第59話 勝利の美酒と温泉と美女でございます

「はぁはぁ、呪いは、どうなったんだ?」


「わからん」



 俺の言葉に、カラスは即答する。


 そりゃそうだ。未踏みとうの領域。歌が途中で止んだのではなく、終わりを迎えた。いや、歌を最後まで聞いたことはないから、本当に終わったのかわからないが、雰囲気では、完全に終わっていた。


 

「この後、どうなるんだ?」


「知らん」



 だよな。


 俺達が待っていると、湯気の奥に動きがあった。人魚がすーっと近寄ってきた。その数は十数匹。俺達を食べるにしては数が多いけど、失敗したのか?


 

「どうする? 逃げるか?」


「いや、待て。どうやら成功したようだ」



 カラスの言葉を聞いて、人魚の様子をうかがう。すると、人魚が何かを持っているのが見えた。何だろうとよく見てみるとそれは酒瓶さかびんであった。


 酒?


 俺達、おつまみにされるの?


 俺がびびっていると、人魚の顔が見える。あのそばかすの人魚だ。彼女は、引きった笑みをなんとかこしらえながら、俺達に告げた。



「ようおこしくださいました、旦那様。うちらが誠心誠意お仕え致しますので、ごゆるりと休んでいってください」



 これほど苦渋くじゅうに満ちた言葉もないだろう。


 そばかす人魚の本心を知っているだけに、彼女のつくられた笑顔がもはや恐ろしい。それよりも恐ろしいのは、そこまでの強制力のある呪いの効果か。


 

「あの、人魚さん?」


「何ですか? ささ、そんなところにお粗末なもんぶら下げて立っとらんと、温泉に浸かったらどうですか?」



 何か、本音が隠しきれてないけれど、俺は人魚に従って、温泉に入り直した。踊ったから、汗をかいたし、温泉にはものすごく入りたかった。


 かるくお湯で汗を流してから、俺は温泉に入った。


 

「ふわぁ」



 何度も入った温泉。けれども、その温泉はまったく別ものとなっていた。まず香りがいい。人魚からただよってくるのだろうか。呪いの歌ではないが、筋肉をゆっくりと弛緩しかんさせていく。人魚が多数近くに寄ると温泉の性質が変わるとカラスは言っていた。まさしくその通りで、暖かさの質が違う。温度が変わったわけじゃない。身体の中に浸透しんとうする熱の量が違うのだ。身体に染み込んでくる熱は、血となって血管を巡り、ただひたすらに快感を送り込んでくる。


 気持ちいい。


 何よりもこの絶景。周囲を人魚に囲まれており、あっちを向いてもそっちを向いても美女美女美女美女!


 裸の美女だらけ。


 まさしく楽園。


 俺は挑戦をやり遂げた!


 その実感がふつふつと湧いてきた。



「さぁさぁ、どうぞ、一杯」


「あ、どうも」



 人魚がそそいでくれた酒を俺は受け取る。毒とか入ってないよな、とこの後におよんで不安になったけれど、横でカラスが豪快ごうかいに飲んでいたので、俺もならって飲み干す。


 あまい。


 果実酒か何かだろうか。人魚とはまた違った香りで、鼻をくすぐり、喉を乾かす。そして、口に含むとふわっとまた香る。アルコール度数は決して低くない。だが、口当たりがよく、するりと喉をうるおしてくれる。



「すごい。こんなうまい酒飲んだことがない」


「人魚の秘蔵の酒だ。こいつが俺のいちばんの目的だった」


「それは、わかるな。この世のものと思えない」


「温泉と酒。それから、この歌。これこそ歌姫の湯だ」



 呪いの歌ではない、人魚の歌。相変わらず美しい旋律せんりつが心をかす。歌姫の湯。今やっとカラスが命をかけてまで挑戦した理由がわかった気がする。



「それと、美女か。眼福がんぷくだな」


「まぁ、女はオマケだな。おそらく何をしても呪いの影響で逆らえまい。抱きたいなら抱けばいい」


「え? ほんとか?」



 俺が、興奮で目を血走らせていると、人魚がハッと手で自分の身体をおおった。



「だ、だ、旦那様が、の、の、望むのであれば」


「え、それじゃ、そのぉ、いただこうかな」



 いや、これは、そういう呪いだから。決していやらしい気持ちは、いや、それは嘘だけど、うん、そういう呪いだから。いいよね。


 俺が、人魚の豊満な胸に手をのばそうとしたとき、人魚の小声が聞こえた。



「こんのくそぼけかすのエロあほガキがぁ。もてあそばれるくらいやったら、もういっそのこと呪いで死んでもえぇからイチモツ噛み切ったろうか」


「……あ、見るだけでいいでーす」



 嫌がることはね、しない方がいいよね。女は怖いしね。


 俺が、ふぅと温泉に浸っていると、隣でカラスが、気持ちよさそうに顔を拭っていた。



「なぁ、カラス。俺達は成し遂げたんだよな」


「あぁ、勝利の酒だ」



 ははは、と笑い合って、俺とカラスは酒のグラスを打ち鳴らし、ぐいと一気にあおった。

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