第33話スペイン海賊の襲撃
話はマリサ達が提督からの指示で奴隷船を拿捕したときにさかのぼる。
ハリエットがウオルター総督へ出した手紙は確実に届けられていた。ウオルター総督も”青ザメ”に恩赦をだせないことに気が焦っていたのだが、総督の力ではどうしようもできなかったのである。
(お前が”青ザメ”のみんなを助けたいのはわかるが、あの事件が解決しない限りウオーリアス提督はそれを許さないだろう。だから何としても私はお前だけでも助けたい。それなのになぜ海賊をやめて船を降りないのだ…)
ウオルター総督は自身が総督の任期中にマリサを助けたいと思っていた。翌1713年には総督としての任期が終わり、本国へ戻ることになる。そうなればそれまでの特別艤装許可証も無効になり、”青ザメ”は海賊(pirate)として残ることになるだろう。確実に戦後は海軍の討伐対象だ。
(私は愛するマーガレットの忘れ形見のお前を失いたくないのだ)
総督の執務室の一角に飾られた一枚の絵。マリサは全く気付かないでいたが、それはマリサとシャーロットの母であるマーガレットの肖像だった。双子でありながらマリサの方がマーガレットに似てきている。
ウオルターが領地にいた頃、少しでも貴族社会で優位に立ちたいという思惑がテイラー子爵家と双方にあり、その結果がウオルターとマーガレットの政略結婚だった。当時、カリブ海の植民地に兄と滞在していたマーガレットは結婚のため船で帰国の途に就いていたが、船はその途中フランスの海賊に襲われた。そこへ女王陛下の私掠船(privateer)として航行していた”青ザメ”の前身がマーガレットを救出、そして頭目のロバート・ブラウンと恋に落ちた。しかし二人の前には身分の差というものが立ちはだかり、ロバートは身を引き、失意のマーガレットはウオルターのもとへ嫁いだのだ。ところがマーガレットは身ごもっていた。これを恥、あるいは不貞として
やがて月満ちてマーガレットはマリサとシャーロットを出産するが、産褥熱で命を落としてしまう。ウオルターは忘れ形見である二人を大切に育てることにしたのだが、乳母が目を離したすきにデイヴィスによってマリサがさらわれたということだ。
こうしたいきさつをマリサはあまり知らない。マリサにとって母はイライザであり、父はデイヴィスだった。もちろんオルソン伯爵も後見人としてマリサに読み書きやあらゆる貴族のたしなみも教えていた。イライザがオルソンの屋敷で使用人として働く
ウオルター総督は何度もハリエットに向けて返事を書こうとしていた。しかし提督との絡みもあり、真実を書くのをためらっていた。
そこへ港の方から砲撃音が聞こえてきた。しばらくして役人や軍隊の人員が駆け込んでくる。
「総督閣下、海賊の襲撃です!商船と見せかけて突如襲撃してきました。要塞には人員を行かせてますが、まだ時間がかかります。護衛でたまたま停泊していた海軍の船がすでに動いています」
前回は、マリサの一件で”青ザメ”がいたが今はいない。
「アーサー君を呼べ!武器を使えるものは武器を持たせろ。我々もできることをしよう。船でなく港を襲撃するのは威嚇行為だろうが、手放しで見ているわけにはいかんからな」
総督の指示でアーサーが呼ばれた。アーサーはもともと海賊(pirate)であったが、アカディア襲撃の際に”青ザメ”と一緒に海軍に協力する羽目になり、挙句に船を囮に使われて失っていた。その後、海賊”黒ひげ”のエドワード・ティーチとの一件でシャーロットに出会い、マリサの頼みで島を守るためにグリンクロス島に残っていたのだった。総督はアーサーを島の砲台へ向かわせる。
島に海賊が現れたと知って身構えているのは総督だけではない。マリサに扮して"黒ひげ"エドワード・ティーチを手玉にとったことがあるマリサと双子のシャーロットもその一人だった。
シャーロットはプランテーションで働いていた奴隷たちを港から遠い農園へ避難させると、総督には何も言わずに使用人たちとともに港へ向かった。
(自分でできることはしなきゃね。マリサならきっとそうするわ)
ドガーン!
「きゃあ!」
海賊船から撃たれた砲弾は露店が立ち並ぶ湾岸を狙って落ち、シャーロット達に数々の木切れや布、果ては魚やら果実などが降り注いだ。シャーロットはすかさずそれらを払い、髪形を整えるとその場にいた人々にもわかるように大きな声で言う。
「ひどい人たちね、私はここの美味しい食べ物をこんなに粗末にする人は嫌いよ!みんなでお返しするわよ、銃を持っている人は撃ちなさい、持っていない人たちは私とジュース攻撃をしましょう」
総督の娘が体中を
シャーロットの掛け声で銃を扱える人たちはマスカット銃やピストルを構え、海賊の上陸に備える。そしてシャーロットは「ジュース攻撃」をするために漁師たちと魚の加工所へ向かい、荷車一杯にあるものを載せる。それは腐った魚のごみや、加工で使った液体などだった。シャーロットは時おりアーサーと港の町にきて住民たちとかかわっており、どこにどんな店があるのか知っていたのだ。それだけではなく、シャーロットはニワトリの排せつ物を持ってこさせる。
海賊たちは砲撃を繰りかえしながら港へ入ってきて、およそ50名ほどの男たちが上陸しだした。この強引な上陸は本気で港を制圧しようと考えているわけではない。総督の言う通り『威嚇』、あるいはちょっかいをかけたに過ぎないのだろう。
上陸した海賊に対して銃を持った住民が撃つが、元から使い慣れているわけではないので弾がそれることが多かった。シャーロット達はバケツに魚のごみを入れると海賊たちに投げつける。また、加工で使った臭い液体をバケツで浴びせる人々もいた。
「うがああ!Algo huele mal(魚臭い)」
海賊たちは臭い魚のごみやら液体を浴びせられ、慌てている。そこへ別の住民たちがニワトリの排せつ物をバケツで浴びせる。それだけではない、飼っていたニワトリを海賊めがけて投げつけた。
ケーッ、コケッ、コッコッコケ―ッ!
ニワトリたちは驚いて海賊たちにとびかかっていく。
「 ¡Ya basta!(いい加減にしてくれえ)」
魚のごみやら臭い液体やらニワトリの排せつ物、とどめにニワトリ攻撃をくらい、海賊たちは強烈な臭いにおいに耐えかねて撤退しだした。
「あなたたちには負けはしないわよ!今度きたらマリサに言いつけるからね、覚悟なさい」
シャーロットも漁師や露店の店主たちも海賊の撤退に割れんばかりの歓声である。
島の砲台からも海賊船めがけて大砲が撃たれている。それを受けて逃げ出す海賊船。港に停泊していた海軍の6等艦の船が追うが、逃げ足が速い。そして砲台の射程外の沖合にも戦列艦や数隻のフリゲート艦が見えていた。
たった1隻の海軍の船では相手にできないと知ってか、イギリス海軍の6等艦は途中で引き返した。それでも全く海軍の船がいなかったらちょっかいだしの襲撃はエスカレートしただろう。
「皆さん、あの海賊たちの言葉を聞きましたか?あきらかに私たちの言葉ではなく、スペイン語だったわ。この女王陛下の植民地であるグリンクロス島を襲撃するなんて許し難いこと。今度またやってきたらさらに臭いのをお見舞いしましょう!」
シャーロットの言葉に住民たちは笑いながら賛同する。総督の娘、シャーロットお嬢様は頭から土埃を被り、身体中から強烈な魚の腐った臭いが漂っており、知らない人がみたらそれがお嬢様だとわからないほどだったのだ。
(マリサ、島を守るためにできることはやったわ。あのスペイン語を話す海賊たちをあなたに任せるから頼んだわよ)
シャーロットは何もできないお嬢様から意識して何かできるお嬢様へ変わろうとしていた。昔であったならただ逃げ回って殿方の後ろに隠れていただろうが、今は違う。確実にマリサはシャーロットに影響を与えていた。
一方、高台の砲台から海賊が逃げたのを確認した総督はアーサーや役人たちを屋敷に呼び集め、話し合いをしている。そこにはあの1隻だけの海軍のフリゲート艦の艦長もいる。
「今回の海賊による港の襲撃は島を乗っ取る意味ではなく何か他の意図を感じる。大砲の射程外の沖合には戦列艦クラスの船とフリゲート艦が数隻確認されていた。本気で島を制圧する考えならそれらも攻撃してきたはずだ」
ウオルター総督は今回の襲撃を『威嚇』とは考えていたが、そうであっても何に対しての威嚇だろうか。
「港の住民からは海賊たちはスペイン語を話していた、と証言があります」
そう役人の一人が言ったとき、執務室へ一人の若者が通された。おどおどしているが、顔色は良い。それは外ならぬアダムだった。アダムは”黒ひげ”エドワード・ティーチの元仲間で、ティーチの愛人であるイヴの弟だ。およそ海賊には向かない性格だったのに強引に仲間にされていたが、前回”黒ひげ”が総督の屋敷を襲撃したとき、マリサの呼びかけによって降伏をし、総督から許しを貰ったのである。
「おお、君はアダム・レスター君か。今はまっとうな商売をしているそうだが、何かあったのかね」
総督は元気そうなアダムを見て前へ進む。
「あの時はお世話になりました。こちらへ参ったのは総督閣下に聞いていただきたいことがあるからです」
その場にいるアーサーや役人たちの視線がアダムに集まる。
「総督閣下もこの場の皆さんもご存じの通り、私は今この島で船へ荷や人を運ぶ仕事をしています。今日も港の船を小舟で巡っていましたが、あの海賊船の近くを通ったときにはっきりと自分たちは海賊”光の船(Barco de luz)”であるとのスペイン語が聞こえました。この”光の船”の噂はこの仕事でいろんな船を相手に情報を得るので何度か聞いたことがあります」
そう言ったとき、海軍フリゲート艦の艦長も頷きながら話した。
「その話は私も聞いています。世の中が和平へ動いていく中で彼らはイギリス植民地をかき乱す考えでしょう。すでに何隻かの商船がやられています。まさかそれがここに現れるとは……。彼らの目的は威嚇だけだったでしょうか。それ以外にも何かあるはずです。本気で島を襲撃するなら、たった1隻であっても我々の船を撃沈したでしょうから。用心するにこしたことはありません」
アーサーも自分の思いを話す。
「総督閣下、そうなるといずれはウオーリアス提督の艦隊と接触することになりますね。提督の艦隊の目的はそこにありますからね。となると”青ザメ”も戦線に立つわけです。恐らく囮として」
アーサーは解団している海賊”赤毛”の船長だった。提督の作戦により自分の船を囮として使われて失っているのでそれを懸念しているのだ。今回はその役目を”青ザメ”が担うとしたら、老朽化しているデイヴィージョーンズ号は囮としてもっともふさわしいと思われるだろう。
「例え囮としてマリサ達が活動をするにしても黙ってされるがままにはならないだろう。あのマリサのことだ、自分が窮地に立たされても立ち上がるだけの力があると私は考える。君もわかるだろうが、それが集団を統括している者の義務だからな」
そうアーサーに答えている総督自身も本心は心配でならなかった。しかし目に見えぬことを心配しても何も始まらない。今はただ、ウオーリアス提督とグリーン副長が総督に出している”青ザメ”に対する恩赦阻止を何とかしたいと思っていた。
(”青ザメ”に対する恩赦阻止は恐らく議会へも出されているだろう。戦争終結までに提督が片を付けなければ間違いなく”青ザメ”全体が討伐され、疑わしきは全て仲間として処刑される。そしてマリサもグリーン副長の刃にかかるのだ。このことをマリサに言いたくても言えない。マリサだけでも助かる条件として士官と結婚をして船を降りるように言ったのだが、いまだにお前は海賊をやめることなく船に乗っている。苦しんでいるのはマリサだけではない……お前を知っている者は全てそう思っている)
グリンクロス島の港襲撃は総督の言った通りあくまでも『威嚇』、いわばちょっかい出しだった。スペインの海賊たちは国家間のやり取り関係なくイギリスの船や植民地を襲撃することでその存在感をだしている。
奴隷や砂糖などの三角貿易で富を得ているイギリスに対し、スペインは南アメリカに黄金や財宝の財源となる植民地を持ち、富を得ていた。そこにあった原住民の国を滅ぼし、カトリックを信仰する植民地とすることで、宗教のすそ野を広げていたからである。しかしこの度のスペイン継承戦争・アン女王戦争はイギリスだけでなく、フランス、スペインなど所要な国を戦争による財政危機へ導いていた。その中で海賊”光の船(Barco de luz)はそうしたスペインの威信をかけた、秘密裏に動いている海賊だった。そして彼らがウオーリアス提督の艦隊と接触をする日もそこまで来ていたのである。
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