第38話 嘆きの収容所(Campamento de lamentación)①

  提督の艦隊は海戦で船が損傷したアストレア号とジャスティス号を曳航し、ボートに避難していた乗組員たちを救助するとジャマイカに引き返すことになった。デイヴィージョーンズ号のグリーン副長と士官フレッドのことは体制を整えて救出することにしていたのである。提督たちがあくまでも救出するのは海軍の二人であり、”青ザメ”ではない。デイヴィスがよく言っていた『海軍はときに冷たい選択をする』という所以ゆえんだった。


 スペインの海賊たちに船を拿捕されたグリーン副長とフレッド、”青ザメ”たちはスペインの植民地へ送られた。カリブ海に近いスペイン植民地はグリンクロス島よりも気温が高い。海賊たちが横行するカリブ海において自分たちがこのような屈辱を味わうとは考えもしなかった”青ザメ”たちは住民から罵声を浴びせられながら収容所へ向かう。今までスペインとフランスを相手に海賊行為を行い、損失をさせていたのだから仕方がないことであるが、このまま生きて帰ることができるのだろうかと不安でいっぱいだった。

 白いレンガ造りの街並みはまだそんなに大きな町ではなかったが、その町に不釣り合いなほど大きな収容所が作られていた。最近になって作られたらしく、まだ外壁の汚れも感じられない。

 ”青ザメ”の連中は先が見えない不安に駆られながらいくつかのグループごとに収容されていった。


「お前たちはいわゆる『捕虜』という扱いではない。なぜなら、我々は政府非公認の組織であり、国家間の約束事は通用しない。国へ帰ることができるか以前に生きて帰ることができるかは総督閣下の気分次第だ」


 この収容所のボスであろうか、小太りの男が連中に言い放つ。そして彼の言葉は”青ザメ”の連中をさらに不安にさせたのだった。もしもこれが正規の国家間紛争による捕虜であったなら捕虜の扱いに定めがあり、戦争が終われば協定で捕虜の交換となって国へ帰ることができるのだが、”光の船”はスペイン海軍ではなく、国力を失いつつある国を見切って自分たちで収益を上げようとする一種の無法集団である。イギリス海軍のセオリーで動いているウオーリアス提督の艦隊とその点で違っている。


 一方、商品とされたマリサは銃口を向けられながら総督の屋敷へ通された。マリサを囲むように海賊の男たちがぞろぞろと歩いていく。取り巻きだと思われてもおかしくなかったほどだ。

 そして屋敷の奥にある部屋に通されるとマリサはある人物を目にする。


「……ガルシア総督」

「また会えて嬉しく思うよ。私の天使、前回は思わぬことでお前を逃がしてしまったが今回はちゃんと鳥かごに入れておくことにするよ」

 そこにいたのは紛れもなく、クエリダ・ペルソナ島にいたガルシア総督だった。かつらも衣装も身に着けている貴金属の趣味も間違いなくガルシア総督だった。マリサにあの捕虜生活が思い起こされる。


「なぜ私がここにいるのか不思議に思っているだろうから説明をしておく。私はここの総督として着任したんだよ。まあ、そのために相応の対価をだしたがね」

 ガルシア総督はそう言って海賊の船長を前に進ませると用意していた宝箱からずっしりと金貨が入った重い袋を手渡した。

「小鳥の捕獲、ご苦労であった。商品は間違いなく受け取った。あとは海賊行為を遠慮なく続けてくれたまえ」

 総督から商品の代金であり報奨金でもある大量の金貨を受け取った海賊の船長は満面の笑みでその重みを味わい、仲間たちとその場を後にした。


 ガルシア総督は満足そうに彼らを見送ると護衛の男にあるものを持ってこさせる。それは足枷あしかせだった。逃亡奴隷のラビットもはめられていた束縛の装具である。

「お前は私に買われたんだよ。だから鳥かごから逃げられないようにしておくのだ」

 男はマリサに足枷をはめるとその鍵を総督に渡す。

冷たい金属の感触がマリサの右足首に広がる。足枷に繋がる鎖の先は部屋の柱に伸びていた。

「どうだ?奴隷のように扱われるのは。人身売買を嫌うお前にふさわしいと思うが」

 総督がマリサの顔を覗き込み、髪をかきあげる。

「……あんたらしい趣味でいいじゃないか。残念ながらあたしの趣味とは違うけどな」

 マリサは目立って表情を変えず、平静を保とうとしていた。しかし、体にある異変が生じる。


(……な、なんでこんなときに……!)


 下半身から生温かい物がおりる感触がある。そしてそれは屈辱的にも総督の目に触れた。

「これはこれは失礼した。セニョリータ、すぐに女の召使いを呼ぼう。」

 

 マリサは自分の体を呪う。イライザから大人になると毎月やってくる月経のことを教えてもらったが、マリサはそれが不規則だったのだ。これは船上生活が長くて食べ物が偏り、戦いに晒されるストレスも起因していたが、マリサはそんなことはわからない。そしてイライザもそのことは知らないことだった。

 女性の召使いがあてがわれることにより、はからずも総督によって救われた形になったマリサは不安と動揺が入り混じって唇を噛む。


 やがて女の召使いがくると部屋に仕切りがされ、手当てと使用人の服への着替えがなされた。リネンのあて布がこんなにありがたいと思ったことがあろうか。屈辱と恥辱で総督に強がることができなくなり、マリサは言葉から勢いが消える。


 この一件のせいか、その後の監視人には女性が1人余分につけられた。ガルシア総督も人身売買で得た商品であるマリサに対してちゃんと線引きはしているようだ。

 総督の執務室の奥にある居室に閉じ込められたマリサ。まさに『籠の中の鳥』だ。そして総督は毎日、一日に何度も様子を見にきたりマリサと共に食事をしたりしていく。



「私の小鳥、私はお前を殺すことはしないから安心しなさい。毎日お前をでながら食事をし、お前を見つめながら眠ることができるこの幸せを満喫しているよ」

「あんたの悪趣味につきあっているあたしもだよ。おかげで飽きることはない」

「なるほどな、お前が幸せなら私も気分がいい。ただその強がりがいつまで続くかな……」

 ガルシア総督はそう言うとマリサの耳元でささやく。

「……お前はただ私に愛でられているだけの小鳥ではない。”青ザメ”の仲間の命とグリンクロス島の安全はお前にかかっているのだよ。クエリダ・ペルソナ島の捕虜だった時にお前に言ったことを覚えているだろう。”青ザメ”の頭目マリサ、そしてグリンクロス島総督の娘の一人であるマリサ……」

 マリサにはその言葉の意味することがよくわかっていた。ガルシア総督は相変わらず取引をしようとしていたのだった。そして総督は海賊たちに金貨を与えた宝箱から輝く黄金の首飾りだの、宝石をちりばめた異国のティアラだの、ジャラジャラと音を立てながらマリサに見せつける。そしてその一つをマリサの首にかけると満足そうに喜んだ。

「おお、なかなかお似合いだよ、私の小鳥。海賊であるお前ならこの装飾品の価値はわかるだろう。我々はスペイン継承戦争で財政危機にあり、自国の運命を他国にゆだねなければならないことを非常に憂えておる。だからこそ国の縛りを超えて海賊を擁護し、その収益をいただいているのだよ」

「ああ、そうだね……なかなか重みのある装飾品だ。だけどこんなのが似合うのはあたしみたいな海賊じゃなく成金のあばずれだよ。ガルシア総督、あたしはそんな女じゃない、見くびるな」

 マリサが動くと足枷の鎖がシャラシャラと音を立てる。そしてマリサの言葉にガルシア総督の目が光る。

「ほう……、そういうことか。お前がまだ男を知らぬとはな……。おもしろい……クククククク……楽しみがまた増えたな」

「あたしは高いぜ、ガルシア総督。こんな宝物じゃあたしはなびかない、諦めな」

 マリサは総督が首にかけた装飾品をとるとガルシア総督に手渡す。その際、総督はマリサの手を握りしめた。体中に悪寒が走る。駆け引きは五分五分だろう。マリサは仏頂面のまま手をゆっくりと引く。

「諦めるのはお前の方だ。何せここは要塞と化した街並みであり、ここにあるのが嘆きの収容所(Campamento de lamentación)だからな。その名の由来をいずれお前は知ることになるだろう。外の現実を知って私に平伏するのはマリサ、お前だ」

 

 総督の言葉はマリサを現実に引き戻す。囚われて以来、仲間がどうなっているか全くわからない。マリサだけは途中からこの総督の屋敷に連れてこられ、仲間とは別方向だった。恐らくガルシア総督のいっている収容所に入っているのだろう。

 マリサは想いを巡らせると総督に言い返す言葉が見つからなかった。下手にここで総督に言えば取引を強要されるだろう。今は情報収集が先だと思われた。

 黙り込んでいるマリサを見てガルシア総督はマリサはいずれ我が物になると確信し、微笑む。

「わかればいいんだよ。お前は宝石でいえば原石だ。磨けば輝くような宝石になるだろう。私のこの手でお前を誰もがうらやむような女に仕立て上げてやる。かわいい小鳥、お前は死ぬまで私のものだ」

 そう言ってガルシア総督はマリサを抱きしめると何度もキスをしてきた。

 

 その場でこの男を殺せたらどんなにいいだろうか。全身にめぐる殺意は表に出ることはなく、マリサは目を閉じて気持ちを抑えるのが精いっぱいだった。

「いいねえ、その表情。悪くないね。ますます私の心はぞくぞくするよ。では、これからお前の仲間に挨拶をしてくるとしよう」

 満足そうに居室から出ていくガルシア総督。いまその場にいるのは見張りと女の使用人だけだ。

(……ガルシア総督、あたしはあんたを必ず殺す!)

 マリサは激しい怒りに燃えていた。



 海軍の二人と”青ザメ”の連中が収容されている嘆きの収容所(Campamento de lamentación)は総督の屋敷と反対側にある。海に面したこの町は高い外壁に囲まれ、総督が言うように要塞化している。それは今までにも海賊や他国の戦艦の攻撃を受けてきたことが原因だった。そして”光の船”の仲間が言うように今やここは国家間の約束事が通用しない政府非公認の組織”光の船”が本拠とする植民地だ。スペイン本国の次の継承者をめぐって各国が利害を巡らせ、他国が運命を握っている状況に反感を抱いた者たちがこの政府非公認組織を作り上げていた。

 

 ガルシア総督はお供の者を引き連れて嘆きの収容所へ毎日のように来ていた。収容所とは名ばかりで牢獄のような劣悪な環境である。風の通りも悪い上に湿度が抜けず、においもこもりがちだった。食べ物はあるだけマシで、日に一回、家畜のえさのような固いパンのかけらに肉のかけらがあればいいほうのスープ、総督の機嫌がいい時はこれに果物が付け加えられた。まさに『生かさず殺さず』を実践しているようだった。


 嘆きの収容所に”青ザメ”たちが入ったときにはすでに先客が囚われて入っていた。イギリスの私掠船や海賊船の連中だったが、”光の船”と気づかずに手を出し、反対に自分たちがやられてしまったのだ。フレッドは居所がわからないままのマリサを心配しながらもあえて口に出していない。その場にいる限り、誰もが自分のことで精いっぱいだからである。

「お前たち”青ザメ”もいつか来るとは思っていたぜ。海賊(buccaneer)であるお前たちも目の敵にされてるからな」

 私掠船の連中の一人が言う。彼らもまた、”光の船”に船を奪われ、この収容所へ入れられたのだ。

「……ここへ入ってしまったら希望は持たない方がいい。海賊であるお前たちは国へ帰れば『ぶらんこ』が待っているだろうし、俺たちだってここにいても生きられるかどうかわからん。すでに俺たちの仲間が何人も死傷している。生かさず殺さずと言いながら、奴らは俺たちが衰弱して死ぬのを待っているんだ」

 別の男が諦めきった表情でつぶやき、天井を見上げた。

「ここにいるだけでもはや死んだも同然なんだ……もうどうにもならないがな……」

 先客である私掠船の連中はそう言って”青ザメ”の連中に体を見せる。汚れた衣服の下には数々の傷が治らないまま広がっており、そのせいか私掠の連中は憔悴しょうすいしきっていた。

「お前も若いし、男前だから気をつけろよ。ガルシア総督は俺たちが苦しむのを喜ぶからな」

 そう言ってフレッドに忠告した。頷くしかないフレッド。


 デイヴィスはグリーン副長やオルソンたちと同じ部屋に収容されている。部屋と言えど事実上の牢獄である。 ただその中でグリーン副長は落ち着きを見せていた。あの白兵戦でも冷静に判断をし続けていたその落ち着きは軍隊で身に着けたものだろうと連中は思っている。しかしオルソンだけはグリーン副長の行動や言動を黙って観察をし続けていた。グリーン副長の正体を見極めなければならないと思ったからである。


(この男とはどこかで会っている……どこでだろう)


 オルソンは記憶をたどるが解明には至らない。グリーン副長はオルソンのそんな思惑に気付いていない。彼が日常から伯爵と連中に言われているので演技が続いているのだろうと思っている。そしてグリーン副長は物静かなデイヴィスに向かって話しかけた。

「せっかく同じ部屋にいるのだからデイヴィス船長に質問させてくれないか。私には人探しの任務もある。……デイヴィス船長、”青ザメ”に古くからいるあなたなら知ってるかもしれないが、マーティン・ハウアドという男を知っているか。情報をいただけたら海軍から報奨金が出ることになっている」

 グリーン副長の言葉にオルソンの目が光る。


(この男は……もしや)


 あることが浮かんだがすぐに目を伏せ、聞き耳を立てる。


「……残念だがそんな名前に聞き覚えはねえよ。なにせ”青ザメ”は海岸の兄弟の誓いで動いている集団だ。仲間に入ってもすぐに出ていく奴もいる。俺が知らないというならすぐに出ていったような奴かもしれねえよ。それにな、こんな状況で報奨金がどうのこうのと言われても現実味もねえよ」

 そう言ってデイヴィスはため息をすると目を閉じた。

「なるほど……さしものデイヴィス船長も知らないことなのか。これは失礼した。私の戯言だと思って聞き流してくれ」

 グリーン副長はそう言いながらもじっとデイヴィスに目をやっている。それは不審がっている目だ。そしてその様子をオルソンもまた観察をしていた。


 なぜ嘆きの収容所(Campamento de lamentación)なのか。その事実を海賊たちは後に身をもって知ることになるのだった。

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