第15話マリサ、沸騰する
1711年12月。デイヴィージョーンズ号は珍しく一般人を乗せてグリンクロス島を目指していた。うまくグリンクロス島へ行く便がなく、商船でも構わないからと言って半ば強引に乗り込んできたのである。一般客が乗っているとなると本業はできず、海軍との協力もできない。おかげさまでまじめにグリンクロス島向けの荷をたくさん積んで商船として航海をすることになった。
そしてその客人はマリサにとって苦手な客人だった。グリンクロス島での保養を決めた貴族の令嬢ご一行と、息子が心配なのか一緒に旅をしたいと言ってきたフレッドの母親であるハリエットが乗り込んでいたのだ。そのフレッドとはあれ以来疑いが抜け切れず、よそよそしい関係が続いている。
(全く、いったいどうなっているんだ……)
マリサはずっと機嫌が悪く、甲板には努めて上がらずにグリンフィルズの手伝いをしている。ギャレー(厨房)にさえいればあまり顔を合わさなくて済むし、戦闘でもないのなら甲板業務は連中に任せておけばよい。グリンフィルズはマリサのそうした過ごし方に慣れているので、ギャレーの戦力としてともに仕事をしている。
「機嫌直してくださいよ。あの貴族ご一行様は有力な貴族様ですからね。まあ、島へ着くまでの辛抱ですよ」
塩漬け肉をゆでながら言う。
「で、隣で専用コックが豪華な食事を作っている横であたしらはエンドウ豆のスープと塩漬け肉、ゆでたジャガイモだ。まあ、食べられるだけましだが、連中はよく反乱を起こさないもんだな」
マリサはジャガイモの皮むきをしている。海軍と違い、”青ザメ”は誰もが同じ食事だ。そうしたことで連帯感もあり、文句を言う者はいない。
「”青ザメ”は身分や人種も関係ない世界ですからね、そこが要ですよ」
「そうだな……あのコゼッティは別として、あたしたちは身分だの人種だの、考えないからな。この船に乗る限り船が沈めばみんな海の底だ、死なば諸共だ」
唯一それがわからなかった男……黒人であるラビットを差別し、裏切ったコゼッティはマリサの手で葬られた。
港を出て1か月ほどたったある日、デイヴィージョーンズ号はフランスの私掠船( privateer)に出くわした。一般人の、しかも貴族ご一行様が乗っているとあってできるだけ戦闘は避けるべきだが、そこはウオルター総督からもらったお墨付き『特別偽装許可証』をたてに戦闘を正当化して相手にすることとなった。
私掠船とは政府が許可を与えた民間の拿捕船で海賊に近いものである。戦時下に会ってイギリスもフランス、スペインもそのような船が存在していた。だからといって自分たちは海賊旗を揚げて戦闘をするわけにはいかない。あくまでも商船を通さねばならないのだ。
「お墨付きがあってよかったよ。でなきゃ海賊旗を揚げる羽目になっていた」
マリサは客人に船室へこもっておくように指示を出し、連中に声をかける。
「いいか、あたしたちは商人だ、考えて迎え撃て!」
私掠船と距離を置きながらデイヴィージョーンズ号は砲撃を開始する。
「撃てー!」
オルソン伯爵の声が響く。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが、海軍のようにたくさん砲弾を積んでいるわけではないので、効率よく、そこはオルソンの勘に頼りながらの攻撃だ。あくまでも戦闘となると白兵戦がものをいう。
私掠船の帆桁や転桁索を破壊しながら甲板上に砲弾が落ち、穴が開く。乗員たちが慌てているのが見える。
そしてもう一発。
オルソンはわざと私掠船を外し、ぎりぎりの水域に着弾させた。途端に大量の水しぶきが私掠船にふりかかる。これは威嚇だ。マリサはその意図が分かっていたので私掠船はそのままあきらめるかと思っている。そこへ船内から叫ぶような甲高い声が聞こえた。
「いったい客人を何だと思っているのよ!それでなくても船室は汚いわ、古いわ、揺れるわで荷物扱いじゃないの!」
声の主はマリサの苦手とする一人、貴族様だ。その後ろから船倉で荷物を固定していたフェリックスが追いかけている。
「お客様、今は我慢なさってください。いま甲板に上がったら危ないです。お願いですから我慢なさってください」
フェリックスの後ろからも令嬢の使用人が慌てふためいておろおろしている。この令嬢は普段からこうなのだろう。マリサは思わず沸騰してしまう。
「おいこら、どこのご立派なご令嬢様か知らないが、この船の緊急時によくギャーギャーわめくことができるもんだな。そんなに甲板にいたいのなら居るがいい。ただし、ここにいる以上客扱いはしないからな!」
「う、うるさいわね!私にたてつくと困ることになるわよ。私はジェーン・ブラント、伯爵家の私の前で無礼は許さないわよ!」
この非常時、キンキンした声でわめかれてはたまったもんじゃない。
とそこへデイヴィージョーンズ号に衝撃が走る。私掠船から撃たれた砲弾がフォアマストの転桁索に当たり、上から滑車やヤードの一部が落ちてきたのだ。
「キャー、お、お前、早く私を助けなさい!」
ジェーンは震えながらその場にすくんでいる。お付きの者も怖くて助けに上がれないようだ。
(言わんこっちゃない……)
マリサはため息をつくと強引にジェーンを小脇に抱え、船内へ投げ込んだ。甲板へ上がる階段からなだれ落ちるように『お嬢様』が落ちる。おつきの家来の驚きようはいかばかりか。
「死にたくなかったらおとなしくしておけ!あんまりうるさいとぶっ殺すぞ!」
マリサは言い放つと即座に指示を出す。
「デイヴィス、考えが変わった。乗り込んで船を壊されたお返しをしてやる」
デイヴィスに言うと彼はフフッと笑った。このままおとなしくするマリサじゃないことはわかっていた。船は並走しながら確実に私掠船に近づいていく。私掠船の方もこちらに乗り込む気らしい。
「旗を揚げろ!みんな、乗り込むぞ!お客様のことはほっとけ。うるさくしたら海へ投げ飛ばしていい!」
マリサの指示に国旗が降ろされ、海賊旗が揚がる。そして連中は久々に暴れることができると聞いて嬉しそうだ。
「あいよ!それではいきますか!」
口々に自らを高揚させ、ロープで私掠船に乗り込んでいく。私掠船はデイヴィージョーンズ号が海賊船だと知り、逃げるかと思いきや逆に向かってきているようだ。私掠船側からも同じように乗り込んでくる人員がいるのである。
「オオヤマ、そっちは任せた!」
戦法が違う日本刀なら敵も動きは読めないだろう。マリサの思惑通り、私掠船から乗りこんだ乗員は反撃をする間もなく倒されていく。
乗り込んだマリサと連中は次々と相手を切っていく。完全にこの時点でマリサは冷静さを失っていた。
バーン!
銃声が轟く。左腕から血しぶきをあげて倒れこむマリサ。
「あの野郎……」
撃ってきた方向には銃口をマリサに向けた船長がいる。マリサはよろめきながら立ち上がってピストルをだそうとした。だが、そこへ再び銃声がした。
バーン!
今度はその船長が銃撃を受けて倒れた。デイヴィージョーンズ号からフレッドが撃ち放ったのだ。
船長は一撃でこときれていた。船長の死に慌てる乗員たち。
「さあ、まだ戦うか?”青ザメ”を相手にしたことを後悔させてやるぞ」
マリサは舵輪を握っていた男にむかって小刀を投げつけると、小刀は彼の髪の毛をかすめていった。
「どうする?次は喉を狙うからな」
したたる血と痛みで頭が完全に沸騰しており、右手は2つ目の小刀を手にしている。
「撤退だ、撤退だ、相手にするな!」
舵輪を握っていた男が叫ぶ。その男は船長に次ぐ地位なのだろう。しかしフランス語で話しているのでマリサ達には伝わらない。カットラスや拳銃など武器が押収され、連中も船へ戻る。マリサはロープで巻かれてデイヴィージョーンズ号へ運ばれた。船長を失った私掠船は見る間に離れていく。
負傷したマリサのもとへ船医のハミルトンが駆けつける。
「大丈夫か!大丈夫ではないよな」
そう言って傷の具合を見る。
「うるせー!さっさとやれ」
「声は大丈夫だ。ならば黙っておけ!」
ハミルトンが布をマリサの口に押し込んだとき、一人の女性が船室へやってくる。
「私もお手伝いします、ハミルトン先生。私の家は医者で、医者の夫をよく手伝っていました」
その声はハリエットだった。
「そうか、ありがたい。手伝いを頼みます」
ハリエットは新鮮な水を用意すると傷を洗い流す。幸い銃弾は貫通することなく傷だけで済んでいる。それでも結構な出血もあり、止血を試みる。この状態で失神していないということにハリエットの気丈さを知り得ることができる。
「昔話じゃ煮えたぎった油を傷口に注いだらしい。今の時代を有難く思えよ」
ハミルトンは冗談を言えるほど安心をした。ただ、これで血が止まらなくては別問題だ。ワックスやテレピン油の軟膏を傷口に塗り包帯を巻き、マリサの口に押し込んでいた布を取り払う。
「しばらくは酒を飲むな。言っとくが酒を飲むと痛みが増すぞ。本気で治そうと思ったら我慢だ」
「先生、あたしを殺す気か!あれがないと死ぬ」
まだ頭の沸騰が収まらないマリサをハリエットがたしなめる。
「そんなに死にたかったらいくらでも死なせてあげますよ。でもあなたが死んだらこの船と仲間はどうなるのですか。ちゃんと考えてものを言ってますか」
ハリエットはマリサに微笑みかける。彼女の落ち着きようはこの状況においてマリサよりも立場が上位にあるように思えた。それに圧倒されてマリサは言葉がうまく出ない。
「……わかりました。治療、ありがとうございます……」
それだけ言うと一気に眠気が襲ってくる。
「そうね、それでこそフレッドの結婚相手にふさわしいわ」
ハリエットの言葉にドキッとしたが、緊張が解けたことの眠気に見舞われマリサはそのまま寝入ってしまった。
ハミルトンとハリエットは立ち去ったが、フレッドだけは椅子に座ってマリサのそばについている。そんなことは全く気付かないほど寝息を立てて夢を見ていたマリサだった。
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