第11話 脱出

 マリサ達が捕虜となってからはやひと月。相変わらず他の捕虜の動きがわからない。粗末だが食べ物はちゃんと提供される。口にあうあわないは別問題だが、救いだったのはオレンジやレモンなど新鮮な果物が提供されることだ。ハミルトン船医が言っていたが、長い航海の中で避けては通れない壊血病を防ぐには柑橘類をまめにとることだ。実際、デイヴィージョーンズ号は海軍のように長い航海はせずに寄港を多くとっていた。連中に休息を与えて問題を起こさせないようにするだけでなく、新鮮な水と果物を欠かさないためだった。おかげで壊血病にかかる人間はいなかった。しかし海軍と行動を共にしているときは別だった。


 連日、日課のように潮の香りがする中で絵のモデルになっているマリサ。カルロスに言葉を教えてもらい、おかげさまで片言ではあるがスペイン語でやり取りはできるようになった。

「カルロス、他の捕虜たちは無事か?」

 自分は監視されている身だ。こんなことを言っても無駄だとは思ったが聞かずにはいられない。

「彼らが心配ですか?大丈夫、生きていますよ。イギリスとの交渉のことは私ではわかりませんが、殺してしまっては交渉にならないでしょうから生きています。私からは立場上それしか言えません」

 それはもっともだろう。いくら絵を描いているとはいえ、カルロスは軍人であり監視人なのだ。

「それもそうだね。ごめん、無理を言った」

 マリサは他の捕虜が生きていると聞いてまずは安心をする。しかしどんな扱いをされているかはわからないだけに不安をぬぐえないでいた。


 次の日はカルロスが仕上げた絵を見せてくれることになり、捕虜の身ながらも心待ちにしている。

 しかしいつもより早い時間に誰かがやってくる音が聞こえた。見ると、そこには胸元まで垂れたロールの巻き髪のかつらと絹のブラウス、ジャケットの袖口にはレースをあしらった長身の男が立っていた。それはこの男が身分が高いことを意味していた。

「あなた、誰……?」

 片言のスペイン語で話しかけるとマリサは久しぶりの心の緊張に見舞われた。これは何か良くないことを企んでいると思えてならず、警戒する。

「失礼、セニョリータ。私はミゲル・ガルシア。この島の総督をしている。私はあなたと取引をしたい。あなたが他の捕虜のことを心配していると思ってな」

「……他の捕虜はどうしている……あたしの大切な仲間もいるんだ。軍人はともかく仲間は金にはならない。解放してやってほしい」

「そうだな……だが少なくともセニョリータ、あなたは金になる」

 そう言ってガルシア総督は歩み寄るとマリサの顎を引き寄せる。

「グリンクロス島総督の娘、マリサ。そして我々を最もいたぶっている海賊(buccaneer)”青ザメ”の頭目マリサ。収容所にいる他の捕虜の誰よりも金になるというものだ」

 ミゲルは含み笑いをすると、そのままマリサの首筋にキスをする。体の震えが止まらないマリサは敵意をむき出しにしてガルシア総督の腕をつかむ。

「誰がそんなことを……」

 捕虜の中で自分のことを知っているのは”青ザメ”のトム、マンディ、オルソン伯爵、そしてフレッドだ。連中はともかくとしてまさかフレッドが……マリサは混乱した。

「捕虜の一人が親切にも話してくれたよ。私はそれを有難く利用するということだ。状況が分かったところで取引の話をしよう。海賊の頭目としてあなたを処刑した場合の賞金と、総督の娘としての身代金。処刑すればお金は入るがあなたは死ぬことになる。身代金とした場合、お金は入るがあなたは解放されていなくなってしまう。どちらもこの場からいなくなるということで全く面白くない。そこで私は考えた。私はあなたを買おう。黒人奴隷と同じようにお金で買おう。私があなたを買うことで捕虜を解放しよう」

 ガルシア総督の手がマリサの髪をかき上げる。

「このまま海賊にしておくのはもったいない。私の手元であなたを立派な女にしてやろう。その方がどんなに幸せか考えなくてもわかるとは思うが……」

「そ、そんなこと誰が」

 マリサが抵抗すべく右手をサッシュに忍ばせている小刀に手をやろうとしたとき、激しい地響きが襲った。


 ドドーン!


「海賊だ、海賊の襲撃だ!」

 収容施設の外で叫ぶ声がする。さらに地響きは続く。

(爆弾ケッチは修理中だ。しかも隠れた暗礁でうかつには近づけないはず……)

 マリサも音のする方へ振り向く。

「ええい!小癪な海賊め!大砲を準備しろ。海軍の連中はどうした!?」

 慌ててガルシア総督が飛び出す。よほど慌てたとみえて牢の入り口は開けっ放しだ。しかも鍵を落としている。

 そこへカルロスが息せき切って駆け込んできた。

「セニョリータ、大丈夫でしたか。総督が私の止めるのもきかずに……」

「大丈夫だよ。それより海賊が襲撃しているのか」

「三隻の海賊船がやってきてます。砲弾が落ちたのではなく、上陸した海賊たちが数か所で爆薬を使ったようです!……こんなときに不謹慎ですが約束の絵を差し上げます」

 カルロスは12インチほどの包みをマリサに持たせる。

「わかった……ありがとう。で、カルロス、この鍵で他の収容所も開けられるのか」

「開けられます。でも私は立場があるので見なかった、聞かなかったことにしてください。鍵を落としたのは総督ですから。あと、エトナ号の修理は完了して売買の手はずになっております」


ドドーン! 再び爆発音と地響きがした。


「わかった。ありがとう、カルロス」

 マリサは鍵を握りしめると収容所を目指す。


 収容所では海賊の襲撃で兵たちが大勢飛び出しており、警備が手薄になっている。マリサは石畳の収容所に入るといくつかの牢の扉の鍵を開けていった。そして最後にスミス艦長他士官が入っている牢を開ける。

「海賊が襲撃しているそうだ……どこの海賊かはわからないが逃げるなら今だ。エトナ号の修理も完了しているそうだ」

 マリサの言葉に顔を見合わせる捕虜たち。そこにはスミス艦長、グリーン副長、フレッドなどがいた。

 爆発音に紛れるかのように捕虜たちは一斉に港を目指して逃げていく。やがて捕虜の逃亡が露見し、追手がやってきた。

 誰もが武器を取り上げられており、追手と戦うことはできない。マリサが小刀を持っているとはいえ、焼け石に水だ。


「助けに来たぞ、マリサ。戦えるか」

 聞き覚えのある声だ。他にも懐かしい声がする。声のする方を見るとそこには”青ザメ”の仲間がいた。他にも”青ザメ”ではないが、確かに見覚えのある顔ぶれがあった。

「海賊”ミカエル”……そして”赤毛”……。ということは襲撃してきた海賊って……」

「おうよ、デイヴィスに頼まれたら断ることはできねえから。しかもマリサが捕らえられたってんだからすぐさま来たって訳よ」

 ”ミカエル”のアイザックが答えた。アイザックの隣には”青ザメ”のオオヤマもいる。恐らく上陸部隊と船と別れているのだろう。

「マリサ、これを使え!」

 オオヤマはサーベルをマリサに手渡す。そして武器を持たない他の士官にも渡した。これで追手が来ても対応できる。

「ありがとう……さあ、お返しだ」

 港までの坂道を捕虜たちは急いで駆け下りている。エトナ号が航行可能ならそれに乗るしかないだろう。スミス艦長は士官に守られて進んでいる。その間にも10人ほどの追手が大慌てで迫っていた。

「行くぞ!」

 マリサの掛け声にオオヤマをはじめ、”ミカエル”のアイザック、”赤毛”のアーサーが迎え撃つ。マリサはサーベルで、オオヤマは日本刀で、他の海賊はカットラスで追手に挑む。踊るように追手と剣を交え、時には突く。普段は収容施設でチェスに興じている軍の人間はもはやマリサ達の敵ではなかった。瞬く間にすべての追手を屍にし、マリサ達は港を目指す。


 港から一隻の船が出帆する。エトナ号だ。

(おいおい、見習い水夫のあたしは見切りをつけられたってことか)

 見切りをつけたならそれでもいい。エトナ号は一刻も早くその場から去る必要があったし、スペインの港を叩いた以上目的は達しているからだ。”ミカエル”の船レディー・ジェーン・グレイ号、”赤毛”の船ブラッディ・メアリー号、そして”青ザメ”のデイヴィージョーンズ号は上陸部隊の帰りを待っている。

「急げ!俺たちが帰還次第、船は出帆する。長居は無用だ」

 アイザックがそこにいる上陸部隊に指示する。マリサもカルロスからもらった包みを抱えて走っていく。

 そこへ高台の大砲から船に向けて砲弾が撃ち込まれる。海面に落ちると何本もの水柱がたち、海賊船は大きく揺れた。早くしないと3隻の海賊船は狙い撃ちにされる。


ズドーン!


 砲弾が弧を描いて落ちて周囲の建物を破壊する。エトナ号が退避しながら攻撃をしているのだ。

(とりあえずはお礼のつもりか?)

 お礼かどうかはわからないが、援護をしているように感じた。

 マリサと上陸部隊は港まで来ると大急ぎで用意されたボートに乗り込み、船を目指す。その間にも他の追手が銃撃してくるが、すぐに射程外に出る。そして三隻の海賊船が横付けされ、マリサ達は無事に船に乗り込んだ。

 エトナ号は暗礁に気を付けながら細かく測鉛し、港を出ていく。その間にも砲撃をし、停泊している船を破壊した。


 エトナ号と3隻の海賊船は風向きと風量も味方してより早くクエリダ・ペルソナ島を抜けることができた。

 公海へ出るとレディー・ジェーン・グレイ号とブラッディ・メアリー号はそれぞれの航海のために針路を変えていく。


「大丈夫だったか。みんな心配したぞ」

 デイヴィスがエトナ号をみつめるマリサに声をかける。

「大丈夫だよ。ただ、捕虜の中にあたしを売ろうとしている奴がいた。あたしがウオルター総督の娘であり、”青ザメ”の頭目であることをこの島の総督に情報を流した奴がいる。連中だとは思いたくない……だとしたらフレッドが流したんだろうか」

「思うに……フレッドはその情報を流してメリットはあるのか。ただ…海軍は時に非常な選択をする。それだけは心しておけ」

 デイヴィスはまた寂しそうな顔をした。この陰りはどこから来るのかわからない。マリサの知らない何かがデイヴィスを苦しめているのだろう。

 その後、スミス艦長から指示があり、マリサ他、”青ザメ”の応援人員であるマンディ、トム、オルソン伯爵、そしてフレッドはエトナ号の任務を解かれて船に戻ることになった。

 久しぶりにフレッドと顔を合わすが、疑いだすときりがなく正視できないでいる。


(自分を売ろうとしたのは誰だ……フレッド、あんたという人間がわからなくなったよ)


 マリサは言い知れぬ不安に苛まれていた。


 その夜、落ち着きを取り戻したマリサはカルロスから預かった包みを開ける。その絵をみてマリサは苦笑する。

(カルロス、いくらあんたが敬虔なクリスチャンでもこれは神様に怒られるぞ)

 

 カルロスが描いた絵はモデルはマリサだったが『聖母子像』の絵だった。確かに恥ずかしい気がしたが、その姿にイライザ母さんの姿を重ねる。


……海賊でいる限り、あなたは処刑されるか、返り討ちにあうかだから……


 イライザの言葉が脳裏によぎった。

(あたしが海賊でいる限り、母さんの心配は続くわけか。あたり前のことなのに今更……)

 マリサは連中に絵を見られないように再び包むと船室の隅に置いたのだった。

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