第23話マリサの掟

「ビッグ・サム、初めての男がおめえだったら誰も文句は言わねえだろうよ。やっちまえ、”青ザメ”の頭目が折れたらどこの海賊が受け入れるか相談しておけよ!」

 荒くれ者どもは次々とけしかける。店内は騒然となった。

「そのつんつんした態度がいつまでもつか試してやるぜ。弱き者汝の名は女なり(シェークスピア作『ハムレット』のセリフ)ってあるからな」

「ふん、あんたにシェークスピアは似合わない。頭いかれてんのか」

 マリサが嘲笑するとビッグ・サムの周りにいる男や娼婦たちはますます煽り立てる。

「どっちもどっちだ。さあここにいる男衆、いくら賭ける?マリサに賭けるかビッグ・サムに賭けるか今のうちだよ」

 小太りの娼婦の言葉に掛け金の声が飛び交う。決闘なら海岸でピストルを撃つのだがこれは決闘ではない。


(まずいな……場所が狭すぎる)


 店の中は客だけでなく娼婦や野次馬も集まっている。マリサはサーベルを手に構えた。しかしビッグ・サムは全く武器も持たずに口角を上げている。武器がなくても相手にしてやるということか。

「かかってきなよ、オフィーリア(『ハムレット』に登場するヒロイン)。この俺様が相手にしてやろう」

 この言葉がマリサの沸点を刺激した。

「ふざけんな!」

 マリサはサーベルでビッグ・サムを突こうとむかう。しかしビッグ・サムはサーベルを瞬時にかわし、筋肉あふれた腕でマリサの体ごとテーブルに突き飛ばした。激しくテーブルが揺れ、椅子がひっくり返る。マリサがテーブルに体を強打した際、サーベルは手元から離れ、床に落ちた。

「この野郎、なめてんのか!」

 マリサが起き上がろうとするとビッグ・サムは余裕のある顔でマリサの両腕を力任せにつかみ、押し倒す。

「なめてんのはお姫様のほうじゃねえか。心配すんな、俺様は優しいといわれる男だ。しっかりとリードしてやるぜ」

 ビッグ・サムの言葉に酒場は祭りのように騒がしくなった。静かにしているのは”青ザメ”の連中と”ミカエル”のジャクソン船長だけである。フレッドは言葉にならないくらい焦っている。なぜ手をこまねいてみていなければならないのか、そもそも理由もわからず、もし何かあらばマリサを助けようと片手はピストルを手にしていた。

 マリサは抵抗しようにもビッグ・サムが体の上に乗りかかり片手で腕を押さえつけられ身動きが取れないでいる。


(こいつの動きに隙があれば小刀を抜けるのに……)


 そう思ったとき、ビッグ・サムがマリサのシャツを破り捨てた。


 ビリッビリビリッ……


 肌があらわになり、胸がはだける。荒くれ者どもは子どものように喜び、娼婦たちはそれ見たことか、と冷たく笑っている。娼婦たちにはマリサの仏頂面がお高くとまっているように見えてならなかったのだ。

「おおっ!ビッグ・サム、やるじゃねえか。でかしたでかした、そこまでいけば『城の陥落』は近いぞ」

「いけいけ、お前には金貨10枚も賭けてんだ。おまえに俺の運をかけたぜ、ビッグ・サム」

 あちこちでビッグ・サムの名前の連呼である。よほどの金額を賭けているのだろう。

「おうよ、任せとけ、見せ場はこれからだ」

 まるで英雄気取りのビッグ・サムは上機嫌で荒くれどもの顔を見渡した。そしてここに隙が生じた。ビッグ・サムは一瞬マリサの肩を押さえつけていた腕の力を抜いたのである。


(今だ!)


 マリサは瞬時ににサッシュから小刀を抜き、そのままビッグ・サムのわき腹を刺した。生暖かいものが流れ出てくるのが伝わる。

「ぐぐぐ……」

 ビッグ・サムはわき腹を抑えてよろよろと立ち上がるが、ふらついてまた座り込んでしまう。

 さっきまで煽り立てていた男衆も娼婦たちも思わぬ展開に騒然となった。


 マリサはサーベルを拾うと座りこんだままうめいているビッグ・サムにその刃を向けた。

「あたしは高いぜ、ビッグ・サム。ついでに言っとくがな。あたしの体は予約済みなんだよ、そこにいる副航海長のフレッドのためにな!」

 ビッグ・サムは流れ出る血で立ち上がれないようだ。


(ついに……マリサが言い切った!!)

 大耳ニコラスは隣にいるフレッドの顔を見る。フレッドも事の急展開に驚いている。

「……そこまでだ。これで勝負はついたろう。マリサは”青ザメ”の頭目だ、そこいらの娼婦とは違うってことをわかったならもう相手にするな」

 ジャクソン船長が言うとその場にいた荒くれ者どもや娼婦たちは黙って日常へ戻っていった。酒を飲み始め、娼婦たちは男と抱き合い商売をする。ビッグ・サムは仲間が手当てをしているが、マリサがつけた傷は深く、血が止まらなければ命を落とすだろう。

「デイヴィス、今回も掟は守ったよ。一足早く船へ帰っていいか」

「ああ、それは構わねえが……」

 そうは言っても上半身裸状態のマリサをそのまま返すわけにはいかない。するとすかさずフレッドが自分のシャツを脱いでマリサに手渡した。

 マリサは有難くそれを着ると何事もなかったかのようにフレッドに言う。

「あたしと船へ帰ってくれないか」

「もちろん、そうしようと思っている」

 そうして二人は店を出ると潮のにおいがする風を思いきり受けた。船にもどるまでマリサはずっと黙ったままだった。あんな目にあったのだから気持ちも落ち着かないのだろうとフレッドは思い、特に話しかけることをしなかった。


 ようやく船に戻るとマリサが向き合い、一瞬フレッドを見つめた。マリサは泣いていたのである。そしてそのままフレッドの胸に飛びこむと何度も何度も泣きながら彼の胸を叩いた。

「……あたしがどんなに剣や銃の腕を磨いても……男の力には勝てない……悔しい……悔しい……」

 フレッドはマリサが泣いたのを見たのはこれが初めてだったので戸惑いを隠せないでいる。

「それは仕方がないことだ……君が悪いわけじゃない。君は十分ビッグ・サムと戦い、勝った。それでいいんじゃないか」

「いや、そうじゃない、そうじゃないんだ……」

 ひとしきりフレッドの胸を叩き終えると落ち着きを取り戻したマリサはそのまま甲板に座り込む。フレッドも隣に座りマリサの様子を見る。

「……フレッド、あたしが剣や銃の扱いを磨くのは白兵戦のため、そして前にも言ったけど裏切者をこの手で殺すため。そして本当の理由が『掟』だ」

「掟?」


(そういえばニコラスもそう言ってたが、何のことだ?)


 フレッドはいわゆる『海岸の兄弟の誓い』のほかに海賊たちに掟があるのか不思議に思えてならない。そんなフレッドのそばでマリサは町の灯を見ている。そしてもう一つの掟について話し出した。


「掟その1,女であることを武器にしてはいけない。これは娼婦のように体を武器にして誰かれなく抱かれてはいけないということ。武器は剣と銃だ、それ以外はない。そして自分の力で自分の身は守れということだ。掟その2,女であることを忘れてはいけない。これはつまり結婚するまでは体を許すなということ。あたしが海賊になると決めたときにイライザ母さんとデイヴィスとの間に結ばれた掟だ。イライザ母さんは敬虔なキリスト教徒だから婚前交渉なんてありえない。だからあたしもそれを守る。掟を破れば問題なくデイヴィスはあたしを殺すことになっている。あたしは頭目という地位にあるが、それは”青ザメ”の象徴的なものだ、”青ザメ”の絶対的な権力者は船長たるデイヴィスだ。あたしが掟を破ればそうなるのは当然のことだよ」

 そう言って夜空を見上げる。

「それであのときデイヴィス船長は僕に手を出すな、といったのか……」

「そうだよ、あのときどうしようもなく誰かに助けを求めていたら確かにあたしはその場で助かったかもしれない。だけどその時点でイライザ母さんのもとへ帰らされる。自分の身を自分で守れない女は船を降りなければならない。そういうことだ」

 吹っ切れた様子でマリサが立ち上がると再び潮風が吹き抜けていく。

「フレッド、あたしの体を見ただろう……あたしの体は今までの白兵戦で受けた傷があちこちにある。決して見た目はきれいじゃあない。最近の傷は左腕の例の傷だ……だけど中身はまだきれいなまんまだ。『そのとき』が来るまで予約されたからな。だから……」

 マリサは笑みをみせ、言い続ける。


「このあたしをあんたの妻にしてくれないか」


 そう言い切ったとき、波で船が大きくローリングした。

「初めからずっとその気持ちだよ、マリサ」

 フレッドは今までの荷が下りた気がしてマリサを抱きしめ、何度もキスをした。

「愛してる……」

「あたしもだ、いろいろあったけどな……」

 思えば片手の距離以内には近づけず、マリサのそばにいることもほとんどといっていいほどなく、グリンクロス島で一緒にダンスをしたぐらいだ。

 

 ナッソーでの短い休みが終わればまた海軍と海戦に加わることになるだろう。それは嵐の前の静けさにも似ていた。

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