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ナイトカイザー

第一章 アウラ・クロス

第一幕 操者

 気がつけば校庭に立っていた。

 空は真夜中のように暗く星一つ無い。校舎にも灯りは何一つ無く、そして、どこか異様な雰囲気を漂わせている。

 ああ、またこの夢か。

 神楽坂悠季は小さく溜息をついた。

 この夢を見るのは何度目か。少なくとも高校に入学をしてからは見ているはずなので、二週間程度は見続けていることになる。

 最初は暗い何も無い空間に自分がいるだけだった。それが日増しに地面が見え、どこかの校庭と分かるようになり、そして今日は校舎まで見えるようになった。

 しかし、歩き出そうにも首以外は一切動かせず周りを見渡すしかない。

 小さくため息を吐き、ゆっくりと目を閉じる。

 この行為にもすっかり慣れたな、と悠季は心の中で笑った。

 一つ、二つ、三つと心の中でゆっくりと数える。そして目を開けるとそこには見慣れた自分の部屋の天井がある。

 そうするといつも必ずと言っていいほど夢から覚める。今日もきっとそうだ。

 一つ……二つ……三つ……。

 そして、目を開けばそこには見慣れた天井が……無かった。

 天井の代わりに目に飛び込んできたのは、自分の上に跨り、今にも振り上げた手を下ろそうとする幼馴染の姿だった。

「……一応聞こう。何をしてんだ、早苗?」

「……えーっと、お寝坊な幼馴染を起こそうと?」

 答えを聞き、悠季は深くため息を吐いた。

 毎度の事とはいえ、さすがにその現場を目の当たりにするとすっきりとした目覚めとはとてもじゃないが言えたものではない。

「とりあえず、起きたんだから早くどいてくれ。重い」

 そう呟いた途端、悠季の部屋の中にパーンと乾いた音が響いた。

「誰が重いって? んー?」

 早苗と呼ばれた少女が、挟み込んだ手で悠季の頬を捻りあげる。

「ふぁるい。ふぁるふぁった。ふぁから、ふぁやくふぉりてくれ」

 その言葉を聞くと早苗は満足そうに笑みを浮かべ、ベッドの上から降りた。

「じゃ、下で待ってるから早く着替えてね」

「ああ、分かった」

 早苗が部屋から出ていくのを見届けると、机の上に準備していた制服へと着替えを始めた。

 紺色のジャケットに白いワイシャツ。典型的なブレザーの制服である。

 着替え終わると姿見の前に立ち、身なりを整える。

 寝癖が無くなったことを確認すると、悠季はカバンを手に持ち、下の洗面所へと向かう。

 洗面所に着くとタオルを一枚取り出し、少しぬる目のお湯が出てくるまで待つ。

 4月とはいえ、この時間の水はまだ少し冷たい。

 顔を洗い終え、タオルで顔を拭く。洗い残しなどは無さそうである。

 さて、と気合を入れると悠季は洗面所を後にして玄関へと向かう。

「母さーん、外で早苗が待ってるから今日は朝ごはん良いや」

「そーう? 早苗ちゃんにあまり苦労かけないようにねー」

「はーい。じゃあ、行ってきます」

 スニーカーを履き、玄関のドアを開ける。

 少しだけまだ冷たい空気が肌を撫で、暖かくなってきた日差しが目を刺激する。

「悪い。待たせた」

「お昼休みの飲み物で手を打ってしんぜよう」

 含み笑いを浮かべる早苗に苦笑いを返しながら悠季は歩き出す。

 その隣を追うように歩く早苗の少しパーマがかったショートカットの髪が風に揺れた。

 悠季たちの家から学校まではおよそ片道一時間程かかる。自宅から最寄り駅までが歩いておよそ十分。そこから電車を乗り継ぎおよそ三十分。そしてさらに降車駅からバスに乗り学校前までおよそ十五分の道のりである。

「そういえば悠季、今日は珍しくアタシに起こされる前に起きたね。何かあったの?」

 学校に向かうバスの中で早苗は唐突にそう口にした。

「別に何もねぇよ。ただいつもの夢を見ただけだ」

「ああ、あれね。悠季がただ立ってるだけで何もできないってやつ」

 そう。それだ。と、悠季は窓を見ながら返事をした。

 今日見た夢の校舎は間違いなく通う学び舎のものだった。単純によく見ているものだから夢に出てきたのか、それとも何か理由があって出てきたのか悠季には皆目見当がつかない。

「でも、不思議だよね。そんなに同じ夢見てて、しかも、段々と夢の中の世界が広がってるって、まるで心だけ別の世界に行ってるみたいじゃん」

「別の世界ねぇ……お前、新庄みたいなことを言うようになったな」

「あー……まあ、あれだけ毎日熱弁されてたら嫌でも覚えちゃうでしょ。うん」

 一緒に昼食を食べながら、やったゲームや読んだ漫画について熱く語る友人の姿を思い浮かべて、二人は小さく苦笑いをした。

「次は、春雷高校前。お降りのお客様はーー」

「あ、もう着いたね」

「ああ、そうだな」

 バスが止まると後ろの席の人たちが先に行ったのを確認をし、悠季と早苗もバスから降りる。

 バスの中が暖かかっただけに降りた時の空気はとても冷たく感じる。

「おお、早苗ちゃんに悠季じゃん。タイミングばっちしだな」

 声の方を振り向くとちょうどバスの中で話をしていた二人の友人である新庄が登校してくるところだった。

「よう、新庄。今日はいつにも増して眠そうだな」

「どうせまた朝までゲームしてたんでしょー」

 目の下にはっきりとクマを作っている新庄は誇らしげに笑った。

「おうよ。おかげでCGコンプ率は百パーセントだ。いやー、まさか最後の分岐があんなところにあったとはなー」

「はいはい。その話はお昼休みに聞くから早く行こうね。遅刻しちゃうよ」

「早苗の言う通りだ。今週からしばらくは生徒会が校門前に立ってるから、遅刻したら何を言われるか……」

 落ち込んだ声音でそう言うと悠季は少し足早に歩き出した。

 何か言われるだけならばまだ良い。だが、自分に対してはきっとそれだけで済まないことを悠季自身が身に沁みて分かり切っている。

 そして、そんな悠季の心情をよく分かっているだけにその背を見る早苗と心情の目には一種の哀れみが込もっている。

「おはようございます、生徒会長!」

「はい。おはようございます。足元に気をつけてくださいね」

 そんなやりとりを遠くから耳にし、悠季は自分の足取りが重くなった気がした。

「おお、今日は生徒会長さんもいるのか。まあ、悠季、あれだ。生きろ」

 ポンと肩に置かれた新庄の手に慈愛を感じてしまうのは疲れているからだろうか。

 そんな悠季をよそに早苗は元気よく駆け出した。

「せつねえ、おっはよー!」

「あらあら。早苗ちゃんは今日も元気ね。はい、おはようございます」

 できればしれっと挨拶をして済ませたかったのだが、こうなってしまっては自分だけがそうするわけにもいかない。逆にしてしまったら後がより恐ろしくなるだけだ。

 悠季は腹を括ると強く一歩を踏み出した。

「お、おはようございます、鳴海せんぱ……せつねえ」

「はい、おはようございます……ゆっきー」

 先ほどまで柔和な笑みを浮かべていた生徒会長、鳴海刹那が切れ長の目を細め、妖艶な笑みを浮かべると悠季はどっと額に汗を浮かべた。

 ねっとりとなぶられるように視線を向けられ、まるで悠季は蛇に睨まれたカエルのような気分になった。

 今日こそは行けると思ったのだが、やはり呼び方は変えさせてもらえなさそうである。もう高校生となった今となっては、幼馴染とはいえ節度を保った付き合い方をさせて欲しいのだが、そうもいかなさそうということを悠季は改めてその身に感じた。

「じゃ、じゃあ、俺たちはもう行かないといけないから……ほ、ほら、行くぞ、新庄」

 逃げるように背を向け、校門を越えたその瞬間、突然世界が暗くなった。

 暗くなっただけではない。登校している生徒たちがいるはずだが周りには全く姿が見えない。それに先ほどまであれだけ騒がしかったというのに、悠季自身が発する音を除けばそれ以外の音の一切がこの世界には無いのである。

「さ、早苗! 新庄!」

 慌てて振り返ると校門の向こうで慌てふためく、二人の姿と刹那の姿がある。

 しかし、声は一切聞こえない。そして、向こうから悠季の姿は見えていないようである。

「おい! 俺はここだ! ここにいっ!?」

 校門の向こうに行こうと踏み出すと何か壁のようなモノに弾かれ、悠季は強く尻餅をついた。

 痛みに顔を歪めながらゆっくり立ち上がると、今度は慎重にゆっくりと手を伸ばす。すると、校門を越える辺りで何かに触れた。

 まるで見えない壁だ。

 ちょうど学校の敷地の境界線の辺りに何か壁のようなものがある。まるでこの場所だけ切り取ったように。

「……くそったれ」

 強く拳を壁に叩きつけた。

「早苗!」

 さらに強く、もう一度。

「新庄!」

 さらに、もう一度。

「せつねえ!!」

 だが、壁は揺らぐ様子さえ全く見えない。

 残るのは手の痛みだけ。音も、声も、この向こうには一切届かない。

 慌てる三人を見て、焦燥感だけが募っていく。

 落ち着け。焦るな。今焦ってもどうにもならないことは分かりきってるんだ。なら、少なくてもいいから情報を集めろ。何か、何か解決の糸口があるはず。

 そう考え、悠季は校舎の方へと走り出した。

 どうせこんな状態なのだ。土足で校舎に入ろうと何も言われない。

 まず目指すのは自分の教室だ。

 誰もいない廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。そして、自分の教室に辿り着くと悠季は扉を勢いよく開けた。

 そこにはいつも通りの光景が広がっている。クラスメートが談笑し、賑やかな教室の様子がある。

 だが、その声は一切悠季に届かない。

 目の前にあるのは日常。だが、自分が立つ場所は非日常。

 それが紛れもないどうしようもない事実ということを突きつけられた悠季は大きく慟哭の声を上げた。

 どれぐらい時が経っただろうか。

 目の前の教室では授業が行われている。心なしか雰囲気が重いのは悠季が失踪したからだろうか。

 早苗と新庄の姿が見つからない辺り、別室で事情聴取を受けているのか、自宅に帰されたのか。もしいるとしたら生徒指導室辺りだろうか。

「……よし」

 ここにいても何かが進展する訳でもない。

 重い腰を上げ、生徒指導室へ向かおうとした瞬間、悠季の足が止まった。

「なんだよ、アレ……」

 悠季の視線の先、校庭が光り輝いていた。

 その光は多重円を描き、円と円の間には見たことも無いような文字が隙間無く敷き詰められている。

 そう、それはまさに魔法陣と呼ばれるそれに他ならなかった。

 悠季は思わず駆け出していた。

 非日常の空間に現れた最も非日常のもの。架空のものと考えられたきたそれが目の前にある。

 それも、今朝夢に見た自分が立っていた場所にである。

 あそこに行けばきっと何かが変わるはず。それは良いことか悪いことかはわからない。だけど、きっと何か動き出すのだろう。

 息も絶え絶えに悠季は魔法陣の中心に辿り着いた。

 心なしか、遠くで見ていたよりも輝きが強くなっているように見える。

 そして、ポツリと悠季の頬を冷たい何かが叩いた。

 それが落ちてきたであろう空を見上げるとどろりとした暗い空から無数の雨が降り始めてきていた。

 雨脚は時間を追うごとに強くなり、悠季の体を激しく打ち付ける。

「これで、終わりなのか?」

 諦めの色が浮かんだ瞳の先で空が逆巻き、悠季に向かって落ち始めている。

 もはや逃げる気力すら湧かない。

 何かあるだろうとは思っていたが完全に悪い方に動いてしまった。いや、でも、もしかしたらこれで良かったのかもしれない。食べる物も無く、抜け出す術も無い。そんなところで朽ちていくだけなら一思いに終わってしまった方がはるかに良い。心残りが無い訳ではないが……。

 そんなことを考えている内に、悠季は完全に落ちてくる空に飲み込まれてしまった。

 周囲は真っ暗な闇。一寸先すら見えない。

 ああ、本当に終わるのか。

 そう思うと同時に悠季は意識を手放した。




「やっと、出会えた」

 闇のように黒く長い髪の女性はそう呟いた。

「ずっと、貴方を待っていました」

 凛とした、透き通るような声が響く。

「ああ、これで世界は救われる」

 顔は髪に隠れて良く見ることはできない。

「貴方に全てを押し付けてしまう私たちを許さなくても構いません」

 表情は窺い知れないが、まるで泣いているようだ。

「だけど、どうかあの子だけはーー」

 その言葉を最後まで聞くことなく、悠季は目を覚ました。

 目が覚めたばかりだからか、悠季は虚ろな目でぼーっと前を見続ける。

 ここはどこだ。確か俺はーー。

 自分の身に何があったかを思い出し、悠季は体を跳ね起こした。

 周囲をぐるりと見渡せば、まるでパーティー会場のように大きな四角い空間の中にポツンと横たわっていたことがわかる。

 周囲は薄暗く、所々外界から差し込んでいるような光でなんとか視界を保つことができているような状態である。そして、この空間には悠季だけでなく、何か機材のようなものがいくつか点々として存在している。

 とりあえず立とう。

 そう思って立ち上がった瞬間、悠季は自分の違和感に気づいた。

 確か気を失う前の自分は雨に濡れていたはずだ。だが、今の自分の服は完全に乾いている。濡れているような箇所はどこにも無い。そもそも、自分は校庭のような場所にいてこんな所にいた記憶は一切無い。

 不審に思いながらも悠季は何か情報を手に入れようと周囲に点在する機材へと近づいていった。

 機材に触れるとざらりとした感触がある。土埃だろうか。ということは、ここは随分と使われていない施設のはずである。

 ともすれば、次に確かめるべきは機材は動くのか。

 機材上にある色んなボタンやスイッチを動かしていると、電源が入ったらしく機材上のランプ部分に明かりがついた。

 この機材が丈夫なだけか、それともそこまで時間が経っていないのかはわからないが、どうやらこの施設の動力は動いているらしい。

 それならどこかにここがどこか分かるものがあれば良いのだが……。

 周囲を改めて見渡すと、この空間の四方に扉らしきものがあるのが確認できる。

 大型の何かを運搬するために使用されていたであろう入り口が二つ。人が通れる程度の大きさの入り口が二つ。

 悠季は一番近くにある人が通れる程度の大きさの入り口がある方へと向かった。

 入り口は自動ドアだったらしく、悠季が近づくと自動的に開いた。

 扉が開くとその先には奥が見えないほどに長く続いている通路があった。ここにもエネルギーは問題無く来ているようで通路は明るい。

 通路をしばらく進むと、先ほどの入り口と同じような扉が右手の壁に現れた。

 開けるべきか開けずにもう少し先に進むべきか。

 悠季は少しの間迷った後に扉に手を伸ばした。

 人感センサーのようなものが付いている訳ではないようで近づいただけでは扉は開かない。

 どうしたものかと扉を観察すると、ちょうど左手側の胸ぐらいの高さの位置に何か液晶のようなものがあることに気づいた。

「まさか、映画みたいに手のひらを押し付けたら開くとかじゃないよな」

 冗談混じりに呟きながら手のひらを押し付けると、緑色の光がスキャンするように指先から手首の方へと移動した。

 光が消えると、プシュ、という空気が抜けるような音とともに扉が横にスライドして開いた。

 本当に開くと思っていなかったためか、悠季は苦笑いを浮かべた。

 扉の先は小さな部屋だった。

 そして、誰かの個室だったらしく、部屋の右手側には簡素なベッドが置かれており、その向かい側には白い机とその上には液晶ディスプレイのようなものとタワー型のパソコンのような物がある。

 悠季は机の方に向かった。

 机の上にパソコンのような物だけではなく、何かの絵と見たこともない文字が書かれているすっかり色あせた数枚の紙を見つけた。

 流し見した限り、おそらく何かの設計図なのだろう。

 悠季は設計図の最後に何かメモのようなものを見つけ、それを声に出して読み上げた。

「あう……つくり……ま……戦争……闇が……いず……託す、か。さすがに文字が掠れすぎてて全く意味が掴めないな。せめて、なんの設計図かだけでも分かれば良かっ……」

 そこまで読み上げ、悠季は思わず手に持っていた紙を落とした。

 なぜ、今自分はこの紙が設計図だと分かった? なぜ、見たこともない文字なのに自分は意味を理解できた?

 あまりに自然に意味が頭に入って来たために全く疑問に思わなかった。だが、気づいてしまった。

 その瞬間、悠季は机に体を預けるように倒れた。

 なんとか机を支えにして立ち上がろうとするも体の震えは一向に治まる気配が見えない。

 悠季の頭の中にもいったい自分の体に何があったのか、気を失う前に起きていたことはなんなのか、そればかりが浮かんでは冷静さを奪っていく。

 (落ち着け……落ち着け……! 今が異常だってのはわかりきってるんだ。せめてここがどこかだけでも分かればいいんだ。落ち着け……落ち着け……)

 大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。

 頭の中に浮かんでくる考えを前向きな方向へと転換する。

 文字がわかるということは誰かがいた場合、意思疎通も出来るということだ。そうなれば、ここがどこかもわかるし、最悪飢えで死ぬことも無いだろう。

 せめて前向きな方向に。

 そう考えていると、悠季の体の震えも徐々に治り始めた。

 呼吸を整え、体を起こす。

「……よし」

 落ち着きを取り戻した悠季はパソコンの電源らしき部分に向かって手を伸ばした。指が触れると電源が入ったのか、ディスプレイに文字が流れ始める。

 しばらくすると青い背景にファイルが一つだけある画面が表示された。

 たった一つあるファイルの名前はクロス。

 そのファイルを開くと机の上にさっきまで見ていた設計図と同じ内容が記載されていた。おそらくはこちらが元になった完全版のデータなのだろう。

 どうやらこのクロスというのは何かロボットのようなものの名称のようだ。

 大半は悠季にとって理解のできない内容だったが、いくつかは理解することができた。特に最後のページに記されていた日記のような記述に関しては悠季にとって僥倖とも言える内容だった。

 その内容はこう書かれていた。

 我々は魔術と科学の融合を成功させることが出来た。そして、その成果である機械神をアウラと呼称することにした。

 従来の機械神と違い、アウラは魔術が加わることにより機械神では不可能だった、奇跡に近い現象を起こすことが可能になった。これにより、我々は戦争に勝つことが出来るだろう。

 しかし、私は理解している。いずれ、アウラが世界に生み出すであろう闘争を。アウラの力は絶大すぎる。それを求め、争いを起こす者が現れるであろう。もしそうなれば、世界には消すことの出来ない、大きな傷跡が残るだろう。その傷跡はやがて世界を蝕み、崩壊に追い込む可能性がある。

 だが、開発を中止することはできない。それは世界の終わりを意味することでもあるからだ。

 だから私は、もしアウラの力を悪用された場合を考え、ある特別な一体のアウラを数名の助手と開発することにした。このアウラには、対アウラとなる特殊なシステムを施すことにする。

 その分、このアウラは他のアウラ以上に操者を選ぶ。恐らく、この時代にこのアウラに選ばれる者はいないだろう。故に、この計画を未来に託すことにする。

 私はただただ、切に願う。我々が創るアウラ・クロスが操者に相応しき人間に渡ることを。その人間がこの世界を救う者であることを。

 開発局長サハル・リバイバル。

 そう、ファイルの最後は締められている。

「……アウラ・クロス……」

 それが、この設計図に書かれている物の名前。魔術と科学を融合させた兵器。人型をしているからおそらくロボットなのだろう。

 悠季は小さく息を吐いた。

 これでここは、元々自分がいた場所とは違う場所ということだけははっきりした。少なくとも悠季の世界において魔術なんていうものは存在せず、機械神などというロボットは存在しなかった。

 そして、部屋や目覚めた場所の感じからしてこれが書かれてた時代はおそらくずっと昔。問題無く施設が稼働していることが不思議なぐらい昔だということだ。

 他にも何か情報が無いかパソコンの中を捜索するが、この設計図以外のファイルは一切残っていない。

 ここがいったいどこなのか、外に出るための場所はあるのか、そういった情報は一切手に入らなかった。

 他の部屋には何か別の情報があるのかもしれない。

 悠季はこの部屋を後にし、通路のさらに奥へと向かった。

 歩くこと数分、悠季は最後の扉の前にたどり着いた。

 途中、いくつかの扉があったがなぜかどうやっても反応せず、中に入ることはできなかった。ここも入ることができなければ後は引き返して別の通路を探しに行くのみ。

 悠季は一呼吸置くとこれまでと同様に扉に手のひらを押し付けた。

 反応は、無い。

 仕方ない。別の場所を探しに行くか、と歩き出そうとしたその時、最初と同じように空気が抜けるような音がした後、扉がゆっくりと開いた。

 部屋の中には明かり一つ無く、一寸先すらも見通すことすらできない闇が広がっていた。

 いくつかあった扉で開いたのはここと最初の部屋のみ。それはただの偶然なのか、それとも悠季をここに導いた何かによって意図的に行われたことなのか。

 ごくり、と悠季は唾を飲み込んだ。

 今の悠季にはこの闇全てがまるで悠季を誘おうとしている魔の手に見えて仕方がない。

 逃げるか、一歩踏み出すか、迷った末に悠季は部屋へと足を踏み入れた。

「っ!?」

 部屋に入ったその瞬間、目を痛く突くほどの光の束が悠季を照らしだした。

 やがて、慣れてきた目が微かに中の様子を映し出す。

 ぼやけた視界では分からなかった。だが、目がはっきりと中の様子を写した瞬間、悠季は再び息を飲んだ。

 そこに広がるのは、筒、筒、筒。無数の筒。成人男性が一人は入りそうなほど大きな透明な筒が部屋の中に並んでいた。

 異様な光景に圧されながらも、悠季はさらに一歩と踏み出した。

 筒――カプセルと形容した方がいいそれの根元にはどれも何かを書き込むためのものだったのか、鉄のような光沢の長方形のものがついていた。

 部屋の中を歩く悠季の目に部屋の明かりとは別の光が飛び込んできた。

 気づくと悠季は駆け出していた。

 その光を見た瞬間、なぜか悠季は感じた。そこには自分を待っている者がいる。

 理屈も、理由もわからない。だが、なぜか悠季にはそう感じることができたのだ。

 荒い息でそこにたどり着いた悠季は目の前のそれを目にした途端、あまりの美しさに息を飲んだ。

 翡翠色の液体で満たされた容器。その中に一人の幼い少女が裸で浮かんでいた。

 この世の一切の穢れをまだ知らないようなあどけない顔に、まるで誰かに作られた精巧な人形のような肢体。そして、液体の中をたゆたう少女の腰まである濡れ羽色の髪は、その一本一本がまるで絹糸のような艶を持っている。

 生きているのか?

 そんな言葉が、思わず悠季の口からこぼれ出た。

 しかし、そんな言葉が漏れても仕方あるまい。見れば見るほど精巧に作られた人形に見えてくるのだ。

 その少女の存在はそれほどまでに完璧だった。

 ごぼり、と少女の口から空気の泡が漏れた。そして、長い睫毛がぴくりと動き、ゆっくりと少女の瞼が持ち上がる。

 とろん、と眠たげな瞼から覗く、全てを飲み込むような黒い瞳が悠季の姿を捉えた。

 何かを伝えようとするようにその唇が動き、悠季に向かって少女が手を伸ばす。

 そして、その少女の瞳に魅入られたように固まってしまった悠季もまた、少女に向かってその手を伸ばした。

 カプセル越しに手が触れ合った。

 自然と一歩、足が出る。

 この少女に出会うためにこの場所に来た。悠季はそんな確信を得ていた。

 相も変わらず理由はわからない。だが、きっとこの少女も同じなのであろう。

 二人は互いをここで待ち、互いにここで出会う運命であった。

 目と目がカプセル越しに混じり合うと、ピシリ、という音とともに目の前のカプセルにヒビが入った。

 まずい。そう思った時にはすでに遅し。ヒビは急速に広がると内部の圧力に押されるように粉々に砕け散った。

 悠季は反射的に自分の顔を両腕で覆った。破片から自分を守るためだ。

 そんな悠季の胸に突然重さがのしかかり、予想だにしていなかった悠季は後ろに倒れると強かに頭を床に打ち付けた。

 チカチカとまぶたの中を光が散る。

 痛みをこらえながら目を凝らすと目の前にはしっとりと濡れた黒い何かがあった。

 それは、ゆっくりと上へと持ち上がると悠季の上にはらりといくつかの黒い房を落とし、その全容をあらわにした。

 水に濡れたその肢体は光を受け、より一層白く輝き、全てを飲み込む眠たげな黒い瞳は悠季の顔をじっと見下ろす。

 そして、小さな唇はゆっくりと動くと一つの言葉を紡いだ。

「……あなたは、だれ……?」

 見た目よりも少しばかり大人びた、言ってしまえば抑揚の無い、平坦な声が部屋の中に響く。

「俺は、神楽坂、悠季」

「……カグラ、ザカ……? ……変な、名前……」

 その返答に悠季は違和感を覚えた。

 (神楽坂が変な名前? もしかして、苗字と名前を間違えている? )

 そうであれば変な名前と言ったことにも合点が行く。

 そう考えた悠季はさっそく行動に移した。

「ああ、えっと、名前が悠季なんだ。名前が悠季で、名字が神楽坂。それで、君の名前は?」

「……私は、ユノア……ユノア、クロス……」

 少女はそう名乗った。

 やはり、名前と名字が日本とは逆の並びになるようだ。

「うん。ユノア。それじゃあ、一度俺の上から退いてもらっていいか? さすがにそろそろ体を起こしたい」

 ユノアはこくりと頷くと悠季の上から体を動かした。

 体を起こした悠季が横目でユノアを見ると、ユノアは小さく体を震わせた。

 あまりの出来事に完全に忘れていたがユノアは今一糸まとわぬ姿だ。これでは寒いに決まっている。そして、悠季の目のやり場にも困る。

 悠季は自分のジャケットを脱ぐとユノアにそっと被せた。

「寒いだろ。それ、着てるといい」

 小さく頷き、ユノアはジャケットの袖を通した。

 身長差がちょうどよかったのか、腕の丈はともかく股下のあたりまで裾は届いて大事な部分は隠すようになっている。

 これで落ち着いて話しができるようになった。

 悠季はユノアを見た瞬間、感じたことを聞こうと口を開いた。

「なあ、ユノア。俺は君を見た瞬間、君に出会うためにここに来た気がしたんだけど、君も俺をここで待っていたのか?」

 こくりと、ユノアは頷いた。

「……私は、待ってた……ユウキを、クロスの、操者を……」

「クロスの操者?」

「……ん……アウラ、クロスを、動かせる、人……」

「アウラ・クロスを、動かせる!?」

 記憶に新しい名前に悠季は衝撃を受けた。

 アウラ・クロスと言えばここに来る前の部屋で見たロボットの設計図に書かれていた名前である。

 ユノアがそれを動かせる人間を待っていたということは、悠季はそれを動かせるということになる。

 しかし、悠季は今生、そんなものを見たことも聞いたことも触ったことも無い。そのため、悠季にそんなものが動かせるわけがないのだ。

「待て、待ってくれ。それは、つまり俺がそいつを動かせるってことなのか? 悪いがそんなことはありえない。俺はそんなものを見たことも触ったこともないんだ。そんな俺にそいつが動かせるわけが――」

 でも、とユノアが遮る。

「……ユウキ、からは、クロスの気配を、感じる……」

「俺、から?」

「……私と、クロスは、繋がってる……操者と、クロスも、繋がってる……だから、私には、わかる……ユウキは、クロスと、繋がってる……」

 そんなバカな話があるものか。

 そう悠季は切り捨てたかった。だが、悠季自身も感じていた。ユノアと自分は繋がっていると。

 信じられないが、理由もユノアが言った通りのことであればわからなくもない。クロスを通して繋がっているということなのだから。

「……くそっ」

 悠季は頭をガシガシと乱暴にかいた。

 わからないことを考えても仕方がない。せっかくユノアという、ここがどこかを知ってるかもしれない人間に出会えたのだ。

 (にん、げん?)

 それは些細な疑問だった。

 謎の液体が入った試験管。まるで作られたような完璧な容姿の少女。感情が欠落したような淡々とした喋り方。疑うには十分な材料が揃っている。

「なあ、ユノア」

 君は人間なのか?

 その問いは、けたたましく鳴り始めたサイレンにかき消された。

「な、なんだ!? いったい何が起きた!?」

「……侵入者……」

「し、侵入者!? だ、だったらここでじっとしておけばやりすごせーー」

「……それ、無理……」

「え?」

 そう問い返したのもつかの間、通路の方から大きな爆発音が響いた。

 侵入者、そして爆発音。嫌な予感が悠季の頭に過ぎる。

「……ユノア、さっきの爆発音って……」

「……多分、防衛用の、機械神……」

 ズシン、ズシンという規則正しい音がこの部屋の入り口に近づいてくる。

「防衛用ってことは、侵入者とかを撃退するってことだよな。その侵入者に俺って……」

 最後まで言わずとも、言いたいことは伝わるだろう。

 その考えはあっていたのか、ユノアは至極当然とでも言うように頭を縦に振った。

 そして、それと同時に部屋の入り口から豪快な爆発音が響いた。

 部屋の入り口からはなにやら煙幕のようなものが部屋の中に流れ込む。

 悠季は静かに天を仰いだ。

 煙の中から聞こえて来るキィーンという甲高い音。よく目を凝らせば見える煙の中に浮かぶ緑色の二つの光。

「なあ、ユノア。お前は、防衛用の機械神ってやつに狙われずに済むよな?」

「……ん……私は、登録、されてる、から……」

 その答えに、悠季はホッと胸を撫で下ろした。

 そうなると、後は自分の覚悟を決めるのみ。

「ユノア、お前はここでじっとしてろよ」

 そうユノアに言い放った悠季は、返事を聞く間も無く駆け出した。

 そして、それに呼応するかのように煙の中から敵対者も飛び出した。

 人が鎧を着込んだような白い体に鷹を彷彿させるような頭部。見た目だけでは本当に人が中にいるのではないかと疑ってしまう。だが、その体の奥から響く人体からは決して聞こえることの無い音と、バイザーの奥で光る二つの光がそれは人では無いのだと告げて来る。

 しかし、幸運なこともあった。

 一つ、敵対者が人型であること。二つ、武器らしきものを持っていないこと。

 無手の相手であれば、人の考え得る動きをする相手なのであれば、まだ戦える。

 拳を握ると悠季は敵対者に向かって走り出した。

 それを迎え撃つように敵対者も悠季に向かって駆け出す。

 残り十メートル……八メートル……五メートル……まさに拳が交錯するというその瞬間、悠季の体が横にぶれた。

 目標を見失った敵対者は大きく拳で空を切り、状態がぐるりと回転する。

 対する悠季は最初からそうするつもりだったのか、入り口に向かって一目散に駆け出していた。

「誰が馬鹿正直にお前みたいなのとやりあうかよ! 足腰には自信があんだ。悪りぃが、このまま逃げさせてもらうぞ!」

 部屋を飛び出した悠季は来た道をひたすら戻る。

 全力で走るが背後の気配は変わらず迫ってくる。

 それどころか、一歩踏み出す度に確実に距離が詰められている気さえしてくる。

 やがて最初に通った入り口に辿り着くがすぐには開かない。

「くそっ! 早く開けよ!」

 そう悪態を吐き、扉を殴る。

 一拍置いて開きだす扉。

 扉が開ききらない内に滑り込むように潜り込むと悠季は決死の思いで横に大きく飛んだ。

 そしてその直後、防衛用の機械神が扉から飛び出してきた。

 そもそも猛スピードで追っていたのか、それとも徐々にスピードを上げ始めていたのか、通路から飛び出してきた機械神はその姿を視認するのが難しいスピードで部屋の中を進んでいく。機材を吹き飛ばし、砂埃を巻き上げながら。

 その様を見て、悠季は小さく喉を鳴らした。

 もしももう少し扉が開くのが遅ければ。

 考えるだけで背筋が震え上がるような思いに駆られてしまう。

 機材との衝突で壊れていればいいがそれは期待が薄いだろう。

 その証拠に砂埃の向こうからはガシャンガシャンという鉄が揺れるような重い音が聞こえてくる。

 先ほども見た光景を短い間に二度見ることになった。しかし、今回は一つだけ違った。

 砂煙から姿が現れた時、腹の底から響くような地鳴りと衝撃が空間に響いた。

 そしてそれは一度だけでは無い。

 一度、二度。何度か繰り返し、それは頭上から響いていることがわかってきた。悠季の眼前にいる機械神も察しているのか、天井を見上げている。

「……侵入者……」

「ッ!? ユ、ユノア?」

 気配もなくいつの間にか隣に立っていた。

「ば、ばか! なにやってんだ。今のうちに離れるぞ!」

 ユノアの手を引いて駆け出し、それに気づいた機械神もまた悠季とユノアを追おうとした時だった。

 ひときわ大きな音が響いたその瞬間、天井が砕け、人の形をした二体の大型のロボットが降ってきた。

「く、くそ。今度は巨大ロボットかよ!」

 ロボットの落下によって巻き上げられた砂埃から目を腕で庇いながら悠季は悪態をついた。

 ロボットが落ちてきた時に、さっきまで自分を追ってきていた機械神は潰されたのをかろうじて目にはした。

 しかし、それ以上になるだろう脅威が現れたことは事実。

「ここまでか……!」

「そこの二人、ここから離れて安全な場所に隠れて!」

「お、女の子の声!?」

 諦めかけ、伏せようとしていた顔を悠季は勢いよく上げた。

 辺りを見渡すがユノアと落ちてきたロボット以外には何も無い。

 悠季の探し物を察したのか、ユノアはすっと腕を上げると落ちてきたロボットを指差した。

 その先にあるのは紅いロボット。

 もう一方のロボットが大きなハンマーを持っているのに対して目立った武器は無い。

「聞こえてんの? 早く離れろって言ってるでしょーが!」

「は、離れろたって……」

 いくら周りを見回しても扉のようなものは見当たらない。

 最初に入ってきた扉も二体のロボットの向こう側。

「逃げようがねぇじゃねぇか……!」

 そんな悠季の絶望をさらに上塗りするように二体のロボットは戦いを始めた。

 紅いロボットは見た目通り武器は無いのか、振り回されるハンマーをかわすことに専念している。

「くそ……くそっ! どうすれば……」

 焦る悠季の手をユノアがそっと掴んだ。

「……クロスを、呼んで……」

「よ、呼ぶたってどうやって?」

「……博士は、言ってた……大事なのは、意志と、言葉……」

「意志と、言葉……?」

 繰り返す悠季にユノアは小さくうなずく。

「……アウラと、操者には、切れないつながりが、ある……後は、それを手繰り寄せる、だけ……」

 ユノアの指が悠季に絡む。まるで、勇気づけるように。

 再び、悠季の視線が戦っている二体のロボットに向かう。

 情勢に変化は無い。

 変わらず紅いロボットが劣勢だ。

 ユノアと繋がる手に力がこもる。

 繋がりだとか、いきなり言われてもわからない。

 いきなりこんな場所に連れてこられ、訳のわからない状況に置かれて、はい、そうですかと受け入れれる訳が無い。

 だけど……だけど、もし――。

「本当に繋がってんなら、とっとと出て来いってんだよ……クロォォオスッ!!」

「な、なに!?」

 紅いロボットから響く驚きの声。

 二体のロボットの動きが止まり、悠季たちの方へと注意が注ぐ。

 しかし、それは悠季の声が原因では無い。

 悠季たちの目の前の床に突如現れた、紋様が描かれた光り輝く巨大な円陣。

「魔法陣ッ!?」

 思わず目を覆いたくなる光を受けながら悠季が声にする。

 どんどん光が強まっていく様子に異質な空気を感じたのか、紅いロボットの敵であるロボットがハンマーを大きく振り上げ、魔法陣の方へと駆け出した。

「しまっ……!」

 一拍遅れて紅いロボットもまた駆け出す。

 何が起きようとしているのかはパイロットにもわからない。

 だが、ロクな武装も無い、味方の増援も期待できない。そんな状況で現れた唯一のすがれる可能性。

 それを潰されるわけにはいかない。

 しかし、反応が遅れたのは致命的だった。

 降り下ろそうとしているハンマーが変形して噴射口が現れる。

 噴射口周辺が回転を始めると徐々に光が噴射口から漏れ出し、炎となって吹き出し始めた。

 そして、加速のついた勢いそのままハンマーが魔法陣へと突き刺さ――。

「……きた……」

 ――らなかった。

 光の中にそびえる純白の腕。

 何物にも染まっていないその腕が加速ついたハンマーの一撃を受け止めたのだった。

 そして、徐々に腕から先の輪郭があらわになるほどハンマーもまた押し返されていく。

 その様子を紅いロボットのパイロットはカメラ越しに驚愕の表情で見ていた。

 先ほどのハンマーの一撃はさっきまで戦っていた上層の床を砕いた一撃。そんなものを受けてはロボットもまた無事では済まない。

 だからこそ、紅いロボットは攻めあぐねていたのだ。

「って、呆けてる場合じゃない!」

 慌てるパイロットの声が響く。

 ようやく回ってきた攻撃の転機。これを逃す気は無い。

 腰元のパーツからナイフを取り出すと刀身が赤く色づき始めた。

 熱で敵の装甲を焼き切ることを目的とした武器。

 紅いロボットはそれを片手にハンマーを持つロボットへと飛び掛かる。

 (もらった!)

 パイロットがそう思った次の瞬間、紅いロボットは衝撃とともに逆側に吹き飛ばされていた。

 予想だにしなかった衝撃にパイロットは目を白黒とさせる。

 いまだ焦点の定まらない視界でなんとか状況を理解しようと意識を集中させる。

 すると、先ほどまでハンマーを持つロボットが立っていた場所には、初めて目にするロボットが立っていた。

 おそらくは先ほどの魔法陣から現れようとしていた機体なのだろう。

 純白を身にまとい、破壊力の増したハンマーの一撃を片手で受け止めたとはとうてい思えない出で立ちに紅いロボットのパイロットは自分たちの機体とは明確に違う異質さを感じ取っていた。

 そして、それは純白のロボットの後ろにいる悠季たちも同じである。

「……これが」

「……そう、アウラ・クロス……」

 本当に出てくるとは信じられない。

 そんな思いがこもったような視線で純白のロボット――アウラ・クロスを悠季は見上げていた。

 だが、そんな思いと同時にどこか他人とは思えないような、どこか遠い過去に出会った人と再開したような、そんな郷愁にも似たような感情を悠季はクロスに抱いていた。

「……行こう、ユウキ……」

 だからだろうか、そう言いクロスへと歩み寄るユノアに悠季が何の疑念も抱かず着いていったのは。

 クロスの足元にたどり着くとユノアがゆっくりとクロスへ向かって手を延ばし、悠季もまたそれを追うように手を伸ばした。

 触れ、悠季たちの足元に広がる魔法陣。

 白く消えゆく視界の端に移るのは立ち上がりかけるクロスに吹き飛ばされたハンマーを持つロボット。

 そして、再び視界に景色が戻った時には空中にいると錯覚するような景色の中にいた。

「こ、ここは?」

「……クロスの、中……」

「中? コックピットってことか?」

 悠季の問いに小さくうなづくユノア。

 だが、その答えに悠季は合点がいかなかった。

 確かに今自分はシートに座っていて、周りにはおそらくクロスのカメラを通して映されている外の景色が見える。

 しかし、操縦に利用するレバーやボタンの類は一切見当たらない。

 あるのはシートとちょうど肘置きに腕を置いた時に手に収まる位置にある球体のみ。

 それも動かせるような代物ではなく、ただ手を置くだけのもの。

 対して、後部座席にいるユノアの目の前には何やら計器のような情報が映し出されたホログラフィックに、同じようにキーバードのような見た目のホログラフィックがある。

「突っ立ってんじゃない、バカ!」

「――ぐっ!?」

 忠告の声と同時に後ろに吹き飛ぶクロス。

 何が起きたかわからない悠季の思考を邪魔するように胸には何か鈍器で殴られたような鈍痛が走る。

「……なんだよ、これ……」

 まるで本当に自分自身が殴られたような痛みに悠季は胸を押さえた。

「……痛みのフィードバック……自分の体と同じみたいに、動かせる代わりに、痛みも、同じように、感じる……」

「な、なんでそんなことを……」

「ちょっと! いつまで寝てんの? さっきの二人がそこにいるんでしょ? 戦えるの?」

 怒気のこもった焦り気味の声が届いた。

「そ、そうだ! ユノア、どうやってこれ動かせばいいんだ?」

「……そこの、球体に、手を……」

 言われたとおりにおずおずと手を伸ばす。

「……そして、イメージする……クロスが動く、姿を……」

「わ、わかった。とりあえずまずは立ち上がって――」

 悠季が立ち上がろうと考えた瞬間だった。

 まるで自分の体を動かしたようにするりとクロスが立ち上がった。

「本当に自分の体みたいに動きやがった……けど、これなら!」

 覚悟を決め、悠季は紅いロボットと戦いを続けるロボットの後ろから飛び掛かった。

「このぉっ!」

 不意をつく形でクロスの拳が突き刺さる。

 生身の人間であれば、体勢を崩したり怯んだりするような一撃。ましてや、先ほどの加速づいたハンマーの一撃を受け止めて無傷で済んだどころか、逆に押し返して見せた力であるなら吹き飛んでも不思議ではないだろう。

 だが、クロスの攻撃を受けたロボットは何事も無かったようにすぐさまに反撃を返した。

「っ!?」

 全く攻撃が効いていないことに驚きつつも、悠季はすれすれで飛びのいてかわした。

 焦りが隠し切れない表情を浮かべる悠季の耳に聞き慣れない電子音が聞こえた。

「……ん、外部の、音声通信……繋げる……」

 悠季の疑問を察したのか、それとも事務的作業としてかユノアが悠季に告げる。

 そして、返事を返す間もなく繋げられた通信から怒声が響いた。

「さっきの何よ! 死にたいの?」

「し、死にたいわけ無いだろ! ユノア、さっきは跳ね返してたのにいったいなんでだ?」

「……ん……出力が三割も出てない……多分、まだ悠季が、馴染んでない、から……」

「はぁ!? それじゃあ囮にもなれないじゃない!」

 クロスの登場で二対一。数の上では優勢にはなったが本来の力の半分以下しか出ないクロスでは焼け石に水といったところだろう。

 有効打を作ることもできず、囮になろうにも相手はクロスの行動は歯牙にもかからず攻撃をすることができる。

 最悪の場合、クロスの行動が悪手となり、紅いロボットに致命的な一撃を与えるきっかけを生み出しかねない。

 (新手の機械神は戦力にならない。増援が来るのもまだかかるはず。動力部はわかってるのにああ、もう! )

 言葉にしない焦りが通信越しに伝わっているのか、悠季の顔が苦し気に歪む。

「ユノア! 何か……何か方法は無いのか?」

 すがるように絞りだした声。

 悠季のその声を受けるとユノアは目を閉じ一拍。

「……トランス……あれなら、もしかしたら……」

「どうすればいい?」

 ようやく現れた光明を手放すまいかと間髪を入れずに悠季が言葉を返した。

「……細かいことは、私がやる……ユウキは、私のことだけ考えて……」

「っ! わ、わかった! アンタ、悪いけどもう少しそいつのこと引き付けておいてくれ!」

「どうせ説明しろって言ったって無駄なんでしょ。わかったからとっととやってちょーだい!」

「ありがとう」

 礼の言葉も短く、悠季は目を閉じると体をリラックスして頭の中を空っぽにする準備を始めた。

 幼馴染の道場で教わった瞑想の方法。まさかこんなところで使うことが来るとはという思考が悠季の中に生まれる。

 (違う。まずは呼吸に集中をして……)

 悠季の体から徐々に力みが取れていき、戦闘の最中だというのに呼吸以外の音が世界から消える。

「……トランスシステム、起動……リンケージ、開始……」

 乾いた大地に染み入る一滴の雫のようにユノアの声が悠季の中に落ちた。

 そして、その瞬間からクロスの足元を中心に光の線が地面を上を這いまわるように伸びていく。

 そんなことは起きてるとは知らず、悠季はユノアとの出会いの瞬間から思い出していた。

 液体が満たされた逆さになった試験管のようなカプセルの中にいた小さな少女。

 一糸まとわぬ姿だったその少女は裸という事実を悠季に理解させるよりも先に心を掴んでいた。

 しかし、カプセルが開いて現れた少女はそんなどこか浮世離れした雰囲気とは違い、ひどくマイペースな性格だった。

「……リンケージ率、五十パーセント……」

 そして、少女は言った。

 悠季はクロスを動かせると。悠季からはクロスの気配がすると。

 悠季はその言葉を信じていなかった。

 だが、蓋を開けてみれば悠季はクロスを呼び出し、さらには動かして見せた。

 ユノアの言葉には何一つ嘘は無かった。全て事実であり真実。

 なら、ユノアのトランスならどうにかなるかもしれないという言葉も信じない理由は無い。

 そう考えた瞬間、頭の中に浮かんでいたユノアのことが意識を塗りつぶすような黒い色にかき消された。

「……リンケージ、完了……」

 ユノアのその言葉とともに悠季の意識が現実に帰還する。

 そして、悠季が目にしたのは足元に広がった魔法陣から光を飲み込むような黒い闇が広がる瞬間だった。

 その闇が視界を覆いつくすと先ほどまで聞こえていた戦闘の音すら完全に遮り、悠季とユノア、そしてクロスだけの空間を作り出した。

「次は、どうすればいい?」

 悠季の問いにユノアは少しだけ驚きの色を浮かべた。

 どうしてか、直感的に悠季にはまだトランスが途中だということがわかった。

「……もう一度、意識を、集中して……」

 悠季はもう一度静かに意識を落とし込む。

「……何も、考えないで……言葉が浮かんで来たら、それを、声に、して……」

 何もない、無の、闇の中にユノアの言う通り言葉が浮かぶ。

 深淵より出でし闇。

 汝がもたらすは悠久の絶望なり。

 我、汝を従え、絶望の具現者とならん。

 顕現せよ――。

「アウラ・クロス……ダークネスッ!」

 その宣言とともに世界に亀裂が走り、光が世界を満たした。

 さなぎから羽化する蝶のように現れたクロスに再び二機の意識が向く。

 外装に大きな変わりは無し。しかし、純白だった機体色は先ほどまでとは正反対に光すら飲み込むような漆黒の闇を宿していた。

 そして、機体の至る所から煙のように黒いもやが揺らめいている。

 武装もない、変わったのは機体の色だけ。

 だが、なぜか今の悠季には負けないという確信があった。

 あれほどざわめき立っていた気持ちが凪いだように静まっている。

 まるで、クロスだけでなく悠季も別人になってしまったようだ。

 そんな変化を感じ取り、危険だと判断したのかハンマーを振り上げてクロスへと駆け出した。

 さっきまでの悠季だったら慌てていただろう。

 しかし、その光景も、通信越しに聞こえてくる声も、悠季の心を揺らがせることは無い。

 そして、その瞬間は唐突にやってくる。

「……は?」

 紅いロボットから気の抜けたそんな声が響いた。

 パイロットの目の前に広がるのは、ハンマーを持つロボットの動力部をクロスの手刀が貫く姿だった。

 ハンマーの持ち手は手刀によって両断されたのか真っ二つに分かれ、貫くクロスの手は輪郭がかろうじて判別できる程度に黒いもやが覆いつくしている。

 文字通り、一瞬の出来事。

 通信で話した限りでは間違いなく素人だった。

 そんな素人が、大打撃を与えるために隙が大きかったとはいえ、最短距離を何の迷いもなく、かつ正確に動力部を貫けれるとは考えられない。

 だが、目の前の光景は間違いなくその結果によって生み出されたものだ。

 クロスが腕を引き抜くと動力を失ったロボットは大きな音を立てて地面に倒れこんだ。

「っ!」

 現れたクロスに、パイロットは反射的に構えた。

 味方と思っていた相手のはずだが今は敵のように見えている。

 通信で確認をすればいいものの、それすらも忘れて幾ばくかの時間が流れた。

「アンタ――」

 パイロットがそう口にした瞬間、クロスの機体色が霧散するように黒から白へと変わった。

 そして、クロスの足元に倒れ伏すように悠季とユノアの姿が現れた。

 その光景を見て、パイロットはゆったりとシートに腰かけた。

 心配よりも先に安堵感がパイロットの体を支配したのだ。

 パイロットは一呼吸を置き、機体を片膝立ちにするとコックピットのハッチを開いて地面に降り立った。

 悠季とユノアに近寄ると規則正しい寝息のような音が二つ聞こえてくる。

 どうやら二人とも気を失っているだけのようらしい。

 一息をついてパイロットがヘルメットを脱ぐと、背中の辺りまで伸びた燃えるように赤い髪と緊張感が抜けきっていない険しさの残る表情が現れた。

 赤い髪と同じ色の瞳が二人を射貫き、表情がより険しくなる。

「なんなのよ……アンタたちは……」

 その独白は誰にも届くことなく消えていった。

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