第二幕 学園都市エデン

 学園都市エデン。

 人口はおよそ三千万人。初等部から博士課程までの人間のみでその人口のほとんどを占めており、この都市の運営は学生主体で行われている。

 そして、都市の中央に位置する本校舎の一室からある男が街を見下ろしていた。

 男はこの都市で数少ない生徒では無い人間の一人だ。

 豪奢といかないまでも一目で高級な物であろうと感じさせる調度品と男が放つ雰囲気からこの男がエデンにおいて重要な人物であることを感じさせる。

 短めの黒髪をオールバックに整え、遠目でもしっかりした生地とわかるスーツを着こなすスラっとした立ち姿もまた男の威厳を表現する1つだろう。

 もしも、この男が目の前に現れ、街を見下ろしている切れ長の目で見つめられたら、緊張で体が固まってしまっても不思議は無い。

 そんな男の背後、部屋の入り口近くに立つメガネをかけた女性が携帯端末を取り出すと耳に当てて相手の話に集中している。

 男と同じようにスーツを着こなし、冷淡さを感じるような面持ちの女性は電話の相手と二言三言会話を交わすと男に言葉を投げかけた。

「理事長、彼が目を覚ました」

「……そうか」

 男は短く返すと何かを思案するように目を閉じた。

 頭に浮かぶのは先の遺跡調査に赴いていた調査班が遭遇した謎の機械神とそれを操っていたという少年と少女のことだ。

 実際に遭遇したメンバーからの報告では突如として現れ、機体の色が変わると同時にまるで別人のような動きをしたという。

 また、旧時代の遺跡であるにもかかわらず、そこに眠っていた機械神は現在の最新鋭機と匹敵するほどの性能を見せていた。

 その上、それを動かしていたのは人工知能というから驚きである。

 男の知る限りでは実験は進んでいても実用化するにはまだまだ先は長いというはず。

 ここエデンでもその研究はされており、最先端とは言わないまでも近しいレベルでの成果は出ている。

「やはり、実際に見るほか無いか」

 そう小さく呟くと男は女性へと向き直る。

「迎えはお前に任せた」

「了解です」

 男に対し一礼をすると女性は部屋から出ていった。

 扉が閉まり、足音が遠ざかったのを確認すると男は椅子に深く腰かけると執務机の引き出しから傷ついた木製の四角い箱を取り出した。

 箱を開くと中には指輪が1つ。

 それをしばらく見つめると男は箱を引き出し、天井を仰いだ。

「ったく、ようやく踏み出し始めたと思ったのによ」

 男のその呟きは虚空の中に消えていった。




「……起きた……」

 目を覚ました悠季を最初に迎えたのはその一言だった。

 声がした方へと顔を向けると新品の寝具独特の香りが悠季の鼻をついた。

 それと同時に自分が柔らかな枕に頭をうずめているということにも気が付く。

(ベッド?)

 どうして自分はベッドに寝てるのかという疑問を浮かべたまま視線を動かすと自分をじっと見つめる眠たげな目と視線がかち合う。

「……ユノア?」

 誰だと迷うのも一瞬、悠季は入院着を着てベッドの脇に座り、自分を見つめる少女の名前を思い出して口にした。

 悠季が自分のことを覚えていたのに気をよくしたのか、無表情とも取れるような表情に少しばかり満足げな色が浮かんだように見えた。

「ここは?」

「……学園都市エデンの、病院……」

「学園都市……エデン?」

 病院であるということはユノアだけじゃなく自分もまた入院着を着ていることでなんとなくは勘づいていた。

 だから、聞き慣れない言葉に悠季は思わずオウム返しをしてしまった。

 知らない場所で目が覚めたと思ったら、また知らない場所で目が覚める。

 前回と違うのは共にクロスに乗ったユノアがいるということ。

 その事実が少しばかりの安心感を悠季に与えていた。

 しかし、それでも悠季の中にある複雑な感情が消えるというわけではない。

 額を腕で押さえようと腕を動かした時だった。

「ん?」

 目を丸くし、半笑いのように口角を動かした顔をは傍目に見ればまさに間抜けな顔というものだろう。

 そんな顔の先にあるのはベッドに拘束された自分の腕。

 まさかと思い反対側の腕を動かせばそちらも同じように拘束されている。しかしそれだけではなく足も同様の始末だ。

「なんで!?」

「……決まり、だって……」

 いや、そうだろうけど聞きたいことはそういうことじゃない。

 ユノアにそんなことを言っても仕方ないとわかっているだけに悠季はただただ体を悶えさせた。

「おや? ずいぶん元気だね。これは診察の必要が無いかな」

 悶える悠季に年季を感じさせる落ち着いた声が届いた。

 声の出所をたどろうと首を動かすと入り口らしき所に、白衣を来た年配の男が立っていた。

 丁寧に整えられた白髪と経験が刻まれたようにわの多い顔に柔和な笑みを浮かべた男。

 見た目の年齢と裏腹に小脇にバインダーを抱えて背筋をまっすぐに立つ姿は若々しさも感じさせる。

「……あんたは?」

「サウルム。医師だよ」

 警戒心と敵対心のこもった悠季の問いかけを一切気にした様子を見せず、サウルムは近づきながら答えた。

 悠季が寝ているベッドの脇に近づくとユノアと入れ替わりに椅子へ座り、さて、と口にする。

「それでは今度は君の名前を教えてくれるかな」

 素直に答えるべきか。

 そんな風に思案する悠季を見て、サウルムは手元のバインダー、そしてユノアへと順番に視線を向けると悠季にすぐに戻した。

「できれば、君の口から聞きたいんだけどね」

 傍から見ればどうしたものかという困った言葉。

 だが、実際は悠季から聞かずとも知る方法がある、もしくはすでに知っているということだろうと悠季は思った。

 あくまでこの質問は協力的かどうかを判断するためのものだろう。

「悠季」

「フルネームで」

 観念したように悠季はため息を吐いた。

「……ユウキ・カグラザカ」

「では、カグラザカさん、クロスさん」

 サウルムはバインダーの上の書類に何やら書き込むと悠季の目をじっと見る。

「仕切り直しと行こうか」

 そう言うが早いか、サウルムは悠季の腕の拘束を解いた。

 呆気にとられる悠季を尻目にサウルムは残りの拘束も解いていく。

 そして、戻ってくる時に椅子をもう1つ取り出すとそれを悠季のベッドの脇に置いてユノアを座らせた。

「いいんですか? 拘束解いて」

 ひとまずの作業は終わったのか椅子に座りなおしたサウルムヘ悠季が問う。

「少なくとも、君は短絡的な人間では無いようだからね。それに、拘束したままじゃ信頼関係は築けないだろう?」

 そんなことを人懐っこそうな笑みを浮かべて真面目に言うサウルムに悠季は肩の力が抜けた。

 警戒心が無くなったわけではない。しかし、肩肘を張った警戒を続ける必要も無いだろうという判断だ。

「それじゃあまず軽い診察をさせてもらうよ」

 そう言うとサウルムは悠季の目を開いてのぞき込んだり胸を音を聞いたり、痛いところが無いかなどを悠季に聞いていく。

 あっちでもされたことがあるようなことだなと思いながら診察を受ける悠季だが、特に怪しい点は見当たらなかったのかサウルムは書類にまた何かを書き込んでいく。

 書き込みが終わったサウルムは、今度は悠季とユノアの両方に体を向けると話を始めた。

「次は状況の説明だけど、ここは学園都市エデンの本院。君たちは都市から半日ほど行った場所にある古代遺跡で保護されてここに運び込まれてきた。それが二日前の出来事だ」

「二日前……」

 ということは約三日気を失っていたということになる。

 確かに悠季の最後の記憶はあのハンマーを持ったロボットの胸を貫いた瞬間ではあるが、三日も眠りこけていたなど信じられない話だ。

「幸い君たち二人に大きな怪我は無かったけど、クロスさんが運ばれる途中で目を覚ましたのに対して、君は精神と肉体の両方においてかなりの披露が溜まっていたのか今まで寝ていたんだ」

「ってことは、ユノアは今までほぼ一人だったのか?」

 悠季の視線を受け、どこか誇らしげな色を表情に出すユノア。

 そんな様子に呆れた声を漏らした悠季をサウルムはくすくすと笑った。

「君たちは本当に仲がいいんだろうね。さて、カグラザカさんの意識も問題無いようだし私は失礼するよ。じきに迎えの人間が来るだろうからそれまではこの部屋でゆっくりしていてくれ」

「迎え?」

「ああ、君たちをここに入れるように言った人物のね」

 サウルムはそう言い残すと悠季たちの病室から出ていった。

 扉が閉まるのを見届けると悠季は大きく息を吐いた。

 頭を掻きながらチラリとユノアを見やると見られた本人は小さく首を傾げる。

 そして、その様子を見てさらに大きく息を吐いた。




 長い廊下を悠季とユノアは歩いていた。

 二人の前には先導するように一人の女性が歩いている。

 スーツをパリッと着こなし、背筋をしっかりと伸ばして歩く様はメガネをかけていることも相まってキャリアウーマンという印象を抱かせる。

 この女性が二人の着替えを持って初めて現れた時には、能面のような顔と切れ長の目から俗に言う鉄の女のようだなと悠季は思った。

 そんな前を行く女性の目がチラリと後ろの悠季たちに向けられる。

 その視線から逃れるように悠季は窓へと視線を向けた。

 そこに映っているのは女性から渡された制服に着替えた自分たちの姿。

 自分たち用に誂られたと思ってしまうほどに着替えた服はピッタリだった。

 隣を歩くユノアもまたサイズに問題はなく、気に入ったのか歩く足は少し弾んでいるようにも見える。

 そんなことを考えながら歩くこと十数分、大きく豪奢な扉の前で女性の足が止まった。

「少々お待ちを」

 そう言うと女性は扉の脇にあるパネルへと近づいて手をかざした。

 するとパネル上にテンキーが表示され、それも流れるように入力を済ませると今度は手首に着けているブレスレットをパネルにかざした。

 小さな電子音と一緒に目の前の扉が開くと、そこには同じぐらいの大きさの箱のような部屋がそこにはあった。

 扉の豪勢さとは真逆に中の部屋は何も無く無機質そのもの。

 悠季は無意識の内に喉を鳴らした。

「お乗り下さい」

 その言葉にすぐに踏み出すことは出来なかった。

 ここまでは着いていく以外に選択肢は無かったから大人しく着いてきた。

 だが、この扉の豪華さとセキュリティの厳格さから恐らくこの都市でもかなり偉い人間がこの先にいることは想像ができる。

 もし、もしこの一歩を踏み出せば戻る道は無くなってしまう。この世界では元より戻る道なんて無いが、ここが境界線だと感じていた。

 自分自身でも気づかないほど固く握っていた拳に触れた感触で悠季はハッと意識を取り戻した。

 隣を見ればユノアの手が悠季の拳を包むように握っていた。

「……行こ……」

 小さく微笑むと軽い足取りで部屋の中へと滑り込んだ。

 目を閉じ、伏し目がちになると悠季は小さく息を吐いた。

「ああ、行こう」

 顔を上げてユノアを見据える目には先程までの影はもう無かった。




 通された部屋は豪奢といかないまでも機能美を追求した家具が配置され、質素でありながらある程度の高級感を持っていた。

 都市が一望できるように入り口の反対側の壁は一面ガラス張りとなっていることもそう感じさせる一因だろう。

 そんな部屋で一人の男が都市を見下ろしている姿を悠季は見つけた。

「お連れしました、理事長」

「ご苦労だった、アンナ」

 短いやりとりで、男がゆっくりと振り返る。

 獲物を品定めするような目で見抜かれ、悠季は手のひらにじっとりと汗がにじむのを感じた。

 短めに切り揃えられた髪をオールバック、素人目にもしっかりと仕立てられたことがわかるスーツ、そしてその下にあることを感じさせる筋肉質の肉体がより威圧感を強めている。

「ウルガリア・ヴァイストールだ。二人ともソファに座るといい」

 その言葉に悠季が踏み出すよりも早く、ユノアが踏み出した。

 ソファに座って物珍しいように自分を見るユノアの姿に悠季は小さく苦笑を漏らしていた。

 笑ったことで力が抜けた悠季はソファにゆっくりと座り込んだ。

「さて、単刀直入に聞かせてもらう。ユウキ・カグラザカ、ユノア・クロス、お前たちはどこから来た?」

 あまりに単刀直入過ぎる質問に悠季は鼻白んだ。

 もっと尋問めいた、回りくどい質問を覚悟していた悠季はどう答えるべきか思考を巡らせる。

 正直に答えるべきか、誤魔化すべきか。

 そんな悠季を尻目にユノアが話を始めた。

「……それは、とても難しい質問……」

 難しいと言いながら、ユノアの顔は相も変わらず無表情で悩んでるとは一切思えない。

 それでも言い悩むような、単にゆったりとしたペースでユノアは話を続ける。

「……私がいた場所は、この時代にはもう無いはず……」

 ヴァイストールの眉根が小さく動いた。

 ユノアは視線を左下に落とす。

 悠季は顔を前に向けたまま、ユノアを横目で見ると膝をぎゅっと握った。

「……それでも言うなら……」

 誰かの喉がごくりと鳴る。

 瞼を閉じ、一拍。再び目を開くとユノアは真っ直ぐヴァイストールの目を見た。

「……過去から来た……」

「過去?」

 そう聞き返したのは悠季だった。

 慌てて口を手で覆い、ヴァイストールを見ると苦笑を浮かべた顔が目に入る。

 ユノアはそんな悠季の姿を不思議そうに見ると、悠季、ヴァイストール、そして宙へと視線を巡らせた。

「……エルテリアの首都、ガルリア……そこが、私がいた、場所……」

「ガルリア、か」

 ヴァイストールはそう呟くとソファの背もたれに体を預け、口元に手を当てた。

 眉間に深くシワを刻んだ顔は窓の外へと向かい、空いた手はトントンと一定のリズムでソファの肘掛けを叩いている。

 アンナが用意した飲み物をそれぞれの前に置くと、ヴァイストールは悠季へと視線を向けた。

「……で、お前もそうなのか?」

 そう問う声に最初の威圧感はもう無い。

 悠季は大きく息を吐くと目の前の男と同じように背もたれに体重を預けた。

 腕を組みながら自分の前に置かれたカップへ視線を落として答えを口にする。

「俺は……日本にいた」

 ヴァイストールの眉間のシワが一層濃くなった。

「二ホン? 聞き覚えの無い場所だな」

「だろうな。多分、ここは俺がいた場所とは別の世界だろうから」

 あけすけな答えに肘掛けを叩いていた音が止まった。

 悠季の隣ではユノアがカップの中身を口にして、相も変わらず変化の無い顔に幸せそうな色を浮かべている。

 片や過去、片や異世界。

 口元に当てていた手でヴァイストールは眉間を揉む。

 そのまま天を仰ぐようにして顔を上げるとアンナの名前を呼んだ。

「はい」

「お前はどう思う?」

「悪ふざけに付き合わされているのかと」

「まあ、そう思うよな」

 淡々としたやりとりを終えるとヴァイストールはカップの中身を一口飲んだ。

「信じ……られないよな」

 自嘲するように乾いた笑いを含んで、確認するように呟いた。

「ああ、、な」

 そして、そんな呟きには語気を強めた答えが返ってきた。

 目を白黒させる悠季を他所に、ヴァイストールは仕切り直しとでも言うように膝を叩いた。

「お前たちが乗ってた機械神きかいしん。ありゃなんだ?」

「機械神?」

 悠季の視線が左上を指した。

 聞き覚えのある言葉に思い出そうと、眉間にシワが寄る。

「いきなり黒くなるあの機械神だ」

 ああ、と合点がいったように悠季が唸る。

 しかし、悠季は答えられるほどの情報を持っている訳では無い。

 助けを求めるように隣を横目で見るとカップに口を付けるユノアと目が合った。

 カップに口をつけた状態で固まること数秒、ユノアはカップをテーブルに置くとヴァイストールの質問に答えた。

「……あれは、クロス……魔術と科学を、融合させた産物、アウラの1つ……」

「魔術、ねぇ……」

 ユノアの端的な答えにヴァイストールは自分の顎を撫でた。

 聞き慣れない言葉は他にもあったがこれからの話を考えると今掘り下げなくてもいいだろう。

 念の為、悠季へと視線を向けると困ったように肩を竦められた。

「それ以上は俺も知らない。むしろ俺が教えて欲しいくらいだ」

 潔の良い答えにヴァイストールは苦笑を漏らす。

「二人とも自分たちの状況は理解しているか?」

 ヴァイストールの問いに悠季は少しばかり顔を強ばらせた。

 だいぶリラックスした様子を見せるようになっていたが、頭を働かせるだけの緊張感はまだ残っていたようでヴァイストールは内心で安堵した。

 その内心を悟られないよう低い声で威圧するように話を続ける。

「お前たちがいたのは最近見つかったばかりの遺跡だ。それも数百年前の物」

 その話と同時に悠季たちの前へいくつかの紙の束が投げ捨てられた。

 悠季は乱暴に渡されたその紙の束へ一瞬だけ目線を移したが、すぐにヴァイストールへ睨みつけるように目線を戻した。

 悠季とヴァイストールの睨み合いを横に、ユノアは持ち主のいなくなった紙の束を手に取り、パラパラと目を通し始めた。

 ユノアが紙をめくる音が響く部屋の中で、ヴァイストールが、さて、と小さく口にした。

「身元を証明出来る物は無く――」

 ヴァイストールはゆっくりした動作で右手をユノアへ向ける。

「片や過去からきたと言い――」

 今度は左手を悠季へ。

「片や異世界から来たと言う」

 そして、大仰に肩を竦めてみせる。

「それに加えて魔術だなんて怪しげなモノまで出てきやがった」

 パンッ! と乾いた音が部屋に響く。

 顔の前で手を合わせ、肘を膝に置き、前のめりの姿勢でヴァイストールが深く息を吐く。

 そして――。

「お前たちには、どう見える?」

 今まで以上の冷たい目が悠季とユノアを貫いた。

 共にビクリと身体を震わせ、ユノアは持ち上げかけていたカップを落とした。

 高さがそこまで無かったおかけで割れずに済んだが残っていた中身はテーブルの上に広がっている。

 資料に染みを作っていくが、それを気にする余裕もないほどに体は固まっていた。

「取引だ」

 短い切り出しで、悠季の額に汗が滲み始めた。「お前たちには俺たちの敵と戦ってもらう。その代わり、俺が後見人になってこの都市での生活は保証しよう」

「……もし、断れば?」

 絞り出した声は震えていた。

 緊張は伝わっているはずだろうに、ヴァイストールは何事も無いように答える。

「監獄都市行き。お前たちはそこで終わりだ。良くて一生幽閉。悪くて処刑だろうよ」

 その答えに悠季は唇を固く結んだ。

 取引、と言うが、悠季が取れる選択肢など無いに等しい。どちらの選択が頼れる物の無いこの世界で生きられるかは明白だろう。

 隣を見ると、ユノアが荒く浅い呼吸をしている。

 悠希は拳を作ると額に当てて苦々しい表情を浮かべた。

「……俺たちの自由は?」

 それが、悠季に出来た最後の抵抗だった。

 どうすべきかなんて関係無い。出来ることなんて無い。ただ受け入れるしかない。

 悠季たちのために用意されたという部屋に着くまで、悠季とユノアの間には重い空気が流れていた。




(全然、寝られなかったな)

 悠季はベッドで横になった状態でぼーっと天井を見ていた。

 目を閉じると思い出すのは昨日の理事長室で行った取引から後のことだ。

 理事長室での話を終えた後、生活拠点として用意された部屋へ連れていかれた。

 部屋には生活に必要な最低限の家具といくらかの食料がすでに用意されていて、生活をするのに支障は無さそうだった。

 そこから、特に会話をすることも無く、簡単な食事を悠季が作って二人はベッドに入った。

 ベッドは2つ。

 小さなチェストを挟むように設置されていたことに、悠季は小さく安堵したことを思い出した。

 目を隣のベッドに移すと小さな体をさらに小さく丸めて眠るユノアの姿が目に入る。

 気持ちよさそうに寝息を立てる姿は、睡眠不足の頭でも庇護欲を掻き立ててきた。

「ほんと、気持ちよさそうに寝てるな」

 一息つき、チェストの上にある時計を見る。

 時刻は朝七時を過ぎたところだ。

 今日の予定は不明。朝食を作るか、もう少しゆっくりするか。

 そう悩んでいるとユノアがむくりと起き上がった。

「どうした?」

「……トイレ……」

「そか。じゃあ、ちょっと早いけど朝食にするか。顔洗ったらちゃんと来いよ」

 ユノアは小さくうなずくと、寝ぼけまなこをこすりながら部屋を出て行く。

 それを見送ると、悠季も軽く背を伸ばして簡単に身支度を整えてから朝食を用意しにリビングへと向かった。

 用意した朝食はトーストと目玉焼きにウインナーといったごく簡単なものだ。

 特に会話らしい会話も無く、二人は朝食を食べ終えた。

「なあ、ユノ――」

 一緒に食器を片付けながらかけた声をインターホンの音が遮った。

「悪い。ここ頼むな」

 ユノアが小さく頷くのを確認すると、悠季は玄関に向かった。

 ドアを開くと昨日と同じように威圧するような表情を浮かべるヴァイストールとアンナが立っていた。

 よう、とヴァイストールは声を出す。

「あまり寝られなかったようだな。隈ができてるぞ」

 これ見よがしに目の下をなぞる動作も加えたそれが、悠季を見ての第一声だった。

 眉間にシワを寄せながら壁にある鏡を見る。

 自分で思ったよりも色濃く出ていた。

「ユノアちゃんも起きてるな? クローゼットに制服があるからそれに着替えて来い」

 そんな悠季の様子を無視してヴァイストールは矢継ぎ早にそう言った。

 一方的な指示に悠季はさらに眉間のシワを深くする。

「どこに行くんだ?」

 せめてもの反抗として非難するような色を込めた。

「模擬戦をする」

 だが、ヴァイストールは特に気にした様子も無く簡潔に答えた。

「模擬戦? なんでだよ?」

「お前と本当に取引する価値があるか、証明してもらう」

 その答えに悠季はカッとなって言い返した。

「なんでだよ! 昨日の話で取引するって言ったろ!」

「ああ、確かにお前は内容に合意したな。だから、後は本当に契約するに値するか見せてもらう」

「そ、そんなの……」

「当然だろう。どこの誰かもわからないお前たちの身分も、生活も保証してやるって言ってるんだ。それ相応の力は見せてもらわなければ困る」

 その言葉に悠季は顔を俯かせ、奥歯をギリギリと嚙み締めた。

 昨日といい、今日といい、取引というにはあまりにも選択肢が無さ過ぎる。

 今にも飛び出しそうな手を抑え込み、悠季は追い払われるように着替えに部屋へと戻って行った。




 ヴァイストールたちに連れられ、三時間ほど車で移動してついた場所はかなり開けた平野だった。

 最初に見えていたビルなどは一切無く、あるのは運び込まれたと思われる機材に二体の機械神といくつかの背の低い建物だけ。

 二体の機械神の内一体はクロスだ。

 その姿を目にした瞬間、悠季はふらふらと引き寄せられるようにクロスヘ向かって歩き始めていた。

「……ユウ、キ……」

 手を引く感覚に下を見ると不思議そうな顔でユノアが悠季をのぞき込んでいた。

「……どう、した、の……?」

「あ……えっと、どうしたん……だろうな?」

 悠季の視線がクロスに再び向く。

 だが、先ほどのように引き寄せられるような感覚は無い。

 自分自身でも訳の分からない行動に息を吐きながら頭を振った。

「……いこ……」

「ああ」

 ユノアに手を引かれ、ヴァイストールたちがいる場所へと向かう。

 着くとそこにはヴァイストール、アンナ以外に初対面の人間が二人いた。

 一人は白衣にブラウス、そしてパンツルックにメガネといった研究者のような出で立ちをした女性だ。その服装と攻撃的な印象を持たせる切れ長の目が悠季とユノアを見据えるが、薄紫の少しパーマがかかったようなショートボブの髪が多少は印象を柔和にしてくれている。

 もう一人は首から下を覆うような体に密着した服を着た男だった。ミディアム目に整えられた銀色の髪は、強面だが整っており、どこか気品を感じさせる顔にマッチしていた。

「紹介する。模擬戦の相手をするクライス・メルフレイアだ」

 ヴァイストールの視線が悠季から初対面の男へ向かう。

 視線を受け、クライスは悠季へと手を差し出した。

「ユウキ・カグラザカとユノア・クロスだな。話は聞いている。よろしく頼む」

「……どうも」

 握手を交わすと、ユノアも同じように握手をする。

「クライスはここで一番優秀なパイロットだ。少しはあがいて見せろ」

 こともなげに言って見せるヴァイストールを悠季はひとにらみし、クロスに乗り込んだ。

「ユノア、どうだ?」

「……まだ半分も出力が出てない……」

 悠季の後ろで操作をするユノアが答えた。

 球体に乗せる手が汗でにじむ。

「正面から行って、勝てると思うか?」

「……多分、押し負ける……」

 その答えに深く息を吐き出した。

 視線を落として、宙を漂わせる。

 悠季の思考をヴァイストールの声が遮った。

「ユウキ、ユノアちゃん、聞こえてるか?」

「ああ、聞こえてるよ」

「……ん……」

「よし。ちゃんと通信は繋がるようだな」

 満足げなヴァイストールの声。

 それにまた悠季が眉間のシワを深くする。

「この後、ブザー音が鳴る。それが聞こえれば模擬戦開始の合図だ。戦闘中は外部音声のみでやり取りをしてもらう。問題無いな」

「ユノア」

「……ん、ちゃんと拾える……」

「……わかった」

 球体をつかむ手に力がこもる。

「よし、それじゃあ――」

 一息置いた声にブザー音が挟まった。

「――開始だ」

「行く――」

 視線をクライスが乗るもう一体の機械神に向けた瞬間、それはもうすでに目の前にいた。

 眼前いっぱいに広がる銀色の機体。目の端に機械神の腰元で何かが光ったのがかろうじて捉えられる。

(はや――っ!)

 防御か? 回避か?

(負ける!)

 そう思った瞬間、機械神の抜いた刃がクロスに当たる直前で止まった。

「すまない。少し飛ばしすぎたようだ。仕切り直しとさせてくれ」

 そう言って、機械神が最初の位置へと戻っていく。

 抜いたままの刃を見て、悠季はそれが刀であるとようやく理解できた。

「……行くぞ」

 ブザー音代わりに宣言と同時にクライスの機体がクロスに向かって飛び出す。

 下段から切り上げるように振るわれる刃が今度は見えた。

 それをクロスは後ろに飛びのいてかわしてみせる。

「このっ!」

 着地する反動でクロスは距離を詰めて拳を突き出した。

 しかし、クライスの機体は半身を引くことでそれをなんなくかわしてしまう。

 そして、お返しと言わんばかりに刀が突き出された。

 クロスの装甲を裂くほどの切れ味は無いのか、それとも技量が無かったのか、刀は装甲の上を滑って行った。

 残ったのはクロスへの攻撃が痛みとしてフィードバックされている悠季の鈍痛のみ。

 まだ一手二手かわした程度だが、悠季は相手の方がはるかに強いことを理解した。

 そうなると、理由はどうあれこうして機体同士が肉薄している状況はある意味のチャンスと言えるだろう。

 悠季はクロスにくっついているようにある刀身を握るとクライスの機体に向かって脚を振り上げた。

 クライスが機体に乗り込むところ見たからだいたいのコックピットの位置はわかる。もしもがあってはまずい。だから、そこは狙わない。

「であっ!」

 クロスの蹴りが当たるとクライスの機体が衝撃で震えるだけで動じた様子は全く見えない。

(やっぱり止まらないか!)

 そう思った瞬間、悠季は体を妙な浮遊感に襲われた。

 そして、次の瞬間には視界を空の色とクライスの機体が支配する。

 何かがまずい。

 そう感じた悠季は掴んでいた刀を離し、クライスの機体を足場にして横へ大きく飛んだ。

 クロスが地面の上を滑り、悠季にもそれが痛みとしてフィードバックされる。

「くそ。何されたんだ?」

「……力押しで、倒された……」

 クロスを立ち上がらせる間にユノアが端的な答えを返した。

「まじかよ。そんなに性能差があるのか……」

 ただでさえ技量が圧倒的に劣っているのに機体の性能までが劣ってしまっている。

 そう思い、頭を悩ませる悠季にユノアが小さく首を振った。

「……性能は、多分、クロスの方が、上……刀を押し込む瞬間、ブースターで、力を増してた……」

「そういうことか」

 そう呟き、先に立つクライスの機体をにらむ。

 クロスよりも先に体勢を立て直していたのにどうやらご丁寧に待っていたらしい。

「さて、次は全力で来てもらおうか」

 その言葉に悠季は眉をひそめた。

「なんの、話ですか?」

「隠しているつもりならば無駄だ。小生もまた遺跡での戦いは映像で見ている。それとも、それを見せずしてと?」

 わざとらしく、あざけ笑うような問いかけ。

 喉が小さくごくりとなる。

 全力を見せろ。それは間違いなく本心からの言葉だろう。だが、同時に何か狙いがあるのではとも思ってしまう。

 目を閉じて数瞬。悠季はユノアの名前を呼んだ。

「トランス、いけるか?」

「……ん……」

 短い返答と同時にクロスの足元を中心に光が広がり、陣を形成していき始めた。

「次は集中か」

「……それは、もう、大丈夫……」

「え? でも、この前の戦いでは必要だったよな?」

「……それは、初めて、だったから……」

「そ、そうなのか?」

「……ん……最初は、術式が構築できて、無いから……でも、トランスをすれば、術式の構築は、完了……」

「そ、そうなのか……」

「……ん……だから、ほら……」

 その言葉を合図にしたように足下の陣から噴き出した漆黒の奔流がクロスを包み込む。

 悠季は目を閉じ、背もたれに深く体を預けた。

 戦闘が始まってからずっと粟立っていた感覚がなりを潜めた。そして、荒れた思考も凪いだ海のように静まり返る。

 悠季が再び目を開けると同時にクロスを覆っていた黒い帳が砕けた。




 クロスとガリュウの間に火花が散る。

 帳が砕けると同時に自信に迫ってきた拳をガリュウが刀の柄で弾いたからだ。

 迷いなくコックピットがある箇所を狙ったその攻撃にクライスはもしも反応が間に合ってなければと冷や汗を流した。

 ついで、間髪を入れずにクロスが蹴りを繰り出した。

 クライスは落ち着いて後ろに飛び退くとスラスターで距離を取り、仕切り直しと言うように刀を構え直した。

 しかし、今のクロスはそれを許さなかった。

 構え直したその瞬間にクロスはすでに目の前に迫っていた。

 ガリュウがスラスターを使用すると同時にクロスも同じように前に飛び出していたのだ。

「くっ!」

 クライスの声にこの模擬戦闘で初めて焦りが出る。

 距離を取ることを諦め、ゼロ距離でクロスの怒涛の攻勢を捌くことに専念をする。より正確に言うならば専念せざるを得ないということだろう。

 ガリュウの主兵装はその手に握る機械神用の刀のみ。それに対し、クロスは無手である。

 互いが密接するこの距離では刀の機能を十全に発揮することは出来ない。だが、クロスの方は十全とまで行かないまでも無手の利点を活かし、ガリュウを籠の中の鳥のようにその場へ釘付けにしている。

 大振りの攻撃があればまだ反撃の目があっただろう。しかし、今のクロスは全ての攻撃の動き出しを最小限に抑えていた。

 それも、トランス前のクロスとは段違いのスピードとパワーを持ってしてだ。

(これまでのワンオフ機すら凌駕するスピードとパワー。そして、まるで無人機を相手にしているような正確無比な攻撃。しかし――)

 ガリュウを拳が振るわれると同時に、クロスの視界からガリュウが消えた。

「正確だからこそ、付け入る隙があるというものだっ!」

 クライスのその声と同時に振るったクロスの腕が肩部の付け根から弾け飛んだ。

 クロスの攻撃をガリュウを屈ませて回避。そして、屈んだ反動を利用した跳躍に背部ブースターの勢いを合わせ、クロスの腕を叩ききったのだ。

 飛び上がった高度を利用し、クロスから距離が離れた位置へと着地して今後こそ刀を構え直した。

「なに?」

 ガリュウのカメラが捉えた様子に思いがけずクライスから怪訝な声が漏れる。

 そこにはまるで操縦している自分自身が腕を切られたようにうずくまるクロスの姿があった。

 しかし、警戒は緩めていけない。

 トランス直後のクロスの様子を思い出し、クライスはその場でクロスを睨みつける。

 十数秒、そんな時間が続いただろうか。

 演習の終わりを告げるように徐々にクロスが黒から元の白い機体色へと戻っていくと、クロスの足下に悠季とユノアが倒れた状態で現れた。




 演習場での模擬戦後、理事長室には四人の男女の姿があった。

 理事長であるヴァイストール、その秘書のアンナ、悠季と模擬戦を行ったクライス、そして演習場にクライスと一緒にいたリン・グラーシェの四人だ。

 全員ソファに腰掛けているがその様子は三者三様と言った様子である。

 この部屋の主であるヴァイストールは手に持った端末で何かの情報を流し見し、クライスは腕を組んでまるで瞑想をするかのように押し黙っている。

 そして、そんな様子が面白くないのか、それとも今自分がこの場にいることが苛立たしいのかリンはふんぞり返るように座って脚を組み、顔には不快感がありありと浮かび上がっていた。

 残ったアンナとはいうと、この場の空気を全く意に介した様子は無く、紅茶を飲んで一息ついていた。

 情報の確認が終わったのか、ヴァイストールは手に持っていた端末を目の前のテーブルに置くと、さて、と口を開いた。

「実際に戦ってみてどうだった? クライス」

 思案するような様子を見せるとクライスは口を開いた。

「あ――」

「私は反対よ!」

 いままさに答えようとしたクライスの声を怒声が遮った。

 声の主はクライスの隣に座るリンだ。

 先程までの不快そうな顔からさらに眉間に皺を寄せ、ヴァイストールを睨みつけている。

「アンタだって見てたでしょ? 素人目で見ててもクライスを完全に殺す気だったのが分かるような状態だったのよ! そんな奴を引き入れて無事に済むと思ってるの!」

 有無は言わせない。そんな雰囲気がリンの言葉の端々に滲み出ていた。

「で、クライスはどう感じた?」

 だが、その雰囲気を受けても全く気にした様子は見せず、ヴァイストールは仕切り直しと言わんばかりに再びクライスへ問いかけた。

「アンタ――」

 そんなヴァイストールの様子が気に食わなかったのか、身を乗り出して詰めよろうとするリンをヴァイストールは片手で制した。

 そのまま手に嚙みつきそうなほど歯を食いしばりながら睨みつけるリンを尻目にクライスは小さく息を吐くと口を開いた。

「グラーシェ女史の言う通り、トランス後の動きは明確に私を殺そうとしていた動きでした。もしも部隊に加えたとしても相応のリスクが常に付きまとうのは事実でしょう」

 ほら見た事かとでもいうように隣のリンが大きく鼻を鳴らし、ソファに勢いよく座りなおす。

 しかし、クライスは、ですが、と言葉を続けた。

「アスカから報告されていたほどの脅威とは感じられませんでした。遺跡での戦闘では武器を無手で両断し、そのまま敵機を無力化したと聞いています。おそらくその時のままであれば、私はここにはおらず、ヤツをどうするかの会議すら開かれていないでしょう」

「まるで擁護するような物言いね」

「反対一辺倒では無い、というだけです。演習の動きが全力なのであれば、私やシェリアで抑えることも可能と考えてですが」

 そこまで言い切り、クライスは隣から向けられる無言の疎ましそうな視線に居心地が悪そうに身を軽く震わせた。

 グラーシェの矛先が自分からクライスへと変わったことに、ヴァイストールは気づかれないようわずかに口角を上げた。

「お前の意見はどうだ?」

 そう言い、ヴァイストールは隣に座るアンナへと視線を向けた。

 アンナは口をつけていたカップを置くと一言。

「私たちの意見がどうあってもアナタがどうするかはすでに決まっているでしょう」

 と、だけ言うと空になってしまったカップに紅茶を淹れなおすため席を立った。

 再びリンの視線がヴァイストールに突き刺さる。

「なに? この場はただの通過儀礼だったってわけ?」

 そう言ったリンの言葉には先ほどまでの怒りはすでに無く、まるで呆れ切ったように覇気が無かった。

「いや、クライスの意見次第ではちゃんと扱いを考えるつもりが――」

 ヴァイストールの顔に紅茶がぶちまけられた。

 シミどころかシワ1つ無かった白シャツにシミができ、顎を伝ってぽつぽつと雫がスラックスへと落ちていく。

 紅茶をぶちまけた本人であるリンは中身の無くなったカップをテーブルに置くと大きくため息を吐いた。

「ほっっんとくだらない。後はアンタの好きにすればいいわ。ただし、監視と後数回の検証は譲れない。私からはそれだけよ」

 矢継ぎ早にそう言うとリンは部屋の入り口へと歩いていく。

 入り口の扉が開いて部屋を出ようと一歩踏み出したその瞬間、ああ、それと、と何かを思い出したようにリンが口にした。

「後悔するのは、アンタだけにしなさいよ」

 その言い残し、扉が閉じた。

 それが解散の合図になったのか、続いてクライス、アンナもまた部屋を出て行く。

 残ったのは冷めた紅茶とずぶぬれになったヴァイストールのみ。

 深々とソファに体を預けたヴァイストールは濡れた状態を気にした様子もなく、ゆっくりと目を閉じた。

 思い出すのはかつてあった出来事。

 ただ逃げ出すことしかできず、一番大切だった物すら守れなかったあの頃。

 そして、かつての名を捨て、逃げずに済む力を手に入れた今。

 あの時の言葉を受け入れ、前へと進もうと考え始めた今。

 その今、新たな力が手に入った。

「……なんで、今かなぁ。お前は俺にどうして欲しいんだよ、ティナ……」

 雫が1つ、顎から落ちた。

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REVENGER ナイトカイザー @peperoso

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