第14話イライザ母さんの望み、スチーブンソン夫人の望み

  船の修理が終わり、デイヴィスの傷も癒えるとマリサとデイヴィスは船でポーツマス港に入った。あれだけの重傷を負ってからデイヴィスは右手の力が入りづらい時があり、操舵はそのまま大耳ニコラスが担っている。ロンドン市からポーツマス港まで約81マイル(約130㎞)、陸路で行くこともできなくはない距離だが、陸にあがった海賊は海軍に捕らえられる危険があった上に貸し馬車は船よりもはるかに料金が高かったのである。いくら自分たちが総督のお墨付きをもらっていても安心はできなかった。なぜならマリサがウオルター総督と取り付けた契約をデイヴィスは半ば疑っており、海軍に協力するといいながら疑いを持つ、これがデイヴィスの『陰り』だった。マリサはそれが何なのか気にはなっていたが、普段から無口なデイヴィスにあれこれ聞くのもどうかと思い、聞かないでいた。


 ポーツマスへ入った目的は他ならないイライザに会うためである。デイヴィスの恋人でありマリサにとって育ての母であるイライザは、農業にいそしむかたわらで日々二人の無事を祈っている。

 港から貸し馬車を走らせ、イライザの住む田園地帯の村へすすむ。右手がうまく機能しないデイヴィスに代わりマリサが手綱を持っているそばでデイヴィスは何も語ることなくじっと田園風景を見つめている。もともとあまり感情を出さない男であったが、海軍にかかわるようになってから一人で考え込む姿が見られるようになり、連中はそれを『歳のせい』だと言っている。

 やがて馬車はイライザの家へ着く。すると馬車を見つけたイライザが畑から笑顔で走り寄ってきた。マリサはデイヴィスの手を引き、ゆっくりと馬車から降りる。

「ただいま、母さん」

「帰ったよ、イライザ。相変わらず俺にはもったいないくらいのいい女だな」

 珍しくデイヴィスが冗談めいたことを言う。

「そういうあんたはちょっと老けたかしらね。さあ、入って、ゆっくり過ごして頂戴。マリサも今回は一緒に過ごせるでしょう?」

 イライザは収穫したジャガイモを軒下へ置き、手を洗うと二人を抱きしめた。

「いや、船の修理が終わったから夕方には船へ戻るよ。連中は羽を伸ばしているから誰も当直しないし」

 マリサが言うとイライザは悲しげな顔をした。

「大丈夫だよ、心配しないで。それよりデイヴィスの怪我の予後があまり芳しくなくて元気ないんだ。おいしいものをたくさん食べさせてあげて。船じゃ元気になるものは酒ぐらいだけだったから」

 そう言うと隣で聞いていたデイヴィスはマリサの頭をこつんと叩いた。

「酒で元気になるのはお前だろう」

 笑みを浮かべるデイヴィス。その日は夕方までマリサも滞在し、イライザと昼食作りをしたり、昼寝をしているデイヴィスのそばで語り合ったりした。そしてイライザはまたあの時と同じことを言う。


ー あなたが海賊でいる限り処刑されるか返り討ちにあうかだから ー


「それはわかっているよ、母さん。そうなった場合、母さんがひどく悲しむのもわかっている。でもあたしはこの道を選んでしまった。連中をまとめていきたいし、デイヴィスのそばにいたい。処刑はともかく返り討ちにあってもやり返せるように剣と銃の鍛錬はしているよ」

 マリサがそう答えるとイライザは涙を流して抱きしめる。

「何を言ってもきかないのは相変わらずね。でも本当に生き延びてほしい……毎回顔を合わすたびにこんな願いを言うのもおかしいけど、あなたは私の大切な子ども、失いたくないわ」

「あたしは死なないよ、大丈夫、心配しないで。しばらくデイヴィスを頼むね。海軍に協力するようになってから急に老け込んだ感じなんだ。海戦による怪我は見た目には治っているようなんだけど時々右手の力が抜けるらしい。ハミルトン先生も原因はわからないんだ」

 マリサが言うそばでデイヴィスは寝息を立てている。それは陸に上がったことで緊張が解けたからか。

 寝顔を見ているマリサにイライザはあることを話そうとしたが、思いとどまる。

「やはりおじいちゃんになったかしらねえ……」

 というとマリサがニコっとした。こんな家族の過ごし方がこれからもあるだろうか。そう思い、イライザは朝に夕べに祈りを捧げているのだ。


 短い家族との時間を過ごすとマリサは港へと馬車を走らせる。何せ貸し馬車は高くつく。御者の給料がべらぼうに高いのも頷けるわけだ。




 一方、船を降りてしばらくの休暇となったフレッドは、酒場に寄ることなくまっすぐに母親の待つ自宅へ帰っていった。父親が医師として開業していたが、フレッドの成長を楽しみにしつつも事故で亡くなっており、母親であるハリエットが女手一つで育て上げた。そんな母親のためにフレッドは自ら海軍に志願し、訓練の末に士官として働くようになった。早く母親を楽にしたいという思いがあったのだ。

 マリサとの結婚の話も最初は困惑していたのは事実である。自分はグリンクロス島総督の娘、シャーロット嬢と婚約をする目的であのとき総督の屋敷へ行っていたのになぜか海賊のマリサと結婚をするようにいわれてしまった。そんな自分も海賊たちと死線を潜り抜けるうち、どんなことも乗り越えていくマリサにいつしか惹かれている。これがお嬢様だったなら正直ただの飾り物としてしまっただろう。しかしマリサはそんな要素は全くと言っていいほどなかった。


「ただいま帰りました、お母さん。次の航海までしばらく通いの勤務です」

「お勤めご苦労様、そしてお帰り。しばらく見ない間にまた日焼けしたわね」

 フレッドの母、ハリエットはにこっと笑うと久しぶりにあう息子を抱きしめる。彼女は茶髪をまとめ上げ、小綺麗にしていた。それは人通りが多い市街に住んでいる故だが、見かけだけでなく家も家事の手を抜くことなく掃除も塵一つないほどまめにしていた。ある部屋をのぞいて……。

「あの部屋はまだあのまま?」

「そのうちにね……」

 ハリエットはニコニコしながらその話を避けようとする。そしてフレッドの荷物から洗濯物を取り出し、洗い場へ運ぶ。

「今日は久しぶりにホットパイを焼きましょうね、あなた大好きでしょう?」

 洗い場から戻ってきたハリエットは息子のために一生懸命だ。そういえば航海中にパイを食べたことはない。母親が作るパイは一番だと思っているが、それをマリサが作ってくれるだろうか……と妄想をするも現実に戻される。


(なぜかマリサは自分に対して冷たくなった)


「実は相談したいことがあるんだ。お母さんも知っていると思うが、あのマリサのことなんだ」

 まっすぐに自分を見つめるフレッドに思いつめたものを感じたハリエットは手を止める。

「あなたがそう言うときは自分で解決できないときよね。さあ、なんでもおっしゃい。私に力になれることがあるならうごきましょう」

 フレッドはこれまでの任務で知り得た機密事項以外、マリサのことを話す。自分としては彼女に何も怒らせることはしていないはずなのに、急に態度がよそよそしくなったばかりか、時には敵意さえ向けてくる。自分は女心がわからない、どのように接したらいいか困っている、とありのままを話した。そして付け加えた。

「今の僕には名士や爵位をもった方の後ろ盾はどうでもいいことだ、昇進が遅れるならそれでもかまわない。『その時が来れば(結婚を)考えなくもない』、そうマリサは言ったが果たして『その時』はくるのか……マリサの機嫌が悪い原因もさっぱりわからない。どうしたらいいんだろう」

 フレッドの話を頷きながら笑顔で聞いているハリエット。

「いいわ、私も行動をおこすとしましょう」

 夫人はある決心をする。



 それからしばらくしてデイヴィージョーンズ号はあるお嬢様の強引な我がままにより、商船としてグリンクロス島へ出帆することになる。そしてなんとそこにハリエットも加わっていたのだった。

 

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