第6話裏切者への挽歌②

 総点検と修理を終え、船化粧も途中まで進んでいるデイヴィージョーンズ号は、いつもなら飲み屋や宿屋で英気を養った連中を気持ちよく迎えるものだが、この日はコゼッティの一件でマリサの機嫌が悪いので波音だけが響く幽霊屋敷のような船となった。デイヴィージョーンズ(海の怨霊)の名の通りになったと感じられずにはいられない。

 

「”黒ひげ”とつるんで頭目のお前を殺しにかかったのなら、それはお前が後始末をせねばならんだろう……できるか」

 デイヴィスは船長として船を仕切っている。若いマリサが女だてらに連中をまとめていられるのも後ろにデイヴィスがいるからだ。今、そのマリサに求めているものは頭目としての統率である。

「わかった。”黒ひげ”のティーチがいそうな場所はわかるかい?コゼッティは多分そこにる」

「バリーの店へ行くといい。そこは”黒ひげ”の一人、アダム・レスターの姉、イヴが切り盛りている。イヴはティーチ船長の『女』だ。船が停泊中はそこへ泊るはずだ」

 そう言ってデイヴィスは地図を書いてマリサに渡した。

「一人で乗りこませるつもりですか、デイヴィス船長!」

 海軍の士官たるフレッドは先ほどのこともあり、心配でならない。

「これはマリサの仕事だ、手を出すな。心配なら離れて後ろから見ておけ。ただし店の中には入るな」

 デイヴィスがフレッドに忠告するが、デイヴィスが言わなくてもマリサは拒否しただろう。

 マリサはサーベルの他、いくつかの小刀やピストルを装備し、マントを羽織ると船を後にした。フレッドはデイヴィスに言われたようにマリサに気付かれないようにこっそりと後をつける。



 しばらくしてロンドン橋にさしかかる。中世からあった伝統的な橋で、毎日多くの人が往来しているロンドン橋の上には多くの住居や施設があり一つの町のようである。そんなロンドン橋もあまりの混雑と立て込んだ住居のせいで過去には火災がおき、多くの人々が亡くなっている。

 コゼッティは”青ザメ”の中でも学者肌で特に計算が早かったので、主計長という役目についていた。そのコゼッティは黒人の子どものラビットがいることと、自分が女であることを何より気にいらないのだろう。

 ロンドン橋を渡ってデイヴィスが示した地図通りに進んでいく。そこは貧民街もあり、背後に誰かの視線を感じられずにはいられない。

 バリーの店はその一角にあった。割と大きな店で、店内に入るや否や、酔っぱらいの騒ぐ声や賑やかく笑う声が聞こえる。マリサは店内の空いている席に座るとイヴを探す。

「おーや、誰かと思ったら……あんた、マリサだね。ここに来たということはエディ(エドワードの愛称)に用があるんだろ?」

 背後から声がして振り返るとそこに一人の黒髪の女が立っていた。マリサよりかなり年上である。

「アダム・レスターの姉さん?」

「そう、あたしがアダムの姉のイヴだよ。ついて来な、アダムもエディもコゼッティも二階にいるよ。よかったら酒を飲んでいったら?」

 イヴは何か企んでいるようでもあったが、案内されるままについていく。


 二回の部屋に入るとそこにはイヴの言った通り3人がいた。

「ほっほっほっ、何だい、わざわざ殺されに来たのか。何でェ、恐ろしい顔すんな、酒がまずくなる」

 ティーチ船長は酒を飲みながら笑い飛ばす。

「ぬかせ!あんたの酒の味なんか関係ない。あたしはそこにいるコゼッティに用があるんだ」

 そう言って進みよると

「おう、まあ落ち着け。俺は酒がまずくなるのはごめんだ。おいアダム、マリサに酒を注いでやれ。お前の惚れてるマリサによう」

 そう言ってアダムに顔を向けた。アダムはイヴの弟というだけで”黒ひげ”にいる。マリサの知る限り、いつもおどおどしていておよそ海賊行為なんてできない男である。そんな彼にマリサは海賊から足を洗った方がいいと何度も忠告をしているが、ティーチが怖くて言い出せないのだろう。

 青ざめた顔のアダムはラム酒を注ぐとマリサに差し出した。

 マリサはアダムを一瞥(いちべつ)すると一息に飲み干した。

「コゼッティ、海賊を抜けるならまだしも裏切った行為は許せない。掟通りどおりけじめをつけに来た」

 マリサの言葉に声を立てて大笑いするティーチ。

「聞いたか、けじめだとよ。おいコゼッティ、お前はこいつに殺されるんだと。じゃあ葬式は”青ザメ”がするのか、それとも”黒ひげ”か」

 ゲラゲラ笑う。マリサはこの流れに違和感を感じた。時間を稼いでるのか?そう思って剣を抜こうとするが、次第に体がしびれて力が入らなくなった。

「アダム、あんたまさか毒を……!?」

 そのまま倒れこむマリサ。

「違う、俺じゃない。何も知らなかったんだ!」

 アダムが弁解するがそのころにはマリサの意識が遠くなり、彼の声は聞こえなかった。

「心配すんな、ただのしびれ薬だ。アフリカの土着民が狩猟に使っているものだ。お前を殺しはしない。お前をスペインに引き渡せばたんまりと賞金が入るんでね」

 ティーチは驚きのあまり震えているアダムに目もくれずコゼッティとマリサを部屋から運び出した。


 ひんやりとした感触があった。酒樽が積まれた酒蔵には酒臭いにおいが辺りに充満している。

 薄暗い酒蔵の地下室にマリサは縛られ、投げ込まれていた。意識はすぐに回復したが、薬の影響からか、頭がガンガンうなっている。幸いにもこの石造りの地下室の冷たさでそれは我慢できたが、それよりも自分の愚かさに腹が立って仕方がなかった。

(何で……酒を飲んでしまったんだろう……アダムを信用した以上に飲んでしまった自分が情けない……)

 自分のサーベルは取り上げられたが、サッシュに忍ばせていた小刀には気づかなかったようだ。

 とにかく薬効が切れてきたのか重たいながらも体を動かせられた。縛られているが、マリサにはオオヤマから『縄抜け』を教わっている。マリサの器用さを見込んで教えてくれたのだ。手首と指を巧みに使い、結び目を解き、いよいよ縄を落とす段階に来たところで人の話し声が聞こえ、ドアの錠を外す音が聞こえた。


 バタン!


 ドアが開けられ、数人の人影がマリサの目に映る。”黒ひげ”のティーチとコゼッティ、そして黒髪で黒い鼻ひげのラテン的な顔立ちの男だ。

「へへぇ、目が醒めたかい、この間抜けめ。旦那、この女ですぜ、”青ザメ”の頭目は。結構きれえな顔をしてるが、あなどっちゃあいけねえ。甘く見ると怖い目にあいますぜ」

 ティーチは歯をむき出して笑っている。

「ほう、こいつは驚いたな……まさか”青ザメ”の頭目が女だったとはな。まあ、こいつがいなくなれば海賊連中も統率がなくなるだろう」

 男はつかつかと歩み寄ると、ぐいとマリサのあごを上げ、顔をじろじろ見てきた。

「スペイン本国で処刑するより、売った方が良さそうだな。何せ、私の所有する船を積み荷の奴隷ごとやられてしまったからな。お前、名は何という?」

 マリサが男に対し顔を背けると

「マリサです……えーっと確かグリンクロス島のウオルター総督の娘の一人ですぜ」

 コゼッティがおべっかを使うような口ぶりで答える。

「なるほど、これはいい人質になるぞ」

 スペイン人の男はどうやら”黒ひげ”とつながっていたようだ。このままでは総督とグリンクロス島に迷惑をかけることになる。

「野郎!」

 瞬時に縄を落とし、男の顔を強烈に殴るマリサ。殴られた男は体を床に叩きつけられ、鼻血がとぶ。

「悪いがあたしを売ろうなんざ、100年早い。あんたごときに売られるほど落ちぶれちゃいないぜ」

「女のくせに生意気言うんじゃねえ!」

 スペイン人の男は鼻血を袖でぬぐいながらよろよろと立ち上がり、切りかかってくる。マリサはとっさにかわすと男の足を思いきり蹴飛ばす。そのはずみで男はひっくり返り頭を床に打ち付けた。そして気絶した。

「いまさら謝ってももう遅いからな」

 男の剣を抜いてコゼッティに向けると、彼は体を震わせた。マリサの怖さを知っているからである。そしてカットラスを取り、逃げ腰でマリサに向ける。マリサが一歩一歩近づくたび、コゼッティが後退するが、すぐに酒樽の袋小路に追い詰められた。そしてマリサの影がコゼッティにかかったとき、いきなり彼は身近にあった酒樽を転がす。

 いくつもの酒樽がゴロゴロ転がり、その一つをよけきれずにマリサはバランスを崩してしまう。

 そのすきに逃げようとするコゼッティ。

「けじめだ!」

 瞬時にマリサが小刀をコゼッティめがけて投げつける。

 

 鈍い音がし、小刀は正確にコゼッティの背中に突き刺さった。たちまち服は血の色に染まり、小刀から滴ってくる。よろよろとドアを開けようとするもマリサが背後から切りさく。

「ぐわ!!」

 切りつけられたコゼッティははずみで倒れこみ、そのまま動かなくなった。ティーチはというと、いつの間にか逃げ出して姿がない。

 そして騒ぎを聞きつけたのか、アダム・レスターが立っている。

「あ、あの……本当に知らなかったんだ」

 それでなくても肌の色が白いアダムは余計に青白く病的な顔をしている。

「いいよ……何が本当かウソかは問わない。勧められるまま酒を飲んだあたしが悪い……。そしてあんたを信じていたあたしが悪いということだ」

 マリサはもう彼の顔を見ることはなかった。アダムは何か言いたげではあったが、マリサの表情に何も言い出せないようだった。


 立ち尽くすアダムを後にして、店内もどるマリサ。ティーチは外に飛び出していったようで、店内に客は誰もいなかった。

「よっぽど運がいいんだね、さすがに今回はあんたもダメだと思ったけどさ」

 こういう争いごとに慣れているのかイヴは落ち着いている。

「早く帰りな……外にあんたの待ち人がいるよ……あと、酒蔵の始末代、金貨一枚もらうよ」

 抜かりないことだ。死体の後始末まで要求してくる。

「まあ、それでこそ商売だ。ついでにあたしのサーベルを返してもらおうか」

「あんたのサーベルなら貴重だからね。銀貨でどうだい?」

 この時代、銀が高騰しており銀貨は貴重でなかなか流通していなかった。貴重な通貨だからこそ持っているはずがない、と見込んだようだ。しかしマリサは連中のように女や酒でお金を使うことがなかったのでいくらかは持っていた。

「イヴ、アダムは海賊には向かない。あんたもわかっているだろう?」

 そう言ってマリサは金貨と銀貨をイヴに手渡しサーベルを受け取ると店を出る。


 そこにはフレッドがデイヴィスの言う通り店の外で待っていた。マリサが出てきたことで安堵したのか大きく息をし、マリサを見つめる。

「まさか本気で一人で乗りこむとは……海軍以上に厳しいものがあるな」

「これは掟だよ。裏切者は頭目であるあたしが始末しなければならない。それをやったまでだ」

 フレッドが長時間、待ち続けたことに半ば呆れながらも妙に安心感を覚えるマリサ。返り血を浴びて汚れたままなので、マントを羽織って隠す。もともとは重装備で街中を歩くのを不審がられないようにだった。

 二人連れ立って船へ戻る頃にはすっかり夜が更けていた。


「連中の誰も知らないことだけど、あんたには言っておく。あたしが剣や小刀など武器の扱いと技術を磨いているのは何も『白兵戦』のためじゃない……」

 そう言ってフレッドの顔を見ながら

「……裏切者をこの手で殺すためだよ……”青ザメ”の頭目であるあたしがやるべき仕事なんだ。それを物心ついた時から自分に言い聞かせている。だからデイヴィスはあたしを一人でいかせたのさ」

 マリサが言い切るとフレッドは驚いたようだ。しかし海軍でも謀反を働いた部下は処刑されるのだから変わらないのだろう。

「フレッド、あたしは『ぶらんこ』(絞首刑)や火あぶり、敵の返り討ちに会うかもしれない、そして自ら裏切者を殺さなければならない立場の人間だ。総督が何を企んであんたと結婚しろと言ったのかはわからない。海軍士官が海賊の女と結婚するなんて馬鹿げているしし、あんたも職務上困るだろう。それでも……」

 そうマリサが言いかけたとき、あたりに潮の匂いが立ち込めた。海から運ばれてくる潮の匂いだ、

「僕は結婚の話は政略的なものと考えていた。正直、出世に関わるならそれでもいいと思っていた。だがしかし、何か月も共に同じ船に乗っているうちにそれは変わった……そして君という人間がどんな立場かも知ってしまった。今さら引きさがるつもりはない……」

 フレッドの言葉を聞いて港をじっと見つめる。多くの船が停泊し、時折ミシミシと音をきしませている。

「なんか疲れた……酒を飲むか?」

「連中からは君に酒を飲ませるな、とは聞いてるが……いいだろう、付き合うよ」

 その言葉にフッと笑うとマリサ。

(あいつら余計なことをいいやがって……)

 

 その夜、ふたりは気の済むまで深酒をしたのだった。

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