第18話ジェーンの悲しみと舞踏会

 ウオルター総督の屋敷に海賊が押し入った事件から二週間、ひとまず騒動はおさまった形だ。前回、フレッドの間違いによってこの屋敷に連れてこられたときは散々悪態をついたマリサだったが、今回は様子がわかっているうえにハリエットがいるとあっておとなしく過ごしている。使用人として働いていれば気持ちも落ち着くというものだ。はじめは使用人の姿をしているマリサにジェーンが混乱したようだったが、ジェーンもマリサとは相性が良くなかったので、見かけだけでも使用人の姿をしていることに優越感を抱いていた。

 シャーロットはそんなジェーンのいい話し相手になっている。お互いに今日一日どんなことをして一日を過ごそうか、その話題で朝からよくしゃべっている。お付きの者たちと島の景観の良い場所へ遊びに行ったり、楽師を呼んでともに音楽を楽しんだりしていた。フレッドは護衛がてら一緒に行動をし、オルソン伯爵も貴族の生活を心得ていたのでジェーンへの気遣いを忘れないでいた。オルソン伯爵にしてもフレッドにしても宿からこのお嬢様のために屋敷へ通っているのだ。というより、船の修理中はそうするしか時間の使いどころがなかったのである。

 マリサも使用人として屋敷で働いている方が気が紛れ、いい気分転換になっている。イライザが家事全般を教え込んでいたのがここで活かされていた。



 ハリエットは時折マリサの様子を見ながら笑顔で言う。

「禁酒、守っているわね」

 彼女はこの言葉にマリサが動揺するのを面白がっているのかわからないが、マリサはあれから酒を飲むのを控えていた。


(まあな……あたしは酒を飲んで失敗したというのも1回や2回じゃないからな)


 今日もひととおり屋敷の掃除を済ませるともう昼時だ。ジェーンとシャーロットはいつもの如くフレッドとオルソン伯爵を伴ってお弁当持ちで出かけている。


(全く、お嬢様ほど非生産的な仕事はないよな。あたしらが創り上げる一方で彼女たちは消費をするのだから)


 マリサは独り言を言いながら昼食をとる。総督たちとは違い、豪華ではないが柔らかなパンと具が入ったスープである。新鮮な果物や新鮮な水はそれだけでも有難いものだ。航海で時々見かけるコクゾウムシ入りのビスケットなど、総督の屋敷では見かけたことはない。昼食中は女の子たちが小声で盛り上がる恋愛話に適当に付き合いながら、まったりと過ごしていた。そこへあのハリエットがやってくる。

「昼食が済んだら総督の執務室へいらっしゃい」

 相変わらずあの天下無敵の笑顔である。

 

(ついにきたか……)

 

 そう、この島へ来た目的は総督と話をする、それだった。そういえばハリエットは自分をお嬢様扱いをしていない。よくわからないがウオルター総督は本土で領地を治めていたというからなんらかの爵位があるか名士なのだろう。その娘シャーロットに対し彼女はお嬢様として対応しているようだが、マリサにはごく自然体で接してくれている。それはマリサがお嬢様扱いを嫌がっていると感じているからだろう。そしてマリサはそれが有難かった。

 この島へ来た以上やはり総督とはなにがしか話をしなくてはならないのはわかっているが、何とはなく避けていた。ウオルター総督もそれを感じ取っている。



 マリサは昼食を済ませると、気乗りしないまま総督の執務室に入る。そこにはハリエットも同席していた。

「お呼びでしょうか、総督閣下」

 無表情なマリサにウオルター総督は小さくため息をつき、向かいの椅子に座るように促した。

「ここへきて使用人たちと仲良く仕事をしているようで、屋敷の雰囲気も良くなっている件、それはありがたく思う。ただ、私はお前を使用人として雇った覚えはない。シャーロットやレディ・ジェーンのように過ごしてくれたらとは思っていたのだが……それは無理か」

 2人の非生産的なお嬢様の仲間になれということか。

「無理です……あたしは人の上にふんぞり返って生活する気は全くありません。お嬢様として生活させたいのならシャーロットにさせればよろしいんじゃないですか。そもそも育った環境が違う上にお嬢様暮らしはあたしの望む世界ではありませんから」

 マリサがこう答えるとそばにいたハリエットがクスクス笑いだした。

「閣下、私が申しあげたとおりでしょう?マリサを型にはめることはできませんわ。マリサは自分で思うように生きてきたのだからそれを尊重しなくてはならないようですよ」

 ハリエットの『応援』は意外だが有難い。そしてマリサは疑問を総督に投げかける。

「前回は頭に血が上っていてろくに考えもせずにあなたと取引をしました。その1つ、なぜあたしはフレッドを結婚しなきゃならないんですか。もともとはシャーロットが相手だったのに彼女が逃げたからあたしが尻拭いをする羽目になったのでは?一応、フレッドは”青ザメ”の人質であり、あたしは海軍から監視されている立場とみて納得しています。ですが、フレッドの昇進の後押し目的だというなら間違いなくその役目はシャーロットが担うべきでしょう」

 強めにマリサが言ったところ、ハリエットがすかさず答えた。

「いいえ、それは違いますよ、マリサ。確かに最初は昇進に役立たせたい気持ちはありました。我が家は医師の家系で夫はすでに亡くなっています。何かの権力を借りないと士官で上位にあがるのは大変ですからね。でも、船旅であなたと触れ合ううち、あなたが私たちの望む以上の人格だと理解しました。私はあなたが好きですよ、マリサ。ではあなたはどうなのかしら」

 ハリエットに言われ、体中にビリビリとした感情が走る。

 

(彼女は気がついている……あたしがフレッドを避けていることを)

「閣下にお尋ねします。戦争が終わったら海軍との関係は解消、特別艤装許可証は無効となる、それはあっていますか」

 マリサの問いに総督はゆっくり頷く。それは戦争が終われば"青ザメ"は追われ、討伐の対象となることを意味していた。


   『あなたが海賊でいる限り、処刑されるか返り討ちにあうかだから』


 イライザ母さんの言葉が脳裏によぎる。そのイライザは総督がなぜフレッドと結婚するように言ったのか、こう返事をしていた。


   『あなたを守りたいからじゃないの』


「戦争は遅かれ早かれいずれ終わる。世の中全般で言えば海賊(buccaneer)は時代遅れだ、ライスワイク条約により国を挙げてあらゆる海賊を討伐しなければならない。海上の治安を維持するのは海上輸送をする上で重要なことだ。私はお前を処刑の対象としたくない。シャーロットと同じくお前も私の娘だ。助けられる道があるなら私はそれを選ぶ。これは私の本心だ」

 総督は優しい眼差しで諭す。

「でも、あたしが捕虜になったとき、ガルシア総督にあたしの素性をバラした奴がいた。同じく捕虜になった連中だとは思いたくない……フレッドがバラしたかもしれないんだ!」

 マリサは思わず本音を言ってしまう。

「あなたが息子を避けていたのはそれが理由だったのね。でもあなたの素性を明かしたとしても何の得にもならなかったはずよ。もう一度よく考えてみて」

 フレッドの代わりに弁解するわけではないがハリエットの言葉はごもっともである。そして同じことをデイヴィスも言ってたのだ。

 

(そんな疑いを持ちながら連中といるのは酷だ……じゃあ誰が?)

 そう自問自答をしていたとき、男の使用人が総督に要件を伝えてきた。

「マリサ、続きはまただ。港にレディ・ジェーンの迎えの船が入った。急いで準備しなければならん」

 総督が慌てて使用人たちに指示を出す。そのお嬢様はそろそろ遊びから帰ってくるころか。

「あなたと分かり合えて良かったわ、息子をお願いね」

 機嫌良いハリエットと対照的にマリサは血の気がひく思いだった。


 しばらくしてお嬢様御一行が遊びから戻ってきた。そしてジェーンは迎えにきた使いからある手紙を受け取る。そしてそれを読むなり体を震わせ、涙を流した。

「失礼します……」

 そう言ってその場から立ち去る。しばらくするとジェーンの泣きじゃくる声が聞こえた。我慢できないほどの知らせだったのだろう。シャーロットも心配をして後を追いかけようとしたが総督に止められる。

「父であるブラント伯爵がレディー・ジェーンを急遽呼び戻し、王族に近いある侯爵家へ嫁がせることになさったんだよ。アン女王陛下は子どもには恵まれたが、どの子供も早世している。このままではスチュアート王朝の存続が危惧される。これは政略的な結婚だ」

 総督はブラント伯爵の迎えの者からこのことを聞いていた。政略結婚は珍しいことではないが、それに関連するのを見ると辛いものがある。

 ジェーンは生まれながらにしてそうしたことを心得ていたのだろう。お付きの者たちが荷物をまとめたころにはすっかり気持ちを落ち着けることができたので総督はお別れの舞踏会を催すことにした。

 マリサは使用人たちと料理を作ったり花をあしらって会場の飾りつけを行ったりした。総督には『使用人として雇った覚えはない』と言われたが、自分はシャーロットとは違う。屋敷では使用人として働いている方が納得のいく生き方だった。


 夜、屋敷の広間から楽師の奏でる音楽が聞こえる。島の名士たちも招かれたほかフレッドとオルソンも招かれており、ジェーンとの別れを惜しんでいた。

 庭の垣根越しに海を眺めるマリサ。月明かりに照らされ、うっすらと修理中のデイヴィージョーンズ号の姿があった。一週間は船をみていない。それとともに今日の総督の言葉が何度も脳裏をよぎる。


(戦争が終わればあたしたちは追われる身、処刑される身だ……それはわかっているはずなのに……)


 潮風が体を駆け抜ける。心の底から懐かしく、いとおしい思いだ。


(”青ザメ”はあたし一人じゃない、連中もみんなひっくるめて”青ザメ”だ、だからこそ自分だけ助かろうなんて言えないよ……)


 そうつぶやいたとき、背後に気配を感じた。とっさに胸元に隠していた小刀に手をやり振り返る。

「相変わらずだな……まだ信用を失ったままなのか。」

 声の主はフレッドだった。

「ジェーンと踊っていたんじゃないのか。あのお嬢様は航海中からあんたにべたべたしていたのに」

「いや、むしろジェーンとは離れなくてはならない立場だ。侯爵家に嫁ぐことはほぼ決定のようだからな。ここで僕がそばにいてはあらぬ嫌疑の的になる。君がよそよそしくしている以上にだ。ただ、これについては母から理由を聞いたよ」

 フレッドもマリサが敬遠していることを感じていた。

「僕は君の素性をガルシア総督に話してはいない、けっして。”青ザメ”の連中でもない」

 フレッドの目は真剣だ。うそを言っていないことが伝わってくる。

「そうか……それならそれでいい。犯人捜しはもうやめるよ。あのとき……あたしが撃たれたとき、相手の船長を撃って助けてくれたこと、感謝してるよ、ありがとう」

 そう言ってマリサはフレッドに手を差し伸べる。

「あたしはこれでも一通りダンスのたしなみはあるんだぜ。連中は知らないけどな。オルソンに教えてもらった」

「それは意外だった。では今回は剣ではなくダンスでお手合わせ願うとするか」

 広間から楽師の奏でるダンス曲が聞こえる。二人は月あかりの中でステップを踏みながら二人きりの時間を楽しんだのだった。

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