第24話 凛として
マリサがナッソーにあまりいい思い出がなかったのは、まだ顔に幼さが残っていた海賊になりたての頃に荒くれどもの餌食になりそうになり、その時はデイヴィスも助けようとしたほどだったがマリサは助けを求めず、初めてのことで恐怖に怯え、泣き叫びながらも小刀で男の急所を切りつけ、相手を制したことがあったからだ。掟を知っている連中はマリサに手を出さない。これは暗黙の了解である。だから港へ着くたびに酒場だの娼館だのに行って欲を解消するわけだ。
「フレッド、あんたはどうやってじゃじゃ馬をならしたんだ?俺はあまりの急展開に声も出なかった。つい最近まで悪態をついていたのに『予約済み』とは本当に驚いた。いや、俺だけじゃない、他の連中も驚いている」
大耳ニコラスはマリサの変化が今も信じられない。
「僕も正直驚いている……しいて言えば母かな……」
スチーブンソン夫人は息子が心配とか言っていたが、船旅でもグリンクロス島での滞在でもマリサを見ていた。息子が結婚する相手はどのような人間なのか見極めようとしていたのである。そしてマリサの誤解のために避けられている息子を何とかしてやりたいとの考えだった。結果的に何事も手を抜かず、やるべきことをこなしていくマリサを認めていた。
「ただ、マリサに掟があるとは知らなかった。デイヴィス船長が親代わりだと聞いたことはあるが、だからと言って掟を破ればマリサを殺すなんてあり得ない。厳しすぎるのではと思っている」
「フレッド、海軍士官のあんたならわかるだろうが、海軍では反乱は重罪だ。俺たち海賊は海岸の兄弟の誓いによって民主的に物事を決められるところはあるが、それでも誓いを破れば結果は同じだ。デイヴィス船長はあえてマリサに厳しい掟を言い渡している。なぜなら彼はマリサが海賊になることを望まなかったし、ロバートとマーガレットの忘れ形見としてまっとうな生き方をしてほしかったわけだ。マリサの生みの親であるマーガレットはテイラー子爵家の出身だ。マリサは知らないが、あいつには貴族の血が流れてるんだよ。海賊を擁護して利益を得ていたオルソン伯爵のもとで使用人として働いていたイライザが躾と女のたしなみを教え、オルソン伯爵は文字の読み書きや貴族のたしなみを教えていた。ところが結果的にマリサは海を選んでしまった。そうなったからにはまず身を守ることを教えねばならない。やがて領地の財政が厳しくなったオルソン伯爵が仲間になったこともあり、その役割を刀剣手長のギルバートやオオヤマ、銃の扱いをオルソン伯爵に任せることになった。ナッソーでわかっただろうが、海賊や私掠船の乗組員は女を慰み者程度にしか思っていない。デイヴィス船長はマリサがそうなることを恐れ、またそうならないように手をうった。それがマリサの掟だ」
大耳ニコラスが舵輪を握りながらフレッドに話しかけている。その声が聞こえるでもないマリサはメーソンと檣楼に上がっており、そこでは嫌なことも忘れさせてくれそうな気がしていた。
マリサが海を選んだ理由の一つが空の色だった。子どものころにイライザと住んでいたオルソン伯爵の領地である小さな田舎の町は、晴れ間より曇り空が多く気温も高くなかった。一度、オルソンが家来とともにマリサをヒースの花が咲き誇る丘へ連れて行ったことがあったが、マリサにとってそれはなんとも寂しい景色に思われたのだ。それだけに今こうして自分がいる船の上にある空は抜けるように美しく感じられた。
「これだけいい景色だとどこかの海賊船と出会っても絵になるかもな」
マリサは思い切り潮の匂いをかいだ。どこを見渡しても一面の海。水平線を遮るものはないこの景色が当たり前にならない事がある。それは船に出会うこと。軍艦なのか商船なのか海賊なのか私掠船なのか、相手によって違うが、海賊(buccaneer)“青ザメ"が相手にするのはスペインとフランスの船だ。ただ、フランスとの間には和平に向けて外交が進んでおり国としては停戦状態だ。
確実に世界は和平へ向かっている。ヨーロッパから新大陸まで巻き込んだスペイン継承戦争が初の「世界大戦」と言われる所以である。
イギリスが講和条約を結べば海賊はbuccaneerだろうがpirateだろうがrobberだろうが全て敵とみなされる。特に海賊の被害を訴えられたら国は討伐に向かうだろう。海軍相手に勝てるわけはない。
マリサは連中を救う道を考えられないでいた。
とそこへ隣にいるメーソンが叫んだ。
「船だ、スペインの国旗がなびいているがどうする?」
「せっかくカリブ海まで来たんだからアン女王陛下に土産ものでもしないとな。ちょっとデイヴィスの意見を聞こう」
マリサは慎重に檣楼からおりると船長室にいるデイヴィスの元へかけっていく。このところデイヴィスは余計に物静かになった。もともと無口な男であったが、海戦の負傷で腕に力が入りづらくなって以来、操舵をニコラスに任せきりで船長室に籠っている。イライザはそれが歳を取ったせいだと言っていたが他に理由があるような気がした。厳しいが遠目でマリサを見守ってくれている、デイヴィスはそんな男だ。
「デイヴィス、ちゃんとご飯食べているか?元気ないとイライザ母さんが嘆くぞ」
船長室に入ったとき、デイヴィスは椅子にもたれて眠っていた。やはり老化なのか。
「……ああ、ちょっと夢を見ていた。昔の自分をな……。なんだ、ここに来たというのは困りごとか。お前らしくない……」
うっすら目を開けるデイヴィス。いやこれは老化なんかじゃない、何かから逃げている、マリサはそんな気がした。
「スペイン商船が見えている。どうする?たまには暴れるか?」
マリサがラム酒をゴブレットに注ぎ、デイヴィスに差し出すと一気に飲み干した。
「お前には答えが出ているんだろ。やるだけだ、
「それを聞いて安心した。まだ天国は遠いぞ、デイヴィス。じゃあしっかりと女王陛下への土産物を分捕ってくる。あたしが心配なら甲板へ出てきなよ。船長の影が見えないと民主的に船長交代になるぜ」
マリサが誘い掛けるとデイヴィスはフッと笑った。
「まだ爺さん扱いするな、俺はまだこれからだ」
「それでこそあたしのデイヴィスだ。やろうぜ」
マリサは甲板へ駆け上がると連中に指示を出す。
「スペイン商船だ、女王陛下への土産物をいただこう」
たちまち活気づく”青ザメ”の連中。マリサは船室へ行き、素早くお嬢様ぽいドレスに着替えた。それでなくとも久しぶりの海賊稼業でそれに加えてマリサの変装である。連中の興奮は治まらなかった。
「どうだ、貴族のお嬢様に見えないか」
そう言って甲板からわざと商船に向かって手を振った。するとどうだろう、スペイン商船のほうから近づいてくるではないか。
「魚が釣れたぞ、やってやれ」
マリサが笑うと同時にメーソンが大声を出す。
「いや、つられてるのはこっちかも。気を付けた方がいいぞ」
「そうか、そういうこともあるな。お互いに化けの皮が剥がれるまであくまでも商船を通せ、油断させておけ」
そうこうしているうちにスペイン商船はどんどん近づいてくる。マリサもそれに応えて思いっきり手を振った。もはや格好の餌である。
「Buenas Tardes. (こんにちは)……まあここからじゃ聞こえないか。挨拶はこれぐらいにしておこう」
デイヴィージョーンズ号から向こうの水夫たちの顔が見えるぐらいに接近した。水夫たちは変装したマリサに対して喜んで手を振っている。マリサもここぞとばかりに微笑んで応えた。するとスペイン商船の旗がスルスルと降ろされ海賊旗が揚がったのである。
「よし、化けの皮がはがれた。踊ろうぜ!あいてはスペインの海賊だ。相手に不足はない」
そういってマリサは相手にわざと聞こえるようにキャーキャー言いながら甲板を駆け回る。そしてさっきまで事の成り行きをみていたデイヴィスが叫ぶ。
「総員、配置に着け!逃げた奴は死刑だ。海賊に負けたらナッソーの奴らの笑いものだ。この前のお返しをしてやろう」
デイヴィスの凛々しい声に連中も笑みがこぼれる。だれもがお爺さんくさくなったデイヴィスを認めたくなかった。
海賊のほうからロープにしがみついた水夫たちが乗り込んでくる。いつもなら自分たちが乗り込む方だが今回は先に海賊のほうから乗りこんできた。
「まあ、なんてこと!神よ我を救いたまえ」
マリサが祈るような仕草をする。こんな海賊行為の真っただ中にあってわざと相手の気を引いているのだ。それがわかっている連中であるが、マリサの名演技に苦笑する者もいた。
「シェークスピア君、あんたのじゃじゃ馬は名優だな」
大耳ニコラスはそのまま海賊船と距離を保ちながらフレッドに話しかける。つかず離れず……いい塩梅の距離に。
「そうだな、海賊じゃなくて女優をさせた方がよさそうだ」
フレッドはそう言うとサーベルを持ち向かっていった。
「行くぞ!」
白兵戦組が次々と相手に乗り込んでいき、逆に乗りこんできた海賊を残った連中が迎え撃つ。そう、この距離ではお互いに砲撃をするとともに撃沈してしまうのだ。
「あーれー、だれか助けてちょうだい」
甲高く声を出して逃げるマリサをひげを伸ばした海賊が追いかける。
(あたしは長いひげが苦手なんだよ!)
船首まで逃げるとマリサは思いっきり微笑んだ。何が起きたのかわからない髭の海賊も笑う。そして一瞬海賊はカットラスをおろすそぶりをし、マリサがスカートの裾をあげるとすぐにとびかかかってきた。
「Adiós(さようなら)!」
胸元からすかさず小刀を抜くと男の喉元を切り裂いた。たちまち返り血でドレスが真っ赤に染まっていく。
「あら、このドレス、高かったのよ。」
そう言って脱ぎ捨てると本来の姿に戻り、サーベル片手に乗り込んできた海賊たちを切りつけていった。
「あんたたち、終わりにするよ!」
その声にフレッドがすぐさま反応する。
バーン!
一発の銃声が響きわたる。フレッドは海賊の船長に向かって撃ったのだ。一人二人三人……指揮系統を崩していく。海賊は総崩れだ。
スペイン海賊たちは降伏した。”青ザメ”は自分たちは商船であるという立場で船を守り抜いたのである。
デイヴィスは彼らを捕虜としないで、武器と弾薬、火薬そして略奪したであろう金貨や絹、砂糖をいただくと船へ返し、こういった。
「お互い、戦争が終わったら国際交流しようぜ。海賊に国境なんてない方がいいだろう」
あれだけの名演をしたマリサはまたもや仏頂面だ。面白くないといったいつもの顔である。
「マリサは男に
ニコラスは白兵戦から戻ってきたフレッドにそう言ったのだった。
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