第40話 籠の中の小鳥

 ”光の船”に囚われて三週間が過ぎた。マリサはいまだに足かせをはめられ、総督の屋敷に幽閉されている。外に出ていないせいかマリサの日焼けした肌の色が薄くなったようだ。片足が鎖によって柱と繋がっているほかは、その鎖の長さの範囲内で自由に居室内を歩き回ることができた。

 しかし24時間監視付きである。生理的な要求はちゃんと対応してもらってはいるがそれでも周りに誰かがいるのは同じだった。

 フレッドや仲間のことを気にしながらもそれを口に出すと取引の話に持っていくのがわかっているので、マリサは自分からそのことを言うことはなかった。



「マリサよ、お前は小鳥であることを不便に思っていないのではないか。ただ部屋をうろうろするだけで何もできないのはさぞかし辛かろうと思うのだが」

 ガルシア総督はマリサと向かい合って食事をしている。マリサも特に反抗するでもなく、総督の話の相手をしながら同じ食事をしている。それはマリサの考えがあってのことだが収容所にいる連中が見たら誤解をするだろう。

「いや、そんなに辛くはないよ。スペイン語の本を読んで言葉を覚えている。本を読む時間はたっぷりある。あたしの後見人は貴族のたしなみと読み書きを教えてくれた。読み書きを知っていることは何をやるにしても役に立つからな」

 マリサは一緒に食事をしながらも総督のしぐさや言動から何か情報を聞き出せないか観察をしているのだが、当の総督はマリサが逃げることを諦め、腹をくくったのではないかとみていた。

「そうか、スペイン語の本を読んでいるのか。それで以前に会ったときより言葉を知っているのだな。お互いに相手の言葉が流暢りゅうちょうでないと意思の疎通は難しい。ならば英語を話せる者を部屋によこすから、その者にスペイン語を教わるがいい。お前も気持ちが私にむいてきたな」

 マリサが話すスペイン語は文法の間違いがあるものの、語彙ごいが増えており、会話として不足は感じられない。ガルシア総督はこうしたマリサの行動を肯定的に受け止めていた。

「ご好意を有難くいただくよ。海賊だからって勉強は必要だからな。勉強は読み書きだけじゃなく船を操ることもそうだし、料理をして食べさせることもそうだ。何も考えないでいるとしたらそれは生きるしかばねだ。あたしは屍にはなりたくはない」

 そう言うと総督はワインを勧めてきた。

「やはりお前は私が見込んだだけのことはある。なんとしてもお前を誰もがうらやむような女にしてやりたい。その素質をお前は持っているのだ。このワインはスペイン産だよ。イベリア半島はワインのブドウ栽培とワインの醸造に適した土地だ。海賊ならビールやラム酒だろうが、ひとつ味わってみてくれ」

 総督に勧められるまま、マリサはスペインワインをいただく。ナッソーで暴れてから再び禁酒がここで破られるとは考えもしなかったが、今の自分は酒を自制できる。目の前にいるのはフレッドでもなく連中でもなく、ガルシア総督だからだ。

「……いい味だね。ただあたしはワインが合うような豪華な食事には慣れていないし、ワイン自体も好みじゃない」

 そういって二杯目を断った。

「相変わらずはっきりした女だ、悪くない。今の私は地位も財力もある。言い寄ってくる女はどこにいてもいるのだが、そんな女には興味はない。私は強い意志をもった女性が好みでね。そう、お前みたいに……」

 総督は立ち上がるとおもむろにマリサの右手首をつかむ。

「その気になれば武器を持たないお前など手籠めにできないことはないのだよ」

 

 とっさのことで驚きをかくせないマリサ。仏頂面でその手をゆっくりと取り払うと、落ち着いた調子で言葉を返す。

「ガルシア総督閣下、あたしは敬虔けいけんなキリスト教徒である育ての母親の言いつけを守っている。もしあんたがそんなことをしたら、あたしは相討ちして死ぬ覚悟だからな」


 マリサのこの言葉をガルシア総督はことさら喜んだ。海賊でありながら場末の女たちと違い、身持ちがいいマリサを自分のものにしたい思いで溢れる。

「ますますお前が気にいった。よかろう、籠の中の小鳥であろうとお前は私の宝物だ。ぞんざいな扱いはしないと約束しよう」

 そう言ってさきほどの非礼を詫びた。

 

 こうしてマリサが自然な形で駆け引きを先導していることにガルシア総督は気づかないでいた。




 嘆きの収容所では連日の精神的にも肉体的にも追い詰める拷問によって私掠船の連中に死傷者が出始めると、その対象は”青ザメ”へと移っていった。右腕に力が入りづらいデイヴィス、オルソン伯爵もその順番がやってきて、ガルシア総督の気まぐれな『遊び』の餌食となった。ただ、いまだにその対象とならない人物がいた。グリーン副長である。

 グリーン副長だけはまるで無視されるかのように呼び出しを受けることはない。それを助かったという思いでいるのではなく、当たり前に受け止めていることにオルソンはなおさら疑念を抱かないではいられなかった。



 フレッドは特に目をつけられてしまい、その回数が他の連中よりも多かったので、けがの回復が誰よりも遅れている。この頃は自力歩行が難しくなり、収容所の男たちに引きずられるように戻ってくるようになった。かわす言葉もほとんどなく、一日の大半を寝て過ごしていた。満足に食べられず、かろうじて体を休めるのが精いっぱいだった。

「総督はどこからかマリサとフレッドの関係を聞きつけたのだろう。ラビット、今回の作戦はおかしいとおもわないか。デイヴィス船長が指揮を執っていたならあんな作戦はしなかったはずだ。今回は提督の艦隊のなかで動いていたからグリーン副長が指揮を執っていたが、どうも納得いかない」

「……それはこの作戦は最初からこうなることを予測していたものだったということか?イギリス海軍はそんな作戦をしてなんの利点があると言うんだ」

 ラビットは怪訝けげんそうな顔をした。すると板のベッドに横たわっていたフレッドがゆっくりと起き上がると壁にもたれ、小声で話しかけてきた。


「どのような作戦であろうと結果が全てだ。僕たちの作戦に不備があったのかもしれないが、今更どうこう言っても始まらない。それよりもこの収容所について得た情報はあるか。めいめいが得た情報もあつめたら何かわかることがあるかも知れない」


 かすれたフレッドの声にオオヤマやラビット、そして”青ザメ”よりも前から収容所にいる私掠や海賊(pirate)の男たちも声を殺して話に加わる。それぞれが収容所から地下の部屋へ移動する際に、回廊の景色や収容所の職員たちの動きから得た情報を交換し合った。



「ここの構造だが、ゆっくりと移動しながらでもこの収容所の様子を観察することはできる。この収容所は中庭があり、各棟は回廊で繋がっている。周りは石造りの高い外壁で囲まれその外側は海に面している。牢の鍵を持っているのは細面のエスタバンという男だ。ここを任されているらしい」

 フレッドの言葉に元気づけられた私掠の男は

「……そのとおりだ。そして総督がやってくるのは昼間であって夜はこない。総督は俺たちをいたぶったあとはこの収容所とは反対側にある屋敷へ帰っていく。だからずっとここに居座るわけじゃない。"光の船"の略奪は今も続いている。ここの奴らが自慢していた」

 と話す。

「提督の艦隊は奴らの戦列艦を破壊し、何隻かの舟にダメージを与えた。ただ、"青ザメ"を狙い撃ちした二隻の海賊船は損傷はなかった……だから今も海賊行為を続けている。彼らの目的は海賊行為による略奪だ。そしてもう一つ……"青ザメ"の頭目であるマリサだ。デイヴィージョーンズ号を破壊しようと思えばできたのにやらなかったのは、マリサを捕らえるためだった」

 フレッドはそう言うと、再び板のベッドに体を倒した。身体を支えることが痛みで困難だったのだ。


「マリサについて何か情報はあるのかよ。こっちへきてから全くそんな話は奴らから聞けなかったけど。おいらたちとは別の収容所へ連れていかれたんだろ?」

 ラビットが言う通り、あの日収容所でいく前に別れたきり、マリサの音沙汰はない。無事でいるのかさえ分かればまだ希望は持てるのだが、収容所の職員はそんな話をしない。恐らく知っていても言わないのだろう。フレッドもオオヤマも私掠の男たちも黙ったままだ。

「ラビット、マリサは捕虜として捕らえられたとき、チャンスを逃さず脱出に成功し、海軍の捕虜たちをも脱出させた。今、仮に捕らえられているにしても必ず様子を見ながらチャンスをうかがっているはずだ。あいつは銃や剣だけでなく、他の手段を用いて戦うことを身に着けている。オルソンやギルバート、俺が身を守る手段を叩き込んだ結果だ。マリサは必ず行動をおこすよ……だから俺たちもそのチャンスのときに行動をおこすんだ」

 オオヤマがそう言うと私掠の男たちが頷きながら目を光らせる。


「やろうぜ。どうせ生きるか死ぬかなら悔いなくやりとげていく覚悟だ。今までお互いに紹介はしてねえから言っておく。俺はジョン……みんなからリトル・ジョンと呼ばれいた。操舵手をやっていた。こっちにいるのはジョナサン、そしてスミス。よろしくな」

リトル・ジョンはそう言って同じ部屋にいる仲間を紹介していった。あわせてオオヤマも”青ザメ”の立場から紹介する。

「俺はオオヤマ。遠い異国で武士をやっていた。もう母国へは帰る手段も国の受け入れもないから”青ザメ”として生きていくつもりだ。ここにいるのはラビット・ロロ。逃亡奴隷だったのを”青ザメ”が救った。”青ザメ”は人種も宗教も身分も問わない立場だ。よろしく頼むよ」

 そう言ってリトル・ジョンたちと手を握った。



 こうして嘆くばかりではなく協力し合うことで何か行動できないか模索しているのはオオヤマ達だけではない。その動きはグリーン副長がいる部屋を除いてあちこちで見られた。そしてそれは籠の中の小鳥とされながらも何か行動を起こそうと胸に秘めているマリサも同じだった。

 

 

 ガルシア総督が約束した通り、翌日から英語を流暢りゅうちょうに話すスペイン人の『教師』がマリサの相手をするために来た。通訳として総督に仕えている役人だった。年代はガルシア総督と同年代と思われるが、着ているものはごく普通である。総督のように派手な装飾物や豪華なレースが施された服ではない。ただ、清潔には気遣っているようで、着ているシャツはまめに洗濯されているようだった。

「初めまして、お嬢さん。私はイサーク・サウラ、この植民地で通訳として働いています。総督閣下からあなたに言葉を教えるように言われましたので参りました。日常会話はお出来になるようですのでもう少し深めましょう」

「サウラさん、よろしくお願いします」

 相変わらずの無表情で返すマリサ。この様子にマリサの監視をしている者たちはマリサが緊張をしていると感じていた。幽閉されてからというもの、仏頂面で暮らしていることに解放されることがないことの諦めからきていると思っている。それはそれでマリサには都合が良かった。



 こうしてマリサは日に1時間から2時間、サウラにスペイン語を教わっていった。文法や語彙などのほか、スペインに伝わる昔話や歌も題材にされた。政治的な話は英語だろうとスペイン語だろうと興味をもたないマリサも昔話やわらべ歌には意欲的に取り組んだ。そういった題材は国や言語を超えてどこにでもある文化であるので、身近に感じながら言葉や会話を覚えていくことができたのだ。

 この様子をサウラは逐一ガルシア総督に報告している。それは総督に仕える役人として当然のことではあるが、マリサが意欲をもって言語を習得しようとしているので、それは自分の指導が良いのだと自負している。

 船も仲間も武器もないマリサは一介の女性に過ぎないことをこれまでの様子から認識した総督は、サウラの報告に満足をしていた。



 マリサ達が捕らえられてから1か月半が過ぎた。嘆きの収容所ではイギリスの私掠や海賊、そして”青ザメ”たちが総督によって『生かさず殺さず』という捕虜条約に反した扱いをされ続けている。すでに精神を病んだり貧相な食事や衛生環境から病気を引き起こしたりする者やそれによる死者が出ていた。デイヴィスも年齢的なものもあるからか、体が弱まっている。オルソンはそんなデイヴィスをかばい、『総督の遊び』の呼び出しには代わりに自分が出るというのだが、デイヴィスはいつも断っていた。


「気持ちは有難く受け取るよ……ただ、ここで俺がオルソンの好意に甘えてしまったらそこで船長の役目が終わることになる。マリサに笑われるよ」

 デイヴィスは日増しに動かすことが困難になっていく右腕をかばいながらオルソンに言う。

「……そうだな、あいつはきっとこう言うだろう。『民主的に船長交代だ』ってね。それが私たち海岸の兄弟の誓いであるからな。だが、くれぐれも無理はしないでくれ。マリサが悲しむだろうからな」

 オルソンが言うとデイヴィスは少しだけ笑みを浮かべた。



 総督から『遊びの呼び出し』がないグリーンは”青ザメ”の連中だけでなくフレッドがその対象とされていることに心を痛めていた。


(スチーブンソン君はイギリス海軍の捕虜だ。海賊とは違う。だから紳士的に扱うことを約束したはずなのになぜガルシア総督は守らないのだ。これでは話が違う)


 フレッドが役人に連れていかれるのをドアの小窓から垣間見るたびに手出しできないことに焦りを感じていた。そして何よりも自分自身がいつまでもそこから出られないことも納得がいかなかった。


(私とスチーブンソン君はここには入らない。入ってもすぐに捕虜として海軍に返すという話だったのになぜだ)


 グリーン副長は心がおだやかではない。意を決して通りがかった役人に問いただす。

「なぜスチーブンソン君を『総督の遊び』の対象にするんだ……彼はイギリス海軍の士官だぞ。捕虜として紳士的に扱うはずじゃなかったのか。これでは話が違うじゃないか」

 ドアの小窓越しに役人に訴えるグリーン副長。しかし役人は顔色を変えることなく答える。

「いい加減に気付かないのかね、グリーン殿。あなたが我々を利用したのではなく、我々があなたを利用させてもらったんだよ……有難くね」

 そう言って薄ら笑った。

「騙したな」

 格子をきつく握りしめるグリーン副長。そこにははかられた悔しさであふれていた。

「我々は”光の船”だ、国家間の約束事は通用しないと知っているだろう。騙される方が悪いんだよ」

 役人はそう言い捨てて去った。


 この様子をオルソンもデイヴィスも見ていた。しかしそれをグリーン副長に問いただすことはせずにあえて無視をしている。そしてオルソンは彼の正体についてようやく記憶をたどることができていたのだった。

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