第4話 黒人ラビット逃亡事件
1709年5月、イギリスとフランスは大荒れにあれていた。ルイ14世は互いの損害を少なくし、早く戦争を終わらせようとやっきになっていた。3月に講和交渉の為、フランス全権コルベール(トルシ―候)がハーグに送られ、正式に和平談判が開始されたが、連合国側が無理な条件を突き付けたので思うように談判が進まなかったのである。
「なんだかなあ……一つの国の王位継承にここまで干渉するものかねえ……」
航海長の大耳ニコラスは感傷的な面があり、敵に同情の想いを寄せる事もよくある。彼は知識人で、政治や世界の動きなどいつの間にか情報を仕入れてくる。いろいろな方面に興味を抱いていながら全てやり通せるのは、舵取りニコラスならではだろう。
「いったい連合国側はどんな条件を出しているんだい?」
マリサは、こんな話はさして興味はなかったが海軍野郎に馬鹿にされないように知識だけは得ておこうと思っていた。このようにのんびりしているのも、もう何週間も敵に遭遇していないからである。知識欲の高い大耳ニコラスとあのスチーブンソン氏とは話が合うようで、よく本や政治の話をしており、今も隣で一緒に話を聞いている。
実はマリサがウォルター総督から結婚をすることを言われているスチーブンソン氏が同じ船に乗っているものの、進展は全くなかったのである。それは戦時中であるという事に他ならなかった。欧州大陸で起きたスペイン継承戦争とほぼ同時期にアメリカ大陸を中心に繰り広げられたアン女王戦争、イギリス海軍に協力するため秘密裏に”青ザメ”が動くこともあったのである。
「条件にはこんなものがある。ジェームズ三世スチュアートの追放、ダンケルク港(フランス私掠船の主要基地)の破壊、大公カールのスペイン王位承認などだ。まあ、我々にとってよその国を誰が継承しようがどうでもいいことだが、国は俺たち下っ端の人間をチェスのコマだと思ってるのかもしれん……」
隣で海軍士官殿は時折意見を言って合わせているがマリサは黙って聞いているだけである。
「なんせ、アン女王が即位してから我が国の政治は主戦派のホイッグ党に支持されているマールバラ公ジョン・チャーチルにかき回されている。特に俺はチャーチルの女房が気に食わねえ。女王陛下の腹心に成り下がっている」
「そうなんだね」
興味ない話を無理に聞いても馬耳東風だ。航海術がうまく、溢れるような知識を持つ大耳ニコラスは好きだが、政治の話は興味がわかなかった。
難しい話を聞いて耳がつかれたマリサは
「スペイン国旗です。どうしますか」
答えは決まっているがここはマリサの判断だ。
「これ以上遊んでいたら体がなまっちまう。久々に暴れようぜ!」
そう言うとマリサは連中に声をかけた。
「あんたたち、スペイン船だ!日頃の訓練並びに遊びの成果を見せてやれ」
たちまち活気づく連中。オルソン伯爵もすぐさま砲弾を撃つ準備に入った。デイヴィージョーンズ号からイギリス国旗が降ろされ海賊旗があげられる。全甲板に砂がまかれ、消火ポンプに各要員の配置、そして砲門から大砲がつきでた。
最初の一撃。それは敵から発せられる。しかしそれはデイヴィージョーンズ号をそれて大きく離れた場所に水柱が上がった。
「お手本みせてやらないとだめか」
マリサは笑いながら急いで檣楼を降りると船内に入り、砲撃を開始したオルソンのもとへ行く。
「伯爵、あいつらの腕の悪さを見ただろう?見本を示してやろうぜ、国際交流だ」
そう言って空いている大砲の位置についた。
「マリサの言うとおりだ。しっかり狙ってやろう!」
オルソン伯爵の声が連中を奮い立たせる。マリサは込め矢で火薬と弾丸を詰めると照準を合わせた。ほかの連中もお嬢様のようにおしとやかに狙いを定めている。
「撃てー!」
オルソンの掛け声とともに一斉に砲弾が発射される。激しい振動に思わず目をつぶる。目を開けた時にはスペイン船のミズンマスト……帆船の三本の柱のうち後方の柱……が根元から折れていくのが見えた。その際、折れたマストの先が右舷側に寄ってしまったためか、船体が傾いていた。
デイヴィージョーンズ号とスペイン船との距離が1ケーブル(約200メートル)くらいになったとき、スペイン船から何か落ちるのが見えた。マリサは最初、それが戦闘の犠牲となった部品の破片かと思ったが、やがて一人の人間であることが分かった。
そしてそれはまだ子どもだった。
その子は砲弾が飛びかう海をこっちめがけて泳いでいる。どうやら逃亡らしい。これに気付いたスペイン船の人間から子どもに向けて銃が向けられた。
「あいつら、あんな子どもを撃つ気か!おい、スミス、デイヴィスにあの子どもを助けるように言ってくるんだ!」
マリサの命令でスミスが甲板へ上がっていく。そしてすぐに戻ってきた。
「貴族のように迎える準備をしよう、とのことで。」
「了解、じゃみんなで舞踏会だ」
マリサは砲撃をオルソンに任せると甲板へ上がり、白兵戦に備えた。頭目としてのマリサは海賊の統率であるが、船の中では年齢差や連中に気を使ってか特に決まった役目はない。ないというより、頭を使うこと以外はなんでもできてしまうのだ。特に細い剣を巧みに操っての剣術や小刀、ピストルなど戦闘は何でもいけた。ただ、力量を伴うものはどうしても男性に負けてしまうのがマリサにとって悔しい点だ。連中が使うカットラス(舶刀)もマリサには重すぎるのでサーベルが主な武器だった。
黒人奴隷の子どもは必死の形相で波をかき分けていたが、足も届かない海のこと、やがて力尽きようとしていた。そこへスペイン船の方から砲撃が襲う。
ドバーン!
水柱があがり、波に子どもがもまれてあわてている。
「たった一人の子どもに砲弾使うのか?」
スペイン船のやったことがマリサの低い発火点を刺激する。
「デイヴィス、あっちの船に乗り込めるよう近づけてくれ。乗り込んでやる。あたしは子どもをいたぶる大人が嫌いだ」
「よし、紳士のように近づけてやろう。せいぜい踊ってこい!」
デイヴィスが船を敵船へ近づける。そのタイミングを見計らって、マリサのほか久々の戦闘でうずうずしている連中がマストから張られたロープで次々とスペイン船へ移っていった。
スペイン船は民間の商船だった。多くの奴隷たちを船内に収容しており、要所要所でうりさばくのだ。これは拿捕して女王陛下に差し出す方がよかろう。利益のいくらかは”青ザメ”に入るわけだが、正直生身の人間を売り買いしたお金はマリサにとって気持ちのいいものではなかった。”青ザメ”は多種多様な人種や階級が紛れているからである。(総督の話がそうだとすれば)マリサ自身は総督の娘であるし、砲手長のオルソンは田舎の伯爵、国へ帰ることができないサムライもいた。もちろん黒人の仲間もいる。船を襲撃した際、この船に残ることを選んだ者もいた。
スチーブンソン士官は久しぶりの襲撃とあって白兵戦に臨むマリサを心配したが、大耳ニコラスはすまし顔で答える。
「心配には及びませんって。マリサはめっぽう強い、俺たちなんかよりはるかに強い。身軽さゆえに踊るかのように相手を突きまくる。あの若さで一番白兵戦の戦力だ。敵に回すと怖い女だぜ。あんたもそのへんは考えておけよ、本当に結婚する気ならな」
そう言って薄ら笑いをする。
「そうはいっても知力じゃ負ける気はしませんよ。これでもイギリス海軍士官です、じゃじゃ馬をならす方法はあるはずです」
彼は負けじと言った。
「そうか、今夜の読書はシェークスピアといったところか、やはりあんたは面白い。これからもよろしく頼むぜ」
「ああ、こちらこそ『じゃじゃ馬ならし』、これからの展開を見てくれ」
何かと馬が合う大耳ニコラスとスチーブンソンはともに航海長と副航海長という間柄だ。海賊を監視する役目と海軍士官を人質にとるお互いの利益が釣り合っている。そこへ敵船で襲撃をしているマリサが大声で叫んだ。
「スチーブンソン、泳げるか?もし泳ぐことができるなら子どもを引き上げて!そのままでは溺れる!」
マリサがわざわざ指名してくるのは初めてだ。それもそうだ、敵と戦っている間にも黒人の子どもは溺れかけているのだ。
「了解、こっちは任せてくれ!」
スチーブンソン士官は腰にロープを巻き、片方をマストにつなぎとめた。そしてそのまま勢いよく海へ飛び込むと波間に見え隠れしている子どもの方へ泳いでいった。大耳ニコラスはロープに手をやり、引き上げを今か今かと待っている。
子どもは疲れたのと着弾による波にもまれて海水を飲んでいるようだった。彼は子どもをしっかり抱えるとニコラスに合図をする。それを確認したニコラスは他の連中の力も借りて引き上げていく。
やがて引き上げられた子どもはすぐさま船医のハミルトンが手当てをした。幸いケガもなく、飲んでいた海水を吐き出すと息を吹き返す。
白兵戦に臨んでいる部隊は見る間に敵を倒していった。奴隷船とあって戦い慣れしていないのが原因だった。マリサは負傷した中にこの船の船長と商人のボスを確認すると首元にサーベルとあてて駆け引きをした。
「さあスペイン商人の旦那、そして船長さん、この船は”青ザメ”がいただくことになった。あたしたちは積み荷の奴隷には興味ないがとりあえず丸ごとイギリス領の島まで来てもらう。嫌ならこの場でサメのエサにでもなってもらうことになるがいいかい?」
「ひいいいっ!」
太ったスペイン商人は震えあがってぶるぶる震えている。鼻ひげを生やした船長はと言うと、船を奪われることのペナルティーがあるのかうつむいたままだ。そして顔を上げたかと思うといきなりサッシュ(帯)から小刀を取り出し、マリサに切りかかってきた。
マリサはとっさにサーベルで小刀を
「ああ……おとなしく捕虜になればよいものを……」
そう言って再び商人の方を見ると、あまりの恐怖からか失禁していた。その様子にため息をつくと、デイヴィージョーンズ号にいるデイヴィスに向かって話す。
「デイヴィス、連中のいくらかをこっちの船の人員として回してほしい。あたしはもうそっちへ戻るから。新入りの名前を付けてやらねえとな」
「わかった。その船の操舵にはスチーブンソンを行かせる。あとはフォレスター、スミス、アンダーソン……」
デイヴィスに呼ばれた連中が一人、また一人と乗り移ってくる。そこには先ほど子どもを引き上げたスチーブンソンもいた。
「子どもは助かったよ。操舵は任されたが……」
海へ飛び込んだ彼はずぶ濡れである。マリサはそれを見るとすこし申し訳なさそうな顔をした。
「坊やを助けてくれてありがとうな。うちの連中が泳げるかどうか怪しかったからとっさにあんたに頼んだ。着替えはあとで大耳ニコラスに準備してもらう……大丈夫、風邪をひかせやしないよ」
いつも彼に対してつんと澄ましているかのようなじゃじゃ馬が何の魔法かお礼まで言ってのけたのでスチーブンソンは何事かと焦ったが、当のマリサはその後はいつもと変わらない。まあ、これも『じゃじゃ馬ならし』の一つだろう、と考えた。
マリサはデイヴィージョーンズ号に戻ると、甲板で休んでいる黒人の子どもに話しかけた。
「ようこそ、わが船デイヴィージョーンズ号、ようこそ海賊”青ザメ”へ。予めいっとくが、あたしたちは海賊(buccaneer)だ。それを承知して仲間に加わるなら名前をつけよう」
名前を付ける……それは仲間に加わる上での一つの儀式だ。海賊の連中の名前も通称で通っているものも多い。中にはオルソン伯爵のように堂々と本当の名前を出しているものもいるが。
子どもは片言は言葉が通じるようだ。
「助けてくれてありがとう、これからもこの船に乗っていい?」
12・13歳ぐらいか……船旅で満足に食べさせてもらってないのだろう。ひどく痩せている。
「ああ、歓迎する。よし、じゃお前はこれからは『ラビット』と名乗るがいい。グリンフィルズ、何か食べるものをやってくれ」
マリサがそう言うとラビットは安心したようだった。ラビットはグリンフィルズが持ってきた干し肉とパンをむさぼるように食べる。この時代、奴隷船の奴隷たちは積み荷扱いである。ラビットは自ら危険を冒してまで逃げ、自由のチャンスを得たのだ。
その後、二隻の船はイギリス領の島を目指して進んでいった。
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