第5話裏切者への挽歌①

※作注

 本作品に登場するエドワード・ティーチについては、作品のキャラクターとからめさせるために史実の時系列を変えているところがあります。


 1710年9月、”青ザメ”の「公にはできない」活動はまずまず順調で、海戦には必ず勝ち星を上げていた。中にはイギリス海軍と協力して敵国の植民地を襲撃することもあったが、大方は船の一隻狙いだ。しかし、さしもの海賊連中も風が全くないべた凪の状態では完全にその調子を狂わされるものである。


 その日はだらけきった連中を引き締めようと、スチーブンソン士官が剣の試合を企画していた。むろん、勝ち進んでいるのは刀剣手長のオオヤマという異国人の侍と、機敏性を持つマリサだった。

 甲板上で激しく剣の音を立てている二人。それぞれが使っている剣の種類も構えもまったく異なるので相手の動きを読みにくい。そもそもサーベルと刀ではダメージを与えるやり方が違う。

「やああ!」

 オオヤマが叫ぶと同時にマリサの頭上に何かが走った。びっくりして手をやろうとすると上から何かが降ってきて腕に落ちてきた。マリサのスカーフだ。頭に巻いていたものが切り裂かれている。もしやと思って頭に手をやるが特に異常はない。

「まいりました……」

 マリサはあっさりと負けを認める。負けん気が強いマリサも自分が認める相手なら相手を称える。

 試合を見ていた連中もこの神技に言葉を忘れていたが、やがて歓喜の声を上げた。

「さすがだね、あたしも刀の使い方を覚えたいな……サーベルだけじゃ限界がある」

 マリサはサーベルを収めるとオオヤマの刀をみつめる。

「この刀は侍の魂だ。主君に絶対的な忠誠を誓い、名と家を重んじる。主君に背くことは最も悪徳とされている」

 オオヤマは船が難破して漂流していたのを”青ザメ”によって助けられた。幾人かの生き残りのうち、彼だけが”青ザメ”に残って別の人生を歩んでいる。30は過ぎたかと思われるこの男は酒や女に溺れるでもなく、時間さえあれば剣技を磨いていた。


 そこへ何やら背後が騒がしくなった。けんかのようで、連中が笑いながら見物し、声援をおくっている。けんかの主は主計長のコゼッティと黒人の子どものラビットだった。とっくみあって甲板上で暴れまわっており、子どもながらラビットは大人のコゼッティと互角にやりあっている。コゼッティもラビットもパンチの連続で鼻血を出したり唇を切ったりしている。

「えい、くろんぼうめ!」

 突然コゼッティはカットラスをとるとラビットに切りかかった。

「やめろ!」

 瞬時にマリサの小刀が飛ぶ。鋭い金属音とともにコゼッティの手からカットラスが飛び、甲板上に突き刺さった。

「なにしやがんだ、じゃますんな!」

 わし鼻で三角あごのコゼッティがうわずっている。相当な興奮状態だ。

「お前、子ども相手に刀使ってけんかの決着をつける気か?それに……ちゃんと『ラビット』って名前があるだろ。その『黒んぼ』なんて呼び方はあたしは認めてないからな」

 マリサがいさめるように言う。

「しかしよう、こいつは俺の言うことを全く聞かねえんだ」 

 コゼッティが言い訳を言うとマリサの背後でラビットが

「コゼッティ様って呼べといったのはあんたの方じゃないか!なんであんただけ『様』なんだよ。おいらは納得いかねえ!」

 ラビットも興奮している。そしてマリサに泣きついた。

「おいら、嫌だ。色が黒いだけで奴隷なんて嫌だ!」

 ここまでくると剣の試合に集まっていた連中もやる気が失せたのか、持ち場へ戻っていく。

「コゼッティ、あたしらは国籍も人種の身分も一つじゃない。中には身分や本名さえ隠しているものもいる。そこいらは全く干渉しないところだ。だけどな、あたしは”青ザメ”のなかで奴隷を認めていないからな。それだけを覚えておけ」

 マリサの怒りを悟ったコゼッティは、よろよろと立ち上がるとラビットをにらみつけ、持ち場へ戻っていった。



 新大陸にアン女王戦争が勃発したより早く欧州ではスペイン継承戦争が起きていた。その名の通りスペインの継承問題が主で、スペインを侵略しようとする各国の利害関係が絡んでいた。ルイ14世は自分の孫をスペイン国王の座に就かせようとしていた。だがそれを、イギリス・オランダ・ドイツの連合国は『帝国成立の恐れあり』とみたのである。もしルイ14世の孫がスペイン国王となれば、フランスにスペイン市場を支配されるだろう。この時代、商業国家であったイギリス・オランダにとってもスペイン市場をもっていかれるのは大きな痛手だった。イギリス・オランダの側からみたこの戦争が『商業戦争』と呼ばれるのもそんな理由からだった。



 デイヴィージョーンズ号は船の総点検と補修のため、ロンドン港へ入った。ちょっとでも船に異常があれば海上で命取りになることもあるからである。

 総点検は船大工の二人がメインとなる。あとは海賊御用達の業者任せだ。連中にとってはちょっとした休暇となるのだが、今回は武器の積み替えを行う事になっていたのでそんな余裕はなかった。

 港からそれぞれ荷物を積ませ、略奪品を売買するのは主計長コゼッティの役目なのだが姿が見えない。彼がいなくてはこの積み荷作業や略奪品の売買が進まない。仲間の統率のことでデイヴィスからたしなめられたマリサは気分が悪くてどうしようもなかった。


「おい、おい、そこにいるのはマリサだろ。すまんが店へ来てくれ」

 コゼッティを探して街を歩いていると顔なじみの宿屋の主人が呼びかける。

「コゼッティの旦那が朝から飲んで酔いつぶれている。他の客に絡んで迷惑なんだ」

 こうした尻ぬぐいは当然マリサの仕事だった。特に酒が絡むトラブルはたちが悪い。

「わかった……全く何やってくれるんだか」

 マリサが店に入るとコゼッティがぐでんぐでんに酔っぱらって大声でわめき散らしていた。周りは壊されたり倒されたりしたテーブルや椅子、酒瓶が散らばっている。

「昼間っから何やってんだ!酒を飲んでいる暇なんかないんだぞ」

 そう言ってコゼッティの手から酒が入ったゴブレットを取り上げる。

「なにおう!このあまっ子め!俺様が酒飲んで悪いっていう決まりでもあんのかよ。女のくせに生意気な口ききやがってよう」

「酒は後でも飲めるじゃないか。ほかの連中は荷積み作業におおわらわだ。自分勝手なことをするな」

「へん!……るせえやいっ!大体俺はよう、お前みたいな女子どもに指図されるのが好かねえ。てめえが船に乗った時から虫が好かなかった……てめえのおかげで海軍野郎や黒んぼが船に乗る羽目になったじゃねえか!……俺はもうてめえらと一緒になる気はぁ、ない!ああ、ないね!俺は船を降りるぞ、今日限り船を降りてやっからなァ、ちくしょうめ!」

 コゼッティは完全にのぼせあがって赤ら顔をしたまま外へ飛び出していく。

「だんな!お勘定を……」

 宿屋主人が慌てている。マリサはコゼッティを追った。


 酒が入っている割にはコゼッティは身軽だ。本当にそれだけ飲んだのかわからないぐらいしらふのときのように早く走る。船乗り生活で慣れた足腰のせいだと思ったが、追いかけるうちに知らない路地にある貧民街へ来てしまう。

 家がひしめき合って建てられており、コゼッティがどこへ隠れたか周りを見回す。そこへ酒臭いにおいが風に乗ってきた。風上にコゼッティがいるものと確信したマリサが叫ぶ。

「出てこい、コゼッティ!においでそこにいるのはわかるぞ!」

 マリサが呼びかけると、思った通り風上の物陰からコゼッティが現れた。いや、彼だけではない。”青ザメ”と犬猿の仲の”黒ひげ”エドワード・ティーチ船長とその仲間が10人ほどいた。”黒ひげ”は海賊(pirate)である。国籍問わずに海賊行為を行い、名前がすっかり有名になっていた。名前の通り立派にひげを伸ばし、おしゃれに手入れもされている。

「へん、悪いがおめえには死んでもらうことにするぜ。俺は”黒ひげ”の仲間になりたかったんだよう……俺たちは同じエドワード同志、馬が合うんだよ。なあ、ティーチ船長」

 コゼッティはティーチの方をポンとたたいた。

「おうよ!そうだとも。野郎ども、やっちまいな」

 ティーチの掛け声とともに”黒ひげ”の仲間がマリサに切りかかる。たった一人で応戦するもこんな路地では狭すぎて持ち前の機敏性が発揮できないうえに家の窓から何事かと住人たちがのぞいているので、うかつにピストルも使えない。

(くそ……白兵戦とはわけが違う……一人で10人、卑怯だぞ……)

 思っていても始まらない、応戦するだけで精いっぱいだ。それでも重いカットラスをかわしながら”ひげ”の連中の半数に傷を負わせられた。ここで奴らを殺してしまっては余計な海賊間のトラブルになるのでそれは避けたかった。

「ほう、なかなかやるじゃねえか」

 そう言ってティーチがサッシュからピストルを取り出す。撃鉄がすでに起こしてあり、準備がなされていた。銃の応戦ではまにあわない。マリサは物陰を探す。と、そこへ誰かの叫び声が聞こえた。


「強制徴募隊だ!男は逃げろ」

 この声に反応するコゼッティと”黒ひげ”。強制徴募隊、それは一般市民を強制的に海軍へ入隊させる集団で男はみんな恐れていた……すぐそこまで海軍が来ているということだ。コゼッティと”黒ひげ”はすぐさま逃げていく。

「大丈夫か!」

 路地に入ってきたのは他でもない、スチーブンソン士官だ。

「宿屋の主人から聞いたよ。コゼッティの飲み代も払っておいた」

 まさか彼に救われるとは思ってもみなかったのでマリサは少々気を悪くしたが、それでも義理は通さねばならない。

「ありがとう……で、強制徴募隊ってのは?」

「あれは嘘だよ。でも海軍が追ってきているのは間違いではない、それはここにいる」

 確かに彼は海軍だ。

「じゃあ、聞く。誰を追っていたんだ?ティーチか、コゼッティか」

「彼らを追うのは君の役目だ。僕が追っていたのは君だ」

 彼は”青ザメ”の監視であり、人質でもある。頭目たるマリサの動向を気にするのはもっともなことだろう。この士官の答えに殴りたい気持ちにかられながらも今はそんな場合ではないと言い聞かせるマリサ。

「それはどうも……。言っとくが……あたしは確かに総督からあんたと結婚しろとは言われたし、書面でも書いてあるけどな、そんな目でこれから先も見られるのはまっぴらごめんだ。海賊をやっている限り、常に『ぶらんこ』(絞首刑)や火あぶり(公序良俗の立場から女性の処刑に用いられた)に怯えて生きなければならない。この戦争が終われば海軍があたしたちに刃をむけるのが見えている。あのとき、シャーロットが家出をしたからあたしが代わりにっていう事だろうけど、連中を捨てて陸(おか)に上がる気は毛頭ないからな」

「そのへんの事情は分かっているつもりだ。さ、デイヴィス船長にコゼッティのことを話さねばならないだろうから船に戻ろう。ついでで何だが……君たちとともにいる間は階級で呼ばなくていい。海軍の中にいるわけじゃないからな」

 士官に促され、船へ戻ることにした。

「アイアイサー、フレッド。確かに階級で呼ぶのは面倒だった。その改善策は評価してやる」

 マリサは口角を上げるとフレッドとともに港を目指した。

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