第34話 残骸

 フレッドへの懲罰が行われた次の日の朝、グリーン副長は出帆を前にしてナッソーの町である男と会っていた。その男は店で情報収集をしていたグリーン副長をみて、彼の鋭い視線に何かしら感じるものがあると言って接触してきたのである。彼もまた、グリーン副長に負けずとも劣らず、視線は厳しいものを持っていた。


「君のまなざ眼差まなざしは明らかに野心家の眼差しだよ。きっと何か大きなことをやるのではないかとみているがね」

 グリーン副長が男に話しかける。自分はナッソーでは新米海賊としての役を演じていたが、どうも目の前にいるこの男にはそれが通用しないようだ。

「そういうあんたこそ新米海賊だなんて言っているが俺の目は誤魔化されねえよ。あんたのその目つきとその言動、どうみても海賊とは言えねえ。……あんた、女王陛下の海軍だろう?それも士官以上の階級だと俺は見ているが」

 男にそう言われてグリーン副長は苦笑する。

「なるほど、君の眼は正しいよ。お察しの通り私はイギリス海軍で今はデイヴィージョーンズ号の副長をしている。と言っても敵はスペインの海賊だ。”青ザメ”はイギリスを敵にしない海賊(buccaneer)だからな。”青ザメ”が海軍の手先になっているのではなく、我々がある任務のために利用し、私が乗り込んでいるというわけだ。今回はそのスペインの海賊について情報を得るためにナッソーに立ち寄っていた」

「スペインの海賊が敵?いや、そもそもイギリス海軍はナッソーを守ることも俺たちを討伐することもできなかったんだろう。イギリスは早々にこの島から撤退したのだからな。俺は私掠船でイギリスに何度も貢献してきたよ、あんたたち以上にな。俺はベンジャミン・ホーニゴールド。必ずナッソーを拠点にしてこの海を制圧してやる」

 ホーニゴールドは含み笑いをする。その野心家の目つきは確実にグリーン副長を捉えている。

「それは大いに期待したいね。戦後は女王陛下の海軍はイギリスの海賊も討伐していくだろう。今までの流れがそうであったからな。私もどこかの海戦で君に会えるのを楽しみにしているよ、敵としてね」

 そう言って将来敵になるであろう二人は握手をした。


 イギリス政府が本腰を上げて海賊討伐をするのは戦後の話である。そしてこのホーニゴールドも海賊共和国ナッソーの巨頭の一人となって活躍をするのだった。



 グリーン副長がホーニゴールドと接触をした後、デイヴィージョーンズ号はナッソーを出帆し、提督の艦隊と合流するためジャマイカへ向けて帆走していた。提督の艦隊は”青ザメ”が奴隷船を拿捕したものの、破損がみられたため”青ザメ”と離れてジャマイカまで奴隷船を曳航していたのだ。

 スペイン海賊の船団”光の船(Barco de luz)”の情報を得て討伐はさらに現実味を帯びてくる。デイヴィージョーンズ号は提督の作戦通り囮となるのだが、それは提督の目論見でもあったわけだ。


 ”光の船(Barco de luz)”はグリーン副長がナッソーで集めた情報では、襲撃するのはイギリス船に限らずフランスやスペインの船も襲っているとのことだった。いわば海賊(pirate)である。しかも”青ザメ”の頭目であるマリサを知っているとなるとデイヴィスの言う通り、クエリダ・ペルソナ島のガルシア総督が絡んでいるのは間違いなかった。このことにマリサやフレッド、そして当時の海軍の乗組員とともに捕虜になっていたグリーン副長は、臆することなく迎え撃とうと考えていた。自分の目的を果たすために利用できると思ったからである。


(マリサよ、お前はスチーブンソン君と結婚どころか生きて彼のもとへは帰れないだろう……。海賊であることを後悔することだ)


 船尾に立ち、甲板にいる連中の動きを見つめるグリーン副長の目には冷たく光るものがあった。そしてその奥にはマリサに向けた殺意が込められていた。



 そうして航海が続く中で新大陸アメリカに向けた船を見かけ、すれ違うことも多くなってきた。羅針盤で目的地へ向かうために同じような航路をとるからである。

 国籍問わず海賊が横行する大西洋、商船にカモフラージュしていることもあるので見極めは肝心だ。それは今まではデイヴィス船長やマリサの判断に任されていたが、デイヴィージョーンズ号が海軍の指揮下に入ってグリーン副長がデイヴィスより高位に立ってからは、それはグリーン副長に任されていた。

 グリーン副長は海軍士官として乗り込んでいるフレッドと行動を共にすることが多くなった。それは将来の部下となる彼を故意に”青ザメ”から引き離す意味でもあった。そのため、デイヴィスはフレッドの代わりにニコラスと操舵をすることになった。デイヴィスはけがの後遺症で右腕に力が入りづらいので助けが必要だからである。


 グリーン副長の殺意に満ちた視線を以前から気にしながらもマリサは特に彼に対して行動を起こしてはいない。その敵意の理由がわからないので用心するしか方法がないのである。そのグリーン副長に対する警戒をマリサに進言したオルソン伯爵は、彼を貴族であり名前も偽名だろうと言っていたが、辺境の田舎の貴族であるオルソンは正体を思い出せないでいた。



 ナッソーを発って数日、甲板業務をしている連中が騒ぎだした。

「木切れに混じって遺体が流れている。船がやられたようだ」

 その声にその場にいた者は両弦から流れてくる多くの浮遊物を目にした。

「こりゃひでえ!」

 ハーヴェーが思わず十字を切る。まだ新しいのか遺体が生々しい。そして木切れは船の残骸だった。大小さまざまな木切れが広範囲に漂っている。

「襲撃されて間もないだろう。諸君、十分に注意をしよう。メーソンは生存者がいないか探せ。ニコラスとデイヴィス船長は残骸で船を傷つけることがないように慎重に針路をとってくれ」

 グリーン副長はそう指示をすると連中に最大の警戒を促した。相手は海賊なのか軍隊なのかわからない。遺体の人種からしてラテン系ではなくサクソン系だろう。ということはイギリス船である自分たちも狙われる可能性があった。

「前方に煙が見えます!船が燃えて……もう沈みかけてますが」

 メーソンの声にグリーン副長とフレッドが望遠鏡を手にし、確認をする。そこにはメーソンの言う通り、船の残骸が燃え、煙が立ち上っていた。そしてそこから一艘のボートが近づきつつあるのが見えた。目をこらし、様子を確認するグリーン副長。

「どうやら生存者がいるようだ。あのボートに近づき、生存者を引き上げろ。何か情報を聞き出せるかもしれん」

 グリーン副長は連中にそう指示すると、その場の連中は引き上げの準備に取り掛かる。


 やがてボートはデイヴィージョーンズ号に引き上げられ、ボートに乗り込んでいた二人の男が助け出される。

「助けていただき、ありがとうございました。あなた達に引き上げられるまでは本当に生きた心地がしませんでした」

 男は助けられたことをようやく実感し、安堵の表情を見せる。

「私たちはイギリスへ砂糖や糖蜜を運ぶ途中でした。そこをスペイン語を話す海賊にやられたのです。ここら辺りはイギリスの海賊が横行していることはしていましたが、まさかスペインの海賊と予想できず、言葉のやり取りがうまくいかないうちに積み荷だけ奪い、瞬く間に船を沈めていきました。……たった一隻の商船相手に艦隊を組んで迫ってくるなんて卑怯すぎます」

 もう一人の男は体を震わせながら言う。よほど恐ろしかったのだろう。

「スペイン語を話す海賊……艦隊……それは”光の船(Barco de luz)”じゃないのか」

 グリーン副長が聞くと男の一人がゆっくりと頷く。

「確かそう言った言葉が聞こえました。それにしても講和会議が軌道に乗っている中でこのような愚行にもまきこまれるなんて私らも運がない。……船の所有者や融資をしてくれた銀行になんて言っていいのだろうか……」

 二人の男は命が助かったというのに顔色が悪い。海賊による経済損失は大きいのである。

「済んだことをどうこう言っても始まらん。私たちはジャマイカで仲間の船と合流することになっている。そして”光の船(Barco de luz)”を討伐するのだ。君たちの悔しい思いをしかと受け止めたよ。後は任せてくれたまえ」

 グリーン副長はそう言って操舵をしているデイヴィスとニコラスに指示を出す。

「デイヴィス船長、ニコラス、ジャマイカへ向かうぞ。提督の艦隊と合流し、奴らにお返しをしてやろう」

 その後、船長たるデイヴィスより高位にたつグリーン副長の指示に従い、連中が動いていく。

 例の囮作戦に備えて連中はひげを小まめに反り、小綺麗にしている。また、乗り込み組は武器の手入れを怠ることなく来たる日に備えていた。


「提督の作戦ではこの船は囮、アカディア襲撃で協力した”赤毛”が船を囮船として使われたように、この船も都合よく沈める気でいるのだろう。海軍は時に冷たい選択をする。俺たちの命なんてどうとも思ってねえよ。ただ、グリーン副長とフレッドがこの船に乗っている限り、見捨てることはねえと思うがな」

 デイヴィスはそれまで操舵を手伝っていたフレッドの代わりにニコラスの隣にいる。自分の船の舵輪を握っていることで船長たる威厳を保つことができていた。

「……かと言ってそもそも”青ザメ”が海軍に協力することになったきっかけを作ったマリサを責める気はないよ、船長。あのじゃじゃ馬はいつも仲間のことを思っていたが、今はフレッドのへの想いも溢れている。仏頂面ぶっちょうづらのマリサがフレッドを見るときは表情がでているんだぜ。俺たちじゃどうにもできなかったことだ」

 そう言ってニコラスはふと空を見上げる。朝方は晴れていたが徐々に雲が広がり、風が強くなっている。天候が悪化する前触れだ。

「そうだな……ロバートとマーガレットが身分という壁を乗り越えることなく引き裂かれたことを考えたら、俺たちはマリサを守ってやらねえとな。それは育ての親である俺の務めだ。俺は残りの人生をあいつに注ぐよ。育ての母親のイライザもそれを望んでいるだろうからな。だから古参のお前ならわかっていると思うが、それまで俺はデイヴィスであり続けるさ」

 デイヴィスはそう言って陰りを見せる。

「……承知しました、船長。あのことは他の古参の連中も知らぬ存ぜぬで通してますからね。みんなでマリサを守っていきましょうや。今までマリサが”青ザメ”のことを守ろうとしてきたように」

 ニコラスは覚悟を決めたように少しだけ笑った。

「ああ、そうだな。よろしく頼むよニコラス」

 

 二人の話は波と風の音で周りに聞こえることはない。そして二人がこんな思いを抱いていることをマリサは知ることもなく、今はグリンフィルズの手伝いをギャレー(厨房)でしている。

 

 スペイン海賊の討伐は自分たちの身に危険が及ぶことも予想される。海軍の艤装に比べれば”青ザメ”の艤装と人員配置は小規模だ。提督はあわよくば海賊(buccaneer)である”青ザメ”でさえ討伐しようと企んでいるのだろう。嵐はそこまで来ていた。

 

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