第9話 失われたものと失われなかったもの

 「…ターン前後の状態としては、特に大きな問題はありませんでした。ロストは視覚です。明日から、さっそくですが、リハビリを行います。」

 先生が淡々と病状の説明を行った。真正面に田口なえさん、その少し後ろに夫が座っている。

「視覚代替訓練は、この病院では約1ヶ月です。その後はセカンドシェルターでの生活になりますが…。」

 先生は後ろに控えめに座っている夫をちらりと見て話しかけた。


「すみません。カルテの情報からですが、確認です。ご主人はセカンドで10歳ということでお間違えないですか?」

「はい!そうです!」

 少年が強面のおじさんから叱られているような構図だ。彼の背筋がビシッとしていて、緊張しているのが分かる。


「ロストを伺っても?」

「はい!視覚です!」

(声、大きすぎ)

 笑ってはいけないが、笑いがこみあげてくる。

 先生も苦笑しながら、今度は自分の患者である少女に目線を移して続けた。


「ご夫婦でターンエフェクトを向かえられるなんて本当によかったですね。しかも同じロストなんて、すごい確率です。退院後は安心ですね。」

「…はい。」

 彼女も苦笑いしながら答えた。

 先生はうんうんと頷きながら、私の方をチラッと見た。

「本来なら、この後看護師から、退院後のシステム等を説明させていただくのですが、どうされますか?ご主人がセカンドで10歳という事であれば、まさにセカンドシェルターにいらっしゃる年代ですよね。入所までのシステムや手続きはお分かりですか?」


「…そうですね。」

 彼は、大きな椅子にちょこんと座っている妻と私を交互に見ながら、少しだけ迷ったそぶりをみせだが、すぐに先生に向き合うと、さらに大きな声で言った。

「私から妻には説明致します!」


(…元気、良すぎ。本当にただの少年にみえる。)

 私がそう思っていると、横から彼女が夫の服をツンツンとつつきながら、恥ずかしそうに口を挟む。


「あなた、看護師さんからも伺いましょうよ。実際の生活とか、これからの事はあなたから聞くから、手続きとかはキチンと新しい情報を聞いた方がいいわ。」

「そうか?」

「そうよ。あなたが入ったのはもう5年位前でしょ?手続きもいろいろ変わってるかも。」

「そうかもな。では宜しくお願いします!」


 先生はそんな少年と少女のやり取りりを見ながら、終始笑っている。

「では、談話室の方でお待ち下さい。準備をして看護師が伺いますから。」

「はい。宜しくお願いします。」

 彼は椅子から降りると、彼の妻の手をとった。


「…あなたと手を繋ぐなんて、すごく久しぶりね。」

 少し驚いた口調で彼女が言う。

「何を言ってんだ。仕様がないだろう。お前、まだロストしたばかりだから、見えない、と言うか、見方を知らないと言うか。とりあえず転ばないように、手を引いてやってるだけだ。」


 早口でまくし立てるように話す彼がとてもかわいい。照れてる二人がぎこちないのも、見ている方がちょっと恥ずかしいほどだ。それでも二人は手を離さず、仲良く手を繋いで談話室の方に歩いていった。


「いやー。若いっていいねー。可愛らしいご夫婦だ。」

「…先生、彼らは若くないです。先生よりかなり歳上です。」

「今から2度目の恋をするのかねー。同じ人と二回も恋愛するのも、純愛だなー。僕もターンエフェクトできたら純愛を目指そうかなー。」

「…先生、この前新しい彼女連れてましたよね。」

「…。」

「…。」


 大和先生は、ちらっと私を見た。

「どこかで見た?」

「先週、隣町の駅前で。」

「秘密にしてね?」

「同僚5人位で一緒にみちゃいましたから、もう広まってますね。」

「…そうなの?」

「そうですね。」


 私は、では、説明に行ってきます、と言い残すと机につっぷしている先生を残して部屋を出た。後ろから小さく「うーん。」とうなる声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る