第35話 囮と艤装

 デイヴィージョーンズ号はジャマイカへ着くと救助した男たちを降ろし、ウォーリアス提督の艦隊に合流した。

 ジャマイカ島はクリストファー・コロンブスの2回目の航海によって1494年に発見され、1509年にスペイン領となっていたが、1655年にイギリス海軍提督ペンとベナブルズ将軍がジャマイカ島に侵攻し、占領した。1670年には正式にイギリス領となり、イギリス海軍の司令部が置かれた。ニュープロビデンス島ナッソー以外にも地理的要因からここを拠点とする海賊や私掠船も多くいた。ナッソーとジャマイカ島の間にはスペイン領キューバがあり、そこを通る商船を狙う目的もあったのである。


 グリーン副長はフレッドとともに提督が待つジャマイカ島の海軍司令部を訪れた。先日拿捕した奴隷船は修理中であり、積み荷の奴隷たちは他の船で近隣のプランテーションへ送り届けられることになった。


「わかっているのは、"光の船(Barco de luz)”にはスペイン海軍とガルシア総督が絡んでいること。しかも国の命令ではなく、政府未公認の私掠船団と考えて良いでしょう。彼らはこれが講和の動きに水を差すことを知っていてあえて仕掛けています。出没するのはこの海域です。戦列艦やフリゲート艦、見せかけの海賊船など海軍の船も非公式に加わっています。つまり、公式非公式の違いはありますが我々の艦隊と似た体制をとっているということです」


 そう言ってグリーン副長は地図を広げ、ナッソーで集めた情報をもとに出没海域を特定した。それは予想した通り新大陸アメリカから西インド諸島周辺だった。ニュープロビデンス島・ナッソーやジャマイカも含めた海域である。

「ところが……ここジャマイカでグリンクロス島までの護衛任務をしていたフリゲート艦の艦長から聞いた話ですが、”光の船”はこの8月にグリンクロス島の港を襲撃しています。何でも海賊船が港まで乗り込み、海賊たちが上陸を図ったものの住民の反撃にあい失敗したらしいです。逃げる海賊船を追っていたフリゲート艦が沖合に戦列艦や何隻かの国籍不明の船団を発見、海賊船はそれらとともに逃げています」

「”光の船”がグリンクロス島に?グリンクロス島は出没海域から外れているがなぜだ」

 提督は地図を確認する。

「理由は”青ザメ”の頭目であるマリサがグリンクロス島のウオルター総督の娘のひとりであるということ。それを知っているのが”光の船”を操っているガルシア総督。以前、エトナ号が拿捕され、私を含む乗組員が捕虜になったときマリサも捕虜になっていました。ガルシア総督はそこでマリサに会っています。そこらへんのやり取りは知りませんが、総督はマリサに興味を持ち、追い続けているようです。グリンクロス島襲撃はマリサがいないことを知っていてちょっかい出しをしたものと思われます。本気で島を襲撃する気なら船団で襲うでしょうから」


 提督はグリーン副長の言葉を頷きながら聞いている。

「なるほど、マリサは”光の船”討伐のキーマンというわけか。グリーン副長、それは単に色恋沙汰というのではなくマリサを手中に収めることでイギリスの名誉を傷つけようとしているのではないか。スペイン・フランスを敵としてきた女王陛下の海賊(buccaneer)の頭目がレディと知ってそこに自分の威信をかけているのだよ。そうなると囮としての”青ザメ”の役割は増々大きいと言えるだろう。それにしても海賊たちを追い返したとはグリンクロス島の住民はなかなかのものだな。将来の海軍水兵として強制徴募隊を送り込まねばならんだろう」

 そう言ってウオーリアス提督が口角を上げる。

「彼も……スチーブンソン君もあの海賊船に乗り込むことにならなければ昇進試験を受け、今頃はそこそこの地位にいただろう。あれだけの素質を持った男が海賊とかかわって人生をつぶされているのは哀れでならん。昇進に役立たせようとウオルター総督のお嬢さんと結婚するはずだったスチーブンソン君を、何をもって海賊と結婚させようとするのか全くウオルター総督も罪な男だ。スチーブンソン君も副長の忠告を聞いてマリサを船から降ろしていればまだいい方向に向かうことはできたが、今となってはもう遅い。せいぜい君のもとで彼が育つことを祈っておくよ」


「承知しました。私もグリーン副長として任務を遂行し、スチーブンソン君を育て上げましょう」

 グリーン副長と提督は、艦隊の他の艦長たちとどのように”光の船”を迎え撃つかそのまま話を続けた。




 その後提督の艦隊はジャマイカを離れ、”光の船”の出没海域を航行していた。デイヴィージョーンズ号が先になり、提督の艦隊は望遠鏡でようやく確認できるぐらいの距離を置いてデイヴィージョーンズ号を観察している。何かあれば艦隊が相手を取り囲むのだ。”青ザメ”もこれまでになく緊張感をもって挑んでおり、それは自分たちが積極的に迎え撃つ体制ではなく囮として動かねばならないからだった。艦隊の艤装に比べてデイヴィージョーンズ号の艤装は褒められたものではない。人員も海軍の同レベルの船に比べれば6割から7割と少なく、狙い撃ちされたら一塊ひとかたまりもないといえた。しかも白兵戦での戦い方も制限されており、どう考えても不利な状況だった。

 それでも、いつ何時そうした事態になってもいいように連中は準備だけはしている。マリサも作戦とあらば仕方なく貴族のお嬢様を演じる覚悟はあり、すぐに着替えられるように船室にドレスをかけておき、腰までおろしていた長いみつあみの髪を平時からまとめ上げていた。



「”光の船”に確実に遭遇できるのか?海は広いぞ」

 マリサはふと疑問に思っていたことをフレッドに話しかける。地図上では近いように見えるが実際、海は広い。同じような航路を取っていて偶然に船が遭遇することはあるが、いつ来るかわからない敵と都合良いように遭遇できるのかはなはだ疑問だ。

「神のみぞ知る(God only knows.)と言いたいが、私は事前に”光の船”の情報を得ており、この私の頭の中に全て入っている。お姫様の心配には及ばんよ」

横からグリーン副長が答える。

「じゃあ、なぜその情報をみんなに周知しないんだ?あたしたちは一部しか知らされないで作戦に入るというのか。捨て駒のあたし達だって”光の船”のことを知っておく必要があるだろう?」

 マリサはグリーン副長の答えに反発をし、詰め寄った。

「君たちは海軍に協力はしているが海軍ではない。情報には機密事項もある。全て知らせるというわけにはいかないのだよ。レディー、スチーブンソン君を困らせるような発言は慎みたまえ」

 そうグリーン副長が言ったとき、そばにいたフレッドが反論する。

「副長、作戦遂行には彼らの協力は必須です。周知は必要なのではないですか。」

「君は海軍の士官であり、この船でも将来においても私の部下だ。スチーブンソン君、それを忘れるな」

 グリーン副長の言葉にそれ以上何も言えなくなったフレッド。マリサもこの人間関係にため息をつくとオルソンの元へいく。


 作戦では貴族の伯爵様という役(役でなくても本当に伯爵様なのだがそれを知っているのは”青ザメ”だけだった)を仰せつかっているオルソンは、趣味の大砲の手入れを怠らず今日も大砲を磨いている。

「オルソン、あたしはあのグリーン副長がどうしても肌に合わない。あたしに鋭い視線を送るのは構わないが、海軍の上官風をふかしているのは我慢ならない。本気で『ぶっ殺す』って言ってやりたいよ。フレッドを手の内に収めてしまってあたしらは蚊帳の外(Out in the cold)だ。全体で作戦を遂行する気ならなぜすべての情報を出さないんだろう」

 マリサの愚痴めいた話にオルソンは苦笑いをする。

「海軍様には海軍様の事情があるだろう。フレッドが板挟みになるだけだからあまり責めるな。それよりも……グリーン副長には気をつけろよ。お前を見る奴の目から殺気が感じられる。奴の正体がわかればいいんだが、何せ私はしがない辺境の田舎貴族、どこかで奴に会っているのだが思い出せない……」

 オルソンはグリーン副長に既視感を抱いていたのだが、ずっと思い出せず社交界や世間からも遠いわが身を呪っていた。

 育ての親とはいえデイヴィスは海賊でイライザは未亡人であり二人は結婚しているわけではない。そんなわけでオルソンは後見人としてマリサを支えていた。代々女の子に恵まれず、伯爵夫人であるオルソンの妻でさえオルソンが航海で不在中に姦通している。なおさら幼児から成長を見守っていたマリサをいとおしいと感じていた。


(お前はお前らしくやればいいのだよ。マーガレットとロバートが乗り越えられなかった『壁』を乗り越えろ。自分に課せられたそれぞれの課題を解決するんだ)


 そう思いながら隣でブツブツ独り言を言ってピストルの手入れをしているマリサをみつめる。


「何?あたしに文句でもあるのか」

「いや、マリサがどこまで演技をするか見ものだと思ってな」

「こら、オルソン、バカにしてんのか。心配しなくてもあたしだってやるべきことはやるよ。……特に今回の作戦は分が悪すぎるからな」

 マリサがそう言って弾を装填したとき、フレッドが駆け込んできた。


「マリサもオルソンも準備してくれ。イギリス海軍の艦隊が現れたが様子がおかしい」

 様子がおかしいとは怪しいということだ。

「どうやら演劇の第一幕が始まったようだな。ではマリサ、お互いに貴族様をしっかりと演じて見せようぜ」

 オルソンが立ち上がる。

「オルソンも自称貴族でなく本物の貴族様だという事を副長殿に知らしめせてやれ。フレッド、あとで女優の手当ては海軍司令部に請求するからな、覚悟しておけよ」

 マリサが仏頂面ぶっちょうづらから演技の顔を見せる。

「ああ、承知した。しかし手当てを払うのは僕じゃなく国の税金からだからあまり高くするなよ。ではせいぜい幸せな貴族様を演じよう」

「ひどい嫌味だ!この年老いた彼女(老朽化した船・船の代名詞はShe)に乗る金持ち貴族なんてどこにいるんだい」

 そう言って笑うとマリサは準備にとりかかった。


 マリサが指摘した通り、海域を指定しているとはいえ都合よく相手に遭遇できるものかどうかだったが、デイヴィージョーンズ号は情報で得ている船に遭遇した。それは偶然ではなくある人物の策略の1つだったのだ。こうして”青ザメ”は罠ともいえる策略にはまり、マリサの身にも危機が訪れようとしていた。

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