第22話 海賊共和国・ナッソー

 マリサのグリンクロス島での滞在中に本国では和平へまた一歩近づいていた。スペイン継承戦争中の1711年12月、戦争の軍資金としてオーストリアからイギリスに支払われていた数万ポンドのお金がマールバラ公によって搾取されていることがトーリー党によって明らかにされており、それによってマールバラ公は29日に最高司令官の職を失い、失脚したのである。その後イギリスとフランスとの間で和平交渉が行われていくのだが、島嶼部や新大陸への情報の伝達手段が船しかなく、中には政治の流れを知らずに私掠活動を行いつづける海賊も少なくなかった。



 1712年2月、新たに仲間となったモーガンはコゼッティ以来空きとなっていた主計長の役を貰い業務に入っていた。モーガンは計算や文字の読み書きができたからである。おかげで出帆への荷積み作業や業者への金銭の受け渡しがスムーズにいった。(海賊だからといって略奪ばかりしているわけではない。陸の上では陸の法律があるからである)

「次の目的地はニュープロビデンス島・ナッソー……『海賊共和国』だ。海軍の命令がない今のうちに行っておこう」

 デイヴィスが言うと連中が雄たけびを上げる。海軍に協力をするようになってからその言葉を口にするのも久しい。


 海賊共和国とは私掠船を中心とした海賊たちが事実上の自治を行っている島である。スペインとフランスの連合艦隊が1703年、1706年にナッソーを攻撃したことに始まり、イギリスの統治が撤退すると私掠船の乗員らが自治を始めたのだ。そこは多くの私掠船や海賊のたまり場であり、情報交換の場でもあった。もっとも仲がいいものばかりではなく、対立をする海賊もいた。


 グリンクロス島をでて順調に航海は進み、汗ばむような日々が続く。マリサは屋敷暮らしですっかり体がなまってしまったと感じ、暇さえあれば剣や小刀の練習をしている。ただピストルについては弾がもったいないと新たな主計長であるモーガンがいうので戦闘中でない限り撃たないことにした。以前のマリサなら『うるせえ!』の一言で終わってしまうのだが、フレッドへの誤解が解けてから少しはイラつきが収まったのも理由の一つかもしれない。

「このあたしが『もったいない』の一言に負けてしまうなんて……落ちたもんだ」

 オオヤマとひとしきり練習を終えるとマリサは汗を拭きながらつぶやいた。

「まあ、あながちモーガンの言うことも間違いではない。いざというときに弾がなかったら笑い話にもならんからな。そもそも銃と刀じゃ全く用途が違う、相手と距離があるかないかだ。武器の特性を考えて使うのが一番だ」

「そうだね、確かにそうだ。ついでにオオヤマ、あんたのその刀、髭はそれないのか?結構伸びてるぜ。のばすんなら三つ編みしてリボンで結んでやろうか」

 マリサの言葉に周りにいた連中が大笑いする。つい最近のあの海賊のことだ。

「やめてくれ、俺は”黒ひげ”じゃあない」

 オオヤマはマリサが差し出した小刀を受け取ると無精ひげをそり始める。

「ごめん、無理言った。どうもあたしはひげが苦手だ……、体が受け付けない」

 そういうとフレッドにこうも言った。

「……ということだ、あんたが髭を伸ばしたらぶっ殺す!」

 誤解が解けても悪態は変わらない。それでもフレッドに向けられていた敵意はなくなり、この様子の変化を大耳ニコラスが察知する。


(『じゃじゃ馬ならし』がまた始まったか……頑張りたまえ、シェークスピア君)


 ニコラスはまた二人の様子を見守ることにした。


 デイヴィージョーンズ号が『海賊共和国・ナッソー』を目指したのは他にも理由があった。商船としてグリンクロス島へ向かう際、ジェーンの帰国に合わせてきていた海軍の艦長からフレッドがある書面を受け取っていたからである。それは再び年内に海軍の艦隊に加わるというものだった。ナッソーへは途中に立ち寄るということだが、本来の目的を荒くれどもに知られては何をどう邪魔されるかわからないので、ほんの一日立ち寄るだけにした。そしてナッソーはマリサにとってもあまりい思いのする場所ではなかった。



 嵐に遭遇することなくニュープロビデンス島・ナッソーに入ったデイヴィージョーンズ号は特に目立つ様相はなく、その他の多くの海賊船や私掠船に混じって停泊した。ナッソーは土地の高低差がほとんどない南国のサンゴの島で、長い海岸線に椰子の木が生い茂っている。このころのナッソーは本来の住民200人ぐらいだったのに対し、1000人もの海賊たちがいた。そこを拠点として私掠や海賊をするのである。するとどうしても必要になってきたののが娼婦の存在だった。海賊たちは住民を脅かし、恐怖に陥れるだけでなく、娼婦を『輸入』しては陸での生活を謳歌していた。それは掟に『女と子どもは船に乗せない』という一文があったことも関係している。


 停泊したその夜、新鮮な水と食べ物・柑橘類、そして弾薬やいくらかの火薬を積むと、貧乏くじを引いて当直として船に残る連中を置いて”青ザメ”の連中は港のある酒場へ入った。マリサもデイヴィスと連れ立って中へ入り、フレッドは他の連中とともにしていた。男ばかりなら楽しいであろうナッソーの酒場もマリサにとっては思い出したくないことがあり、喜んで来るところではなかった。

「大丈夫か、顔色が悪いぞ。なんなら士官殿と帰ってもいいぞ」

 デイヴィスは黙り込んでいるマリサに声をかける。それは優しさというより、マリサを試していた。

「気にすんな、デイヴィス。こういう場所だってことは承知の上だよ」

 マリサはそう言いつつも目に入ってくる現実を受け入れるだけで精いっぱいだ。

 店内は飲んだくれの荒くれものが大声で笑い、怒鳴っている。かと思えば隣のテーブルでいきなり娼婦が海賊相手に商売を始めてしまう。


(あらかじめ覚悟はしていたけど、目も当てられないな)


 デイヴィスと向かい側に座り、ビールを飲む。この場所では酒しか提供がなかったからである。

「おい、誰かと思ったらデイヴィスじゃねえか」

 声をかけたのは老いた海賊だった。この年まで長生きして現役というのも珍しい。それは海賊”ミカエル”のジャクソン船長だった。

「なんだ、ジャクソン船長か。まだ生きておったか。この前はうちのマリサの救出に力を貸してくれてありがとうな」

 親交ある海賊に出会い、デイヴィスは少し嬉しそうだ。

「あのときは世話になったね。おかげで今ここにあたしがいる」

 さっきまで仏頂面だったマリサの顔に笑みがこぼれる。

「マリサよ、ここはおめえにはあんまりいい場所じゃねえが、まあ社会を知ることも必要だ。それよりデイヴィス、すっかり爺さんくさくなったんじゃねえか」

 そういってジャクソン船長は小声でデイヴィスに尋ねた。


「……海軍に協力しているそうだが、ウオーリアス提督の艦隊に加わったのか」

 その声も荒くれ者どもの騒ぐ声でマリサには聞こえない。デイヴィスが頷くとジャクソン船長はなんども首を振った。

「……命が惜しいなら、やめておけ。もうかかわるな」

「爺さん、心配は無用だ。海軍に協力するのも戦争が終われば終わりだ、終わったらその時はその時だ」

 デイヴィスとジャクソン船長がそんなやり取りをしているそばで、飲んだくれの海賊の一人がマリサに絡んできた。


「おいおい、なんだい、えれえつんつんしているじゃねえか。もう少し女はしおらしくかわいらしくねえとな。”青ザメ”の船長は腑抜けか?女ひとり躾もできねえで何が海賊だ、何が船長だ、ついでに仲間も腰抜けだわな」

 そう言って男は笑い、つられた周りの荒くれどもも笑い転げる。

「ビッグ・サム、もっと言ってやれ!女の調教は馬より大事だからな」

 誰かがけしかける。ビッグ・サムと呼ばれたその男はこの店で一番体格が良いと思われ、その上腕からはドクロの刺青が見えた。


 ビシャッ!


 マリサは感情任せに持っていたビールを投げすてる。

「あたしを悪く言うのは構わないが、デイヴィスを悪く言うのは許さない!頭目のマリサが受けて立つ」

 そう言って立ち上がると男に睨みを利かせた。そこへ小太りの娼婦がマリサを男の方へ突き飛ばす。

「あんたたちは気が付かないのかい。こいつは男を知らない生娘だよ、やっちまいな」

 店にいた娼婦たちも大笑いである。フレッドは驚いてピストルをだそうとしたがデイヴィスに止められる。

「手を出すな。これはマリサが片付けるべき問題だ」

「何でですか。黙って見てろってことですか!」

 フレッドが飛び出そうとするのを大耳ニコラスが引きとめる。

「フレッド、これはマリサの『掟』だ。たとえ腑抜けと言われようが手を出すな」

 何が『掟』なのか全く分からないことだ。フレッドはどうしようもできない自分にいら立った。

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