第2話マリサを知る者

 馬は町を抜け、プランテーションの中の小道へ入った。島一帯がグリンクロス(緑布)と呼ばれる所以である。炎天下のサトウキビ畑のあちこちで黒人奴隷たちが働いている。その向こうにはエメラルドグリーンの海と港を出てゆく帆船が見えた。

 やがて馬はサトウキビ畑に囲まれた大きな屋敷へ入っていく。マリサが男に馬から降ろされるや否や再び災難がふりかかる。

「お嬢様のお帰りですよ!はやくご主人様をお呼びになって」

 小太りの女が大声で他の使用人たちに言いつける。男を殴りつけるどころか今度は自分がこの女に抱き着かれることになった。

「一人で出かけてはダメだと申し上げたではありませんか、婆やは悲しゅうございます」

 と言っておいおい泣きわめく。よほど心配をしたのだろう。

「町は陸に上がった荒くれものがいっぱいです。女一人で出かけては危険が伴います。まして総督の御息女となると下手をすれば海賊どもの餌食になりますよ」

 マリサをさらった男も説教じみたことを言う。この一言にカチンときたマリサは小太りの女を突き放し、思い切り男をひっぱたく。


バッチ―ン!


 見事な平手打ちで男は倒れこんでしまう。周りの使用人たちは言葉を失い呆然としている。

「だから人違いだって言ってるだろうが、この海軍野郎!あたしはあんたたちが探してるシャーロットなんかじゃない、名前も……」

 そう言いかけたところで

「マリサ……だね」

 と背後で声がした。

「そう、そのマリサだよ。商用で船でこの島へ来ている。え?」

 自分の名前を言われて声がした方向を向く。そこには立派な身なりの中年の男性が立っている。おそらくこの屋敷の主人なのだろう。

「あんた……誰?」

 不審に思ってその男と対峙する。

「ああ、自己紹介がまだだったね。私は先日このグリンクロス島の総督として着任したばかりのウォルターだ。スチーブンソン君にはシャーロットの捜索を手伝ってもらっていた。確かに人違いであることには間違いない、それはお許し願いたい。だが……お前も私の娘であることは違いないのだ。だからお前の名前を呼んだ」

 マリサを知るものは限られているはずだ。それをなぜこの総督が知っているのだろう。総督はマリサを観察している。警戒するマリサ。

「お前はどこに住んでいるのだね。言葉のアクセントからして本国のようだが、その日焼けぶりはまるで海上で生活をしているふうでもあるが」

 そう言われてどう返したものか考えあぐねていると

「海賊”青ザメ”の船、デイヴィージョーンズ号に乗っている、そうでないのかね」

 事実を言われてマリサの心臓は破れるかのように大きく鼓動をした。それとともにマリサの顔から血の気が失せていく。ウォルター総督は自分の正体を知っている!マリサはとっさに逃げる方法を考える。

「なぜ知っているのか教えてやろう。マリサとシャーロットの父親であるロバート・ブラウンは”青ザメ”の前頭目だった。お前がさらわれた時、私は察しがついていた。だからこれまで手を尽くして”青ザメ”の行方を追った。そしてとうとう現在の頭目が女であることをスチーブンソン君から聞いた。お前とシャーロットは双子だ。もっとも見分けがつくのは親である私だけだがね」

 総督は何もかも知っている。しかも海軍とつながっている。もはやヤバい以外何ものでもない。ただマリサにも言い分がある。

「確かにあたしは”青ザメ”の頭目だよ。イギリスを相手にしない海賊(buccaneer)だ。海賊(pirate)じゃない。だからこの島には普通に商用で来ている。他意はない」

 マリサが言う海賊(buccaneer)は主にフランスやスペインを相手にする海賊だった。17世紀にはカリブ海を中心に荒らしまくっていたが、今はほとんどが海賊(pirate)に変わってしまい、時代遅れともいえる海賊(buccaneer)は少数派だ。

「悪いがあたしはここには用がない。出航にむけて準備があるんだ、シャーロットの捜索は自分たちでやっとくれ」

 そう言ってさっきの馬にまたがり、スチーブンソン士官に言い放つ。

「スチーブンソンさんとやら、あたしはあんたみたいな男が一番嫌いだ。こんどあたしに手をかけたら本気でぶっ殺す!」

 この言葉に屋敷の女中たちが震えあがったが、総督もスチーブンソン士官も全く動じない。

「シャーロットと間違えたのは本当ですよレディ。でも僕はまたあなたと会うことになるでしょう」

 彼の一言がマリサの発火点に火をつける。

「あんたの船の名は?」

「イギリス海軍フリゲート艦リトルエンゼル号に乗船しております。この島へは女王陛下からの特務で来ております」

「よし、覚えておく。あたしを怒らせたらろくなことにはならないことを思い知らせてやる」

 マリサの言葉にも彼は余裕の顔だ。その事にはらわたが煮えかえる思いをしながらも用を思い出して馬を走らせた。



(一体何だってんだよ、あいつらは。海賊なめんなよ!)

 港へ急ぐマリサの血は先ほどのことで沸騰している。手綱に力を込め、デイヴィスとはぐれたあたりまで来た。彼がいないと商人と待ち合わせの店もわからない。きょろきょろ周りを見渡していると向かいの店からデイヴィス、そしてマリサとうり二つの顔の女が出てくるのが見えた。

(はーん……あいつがそのシャーロットか。はた迷惑な奴め……てか、何だよ、デイヴィス、あたしとそいつの区別ができないのか)

 ますます腹が立ちながらも馬を降り、二人の前に駆け寄ると合言葉を投げかけた。

「右手に祝杯、左手にカットラス(舶刀)」

 それを聞いて驚いた表情のデイヴィスだったが、すぐに状況を理解し合言葉を言う。

「怨霊にたたりなし……。なんだ、てっきりマリサだと思ったんだが……じゃあこの女誰だ?」

 デイヴィスはマリサと酷似している女を連れ立って商人と交渉したわけだ。

「そいつは総督の娘、家出中のシャーロットだよ。そいつのおかげであたしが間違われて総督の屋敷まで行く羽目になったのさ。さあシャーロット、おとなしく屋敷へ帰んな。ここでごたごた言うと屋敷に荒くれの連中を送り込んでやるぞ」

 腹が立っていてもこれ以上問題をおこしたくないのが本音だった。総督も海軍野郎も自分の正体を知っている。何か問題をおこせば『イギリスを相手にしない海賊(buccaneer)』というこだわりから外れることになるからだ。

 シャーロットは怯えて許しを請うかと思われたが、なんと平然としてマリサとデイヴィスに微笑み返した。

「ごめんなさいね、屋敷暮らしがあまりにも退屈なうえにお父様が結婚話をもちこんでくるものだから。でも短時間だったけどなかなか楽しいひとときだったわ。初めましてマリサ、私がシャーロット・メアリ・ウォルター。お父様からあなたのことは聞いていたけど、ほんとにそっくりね。デイヴィスさんは勝手に私を店に連れ込んだから最初は驚いたけど、こうしてあなたの顔を見ると理由がわかる気もするわ」

 隣でデイヴィスが珍しく落ち着きない顔をしている。

「デイヴィス、そもそも着ているものが違うことに気づかないのか。海戦じゃこんなミスは命とりだぜ」

 マリサがそういうとばつが悪そうな顔をしている。

「まあな、女はスカートをはくもの。それぐらいの認識しかない。許せ、マリサ」

 さすがに船長であり尊敬しているデイヴィスに対してアクションを起こす気はない。ともあれ、商売は済んだようなのであとは船へ帰るだけだ。

 マリサは馬にシャーロットを乗せると

「悪いが送り届ける気はない。自分の力で帰ることだ。海軍野郎がいるはずだからせいぜい仲良くすることだな」

 そう言って馬の腹を軽くたたき号令をかける。

「その海軍野郎はあなたに用があるかもしれないわよ。マリサ、またこの島へ来ることがあったら遠慮なく訪ねて頂戴、またお嬢様ごっこをしましょう」

 走り出す馬からシャーロットが声をかける。

「やなこった!」

 ニコニコ顔のシャーロットに比べてマリサはひどいどや顔である。それだけ腹が立っていた。


 船へ戻るとすでに商売で買った荷物がほぼ積み終わっていた。海賊相手の商人だったのでこっそりと砲弾だの弾薬だのも積まれている。もちろん食料もだ。

 夜、船長室でマリサはデイヴィスを問い詰めた。

「あたしは双子だってことなんにも知らなかったぜ。しかもウォルター総督のこともな。なぜ今まで黙っていたんだ?そして他にもこのことを知っている奴はいるのか」

 窮屈なスカートを脱ぎ捨てて船員姿に戻ったマリサは、ラム酒をゴブレットに注ぐとデイヴィスに手渡した。

「18年前、お前をウォルターの屋敷からさらったのは確かにこの俺だ。そのあと陸上でしばらく育ててもらったのはお前の知っての通り。ロバートの忘れ形見を陸で大切に育てたいと思っていたが、お前は海上を選んだ。ウォルターのことはいつかは話すつもりだった。隠すつもりはなかった。このことは古くからいる連中は知っているが、知らない連中もいる。よかったら連中にもう一度話すが、話した方がいいか」

「また人違いをされたらかなわない……連中に話してもらえたら助かるよ」

 マリサがそういうとデイヴィスは酒を飲み干す。

「よかろう、連中には俺から話しておく。ただ、このことが海賊(pirate)の奴らに知れたら、総督側が狙われるかもしれない。油断するなよ」

「事は慎重に、そういうことだな」

 短気で発火点が低いマリサだったが事情はすぐに理解する。


 しかし、マリサはある失態をやらかしてしまう。



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