第25話ウオルター総督の真意

 1712年1月29日、オランダのユトレヒトで講和会議が始まった。しかしグリンクロス島以降ずっと航海をしている”青ザメ”はもちろん、海賊共和国の荒くれ者でさえ和平の道が進んでいることを知らないものが少なからずいた。それだけ情報の伝達には時間がかかったのである。そして誰がスペインの王に就くのかフランスとイギリス、オランダ、オーストリアなど各国の利害が絡み、交渉は難航を極めた。特にフランスはフェリペ5世のスペイン王位を何としても維持しようと、フランス優位の和平案を出してきたので相手国の反発を招いている。この戦争の発端がスペインの王位にフランスに縁があるフェリペ5世を推したことによるフランスの大国化の懸念であったことを忘れないでいた。


 5月、マリサ達はスペインの海賊から奪った金貨、絹や砂糖をアン女王に納めるために(もちろん一部は青ザメの取り分となる)帰港していた。一般の海賊(pirate)は拠点をニュープロビデンス島・ナッソーやその他カリブの島々を拠点にしていたが、”青ザメ”はいつも商船にカモフラージュして帰港している。それはイギリス船を襲わない海賊(buccaneer)であることの証であった。しかしだからと言って安心できるわけではない。ウオルター総督からもらっている私掠のための特別艤装許可証は国がだしたものではなくウオルター総督が単独でだしたものだからである。それでも海軍士官であるフレッドが軍部に出向いて活動報告をし、時には海軍に協力して海戦に臨むので”青ザメ”の動向は軍部の範ちゅうにあった。

 

 ただ、心配は別のところにあった。それはあらゆる政治の動向や事件の顛末に詳しい知識人たる大耳ニコラスがこうフレッドに漏らしている。

「腑に落ちないのは、なぜウオルター総督は”青ザメ”に対して恩赦でなくマリサとフレッドとの結婚を言い渡したのかだ。海賊が総督に降伏することで恩赦をもらい、自由の身になった事例は過去にもある。グリンクロス島は女王陛下の植民地だからウオルター総督もその権限はあるはずだ。これは総督が何かの理由で”青ザメ”に恩赦をだせないので、せめてマリサだけでも救いたいとあんたとの結婚を言い渡したんじゃないのか」

 ニコラスの言う通り、総督はいわば女王陛下の代理人であり、相当の権限を持っているので海賊に対して恩赦をだすことはできる。ウオルター総督は何かを隠しているのでは、そんな気がしてならない。

「それはつまり……もし海賊討伐に軍部が動いた場合、“青ザメ”の連中は助からないってことか?降伏を申し出ても」

 フレッドの脳裏に母親の言葉がよぎる。


――マリサはいつも全体のこと、船の仲間のことを考えているのよ。あなただけのマリサじゃないってことを自覚していないといつまでも溝は埋まらないわよ――


(マリサは自分だけ助かることを望んでいない。だから連中を助ける方法が見つからないうちは『そのとき』は来ないということなのか)


 帰港したタイミングで母に会い、正式に結婚をするものだと思っていたのだが、マリサはまだ『そのとき』じゃないと言って拒んだ。そして時間をくれとも言っている。『そのとき』まで自分も母も待つつもりだが、それはいつなのか……。でもナッソーでマリサは自分のことをこう言っている。


――副航海長のフレッド――


 海軍のフレッドではなく”青ザメ”の仲間としてそう呼んでくれた。それは確かな変化だ。マリサの『そのとき』はいつなのか。総督が言ったようにマリサが結婚して船を降りることで彼女は海賊の罪を問われなくなる。しかし、それには期限がある。国へ帰るたびに政局が変わっており、本当にこのまま講和条約が結ばれれば”青ザメ”も他の海賊同様討伐の対象となり、その時は自分は討伐をする側だ。この手で”青ザメ”の連中を……マリサを捕らえなければならないとしたら……考えたくもない。


「海軍は時に冷たい選択をする……これはデイヴィス船長の口癖だ。まだマリサの実父ロバートが生きていたときに何かあったらしいからな。詳しくは知らねえが、まあ誰だって触れられたくない過去はあるってもんだ。せいぜいあんたが冷たい選択をしてマリサを泣かせないようにすることだ。あのじゃじゃ馬の目にはいつもあんたがいるからな」

 ニコラスはそう言ってフレッドの肩を叩いた。


 海賊からの略奪品は主計長であるモーガンが系統立てて計算して納めており、計算間違いがあっても指摘するので正確に取り分をもらうことができている。数字に細かいが主計長はこうであってほしい。あとで知ったことだが裏切者コゼッティは架空の取引を行いお金を誤魔化していた。 

 文書にしても契約書にしても文字が読めないと意味が分からず、不利な取引をさせられることがある。それだけに文字の読み書きや計算ができる人員は必要不可欠だったのだ。”青ザメ”ではオルソン伯爵を筆頭にニコラス、マリサ、そしてデイヴィスが少しだが読み書きできた。オオヤマは自分の国の文字の読み書きはできるらしく、絵筆のようなもので蛇のような文字を書いているのを連中は見たことがあるが、この国の読み書きはわからないということだった。計算は何といってもモーガンが早い。最近は在庫管理までしっかりやっているので連中がラム酒をこっそり飲もうとしようものなら顔を真っ赤にして怒るのである。酒を飲まなくなったマリサはただ笑うしかなかった。



 フレッドは”青ザメ”の状況を報告するために軍部へ赴いた。すると執務室には前回アカディア襲撃で指揮を執っていたウオーリアス提督とエトナ号のグリーン副長がいた。報告に来ただけなのにどうして提督と副長がそこにいるのだろうか。フレッドはまだまだ下っ端の士官であり、提督を目の前にして緊張が走る。

 慌てて敬礼をするがもろに提督に緊張が伝わってしまった。

「そう怖がらなくてよろしい、スチーブンソン君。安心したまえ、別に君を糾弾しようと思っているわけではない。君はグリンクロス島で海軍からの書状を受け取っているね。そのことで話をしたい」

 ウオーリアス提督は隣にいるグリーン副長に目配せをする。すると彼はフレッドにこう話した。

「君も知っての通り我が国とフランス、スペインは和平へと向かっている。ところがそれを阻止しようとする輩も当然いるわけだ。彼らは私掠船や海賊の船団を陰で動かしている。我々も以前は海賊や私掠船の力を借りており、その流れの海賊が君がかかわっている”青ザメ”だ。そして……グリンクロス島のウオルター総督から”青ザメ”の頭目が君と結婚し、船を降りることで彼女の罪は問われないことになっているとも伺っている。しかも戦争が終わるまでにだ。それは把握しているか」

「はい、今おっしゃったことは全て事実であり、私が承知しているところであります」

 フレッドがはっきりというと提督と副長が頷いた。

「スチーブンソン君、我々はスペインとフランスの海賊・私掠船そして陰で動かしている輩を叩く。我が国の植民地と海上の安全のためだ。そして君の”青ザメ”の監視目的の任務はそこまでだ。以後はグリーン副長の指揮下に君を置き、戦後はイギリスを相手にしている海賊を討伐していく。略奪し放題の奴らをいつまでものさばらせておくわけにはいかん。私のこの義足に賭けて必ず討伐に向かう。海上輸送の安全と植民地を守ることは我々の任務だからだ。その際は君も加わってもらう。海賊の手の内を知っているのは君だからな」

 提督がそう言うとグリーン副長も付け加える。

「マリサを救いたかったら今日にでも船から降ろせ。わかっているだろうが、これは猶予がないことだ。話はここまでだ、ご苦労」

「は、はい!」

 フレッドは敬礼すると速足で執務室を出た。

 軍部から帰る際もずっと心の迷いがあり、落ち着かないでいる。


(どうしたものか……マリサは連中をみんな助けたいんだ。その方法が見つからないうちは『そのとき』はこないだろう……戦争終結後はどんな海賊も討伐対象だ……”青ザメ”も例外ではない)


 フレッドの心配もマリサに比べたら小さいものかもしれない。それでもフレッドは焦っていた。



 家では軍部からの帰りを待ちわびたハリエットがスコーンを焼いて迎えた。砂糖が高価なのでキャロットジャムをつけていただくのだが、ハリエットはマリサが来たら食べさせてあげようと多めに作っていた。

「お帰り、フレッド。せっかく帰ったのにまたその顔ね……。今度はなんなのかしら。それにマリサは来ないの?今度は鱈の料理を教えてあげたいのに」

 ハリエットは息子を抱きしめ、あたたかく迎える。

「マリサは来ない……、お母さん、まだマリサは『そのとき』じゃないと言っている。でももう時間がないんだ。次の航海で僕の”青ザメ”での任務は終わり、海賊は討伐される。そうなったら僕は討伐する側だ。下手したらマリサをこの手で捕えなければならなくなる……そんなこと、僕にはできない……。マリサは”青ザメ”全体が助かる道を模索している。いまや”青ザメ”は軍部に逐一報告がなされ、あらゆることが筒抜けだ。どう手をうったらいいんだろうか……」

 フレッドの様子にただならぬものを感じたハリエットはフレッドにコーヒーを入れ、スコーンを差し出す。しかしフレッドは手を付けようとしない。

「マリサ一人じゃ解決できないことだわ。私もいろいろ不思議に思っていたのよ。なぜ総督閣下は恩赦ではなくあなたとの結婚を言い渡したのか……”青ザメ”の仲間の中に恩赦の対象にしたくない人がいるのかしらね」

 そういうと作りすぎたスコーンを紙で包み、フレッドに手渡す。

「せっかく作ったんだからマリサにも食べてもらって頂戴。鱈の料理とスコーンを一緒に作りましょうって伝えてね」

 そしてフレッドが返事をしないうちにこう付け加える。

「……一緒にマリサと仲間を助けましょう……必ず手はあるはずよ、あきらめないで方法を考えましょう」

 グリンクロス島での滞在でマリサの人間性を見極めたハリエットはマリサが好きだった。どんなときも前線に立ち、何かを守ろうとするマリサが好きだった。ならばこの件についてはマリサを何とかしてやりたい、そんな一心だった。


 ウオルター総督の真意はなんだろうか、それはまだ誰もわからなかった。

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