第12話 髪はね君

「いくらなんでも、あのおじさんはない。」

 地下鉄のホームに向かって歩きながら私達は、まだ先程の話を引きずっていた。


「まあ、そうだろうけど。」

 とキララ。

「けどさ、たのっちゃん、まじで熱い視線送ってたし?」

「…熱いって、どのようなものでございますの。」

「んー?食い入るような?」


 山口先輩はなかなか譲らない。しかも、若干あたってるとゆう…。食い入ってはなかったと思うけれど。


 しかし、ここで自らの妄想劇を披露するほど、私は自分を見失ってはいない。そちらを説明するよりも、誤魔化す方が何百倍も簡単だ。


(…自分で妄想劇とか考えちゃうあたり、まじでやばいけど。)


「だから、食い入ってないですし。」

「…そ?」

「そ!」

「ふーん。」

 山口先輩はそれでも何か言いたげだった。もうその辺でひいてほしい。そう思った時だった。


「それにしてもさ、」キララが少しニヤニヤしながら先輩に尋ねた。

「先輩甘党過ぎません?」

「あー?まーな。」少し照れたような彼の表情。


「あのカフェオレ、生クリーム2倍増しのやつ。」

「え?まじで?」

 キララのお陰で話が変わる。生クリーム2倍は純粋にすごい。


 でも、しばらくコーヒーショップに行くのは、控えた方がいいかも知れない。今日の誤魔化した話に信憑性をもたせる為にも。


 その後、キララと二人で山口先輩の甘党を散々いじり倒した。おじさん話のお返しはきっちりとしなければ。


「じぁ、明日は部活行きますんで。」

「おお。」

「たのっちゃん、また明日ねー。」


 私はそんな2人と地下鉄の入口で別れ、時間通りに来た電車に乗り込んだ。

 今日の車内は夕方にしてはあまり混んでいない。


(あの香りしないかな…。)


 ぼーっとした頭で考えて、そして、本当に、コーヒーショップに行くのはしばらく止めようと思った。


 あちら側の記憶に翻弄されて、ほぼ無意識にあの香りを捜したり、おじさんの一挙一動を観察する自分が、ちょっとまずい。

 …加えてお小遣いもかなり厳しい。


(どう考えても、やりすぎだな。私)

 冷静な私が見参する。


(あちらはあちら、こちらはこちら。)

 しばらくは呪文のように自分に言い聞かせよう。


 そう考えながらため息をつき、車内を見渡した時だった。


(あ、あの人またいる…。)


 近頃、気合いを入れて車内を観察しているせい…お陰で、いつも見かけるレギュラー陣の人を発見した。

 その中でも、彼はかなり頻繁に会う一人だ。ほぼ毎日と言っていい。


 黒いリュックを背負った大学生さんらしき人。いつもの事だが、私の視線は彼の後頭部に釘付けになる。


 髪、はねてますよ。今日も。それはもう豪快に。


 黒々とした剛毛が『髪をよく乾かさずに寝て、そのまま起きて来ました。』と語りかけてきて、気にせずにはいられない。


 ちょっとやそっとではこんな状態はならないと思う。しかも、櫛でとくとか、鏡を見るとか、そもそも髪型を気にするとか、そういう気持ちすら一切浮かんだ形跡がないとお見受けします。かえって斬新。


 しかも、常にものすごい仏頂面なのだ。私は秘かに"髪はね君"と名付けていた。


 そんな彼を視線の端に置きながら、電車が次の駅に止まってドアが開いた瞬間だった。


(え、何あれ。)


 髪はね君が笑った。

 入って来た人が友人だったのだろう。2人は並んで小さな声でポツポツと談笑を始めた。


 いつも仏頂面なのに、笑うと目が糸みたいに細くなって、びっくりした。かわいい…。

 いや、恐らく年下の高校生ごときにかわいいとか思われたりするのは心外だろうが、その表現がしっくりくる。


 静かに揺れる車内で、私は暫く髪はね君の笑顔をチラチラと盗み見していた。

 沈んだ気持ちがちょっと浮上する位には、癒されるいい時間だった。

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