マリサ・時代遅れの海賊やってます

海崎じゅごん

第1話マリサ、お嬢様と間違えられる

 一羽の年老いたカモメが霧の中を飛んでいた。鉛色の海原にかすかにその影が映っており、波にもてあそばれながらカモメの後を追っている。どこからか何かの弦楽器の音が響いてカモメを苦しめだした。音と音に挟まれてとうとう失速して海へ真っ逆さまに落ちていく。そして海との接点で一体化するとそこから白い船が生まれ、霧の中を押し分けて帆走していった。やがて霧が晴れていき、太陽の光が見える。その光を浴びたとたん船はまぶしく輝いた。


 大西洋にあるイギリス領・グリンクロス島は数日前からある話で持ちきりだ。この島の総督が新しく着任したからである。

 もうすっかり夜が明けており太陽の光が船室の窓から差し込んでいる。周期の長いローリングのため、船はゆっくりと揺れながら軋み音を上げていた。

 マリサが目覚めたのはそんな朝だった。おかしな夢を見たせいか体がかったるい。だからといってこのまま寝込むわけにはいかない。1708年7月20日、マリサは海賊”青ザメ”の頭目として荒くれものの連中を統率すべく、自分に言い聞かせていた。


 マリサは眠い目をこすって目覚めようとしたが無理だった。体がだるく、眠気がとれない。グリンクロス島の港に寄港して真っ先に手に入れた新鮮な水で顔を洗う。臭いも色もなくひんやりとして気持ちの良いものだった。

 そこへ誰かがドアをノックする。

「ちょっと待て。まだ着替えていない」

 マリサは慌てて服に手をかける。

「よかった。デイヴィス船長からの伝言でね、今日の商売は船長とマリサが行くことになったんでスカートをはいて来い、だそうです」

 声の主は給仕のグリンフィルズだ。スカートときいてマリサの心臓は大きく鼓動する。

「冗談か?あたしのスカート嫌いを知らないなんて言わせないぞ。それになぜ主計長のコゼッティが商売しないんだ?」

 本来、物品の取引や管理をしているのは主計長であるコゼッティである。 

「文句があるなら相手に言っておくんなさいよ。今日の相手はいつになくプライドが高い奴ですからね。それに”青ザメ”の頭目が女と知っているからご丁寧に『女装』してこいって言ってきた。仕方ありませんよ。ドアの外に戦利品の女物の服を置いときますから着てください。デイヴィス船長はもう準備できていますから」

 グリンフィルズのバタバタ走り回る音が聞こえた。マリサはそれを耳障りに思いながらもドアを開けて戦利品の服を手にした。


 女物の服を着るときはあのコルセットやらなにやらが煩わしくて面倒くさい。何よりスカートが長いと裾を踏んで今までにも倒れこんだことがあった。

「こんなものを着る人の気が知れないね、全く」

 そうは言ってみたが着るのは自分である。大事な取引先の要望なのだからやむを得ないことだ。マリサは戦利品の服を着ると長い金髪に櫛を入れ、こてで髪を結い上げた。

「ははん……まんざらでもないな。これからは色気で海賊稼業するかな」

 鏡を見てひとりで笑ってみたがそのうち馬鹿らしくなって船室から出ていった。


 甲板に上がると待ち構えたように連中が冷やかし始める。

「ほらほら、何やってんだ。とっとと仕事にかからないと酒抜きだぞ!」

 マリサが怒鳴り散らすと連中はさらにひやかしだす。

「受難だな、かわいそうに」

 マリサが連中を持て余していると船長のデイヴィスが声をかけてきた。デイヴィスはマリサの父で前”青ザメ”頭目ロバートの親友だ。ロバートが死んでからというものここまでマリサを育てあげた男である。長い黒髪をざんばらにまとめあげ、広い肩をあらわにしている姿はなかなか勇ましく見える。

「なんのこれしき、どうってことないさ。いこうぜデイヴィス」

 マリサは何気ないという顔つきで笑う。”青ザメ”のなかで船長であるデイヴィスを名前で呼ぶことを許されているのはマリサぐらいである。年齢差はあるが、マリサはどんな海戦でもその腕と頭で勝利してみせるこの男を尊敬していたし、連中の誰よりも好きだった。

 二人は仕事をさぼりたがる連中を一喝すると、意気揚々として取引先の場所へ向かった。


 グリンクロス島で一番の町中へ入っていくと、多くの水夫たちが羽を伸ばして朝から酒を飲んでいる姿があった。往来は露店が並び、様々な食べ物が並んでいる。グリンクロス島はいたるところに大規模農園があり、そこで収穫されたものが主な産物にもなっていた。また、大西洋のほぼ中継地点に位置し、貨物の積み込みで多くの船舶が寄港していた。”青ザメ”の船デイヴィージョーンズ(海の怨霊)号もそれが目的で寄港していた。もっとも、正体はあからさまにできるわけはなく、商船という立場で来ている。


 それにしても何か様子がおかしい。人々の中には何かを探しているような様子もある。

「何があったんだい?海賊でも紛れ込んだのか?」

 自分たちのことを棚に上げて近くの露店の店主に聞いてみる。

「人探しだよ。昨日着任したばかりの総督の娘さんが家出してしまったらしい。まあ、わしらにはどうでもいいことだがね」

 店主は我関せずと言ったふうで商売を続ける。市民はその日生きることが大事、総督の娘が家出しようが何しようが関係ないのだ。

「お嬢様も退屈したんだろうね。あたしは自由でよかった。用がすんだらさっさと港を出ようぜ、デイヴィス」

 そう言って再び店へ向かったとき、叫び声や悲鳴が辺りに響き渡った。振り向く二人。

「強制徴募隊だ!逃げろ、男はみんな逃げろ!」

 誰かが叫んだ。海軍の人員を補うために強制的に海軍へ入隊させる強制徴募隊が来ているのである。ここでつかまった男は一生海軍暮らしだ。いつ死ぬかわからない海原で生活し、その報酬はと言えば安い給金のみ。誰しもそんな生活を送りたくはない。さっきまでにぎわっていた酒場の連中も往来の人々も慌てて逃げていく。露店も急遽閉じられる。しかし哀れにも捕まって「入隊」させられる者もいた。


「デイヴィス、デイヴィス?」

 逃げるのに必死になってマリサははぐれてしまったようだ。そもそもマリサは中身も見た目も女である。逃げる必要はなかったのだが周りにあわせてしまった。

 強制徴募活動はまだ続いており、いたるところで男たちが引っ張られている。彼らは各船で無理やり契約書を書かされてめでたく『女王陛下の水兵』になるのだ。

 マリサがデイヴィスを探そうと一歩踏み出しそうになったときである。走っている馬に危うくぶつかりそうになり、体のバランスを崩して尻もちをついてしまった。

「どこみてんだ、道は歩くためにあるんだぞ!」

 気の短いマリサが思わず怒鳴る。

「申し訳ありません。お嬢さん、大丈夫ですか」

 馬上の相手がおりてくる。

「気をつけろ、このバカ!」

 マリサが顔をあげたとき、ふと二人の視線が合ってしまった。馬上にいた主は茶髪の青年…海軍の士官だ。

「ミス・シャーロット・メアリ、こんなところに!?みんな探しているんですよ」

 男はビックリした様子でそう言うとマリサを力づくで馬に乗せる。

「人違いだ!あたしはシャーロットなんかじゃない、降ろせ、この野郎!ぶっ殺すぞ」

 急なことに慌てて抵抗するマリサだったが、走っている馬の上であらがっていると振り落とされてしまう。おまけに今は丸腰だ。こうなれば降りてからこの男を殴り倒すぐらいはやろう、その企みをもって黙りこくった。男の方はそれがたくらみであることにもちろん気づかない。

 そうして二人を乗せた馬はプランテーションのある方向へ向かった。

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