでオルソンも傷だらけで立っている。マリサはたまらなくなって涙があふれた。


(あたしが拘束されて悠長に屋敷で過ごしている間に連中はこんなことに……ごめん……本当にごめん……絶対に助けるからな)


 そう心に決めたとき、一人だけ無傷で元気そうな男が扉の格子越しに総督に抗議をする。グリーン副長である。


「ガルシア総督閣下、今すぐスチーブンソン君を解放してください。捕虜の取り決めはどうなったのですか」

 いつも落ち着き払って冷静に物事を進めていたグリーン副長だったが、今マリサの目の前にいるのは血相を変えて訴えているグリーン副長だ。


「相変わらず元気そうだね、グリーン殿。君は無傷でいられるだけ有難く思うことだ。スチーブンソン君は私のいい遊び相手だから手放すのが惜しいのだ。まあ使い物にならなくなったら返すよ」

 そう言ってマリサの手を引くとオオヤマ達がいる部屋へいざなった。


(フレッドの身に何が……?)


 マリサは気持ちが乱れ、鼓動が高まる。


「マリサ、フレッドは……」

 ラビットがマリサを見つけて何かを話そうとするがオオヤマが引き留める。余計なことはここで言うなということだろう。


 総督はいよいよ地下にある例の部屋へマリサを連れていく。


(フレッド!)


 マリサの視界に入ったものは拷問を受けて血だらけになっているフレッドだった。他の連中よりもその頻度が多かったのか怪我の度合いがひどい。げっそりと筋肉が抜け落ち、顔も一瞬誰なのかわからないほど瘦せこけている。



「……お願い……お願いだからもうやめて……」



 マリサは総督に懇願する。傷だらけのフレッドを前にして仏頂面なんてできないほど動揺し、止めどもなく涙があふれた。このマリサの様子にガルシア総督はもはやマリサは手中にあると確信する。

「エスタバン、その男の『遊び』は今日限りで終わりだ。私の小鳥が嘆き悲しんでいるのを見るのはしのびない。『嘆きの収容所(Campamento de lamentación)』の名前のとおり小鳥は嘆いている」

 総督がそう言うとエスタバンをはじめとする職員たちはフレッドから拘束具をとり、引きずるように連れ出す。その地下室にはよどんだ空気が漂い、血の匂いがしている。壁や床に飛び散った血を目の前にしてマリサは体の震えが止まらない。


(ガルシア総督、あんたを必ず殺す!)


 胸に秘めた思いはマリサに落ち着きを取り戻させる。


「どうだ、この収容所で起きていたことを知って自分が置かれている立場を思い知ったか。奴らの命は私の手の中にある。お前の仲間も同じイギリスの海賊や私掠の連中もそしてお前の大事な人の運命も私の気分次第だ。そしてお前自身もこの状況にあって私の手中にある。我々はここを拠点にして非公式に海賊行為を擁護し、財を成している。我が国の運命を利害関係にある他国が牛耳っていることが歯がゆくてね、志を同じくした者たちが集まったのが”光の船”だ。そして一番の狙いはお前だ……それでもあの男を慕うのか」

 総督はマリサをじっと見つめている。マリサは視線をそらすことなく総督に向き合うと口角を上げて笑った。



「あの男を慕うだって?何を馬鹿なことを言うんだ。……確かに彼はウオルター総督によりあたしと結婚するような話にはなっていたよ。でもデイヴィージョーンズ号に乗り込んであたしの監視役をしているのを口実に海軍の昇進試験を受けることはしなかった。本気であたしと結婚したいなら少しでも昇進して妻となるべきあたしを養えるだけの給料をもらえるようにすべきだと思ったけどね。あたしは彼を見切ったよ。これだけの拷問で立ち上がれないなんて海賊にしても情けないだけだ」

 そう言ってマリサはガルシア総督にカーツィ礼をし、言葉遣いと態度を変える。



「”青ザメ”の頭目として改めてガルシア総督閣下に懇願いたします。ここにいるすべての連中をこれ以上いたぶらないで捕虜交換できるようにしてください。イギリス側にも多くの捕虜がいるはずです。……そして私の身はあなたにゆだねます」

 マリサがこれまで経験したことがないほどの演技をするとガルシア総督は満面に笑みを浮かべた。

「わかればよろしい、それが大人になるということだ。貴族のたしなみを心得ているそうだが、その意味は分かるな。……それではこの収容所にいる者たちの処遇は保障し、お前の懇願に免じて今後捕虜の身体を傷つけるようなことはしないと約束しよう」

 総督はマリサの肩に手を回すと護衛の者たちを引き連れ、収容所を後にする。



 屋敷へ帰ると総督は女の使用人にマリサの着替えを用意させる。それまで着ていた使用人の服から着替えるようにとのことだった。しかしマリサはここである提案をする。

「総督閣下、ここで私のわがままを聞いていただけますか。彼らは長く国を離れ、国の食べ物に飢えていることでしょう。どうか彼らのためにホットパイをつくって私から最初で最後の差し入れをさせてください。それにあたり、大量のホットパイを作るためにこの屋敷の使用人たちの手を貸してください。何もやましいことがない証拠に監視をつけることはもちろん、同じものを総督閣下にもこの屋敷の人々にも食べていただきます。わがままはこれで最後です。受けていただけませんか」

 マリサの要求はすぐに総督に受け入れられた。マリサを手中に収めたと思っている総督にはその程度の要求はたやすいことだったのである。



 総督の声掛けにより屋敷の厨房にいる使用人と女の使用人が集められ、ホットパイつくりが始まる。ここでもウサギ肉は手に入らなかったので牛肉とチーズで作ることになった。大量のホットパイを作るために中身のフィリングをつくるチームとフィリングを包むペストリーのチームに分かれて調理に取り掛かる。ここにいる使用人たちはイギリスの郷土料理を作ったことがなく、興味深く調理にたずさわった。そして味付けについてマリサは一計を案じると迷うことなくあの味にした。


(みんな……あたしのメッセージを受け取って……フレッド、あんたならこの味の意味が分かるよね……)


 多くの人手によってたくさんのホットパイが焼き上がり、出来たものからあたたかいうちに収容所の全ての捕虜たち、職員たち、屋敷のすべての使用人や護衛の者たちに配られ、人々は味わうことができた。


 収容所ではマリサからの差し入れを連中も収容所の先客である私掠や海賊たちも喜んだ。それまでまともに食べさせてもらってないせいか、むさぼるように食べる者もいた。

 フレッドにはオオヤマとラビットが身体を起こしてホットパイを食べさせる。

「ほらよ、マリサからの差し入れだ。マリサはおいらたちを助けるために総督側についたんだ……。犠牲になって」

 ラビットは納得がいかないという顔をしている。しかしホットパイを食べたフレッドはその意味が分かった。

「マリサは次にホットパイを作るときは母譲りの味ではなく、自分の味付けで作ると言っていた。ラビット、オオヤマ、このホットパイは母が作るホットパイと同じ味だ。……マリサは今、演技をしている。マリサであってマリサではない。……だから僕たちも演技に付き合おう」

 フレッドの言葉に大きく頷くラビットとオオヤマ。


 一方、デイヴィスたちにもホットパイが配られたのだが、グリーン副長はマリサの変わりようを腹立たしく思っている。

「なんなのだ、あの変わりようは!まるで尻軽女だ。スチーブンソン君のことを忘れて総督になびいているではないか。君たちはあんな頭目のもとで海賊行為をしていたのか。残念だ……残念でならない」

 こう言い捨てたのを受けてオルソンが答える。

「それはどうかな……結論を出すのはまだ早いと思うがな……」

 オルソンの含みを持った言い方にマリサに対してある思いを持っているグリーンは言葉を返せなかった。


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