第16話再びのグリンクロス島

 思わぬ負傷のせいでマリサは当面酒抜きとなり、ご丁寧にもハリエット(フレッドの母親)は


 傷口がふさがるまで禁酒

 賢い海賊は禁酒で治す

 酒は飲むもの飲まれるな


 などと書いた紙を船室に貼って、誰もがそれを確認できるようにしたのである。おかげで連中もマリサが酒を飲まないか監視がてら様子を見に来る。これでは安静にするどころかイライラするばかりだ。

 イライラするといえば、貴族の令嬢であるジェーン・ブラントもマリサにとってイライラの種だった。安静にしている間は顔を合わせなくてもよかったのだが、声だけはキンキン響いていた。そして今日もわめく声がする。


「もうー退屈してしまうわ……まだ島には着かないのかしら。毎日同じ景色ばかりで飽きてしまったわ。誰か気晴らしに付き合って頂戴」

 そんなことを言っても私掠船に一部を破壊されて応急修理だけやっているデイヴィージョーンズ号は速度をあまり上げられない。おまけに風任せの船のこと、どこを見ても水平線だけという日が続くのは仕方がない。そんな状況でジェーンはお付きの者と甲板に出て風に当たっている。

「お客様、もしよろしければ音楽を奏でましょうか」

 そう声をかけたのはオルソン伯爵である。田舎の貴族なのでジェーンからは伯爵というのは単なるあだ名だと思われている。それはそれで海賊としては都合がよかった。

「ええ、ぜひともお願いするわ」

 オルソンはバイオリンを手にするとジャン・バディスト・リュリの作品やヘンリー・パーセルの作品を奏で始めた。そこは身近に音楽を耳にしていたご令嬢のこと、機嫌がよくなり笑顔になる。それをみてオルソンはガボットやジーグなどダンスの曲を奏で始める。今まで海賊船においてこんな音楽会はあっただろうか。やがてジェーンはフレッドを見つけると向き合ってダンスを誘いかけた。ご令嬢のために何をすべきか社交辞令を心得ているフレッドは遠慮なく誘いにのる。

 

「マリサがこの場にいなくてよかったな」

 二人の様子をみて掌帆長のハーヴェーが小声でニコラスに言う。

「もしこれを見たら半殺しにされるからな。くわばらくわばら……」

 ニコラスは十字を切った。そこへ背後から声が聞こえる。

「誰がこの場にいなくてよかったって?」

 背後にいたのはマリサである。何やら甲板が賑やかだったので出てきたのだ。

「げっ!おとなしく寝てるはずだったんじゃ……」

 驚きを隠せないハーヴェーとニコラス。フレッドとジェーンが踊っているところを見てマリサが逆上するかもしれない。二人は警戒した。

「酒を飲まないせいで頭はまともだから心配すんな。なんだ、フレッドとご令嬢様が踊っていたのか。これを見てあたしが半殺しにするとでも?」

 二人が踊っているところを見たマリサはハリエットに負けないくらいの笑顔で二人に言った。

「あたしがあいつに嫉妬するとでも思ってたのか。あたしはその程度のことで刃は向けないよ、それに何をもって嫉妬しなきゃならないんだ?」

 マリサが詰め寄るとハーヴェーとニコラスは慌てて各々の持ち場へ就いていった。

 

(そうだよ……フレッドという人間ががわからなくなったから離れてるんだ)

 捕虜となっていたとき、自分の素性をスペインの総督に漏らした者は誰か。それがフレッドなのかはわからないが、マリサはあれ以来敬遠していた。


 そこへ見張りのメーソンが叫んだ。

「島が見えます、グリンクロス島が見えます!」

 待望の寄港だ、誰もが喜びをもって準備に当たる。ご令嬢様ご一行もすぐさま荷降ろしの準備だ。フレッドとジェーンはダンスをやめるがジェーンは名残惜しそうにフレッドのそばからなかなか離れようとしなかった。

 その様子を気に留めることもなくマリサは傷の手当てのために船室へ戻る。

「まじめに禁酒したのは初めてじゃないか。スチーブンソン夫人の張り紙が効いたな」

 ハミルトンはそう言いながら包帯をとっていく。

「うるせえな、あたしだってやるときはやるんだよ」

 マリサが毒を吐くとハリエットも傷の様子を見に来た。ハミルトンと二人でじっとマリサの傷をみつめる。

「これは……みごとに……」

「あら……まあ……」

 二人の様子にマリサは不安になる。

「マリサ、傷口はふさがったが……見事に傷跡が残っているぞ。まあ、あれだけの傷だ、当然だといえば当然だがこれからは傷口を隠すようなドレスを着なくちゃならんな」

 ハミルトンは申し訳なさそうに言う。傷跡が残るのはハミルトンのせいではないのだが。

「先生、心配しなくてもあたしはドレスなんか着ないよ。傷跡を気にしていたらこの仕事はやってられない」

 マリサは問題ない、といった様子で笑う。

「ところでマリサ、私がこの船に乗ったのはフレッドが心配というだけではないのよ。ウオルター総督に用があったの。……あなたのことでね」

 ハリエットの言葉にマリサの顔が引きつる。

「港へ着いたら総督の屋敷まで私と一緒に行ってもらいますからね。ああ、そうそう。屋敷には『ご令嬢様ご一行』もしばらく滞在なさるわ。気持ちを落ち着けてね」

 夫人は追い打ちをかけるかのように例の微笑みでマリサに言った。

(マジか……逃げ場はないのか……)

 マリサの顔から血の気が引いた。



 グリンクロス島では船の修理もあって、”青ザメ”の連中も滞在することになった。連中は安い宿に泊まるわけだが、食べられれば良いという航海中の食事に比べ新鮮な果実や野菜、水が嬉しいし、肉は何といっても生肉を料理したものなので、それはそれで連中は満足している。

 憂鬱なのはマリサだった。少なくとも総督の屋敷では自分の味方はいない。前回のこともあり、いったいどんな顔をすればいいのだろう。機嫌がいいのはジェーンとハリエットぐらいか。あまりにもマリサが滅入っているのでオルソン伯爵が一緒に来てくれることになった。このような役回りは彼でないとできない。そんなわけでオルソンも身分にあった服装をしていた。先にご令嬢様ご一行が屋敷に向かい、フレッドとハリエットは早々に支度をすませた。そしてマリサと言えば、せいぜい譲歩してあの町娘の姿である。

 ハリエットはそれをみても余裕のある微笑みで返すので、さらにマリサは何も言えなくなってしまう。


 有難いことに屋敷ではご令嬢様を迎えることに総督や使用人たちは大忙しで、前回マリサとシャーロットと間違えて抱きついておいおい泣いたランドー婆やと数人の使用人だけがマリサ達を迎えてくれた。

「お嬢様、お帰りなさい。お待ちしていましたよ。そしてスチーブンソンさん、それから……」

 ランドー婆やがオルソンを見ている。

「私はオルソンと言う者です。田舎で領地を治めております。マリサの後見人です」

 

(オルソン、いつからあたしの後見人になったんだ?)

 マリサが驚くが、まあそれは嘘も方便と言うものだろう。確かにマリサは子ども時代、オルソンの屋敷で使用人イライザの家族として出入りしていたし、オルソンが伯爵であることや田舎で領地を治めていることも事実である。

「では、さっそく着替えていただきましょうか。こちらでドレスはご用意してあります」

 ランドー婆やがマリサを案内しようとする。

「ごめん、用が済むまで屋敷にちゃんといるからそれだけは勘弁して。調理の手伝いでも洗濯や掃除でもなんでもするから……頼む!」

 マリサはジェーンのそばにいたくなかった。それに何かしら体を動かしてないと、それでなくても総督の目が気になるしジェーンともまた何かありそうで気持ちが落ち着かなかった。しかしハリエットは傷跡のことが理由だと思い、マリサの言うことに賛成をした。

「御令嬢の接待が第一でしょうから私たちの接待は無用ですよ。心配なさらなくてもマリサは船でも調理を手伝っていました。やりたいようにさせてあげたらいいと思いますよ」

 まさかこのようにハリエットに助けられるとは思わなかった。そうしてめでたく使用人としてマリサは居ることができたのだ。


(夫人は……いったい何を総督に話すつもりだ……あたしがフレッドを敬遠しているのがわかってしまったのだろうか)


 見通しを持てないことにマリサの不安は募った。

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