第39話 嘆きの収容所(Campamento de lamentación)②

 ”青ザメ”が囚われてから二週間が過ぎた。嘆きの収容所(Campamento de lamentación)という名前の意味を連中は否応がなく知ることになる。その間にも私掠船の男の一人が精神に支障をきたして言動がおかしくなった。終わりのない痛みと苦しみで『死んだほうがマシ』と言っていた通りだった。

 別の男は傷が癒えないうちに牢から出されては新たに体に傷をつけて戻ってくる。傷の手当などされるわけがない。『生かさず殺さず』の言葉通りに収容所では拷問が行われている。私掠船の連中の様子を見て”青ザメ”たちもおびえるようになった。

 懲罰でもなく一方的な拷問は捕虜の協定に違反するだろうが、ここは国家間の約束事が通用しない政府非公認の”光の船”の本拠地だ。ガルシア総督の擁護の下で何か嫌疑があってももみ消されている。

 

 そして今日もまた別の男が呼ばれる。

「や、やめてくれえ……俺はまだ死にたくない……嫌だ、もう嫌だ」

 壁に張り付いて必死に抵抗するその男は40代ぐらいか。収容所の職員に涙を出して懇願する。すでに何回か拷問を受けており、着ている服は血の染みが広がっている。

「大丈夫だ、殺されることはない。生かして戻してやるから安心しな」

 収容所の職員は笑いながら壁にへばりついている男を連れ出そうとする。収容所に男の叫びが響き渡る。

「嫌だ!助けてくれ……頼む……」

 

 この状況にフレッドも目をそむけていた。しかし悲痛な声にいたたまれなくなって声を出してしまう。

「あなたたちももういいでしょう……十分苦しめたでしょう……いいかげんにやめたらどうなんですか」

 職員に激しい口調で抗議をするフレッド。そこへちょうど日々の巡回で収容所を訪れていたガルシア総督が通りかかる。

「おや、えらく元気がいい若者だねえ。なんなら代わりに君とこともできるよ。……君は”青ザメ”の捕虜だね。君と遊ぶとマリサがさぞかし喜ぶだろうねえ」

 そう言ってガルシア総督は抗議をしていたフレッドに歩み寄る。

「マリサはどこにいるんですか!マリサに手を出さないで頂きたい!」

 総督の口からマリサの名を聞き、フレッドは激しく動揺する。これをガルシア総督は見逃さなかった。

「ほう、そうか。さては君は海軍士官のスチーブンソン君だね。君がいることはあらかじめ情報を得ているよ。マリサの監視役として船に乗り込み、しかもウオルター総督はマリサが君と結婚することで海賊として処刑されるのを避けようとしているそうじゃないか。クククク……」

「だったらどうなんですか!それはあなたには関係がないことでしょう」

「いやいや、大いに関係があるよ。では、彼の代わりに君と遊ぶことにしよう」

 そう言って総督が職員を促すとフレッドは何人もの男に拘束され、連れ出された。同じ牢にいたラビットとオオヤマはとにかく無事を祈るしかなかった。


「ラビット、囚われの俺たちは今は状況判断するしかできない。不安もあるだろうが今のうちに様子を観察しておけ。見張りの連中の顔触れや持っている武器、この収容所の間取りなど少しでも情報を集めておくんだ。他の仲間のことは反響する声でどこらへんにいるかも見当をしておけ」

 フレッドが連行されたことに驚き、震えているラビットの肩にオオヤマは手をかけた。他の連中と同様にオオヤマもまた刀を奪われており、情報収集しかやれることはなかった。

「……オオヤマ、あんたは怖くねえのかよ。おいらは怖い。奴隷船の中でも暴行を受けることはあったけどここはそことは違う。いつ自分がその立場になるか怖くてたまらねえよ」

「それは誰もが同じだ。フレッドもろくすっぽ睡眠をとることができていない。みんな怖いんだ。俺たちは海戦で死線を潜り抜けてきたのにここはじわじわと抵抗できない恐怖が襲ってくる。ただ言えることは死んだら何もできないということだ。生きてさえいればチャンスがないわけでもない。ラビット、お前はマリサの判断で奴隷の身から命を繋ぐことができた。それを無駄にしてはいかん」

 オオヤマは牢の高窓からかすかに潮のにおいを感じ取っていた。それはこの収容所が海側にあることを意味していた。

「わかったよ、今できることをやってみるよ。おいらたちの武器は取り上げられてどこかに集められているはずだ。あんたのあの刀もだ。あれがないと戦えないだろう?」

「こちらの刀で全く戦えないというわけではないがそもそも使い方が違うからな。それは奴らも同様だ。剣技も知らぬのにあんな刀を持っても力は発揮できないだろう」

「まずは武器のありかを見つけないといけねえよな。そして火薬のありかもだ。オルソンなら効果的に爆発させることを考えられるだろう。……死んだら何もできない……奴らの『生かさず殺さず』はチャンスがあると思わねえといけねえな」

 ラビットがそう言うとオオヤマはラビットの顔を見て頷いた。

「お前は逃亡奴隷、俺は国へ帰れない浪人侍だ。お互いに生き延びてみせようぜ」

 二人は同じ立場と不安のなかで考えを共有することができたのだった。


 

 フレッドは収容所の地下にある部屋へ連れて行かれた。ここでも部屋と言えど事実上は石造りの牢だった。そこへ入るなり、肉が腐ったようなにおいが充満し、吐き気をもよおす。床や壁には黒い染みが点々とあり、それは捕虜をいたぶった際に飛び散った血の染みであった。そして拷問で使われたと思われる数々の拘束具や血のりがついた道具があった。この様子を観察していたフレッドの心に張り詰めたものが切れそうになっていく。

「おや、まさかとは思うが後悔をしているのかい。あんなに強がりを言っていたのにやはり自分がかわいいと見えた。心配しなくても私は君を殺しはしない。君は取引の道具だからね、生きたまま仲間のところへかえしてあげるよ。君が死んでしまったらマリサが私に平伏しないだけでなく歯向かってくるだろうからな」

 ガルシア総督はそう言って牢の一角にあるベルベットの布が張られた椅子に腰かける。

「さあ、今日も私を楽しませてくれ。マリサがこのことを知らずにいることが愉快でたまらん」

 ガルシア総督の声にお付きの男たちがフレッドの手枷てかせを柱に固定する。そして一人がナイフの先をフレッドの体に向けると、もう一人がその場にあったこん棒で何度も殴りつけた。


「ぐわっ!」


 何度も体中を激しく殴りつけられ、フレッドの体が揺れ動く。そして体が動くたびナイフの刃がフレッドの体を傷つけ、たちまち血だらけになっていった。

 歯を食いしばってじっと耐えるフレッド。しかしこの収容所へ来てからまともに食べることができないばかりか眠ることもできないでいるフレッドは体力が消耗しており、じきにその限界が来た。

 力尽きると手枷をされたまま柱に吊るされたようにぐったりとして動かなくなった。

「なんだ、見かけ倒しだな。いったいこんな男のどこがいいのかマリサの好みがわからん」

 ガルシア総督はそう吐き捨てると男たちに遊びの終了を言い、フレッドをラビットたちがいる部屋へ戻すよう指示を出した。



 意識を失っていたフレッドは男たちに水をかけられ、目を覚ます。

「残念だったな、まだこれからだったのによ。ほら、仲間のところへ帰るからちゃんと自分で歩けよ」

 手枷を外され、ゆっくりとたちあがろうとするがふらふらと倒れそうになる。フレッドは痛みで言葉が出なかった。一歩……二歩……フレッドは血をしたたらせながら通路を歩く。そしてその姿を見かけた男がいた。グリーン副長である。牢の扉の窓から垣間見たフレッド……慌てて扉に近寄り後姿を確認するが間違いなくフレッドだった。


(スチーブンソン君がなぜ拷問を受けた?……話が違う)

 落ち着きをなくすグリーン副長。何度も首を振ったかと思うと座り込んでしまった。

 フレッドの姿はオルソンもデイヴィスも窓越しに見ていた。やはりこの収容所は何か別の事情があると思われた。そしてグリーン副長の様子にオルソンが考えを巡らせる。


(グリーン副長、どうやらお前のしっぽはこの”光の船”にあるようだな。残念だがお前を信じるわけにはいかん)

 オルソンはグリーン副長に疑念を抱かないではいられなかった。

 


 フレッドはようやくラビットたちの下へ戻されるとそのまま倒れこむ。

「フレッド!」

 ラビットとオオヤマがフレッドを抱えて粗末な板のベッドに寝かしつける。血だらけのフレッドに何か止血をと思ってもここには何もない。

「すまねえ……俺の為に……俺の代わりになってすまねえ」

 私掠船の男が駆けつける。

「……気にするな、順番が早くなっただけだ」

 フレッドはようやくそれだけ言うと痛みで横たわった。


「オオヤマ、おいらたちはともかく海軍であるグリーン副長とフレッドは奴らからみれば身代金をとることができる捕虜だと思うが、その交渉をしているように思えない。身代金は考えないということか」

 ラビットはフレッドの状態に動揺しながらもなんとか平静を保とうとしている。

「ラビット、ここは国家の約束事がない収容所だから捕虜協定などないのだろう。奴らにとって俺たちは私怨のはけ口に過ぎないからな」

 オオヤマは採光のための小さな窓から外の様子を垣間見ている。

「おいらたちの船はどうなったんだろうか。まさかあの船で”光の船”として海賊行為をしているんじゃないだろうか。……船を奪われた海賊ほど情けねえものはねえ。あの”赤毛”の船長(アーサー・ケイ)とその仲間も船を失ってからデイヴィージョーンズ号に乗っている。アーサー船長はその後グリンクロス島に残ったが、船を失ったときのあの表情を忘れることはできねえよ」

 ラビットは”青ザメ”に加わってから逃亡奴隷であることを忘れるかのように真面目に働いていた。戦闘となれば身を隠すために船内でオルソンたちと砲を撃つ方に回っていたが、普段はハーヴェーの下で掌帆を教わっている。ラビットにとってデイヴィージョーンズ号は家そのものだった。


「ラビット、改めて聞くが俺たちの『職業』は何だ?」

 オオヤマが無精ひげをさわりながら尋ねる。

「……『職業』って……こんな言い方があるのかはわからねえが、おいらは海賊しか知らねえよ」

「そうだ、俺たちは海賊だ。海賊の理屈は『奪う』だ。だから奴らに船を奪われたのなら当然のごとく『奪い返す』だ。どんなに老朽化していてもデイヴィージョーンズ号は”青ザメ”の船であり、俺たちの家であり仕事場だ。他の海賊(pirate)なら襲撃し、自分たちの船にすることはあるが、少なくとも”青ザメ”がまだ私掠をやっていたときからデイヴィージョーンズ号は”青ザメ”の船だ。だから俺は船を奪い返す。機会があればな」

 そこへ私掠船の男の一人が声をかける。

「そうか、やはり”青ザメ”は昔私掠だったんだな。噂には聞いたことがあるよ……ある事件を引き起こした男が逃げ込んでいるってね。俺たちは私掠免許をもっていて襲うのは戦争状態にある敵国の船だ。母国は襲わないし、取り分以外は国や投資をした者たちに差し出し、失敗したら航海の必要経費を払わねばならない。今までにも海賊共和国ナッソーに何度も立ち寄っては船団を組んで襲撃したことがあるぜ。ところであんたたちが外洋や湾岸でスペインやフランスという相手に限って私掠に近い海賊行為をしてるのは何か理由があるのか。しかも女王陛下の海軍に協力をしている。まあ、その結果が今ここにいることだがな」


 オオヤマはじっと男の話を聞いている。

「その辺のいきさつは古参の連中じゃないとわからない。俺は”青ザメ”に救助されてそのまま仲間にはいったんだが、すでにそのときには海賊(buccaneer)だった。頭目であるマリサが船に乗ったのはその後の話だ」

 そう男に返しているその横で、今日の総督との『遊び』をフレッドが受けたことで免れた男がうなだれて呟く。

「国へ帰りたい……生きて帰れなくても骨だけでもいい、故郷へ帰りたい。夢を見ていても総督の都合で急に行われる拷問に気がおかしくなってしまった奴も一人二人じゃない。もしあんたたちが船を奪い返して国へ帰るというなら、骨になっているだろう俺たちも連れて帰ってくれ」

 その男の表情は苦悩に満ちている。そしてオオヤマは首を振って答えた。

「骨じゃいけない。この生身の体で生きて帰るんだ。だからそのときは俺たちに力を貸してくれないか。今回の海戦で”青ザメ”も多数の死傷者が出た。船を操るには人手が必要だ。みんなで協力し合ってここから脱出しようぜ」

 オオヤマは私掠の男たちに声をかける。そこへ収容所の監視人が怒鳴ってきた。


「¡Cállate!(うるさい!)」

 どうやらぶつぶつひそひそ話していることが気にいらないようだ。

「 Todos están tristes!(みんな悲しんでいるんだ)」

 私掠の男も片言ではあるが言葉を返した。今は怪しまれないことが一番だ。しばらくは収容所へ入れられて希望を失った捕虜であり続けることがいいようだ。

「フレッド、奴らからマリサがどこにいるか何かききだせたか」

 オオヤマが尋ねるがフレッドの返事はない。極度の緊張から解かれたものの痛みでうつらうつらしているようだ。


(……総督のことだ、マリサを無碍にすることはないだろう。そしてマリサも何か行動を起こすはずだ。生きてさえいれば策はある)


 オオヤマは再び小窓から何か外の情報を得られないかと考え、様子を見るのだった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る